2011年7月8日金曜日

やらせメール

  国が主催して行なう原発説明会に、電力会社側の幹部が、裏に回って、原発賛成を意味するメールを広範に出させていた問題は、いかに、企業の判断能力が幼稚で自己本位で浅薄なものかを裏付けているように思います。
 政府の大臣が、この行為に対して言語道断と怒って見せましたが、僭越ながら、企業関係者も政府の人間もその思考レベルでは、たいして変わらないのではないでしょうか。メディアが取り上げ、社会問題化して初めて気がつくのです。
 これは、日本の経済を主導する経済団体のリーダーにも言える事ではないかと思います。本当に正しい事を正しいと言い、可笑しいことは可笑しいと言える人が何人いるのでしょうか。大体、そう言える人は、社会や企業で主要なリーダーとは認められない傾向が有ります。そうすると、何かが起こってその当事者がクローズアップされて初めて、なんでこんな浅薄な、人柄も評価できない人が組織の上に立っているのだろう、と言う感想に成るものなのです。

 私も含めて、戦後の社会を主導してきた年代にも責任があると思っています。
戦前、戦後を通じて日本の復興に携わってこられた先輩達から、日本社会の上昇期を引き継いできた人間は、ひょっとして、経済優先で人としての基本的なモラルを置き忘れて来てきたのかも知れません。
 今でも、一人一人の若い人と交わると、その人たちは、大変真面目でお行儀が良く、自分の生活を大切にする善良な人たちが多いのに気付きます。
そうした、善良な人たちで構成する日本社会に何が不足しているのでしょうか。
 冒頭に申し上げた、やらせメールのような問題が、決して、してはならない行為だと、咄嗟に判断できない思考力の欠如が、問題ではないかと思うのです。
 如何してあんな真面目な人が、と良く言われますが、そこには、重大な問題が潜んでいるように思えてなりません。
 現在、社会で定着しているライフスタイルは、まづ自分ありきではないでしょうか。その為、当然、自分や自分が所属する小さな組織の利益が優先され、そのための行為は、反社会的に成るかも知れないと思われても、自分の中で許される傾向にあります。それは、意図的では無いかも知れません。無意識に自己中心の志向が定着し、社会全体や、本来、人として当然の判断能力が忘れられた結果だと思うのです。
 近畿地方も、統計以来、最速で梅雨明け宣言が出ました。明日からは本格的な暑い夏の到来です。

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