2012年5月31日木曜日

アドレスとスイングプレーンを意識した

ドライバーショットの好感触が戻ってきた。今日は8時37分スタートで、川西の山の原GCの山の原コースをティーオフしました。
先日、勤め先の同期だったM君から声が掛かり、同じ同期のH君と、山の原GCの会員のMU君の4人が今日のメンバーでした。
天気は、朝から少し曇っていましたがほとんど風も無く、この時期としては絶好のゴルフ日和に成りました。
OUTの1番、2番目に打った私のドライバーショットは、前方フェアウェイの真ん中に立てられた、230ヤードの目印に向かって大きな放物線を描き、目印の少し前に落ちました。
前回の、同期のゴルフコンペでは、全く良い所が無かったスイングに、少し立ち直りの切っ掛けが見えてきた気がしました。飛距離と方向性が戻ってきたのです。
ドライバーで言えば、ゴルフクラブのグリップを、前回ハンドダウンを意識してアドレスしていた構えを、修正しました。練習場では、自然体でハンドダウンのアドレスを取った方が、ダウンスイングからボールをヒットする時に力強いショットを打てるような気がしていたのです。しかし実際、コースのティーグラウンドでそれを意識したアドレスで臨んだ前回のラウンドでは、毎回ショットの方向が定まらず左右に球を散らせて散々なラウンドと成りました。前回の反省から、今日はアドレスの姿勢で、前傾を少し立ち気味に(結果的にややハンドアップ気味に)構え、両足のスタンスの中で腰を水平に捻転することで体がスエーせず、右足でバックスイングの体重を支える事が出来ました。そして、切り返しで一呼吸置いたダウンスイングを意識すると、少しアップライト気味に体の左正面で強く球を捕える事が出来たのです。
ゴルフクラブのグリップをお腹のヘソの前に構え、シャフトのクラブヘッドまでの傾斜角度(スイングプレーン)を意識しながら、その場で腰を水平に捻転する事で、ダウンスイングでクラブのヘッドスピードが上がるのを感じる事が出来ました。その結果、飛距離が戻って来たのです。
今日一日を通して、ドライバーショットも、アイアンショットやフェアウェーショットも前回よりもスムースなスイングが出来ました。
400ヤードが続くホールでは、確実に3オンを心掛け、ワンパット圏内を狙いました。
結果的に、今日の成績は、OUTもINも45点で90点にまとめる事が出来たのです。最近、この山の原コースで、45点、45点で上がった事は有りませんでした。
これに、もう少しアプローチとパターの精度が増せば80点台の可能性を感じさせる、今日一日のラウンドとなりました。



2012年5月29日火曜日

朝の散歩でバラのおみやげ

今朝も、いつもの様に雲雀ヶ丘山手の公園側から住宅地を抜けて、下の花屋敷公園からバス道に出るコースを歩いた。帰りの登りに掛かるT字路の交差点の角に、熱心にガーデニングをされているお宅がある。
  
丁度そこを通りかかった時、そのお宅の婦人が朝の水やりをされていて、内の奥さんと目があった。奥さんが、そこの婦人に「いつも綺麗にされていて、楽しませて頂いています」と声をかけて、立ち話が始まった。
以前にも一度そこの庭先に通されて、話をした事が有るお宅で、どうぞどうぞと中に通されて、咲き誇っている赤やピンクのバラを、どうぞ「持って帰って下さい」と切ってくれた。
「趣味で遊んでいるだけです」と謙遜されていたが、ずいぶん沢山の種類の花や庭木が、センス良く配置されている。
  宝塚にある大手の造園屋や山本の園芸振興センターなどで、好みの種類の花々を購入して育てておられる、との事だった。
話を伺い、写真を撮らせてもらって、帰りには、内の奥さんの手いっぱいのバラや珍しい花々を切って持たせてもらった。
  花を育てておられる婦人も、花自慢が出来て満足そうな笑顔で見送ってくれた。
  

2012年5月27日日曜日

夏の暑さの前に

  日中は夏日を思わせる天気になったが、意外に風が心地よい。湿度が無くカラッとしているせいかもしれない。この分なら、気象庁も政府も、7月に去年並みの猛暑に成ったら、関西電力管内の計画停電も、などとしきりに脅かしているが、今年の夏はひょっとするとすると、暑さの期間が短いのかも知れないと思ってしまう。それでも、実家の庭の25度近い外気温の下で車を洗っていると、さすがに日差しの暑さを感じた。
  
  昨日、ニュースで福島第一原子力発電所の4号棟の内部が初めてカメラで映し出されたが、水素爆発でぼろぼろに成った同じ建屋に原子炉の4号基と1535本もの使用済み核燃料が保管された燃料プールが有るのを見ると、ゾッとする人もいたのでは無いでしょうか。
  私の様な、知識のない素人にはピンと来ませんが、もし4号基が破損し、その拍子で建屋に有る使用済み核燃料プールが崩れたり、冷却機能が損傷したりすることを想像すると、当時、首都圏を含む東日本が、日本から失われるかもしれいと考えて、狼狽えた首相がいても不思議ではないと思うのです。事実、米国の政府や原子力の専門機関は、その可能性について言及していたと伝えられています。
  福島第一原子力発電所の4号機の建屋の様子を見せられた一般の国民は、日本中に54基もの原子力発電所があり、福島第一原子力発電所と大きくは違わない配置や構造でそれらが日本の各地に存在している分けで、人々は直感的にこれはヤバイと実感するのでは無いかと思うのです。地域が経済的にそれらの原発に依存しているとか、してい無いとかと言う以前の問題で、その地域やそこに生活する住民や家族の存続にかかわる問題だからです。
日本の様な地震大国で、いつ何処でどんな規模の地震が起こるのか、実際は予測が出来ないからなのです。一所に集中して何基もの原子炉を並べて、なおかつ使用済み核燃料と言う、途轍も無く始末に悪い代物の後処理が避けられない原子力発電事業その物の将来に渡る継続性につて、地域と国の存続を掛けた国民的議論を行わなければ成らないのでは無いでしょうか。
  水素爆発に見舞われた、4号基建屋の惨状を見、ましてや、そこに使用済み核燃料が保管されていた事実を知って、つくづく、国の経済問題や企業活動を理由にした原子力発電の必要性と、国民や将来を担う子供たちの命を引換には出来ないと思うのですが、それは考えすぎでしょうか。
  強い日差しの下で汗をかいた後、実家の和室の畳の上で、午後はゆっくり昼寝をすることが出来ました。

2012年5月26日土曜日

物造りのプライドを、、

    寝室用に置いていたSONYの小型テレビが、4年目でダメになった事を、先日書きました。電源スイッチを入れるとテレビの前面の下についているスタンバイという小さなランプが、8回赤い点滅を繰り返すだけで、画面が立ち上がら無くなったのです。それは、SONYのサポート・デスクに電話で尋ねると、8回点滅を繰り返すサインは、何でも、音声回路の不具合を表すらしく、自宅に来てもらったSONYの修理担当者によると、修理費用は出張費や技術料それに部品代を合わせると、消費税込みで4万円掛かると言う事でした。SONYの修理担当者には、出張費だけを払って帰ってもらいました。
今日、近くの量販店で、2011年製のシャープAQUOSの同じ26インチの液晶テレビを購入して持って帰りました。販売店の5年保証と、壊れたテレビの廃棄料に5.000円程が掛かりましたが、本体は23.950円で購入する事が出来たのです。奥さんと帰りの車の中で、去年買い換えた炊飯器より安いね!と言って笑いました。
去年7月の、テレビ放送の地デジ移行に伴なって、急速な買い替え需要が巻き起こり、それを当て込んでか数年前から、メーカー各社は巨額の設備費を投入し、大々的な液晶パネルの増産体制を整えていました。
  しかし、ある意味、分かり切っていると思うのですが、急速な地デジ対応のテレビへの買い替え需要の後は、必ず国内需要はその反動減に見舞われる事が予想されます。それに、追い打ちを掛けたのが為替の円高で韓国メーカーに世界市場で大きく水を空けられた事ではないでしょうか。
この春の決算で、日本の家電メーカーは液晶のパネル事業を中心に、相次いで過去最高の赤字決算に追い込まれ、テレビの生産から撤退を表明したり、工場を集約し、かつての下請け先である台湾企業に合弁を頼み込んで生き残りを図ったり、と言った有様です。
早い時期から、生産工場を人件費の安い中国や東南アジアに移行し、コストの引き下げで韓国メーカーなどとの競争に対抗しようとする経営が、かつての優秀で信頼性のある物造りに影を落としていたのではないかと考えるのです。
それに気付いている経営者もいるはずです。最近になって、精密企業の中には、製品の生産現場を暫時、国内に戻す動きも出始めていると聞いています。
百円均一などの雑貨を扱う企業や安価なアパレル製品などのように、比較的現地の生産現場で技術指導がしやすい製品と違って、精巧で誤差やバグの許されない製品を供給しなければならない製造業にとっては、コストとしての人件費だけが経営の対抗手段ではないと思うのです。
製品の不具合が判明して、新製品の販売後に何万、何十万の製品回収を余儀なくされる事例をよく耳にしますが、経営に取っての痛手は計り知れません。
赤字決算に喘ぐ電気業界がその巻き返しに、今後どういう道を歩むのか、私には分かりませんが、
日本の精巧で信頼性のある物造りのプライドを再構築して、世界の市場で勝ち残ってもらいたいものだと思っています。

2012年5月24日木曜日

普段使いの帽子

会社勤めを完全に終わってから、外出時には何故か帽子を被るようになった。理由も、切っ掛けもない。元々、ゴルフをするので、ゴルフ用のキャップは3つほど持っていて、それも、ミズノゴルフの白のキャップで古いものは10年ほど前の物になる。3つの帽子をその時の気分で交互に被っており、たまに奥さんに洗濯してもらうので、古いものでも、そんなによれよれになってみすぼらしく見える物は無い。
勤めを終わってから、外出用のキャップをネットで物色して、2つほど手当てした。最初は、やはりゴルフのブランドで、つばの配色がしゃれているTitleistのキャップとアメリカのカジュアルブランドのPoloラルフローレンのキャップだ。Poloの帽子は、後ろの調節用のベルトが革で出来ていて、薄いベージュの色合いもとても気に入って愛用している。そのうち、外出先のアウトレットで安いアディダスのグレーのキャップが加わった。
ネクタイを締める事が無くなり、毎日が普段着のカジュアルな服装になって、そのうち、帽子を被らずに外出する事に、だんだん違和感を持つようになった。
丁度そのころから、頭の髪が少しずつ薄くなるのを感じていた。最初は、亡くなった親父を見ていたので、自分がまさか髪の毛がうすくなるとは想像もしていなかった。どうも、私は母方の遺伝子を受け継いだらしい。それでも、今の年から恋愛する分けでもないので、髪の毛が薄くなる事に何の感慨も持たなかった。
そして、この冬、夏冬毎日被っている帽子がだいぶくたびれて来たのを感じていた奥さんが、しきりに新しい帽子を買うように私に勧めた。そこで、初めて冬用のハンティングを購入してみようと思い立った。黒のスエードのニューヨーク・ハットと言うブランドで、手に入れて被ってみると、とても暖かく感じた。キャップよりも被りが深く頭全体を包み込むような感触で、とても気に入った。
ハンティングと言っても調べてみると、ずいぶん多くのメーカーが有り、英国製のハリスツイードの生地で作り込んだ製品などは、イタリヤ製のボルサリーノブランドと共にとても高価な品物が多かった。
この冬、もう一つグレーのへリンボンの安いハンティングと合わせて交互に着用して、頭の寒さをしのいだ。
春になって、冬用の帽子は、奥さんが中に新聞紙を丸めて丁寧に箱に直してくれて、又、何時ものキャップを被って、先日、娘宅に孫の顔を覗きに寄った所、思いがけないプレゼントが待っていた。
6月の父の日のプレゼントにと、娘夫婦買ってくれていた、キャロウェイの夏のゴルフ用ハンティングを、前倒しでプレゼントしてくれたのだ。
現役の時のネクタイとはいかないが、外出時の気分によって、選んで着用する数の帽子がそろった。リタイヤ後のちょっとしたおしゃれの気分を楽しんでいる。

2012年5月22日火曜日

国民を蔑ろに、、、!

    夜の10時、ニュース・ステーションと言う番組で、昔、プロレス中継などを得意としていたキャスターが、今の内閣の藤村官房長官の言葉を聞いていると、政府の要人なのか東電の幹部なのか、どちらか分からない様な発言に聞こえる、と言った内容のことを喋っていた。
また、別の番組で原発再稼働に向けた政府の取り組みについて、あるコメンテーターが枝野幸雄経産大臣のことを称して、この人は発言がくるくる変わる人だから、と発言しているのを耳にした。やはり、世間でも私が思うような受け止め方が一般的なのだと、ちょっと安心した。
ことほど左様に、今の野田首相をトップとした内閣の取り組みで、全国の原子力発電所の安全な稼働について、裏付けとしてどういう安全基準を持っているのかが、誰にもさっぱりわからないと思うのです。
若くして、原子力事故収束担当兼環境大臣として、福島第一原子力発電所の事故収束と、放射能を含むと懸念されているがれきの処理、および放射能汚染地域の除染等の陣頭指揮などを担わされている細野大臣を見ていると、最初の印象からどんどん顔付が曇ってきているのを感じるのは私だけでしょうか。道のりの長い福島の収束に目途が立たない中、定期検査で止まった大飯原発の再稼働に向けて周辺自治体の説得に駆り出されている様子は、いかにも苦しそうな表情に見えて仕方がない。
野田総理や民主党政権は、どんなモチベーションで関西電力の大飯原発の再稼働を急いでいるのだろうか。
そこには、何が何でも、大飯原発の再稼働に早期に漕ぎ着けて、順次全国の再稼働可能な原発の運転に繋げて行きたいとの産業界の思惑が見え隠れするのです。
野田内閣と経産省は場合によれば、当該電力会社と示し合わせて、手を変え品を変えて関西電力管内の世論に圧力をかけてきているのが、見え見えだと言う気がするのです。
  今、事故調査委員会によって、大震災時の福島原発の事故対応について、事情聴取が続いていますが、今回の大飯原発を始め、日本の原発の大震災後の再稼働について、専門機関による確りした稼働基準を設定した上での再稼働手順を経ていなければ、必ず、政党としても、政治家としても、もしも万が一の場合に国民に対してその責任を免れる事は出来ないと思われます。
後々に禍根を残す事の無いように、国民の安全を第一の基準として検討さるべきで、そこに、経済性やコスト、ましてや民間企業の採算の視点に再稼働の政府の動機が有ってはならない事は言うまでもありません。

現在、民主党や野田内閣に対する国民の目線は、かって無いほど厳しく成っています。くれぐれも国民を蔑ろにした対応に終始する事の無いように指摘しておきたいと思います。


2012年5月20日日曜日

ファミリーが暮らす千里

私には妹が二人いて、二人は其々、吹田市の千里山と豊中市の千里中央に住んでおり、頻繁に行き来している。今日は私が千里中央の妹宅に寄ると言う事で、吹田に住む妹も私が行く時間に合わせて、千里中央にやって来た。
千里中央には、私達の両親の位牌が祭られており、盆と正月には兄弟姉妹にその子供たち、さらに其々の孫達を含めると総勢20数名が集まってくる。
今は、母と最期まで一緒に暮らしていた千里中央の妹宅が、私達ファミリーの集合拠点に成っているのです。弟家族も千里中央から一駅の近くに居を構えており、その弟の二人の息子達家族や、私の娘家族も北急行線の千里中央駅の徒歩圏に住んでいて、考えれば千里が私達ファミリーの縄張りと言っても過言ではありません。
こう言う私は、隣の兵庫県宝塚市に住んでいるのですが、それも阪神淡路大震災迄は、千里中央と言う名称のついた集合住宅の14階に住んでいました。阪神大震災で千里を離れたのですが、何かと言うとファミリーが多く住む千里に足が向くのです。
40年前に、この豊中市と吹田市にまたがる千里丘陵に、日本初となる公団の大規模団地が誕生して、団塊の世代の子供たちが育っていった後、一時、団地の高齢化が取りざたされ問題とされましたが、ここ最近になって、古い公団の建て替えが進み、さらに民間の新たな高層マンションなどが出来始めて、又、若い世帯の家族が戻って来ていると聞いています。
この千里地域を歩くと、確かに高層の集合住宅などが目を引くのですが、反面、大阪の中心部から遠くないこの地域はとても緑が多く、緑地としての公園も多く配置されています。
北大阪急行線で梅田まで30分、その梅田や大阪駅周辺の大々的な開発が進行していますし、大阪駅ビルと、そこに隣接する商業施設はすでにオープンしています。更に北側のJR貨物跡地開発の完成も近づいて、梅田界隈の景観も一変すると思われます。
私が現役でいた頃の社会情勢とは大きく違うはずだと思うのですが、そうした大規模な開発は新しい時代に継続されているのです。私達の子供や孫たちが暮らす千里と言うコミュニティーの変化と発展を期待しながら見て行きたいと思います。

2012年5月19日土曜日

同伴者への気配りとマナー

16日の最悪のゴルフには、実は他にも原因があった。私も含めて私の仲間内のゴルフは、結構ざっくばらんで、ゴルフプレーで求められているゴルフマナー等をあまり四角四面に考えていなかった。気心の知れた友人達との和気あいあいの懇親ゴルフが多く、ゴルフ歴は長いが現役中はクラブ競技などにはあまり出場しなかったからだ。その為、弟達とクラブの競技に出るようになった時などは、色々注意を受けた。特に私と同時期に一緒のクラブに入会した甥などは、私によく注意をしてくれた。
ティーグランドではショットする同伴者の視界に入る所に立たない、同伴者がアドレスに入ったらほかの者との会話を控える、フェアウェーではショットす者の前に出ない、バンカーの跡は直してグリーンに上がる、更にグリーン上では靴のスパイクを引きずらない事、ボール跡をホークで直す、そして同伴者のパットラインを踏まない様に気を付ける、等などの基本的なマナーについて良く注意を受けた。
クラブ競技などで他の会員と同伴した時などは、大体において、それらのマナーは守れているのだが、時にうっかりしたり、自分のショットやパターの失敗に気持ちが動揺して、周りへの気配りが疎かになる事がある。

  特に、普段から仲間意識のある同期の懇親ゴルフコンペなどになると、気が緩むと言うか、ついつい同伴者への気配りが緩んでしまう事がある。昼からも、私は、OBが連続したり、ちょっとしたミスでスコアーに対する拘りを無くしていた。
朝は調子のよかった同伴者の一人も、調子を崩して私達のパーティー全員が、四苦八苦の状態だった。そんな折、グリーン上で私が無意識に同伴者のパットラインを踏んでしまったらしく、ラインを踏まないようにと、その同伴者から注意を受けた。ところが、その何ホールか後、私がまたうっかりしてその同じ同伴者のパットラインを踏んでしまった。一度注意しているにも拘らず二度踏まれた同伴者は、血相を変えて私をなじった。私も、自分の非を素直に謝ればいいのに、仲間内の事だからそんなに怒らなくても、と応じた事が相手の怒りに火を注いだ形に成った。
その時の、同伴者の「言われても懲りないやつやな!」と言う一言で、私も逆切れしそうになったが、なんとか気持ちを抑えて、ひたすら悪かったと謝った。
その同伴者もその時、ショートホールのショットをミスしてラフのボールを探していた。OBを免れて打ったセカンドショットがグリーンをオーバーして反対側のラフに行ってしまった。グリーン上に載せていた三人のうち遠い方の一人が、ラフにオーバーした同伴者が返しを打つ前に、ピンに寄せようとした行為について、積もっていたイライラを爆発したようだった。
ちょっとした気配りを欠いた事が、一人の同伴者のイライラを募らせ、パーティーの親睦ゴルフをとても気まずいものにしてしまった。
この様なゴルフ場での最悪の出来事が、二日立った昨日まで、私の気持ちをとても重たいものにしていた。逆切れしそうな気持ちを無理やり抑え込んで、ひたすら謝った事で、私の気持ちの中にも大きなストレスのしこりが残ってしまったのだ。
PTSD(Post Traumatic Stress Disorde)の事を普段何となく聞いていて自分が経験する事など無いと思っていたが、この出来事は、私の自覚の中で気持ちが傷ついたと言う意味では一種の「心的外傷後ストレス障害」ではないかと思えるのです。
いい年をして、自分の行為が無意識にせよ、生真面目な他の同伴者の気持ちを傷つける事がある事に鈍感だった。たぶん、その場で怒りを爆発させた同伴者は、私以上に気まずい気持ちを引きずって帰ったかも知れない。帰り際に、「悪かったな!」と、小さく私に声をかけて帰った彼の後姿に、その気持ちが表れていたように思えた。とても、大きな反省の一日だった。

2012年5月17日木曜日

逆瀬川の一理庵そば義

昨日は、会社同期のゴルフコンペで兵庫県三木市のチェリー・ヒルズゴルフクラブに行ってきた。
愛知県や岡山県から参加してくるので、高速道路からの便利を考えてこのクラブが選ばれている。
事前には、相当暑く成るとの予報だったが、風が有り比較的プレーはしやすかった。今回の参加者は急な用事で一人が参加できなかったが、10名と少し寂しい開催となった。同期もこの年になると色々、健康面等も出て来て三組の開催がやっとに成ってきた。
私は、以前このクラブのメンバーであったので、久しぶりのこのクラブのプレーを楽しみにしていたが、ゴルフプレーは、どう言う分けか散々の結果で、特にドライバーショットでOBショットを連発して、スイングの問題を抱え込んでしまっていた。アイアンショットも、フックが出て早急な練習で修正が必要なようだった。ラウンド中の修正というのは、私の様な素人に出来る事ではなくその日のクコアーは殆どギブアップ状態だった。出だしのクイーンコースを51点、折り返したプリンスが50点で、とうとう100点をオーバーするという失態のゴルフで、収穫は何もなかった。
ただ昼食時に注文したそば定食が美味しかった事から、北摂近辺の蕎麦屋の話になり、同伴者から逆瀬川近くで手打ちの出石蕎麦を出す人気の蕎麦屋を教えてもらった。
今日は、昨日の最悪のゴルフに、どっと疲れていたが、せっかく教えてもらった蕎麦屋に行ってみようと、昼前に奥さんと出かけた。
そこは、阪急今津線の逆瀬川駅前から逆瀬川を渡り、逆瀬川の右側を宝塚ゴルフクラブ方向に行くと、丁度、片側にネットが張られた宝塚ゴルフ場のコースが見え、その向かい側のマンションの一階に蕎麦屋の店舗があった。我が家から車で30分も掛からない近場で、それは西宮の甲山方面に向かう途中の道沿いになる。
店内に入ると、畳座敷には何組かの客がいて、何枚もの蕎麦の盛られる小皿を重ねて、出石そばをすすっていた。
私たちも、1人前5皿で840円の蕎麦と、この店で人気と言う300円のかやくご飯を注文した。
出石蕎麦はとても喉通りがよく、そばつゆも丁度良いダシ加減で5皿はすぐ平らげた。それに、注文したかやくご飯が人気通りの味で、そばと合わせて、腹いっぱいになった。

2012年5月15日火曜日

我が家のSONY製品

何日か前、4年前に近くの家電量販店で購入したSONYの26インチの液晶テレビが故障した。当時、寝室用に10万円近く出して購入したもので、リビングのテレビと違って経年の割に視聴時間は少ないはずだった。修理窓口の対応でひと悶着あったが、とりあえず近くの修理拠点から修理担当者が不具合を見にやってきた。テレビの裏のカバーを外して見ていたが、スイッチを入れても、スタンバイランプが8回点灯を繰り返すのは音声基盤の不具合で、部品の交換に2万5千円掛かると告げられた。修理費用はそれだけではなく、担当者の出張費用が3千円、修理の技術料として9千5百円、そして、それらに5%の消費税が上乗せされて、大方総額4万円になると言うのです。
出張して来たSONYの修理担当社員は、とても恐縮した顔付で説明していたが、私達夫婦は最終的な修理金額を告げられて唖然とした。というのは、今時売られている新品の液晶テレビでも4万円出せば30インチ以上のテレビを購入する事が出来る金額だったからだ。
10年近く使って、壊れたと言うのなら納得も行くが、私達はその修理金額には到底納得がいかなかった。修理担当者には修理を断って、出張料の3千百5十円を支払って帰ってもらった。これが、今の消費者に対する、SONYの対応なのだと変に理解するしかしょうがなかた。
そして、昨日、朝から2004年から使っているSONYのVAIOのノートパソコンが起動しなくなった。何度、立ち上げようとしても再起動の状態を繰り返すばかりで、デスクトップが立ち上がらない。そのうち、無線LANのスイッチをOFFにすると、何とかデスクトップの状態迄たどり着くが、無線のスイッチをONにした途端、また強制的にシャットダウンして起動の動作を繰り返すといった状況だった。もう、私の手に及ぶ状況ではないので、SONY VAIOのカスタマーセンターにヘルプを頼んだ。ところが、電話口に出てきたのは、どう見ても技術的な知見に乏しい若い社員で、再三、こちらを待たせて裏に引っ込んでしまう。挙句に購入より1年を過ぎている顧客は原則1案件につき2千百円の有料となりますので、支払い方法はと聞いてきた。ちゃんと払うからトラブルの解決策を早く支持してくれと言うと、お客様の状態だとパソコンのリカバリーを掛けるしか手立てが無いというのです。
そうこうするうちに、時間がかかり過ぎてこちらの電話の子機が電池切れを起こす始末で、最終的に電話の掛け直しで出てきた女性のオペレーターの説明を入れて、パソコンの初期化の手筈を取る事となった。
しかし、SONYのサポート窓口のアドバイスを入れて、パソコンの初期化をしたにも関わらず、状況は改善せず、住所録やメールアドレスに何十枚かの写真データーをフイにしただけだった。
翌日、再度サポート窓口にその旨告げると、それは、おそらく無線を司る部分の機械的な損傷で、私の機種は、経年ですでに部品の在庫が切れており、修理でお預かりする事もしておりません、と言う対応だった。さすがに、問題解決に繋がらなかった事から相談料金は掛からないように手配する、との返事であった。マイクロソフトXPで、8年ほどパソコン初心者の付き合いをしてくれたもので、私にとっては少し愛着のあった物であったが、小型のテレビに続いてSONYのノートパソコンのVAIOが無くなる事で、我が家から、完全にSONYの製品が消える日が来るのです。

2012年5月14日月曜日

市場第一主義の社会

    今日の、日経のグローバル・オピニオンと言うコラムで、米国のハーバード大学教授、マイケル・J・サンデル氏の投稿を読んだ。「市場第一主義と決別を」という見出しでそれは書かれていた。
過去30年、米国では行き過ぎた市場原理主義が社会を覆い、政治が正義や平等、家族、コミュニティーの存在意義を省みなくなった、と論じている。
  日本でも、先の自民党小泉政権の折、規制緩和を推し進めるという大義で、全てに競争原理をあてはめ、日本にあった古い家族主義的経営から米国流の株主利益の最大化が指向された。元を辿れば、其のことが今日の行き過ぎた格差社会を生んでいるのではないかと思われるのです。
企業活動や政治の判断が社会の価値観を変えると言う事は、とても大変な事なのだと感じています。私も長いサラリーマン生活の中で、自分が所属する企業の社会的責任について、強く感じた時期がありました。バブルが崩壊したあの時から振り返ると20年近い月日が経って、社会は当時と比べて見ても、ととても混沌としているように私の目には映るのです。 
 
  サンデル教授は、経済成長だけで全ての問題が解決出来る分けでは無いにも関わらず、市場が正義や「共通善」まで定義できるかのような考えがまかり通っているとも述べています。「共通善」と言う言葉をあまり聞いたことが無いのですが、たぶん「公共の福祉や社会の普遍的な価値観」の様な概念で述べているのでは、と解釈しました。
そして、この市場原理主義に対抗する手段は、政治的議論を通じて、市場経済の道徳的限界を考えなければならないとして、そこに暮らす人々が確かな絆を感じ、相互に責任感を持てるような公共的な社会を創設することだと述べています。その事が社会の市場第一(原理)主義に対抗する手段であると規定しているのです。
  ケインズの総需要管理的な政策を批判して、企業の役割は利益追求を通じて株主価値を最大化する事と、米国の経済学者ミルトン・フリードマンは説いているが、それだけが企業の目的ではなく、国家にしても企業の活動を奨励する究極の目的は、「共通善」に資する事だと述べている。
企業家の立場や政治家の立場を社会全体の立場、公共的福祉に対する社会的責任と言う、ある意味素朴な思考や判断に立つ事が出来れば、社会の価値観や有り様が、違った風に理解できて、行動のモチベーションに資するのかも知れないと考えるのです。
  
  この企業の社会的責任に立脚して国や企業が判断すれば、今日の原子力に頼るエネルギー政策や若者を中心にした社会の格差や歪が、もっと良く理解できるのではないかと考えるのです。

2012年5月13日日曜日

朝の散歩でさくらんぼの実

今朝は、少し風は冷たさが残るが、季節が初夏に向かっている事を感じさせるような、気持ちのいい朝だった。ゆっくりの朝食を済ませて、歩きに出た。
今日はアンディーを抱いて、一人で歩くことにした。と言うのは、奥さんは先日の陶芸展の打ち上げで、仲間が教室に集まって立食パーティーをするという。今日の奥さんの分担は、皆でちょっと摘まめるパンを焼いて行くのだそうだ。それに、新しいNECの無線LANの子機が、ゆうパックで、届くことになっていたので、奥さんは残る事にした。

視界が広がって、大阪市内から生駒山が望める場所で、アンディーを下して、一服しると、そこで
さくらんぼの実が沢山ついた、木を見つけた。あたりに桜の木は沢山有るが、さくらんぼの実をつけた木は見た事が無かった。なんだか、得をした様な気分になって家に帰った。

ネットで、さくらんぼの写真を探していると、「さくらんぼが実る頃」というシャンソンの紹介文を見つけた。加藤登紀子のジャケットで日本語とフランス語の歌詞があるとの事だ。
1875年ごろのパリで、第3共和制に反対する市民の蜂起のパリコニューンの時、歌われるようになったシャンソンとの事だ。

市民による社会主義運動の走りとかで、元々運動に参加していた若者の悲恋の歌だったようだ。
さくらんぼの実はこの時期甘酸っぱくて、私の好物の果実でもある。

2012年5月11日金曜日

5月のゴルフ研修会

 今月のゴルフ研修会は、小野グランドカントリーのオールドコースの順番になっていた。何時ものようにN君に拾ってもらって、吉川に向かった。朝の空は低い雲に覆われていて、少し肌寒さを感じた。
9時10分にOUTをスタートしたが、一番のパー5で、グリーン前の花道からアプローチウエッジで4オンして、ワンパットのパーを拾った。幸先の良い出だしである。2番をダブルボギーにして、3番、4番をボギーで切り抜けとものの、5番のパー4で再びダブルボギーを叩いてしまった。所が、次の6番パー4では3オンして又もワンパットで、出だしから二つ目のパーを取ることが出来た。
 そこ迄の6ホールを5、6、4、 5、6、4、でボギーペースをキープ出来ていた。出だしから、フェアウェーウッドとアプローチウエッジが好調で、バンカーショットもいつもと違って砂をフワッと取る事が出来て、比較的ピンに絡んでいた。これらは、間違いなく距離のないヒッコリーゴルフ練習所の成果が出ていたのかも知れない。それに、2メートル以内のパターが幾つか決まって、パターの感触も悪くなかった。ラウンド中、良くコースの9ホールを3ホールずつ区切ってスコアーを管理するが、あと3ホールを何とかボギーペースで切り抜けたいと、ひそかに狙っていた。と言うのも、7番、8番、9番はパーが4、3、5、でパー4のミドルとパー5のロングをボギーで通過すれば、ショートのパー3は何とかなると、考えていた。所が、そこに落とし穴があった。結果的にミドルとロングはボギーで上がれたものの、肝心のパー3でダブルスコアーの6を叩いてしまった。ここで、ボギーペースが崩れて47点で前半を折り返した。
雨は降らず、午後からは晴れ間も出てきたが、終日、肌寒い風が吹いて、ショットを難しくしていた。私を含めて、モロのアゲンストのティーショットでは、同伴者も思わぬミスを出していて、無難にティーショットをこなしていたのは、N君ぐらいのものだった。
今日は私もドライバーの調子が悪く、同伴者の力強いショットとに影響されるのと、アゲンストの風にショットが固くなって、四苦八苦の一日だった。
今日の収穫と言えば、パターに大きなミスが無かった事と、何時もより、ショートアプローチをピンの近くに寄せる事が出来た事ぐらいかなと振り返っている。47、48の95点が本日の成績でした。

2012年5月9日水曜日

過去に抱いた信頼のイメージ

私はニュースやドキュメンタリーにスポーツなどの他は、テレビをほとんど見ない。いわゆる、フィクションの類があまり好きになれない。創作物やドラマが嫌いと言う訳でもないのだが、自分から見たくなるような物を見つけられないでいるのかも知れない。
話は違うが、昨晩、巨人がDeNAを相手に勝試合をしているのを見て、暫く野球放送を眺めていた。私が居間でテレビを観だしたものだから、うちの奥さんが寝室のテレビで別の番組を見ようとしたところ、テレビのスイッチを入れても、すぐ脇のスタンバイと言う赤いランプが点滅するだけで、テレビが付かなくなったと言うのだ。
何かと言うと私を呼ぶのだが、そんな事、元々私に分かるわけが無い。明日、SONYの修理窓口に電話をするように言った。
結局、奥さんが観たい番組は、巨人対DeNA戦の野球が伸びて、後回しにされていた。それは、いいのだが、そんなこんなをしている間に、7対2か3だった点差が、9回表のDeNAの反撃と、全くの巨人の凡ミスで同点にされてしまっていた。これだから、巨人戦も最近ほとんど見ないようにしている。巨人の過去の栄光はどこに行ってしまったのかと、唖然とするばかりである。
 そして、あくる日、つまり今日の朝の事になるが、うちの奥さんがSONYの修理相談窓口に、寝室のテレビの不具合を電話で相談していた。奥さんがテレビの修理を頼むと、先方の電話を受けた若そうな男性社員は、修理の見積もりとして、出張費3.000円に技術料9.500円、それに修理の部品代と消費税がそれに加わりますと奥さんに告げあと言うのである。
2008年の5月に川西の大手の家電量販店で10万円ほどで購入した、SONYのブラビアと言う小型の液晶テレビなのだが、購入して4年、普段、寝る前に奥さんが短時間見る程度での使用で不具合が発生して、揚句に、その状態を見る前から修理に対する技術料が9500円に出張料として3000円申し受けます、それには消費税と修理の部品代が加わります、と言うのである。
普段から、私が強面なのを知っている奥さんは、電話を私に変わってくれと持ってきた。
脇で、やり取りを聞いていたので、君では無くて責任のある人と変わるように言うと、その若い社員は、折り返しすると言って電話を切った。
しかし、2時間してもSONYの修理相談窓口からは折り返しの電話がかかってこない。
しびれを切らして、奥さんが再度、電話を入れると、ようやく上司らしき人間が電話口に出てきた。
私も、先方の対応に少し腹が立っていたので、SONYの社員に、電話を受けた社員の応対はあまりにマニュアル通りで、顧客の立場に立って丁寧な説明が出来ていない旨の不満をぶつけた。
長い間、SONYの製品を信頼して使い続けてきたが、内向きの対応ばかりで、顧客の気持ちを受け止められ無いから、SONYは駄目に成っているのでは無いか、となじった。
ここでも長い間に、過去の信頼と栄光がしぼんでしまって、見る影を小さくしてしまったSONYと言う企業に一消費者として苦言を呈した。言いたかったのは、企業の都合だけで消費者の視点が欠けているこ事に、一番がっかりした点だった。私の、剣幕に相手はしゅんとしていたが、最後には、言いたい事を聞いてくれて有難うと謝って、修理担当者を来させるように依頼した。
しかし、昨日の巨人にしても、今日のSONYにしても、何処か私が以前抱いていたイメージが崩れ去った思いがして、それが、とても残念な気持ちがしたのです。