2011年7月15日金曜日

五条宮大神 少彦名命

 朝、8時に自宅を出て、家の奥さんの掛かり付けの病院に向かった。朝から青空で気温が上昇しそうだ。アンディー用にと言うわけではないが、家内が保冷ジェルを挿入して首に巻くものを用意してくれたが、私はそれをアンディーに譲った。いっも、45分ほどで着くNTT西日本大阪病院までの時間が、今日は60分掛かって、9時の予約に滑り込んだ。
 毎月、月中の週末が病院の定期の受診日になっていて、ここに通いだしてからでも、10年を越えている。私がリタイヤしてからは、私とアンディーが、奥さんを送っていく事になっていて、大体2時間ほどは待たされるので、その間、夕陽丘界隈を散歩する事にしている。勝山3丁目には、しゃれたオープンカフェがあり、時々は、そこで、380円のホットドッグとコーヒーをよばれる事にしている。
 今日も、日陰を見つけながら、天王寺の方角に歩き出して、気がつくと歩道沿いにお祭りの赤い幟が幾つも付けられていて、幟の菊のご紋は分るがのだが字が読めない。天王寺界隈は、歴史の有る地域で四天王寺さんを始め神社仏閣の多い地域でもある。暫く行くと、家の前に祭りの提灯を出して幟を付けたお宅を見つけた。その家の横の塀には、お祭りの張り紙があり、五条宮、夏まつりと書いてあった。
 病院から、あまり遠く離れると、帰りが大変なので、五条宮を探す事はできなかったが、家に帰ってから調べてみると、四天王寺創建の際に、医道の祖神五条大神、少彦名命(すくなひこのみこと)を祀ったのが始まりで、673年(白鳳2年)に敏達天皇が祭祀し敏達天皇社と改め、病気平癒の神、鬼門除の神、火難除の神、橘氏はじめ春日、大原、清原氏など数百の氏族の祖神として、また付近一帯の産土神として広く信仰を集めているとのことであった。また、五条の名は難波京の五条筋にあたることから、条坊制を今日に伝える唯一の証拠となっているとも記されていた。
 何しろ、歩かないアンディー連れなので、ほとんど、3キロを抱えて歩いているので、ソコソコの運動になる。次の機会には、地図を調べておいて五条宮を訪ねてみようと思った。

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