2013年1月18日金曜日

ブログ休止のお知らせ

  大変残念ながら、この度、入院による闘病を余儀なくされる事と成りましたので、本日以降 
このブログお休止いたします。長きに渡り、拙いブログを閲覧頂きました多くの皆様に、心より、御礼申し上げます。再開を願いながら、まずはご報告と、御礼まで。
                                          
Craft爺

2013年1月13日日曜日

年初に酷い風邪

  4~5日前から喉の右奥が痛いと感じていた、昔から扁桃腺肥大と言われていたので、少し風邪気味で、扁桃腺がまた腫れているのかも、と軽く考えていた。私はここ何年も風邪をひいた事が無く、そうした症状で熱を出したことも無かった。そうした症状が出ると、買い置きのイソジンでうがいをするぐらいで、決して医者に行った事は無かった。
  今度の症状がひどくなってきたのは、2日ほど前からで、咳をすると詰まった喉を無理やりあけさされるような痛さが加わった。更に後頭部から首の付け根にかけて頭痛がするようになってきた。流石に奥さんに言って、市販の風邪薬を買ってもらい、毎食後錠剤を3錠ずつ飲んでいたが、咳の度、痰が切れるようになったが、今度は胃がムカついてきて、お腹もぐるぐると落ち着かなくなった。相変わらず頭の芯が痛くて、お腹に力が入らないものだから、立っていても足元がふらつく様になった。自律神経迄変になったかと、家の中で、ゴロゴロと寝転んでいたが、奥さんの問い掛けでも、何も食べたくなくて、殆ど食事らしい食事もとれなくなった。
  昨日は、昼間からベッドに入って目をつむるが、寝付かれない。起き上がって居間に座ると、今度は胃がムカついて来てトイレに駆け込んではいたが、胃の中には何も無いものだから、白っぽい胃液が出るだけで、とても苦しかった。
  
  昨日は、夕方からベッドに入り11時ごろまで眠った。其処から4時まで横に成っていて、次に目覚めたのは7時過ぎだった。相変わらず体に力が入らず、洗面所でうがいをし顔を洗って着替えを済ませても、体がふらついて回復していないのが分かった。
  朝、リンゴを少しと、野菜スープに手を付けて、何時ものコーヒーも一口飲んだだけで飲み残してしまった。
  生前、私の母親はひどいづ痛持ちで、頭痛が始まると洗面器を抱えてゲーゲー吐いていた。私は子供の頃、そんな母親を見て、又始まったかと、その苦しさなど慮る事は出来なかったが、今回だけは、その時の母親の苦しみを、身を持って体験している様に感じて、思わず妹に電話で、「あんな時お袋は如何していた」と尋ねた程だった。勿論、特別のおまじないが有る訳もなく、一番酷い時を我慢してやり過す以外に方法は無く、今日も、炬燵にあしを突っ込んで、ゴロゴロしている。
  土曜日の午前中までに近くのクリニックに行けば良かったと後悔した。やはり、市販の風邪薬などほとんど役に立たない代物で、近くの女医先生を馬鹿にするのでは無かったと反省した。

2013年1月9日水曜日

中国は戦争がしたいのか!

  中華人民共和国の国家のリーダー達は、本当に日本と戦争をしても良いと考えているのでしょうか。ここのところの尖閣列島の我が国の接続水域で、領海侵犯や中国機による領空侵犯がとても執拗で、さすがに我が国政府も、自衛隊機による威嚇射撃も辞さないと考えているようです。
中国は、日本人の国民性に対して良く分かっていないのではないでしょうか。過去にアメリカ合衆国とロシアを相手として戦争を行ったのは世界でも、この小さな国土の日本だけです。今の様な執拗な嫌がらせ行為が、これ以上エスカレートすれば、太平洋戦争後60年以上平和を維持してきた日本国民の世論が、大きく変換してもおかしくは無いと考えられます。現に戦後アメリカ軍主導で作られた、現在の日本国憲法の改憲を主張する自民党政権が、今回の選挙で大幅に議席を伸ばす結果と成りました。
  日本の人口は現在でも1億2.600万人と中国と比べて、10分の一であり、戦後いかに民主主義が定着した国家と言えども、嫌がらせを続ける中国に対して国民世論が大きく転換して、中国排斥の機運が醸成されないとも限らないと考えます。又、その様な機運が盛り上がれば、国論が一つの方向にまとまる事も、広大な国土に50以上の民族で出来上がっている中華人民共和国と違って、国民世論の統一は比較的早いのではないかと考えられます。
  経済的な結びつきも、日本の経済界では隣接する、タイ、ベトナム、ミヤンマー、インドネシア、フィリピンと言った東南アジア諸国に、もうすでに転換を図り始めています。
  それに加えて、日本には、中国と比べようも無いほどの、軍事転換の技術と国富が有ります。加えて米国との安全保障条約が有りますが、米国内そのものに、ここもとの経済力を付けた中国に対する警戒感が存在する事を理解しなければ成りません。又、中国と国土を隣接する東南アジヤなど各国も南シナ海への中国の強引な進出でトラブルが絶えません。
  中国は、此れまでの経済力の発展によって国力を過信し過ぎて国の方向を誤ると、内部に抱える国民の共産党に対する不満が一気に噴出する危険性も考えられます。経済の発展と国民生活の向上は、国民一人一人の権利意識の向上と、言論や自由な政治意識が急激に高まってきます。国民の支持を背景とした国威の維持を、海洋進出に求めようと考える中国政府の思惑は、とんでもない方向に発展する危険性を孕んでいると考えられるのです。
広大な領土を持ちながら、あまりに欲深な考えで調子に乗り過ぎる事に対して、世界は警告を発しなければならないと考えます。
  戦争と言うのは、第一に人と人の殺し合いです。一人っ子政策で大事に育てられた中国の青年男子や日本の若者が、国家権力で戦争に駆り出され、命を落とす事に成っては絶対に成りません。戦争と言う現実味を感じないままに、両国の関係が悪化する可能性を完全に否定する事は出来ません。
  両国の政治家達の対応が問われます。くれぐれもお互いを刺激しすぎて取り返しのつかない事態に成らない様に願ってやみません。明治維新以来、過去には戦争にまみれた日本国ですが、私の生涯、戦争のない平和な日本で有ることを祈るばかりです。

2013年1月7日月曜日

担担麺を食べに、、、

   今日の昼前、炬燵に足を入れてひっくり返っていると、無性に担担麺が食べたく成った。リタイヤしてから、普段ラーメンを食べる事が無くなった。神戸の三宮近くで勤務していた頃、たまに昼食に三宮商店街の大衆的な中華の店で、ラーメンと焼き飯を注文して、昼飯を取っていた。
(川西の東春閣)
其処は、経営者も中国人の様で注文したラーメン事態も、ごく普通の醤油味で一般的な日本風の豚骨だしなどの手の込んだラーメンでは無い。
  リタイヤ後は、特に、昼飯にラーメンを食べに出ると言う機会も無く、今日は、川西能勢口の東春閣と言うリーズナブルな中華料理店に、担担麺を食べに出かけた。
  何時頃の事だったか、奥さんと梅田の三番街の「四川辣麺」と言う店に入った所、其処はラーメンと言っても担担麺が主で、それも何種類かの唐辛子の辛さを選べる店だった。
それ以来、それまで食べた事が無かった担担麺に、すっかりはまってしまった。豆板醤のスープに牛ミンチと刻みネギがたっぷり入っていて、とても美味しく感じた。それ以来、時々、あの豆板醤仕立ての辛いスープと牛ミンチを真ん中に盛った担担麺が無性に食べたくなる。
  宝塚の大劇場近くにある、龍坊(ロンファン)と言う中華料理店のランチに飲茶とのセットで担担麺のメニューが有る。此れも、昼飯の担担麺にしては2.000円と少し高いが、それはそれでとても美味しく感じた。

宝塚龍坊(タカラツカロンファン)
今日の東春閣の担担麺は単品で800円、以前からこの担担麺で十分満足していたが、今日は器の真ん中にいつもはたっぷり盛ってある牛ミンチの姿が見当たらない。箸でそっとかき回してみると、そこには細切れの豚肉が浮いていた。豆板醤仕立てのスープで味自体は、そんなに違わないが、どことなく、牛ミンチが入っていないのにはがっかりした。ちょっとした、期待外れに感じた。
  
  それでも、久しぶりの担担麺にお腹は膨れて気持ちは満たされたが、食事の満足には、そのものに対する事前のイメージがとても大切な事を感じた。

{梅田三番街の四川辣麺)
多少高くてもその味にとても満足する時と、まずくて高いお金を払わされた時の忌々しさを考えると、昔の人が言った、食い物の恨み、の意味が分かるような気がした。
  






2013年1月6日日曜日

年の初めの神頼み

   年明けの松の内のこの時期、私たち夫婦は家にお祭りする神様の新しいお札を受ける為、近郊の神社仏閣に初もうでで訪れます。まず、1月2日に京都の八坂神社にお参りしました。そして、40代から14年住んだ豊中千里の氏神様で、長男の孫たちのお宮参りや七五三をお願いした千里天神社にお参りします。ここで、今年の子供達の健やかな成長を祈願します。
  それに、今年は私の妹の誘いで、昨日、
宝塚の清荒神にお参りを済ませました。母の生前、妹は毎年母と連れ立って年の初めにお参りに来ていたようです。私たち夫婦も、宝塚に住むようになっ
てしばしば訪れる様になりました。と言うのも、清荒神の近くに、6年前に亡くなった愛犬リズを葬った墓地が有って、良くお参りに行く様になってからです。
  
  清荒神は年の初めの参拝客が多く、入り口の駐車場への侵入が規制されるため、何時もは規制が解かれた松の内ぎりぎりにお参りする事が多かったのです。
  又、お参りした帰りに阪急の清荒神駅までの参道には色々な飲食店や出店が並んでいて金柑や銀杏などを買い求めたり、昔ながらのお参り風景を感じる事が出来ます。
  そうこうして正月気分も冷め掛けた頃に、西宮の10日恵比寿が模様されます。各地の戎神社へ、今年の商売繁盛と景気回復を願う人々の波が押し寄せるのです。
  今年の健康と無事を祈って神頼みが続きます。

2013年1月5日土曜日

経済の潮目が変わった!

  去年の12月の衆議院総選挙前後から動き始めた為替と日本の株価が、年が改まって加速して来ています。去年70円そこそこ迄買われた円が昨日は一時88円、東証株価ももう一度7.000円代迄売られる事も覚悟していましたが、昨日は292円の全面高で、10.688円と東日本大震災前の水準を回復しました。
  
昨年12月の衆議院解散を境に、経済指標の潮目が変わった様に思います。それは取りも直さず、昨年、当時の自民党安倍総裁が打ち出した経済再生の為の政策に対する期待感が、内外投資家の間で高まったからなのです。
  前民主党政権の政策目標自体は、2014年以降の消費税増税に道筋を付ける事のみが大前提の目標で、その他、見るべき経済対策や日本経済の成長戦略手段は全くと言って良い程うたれていませんでした。所謂、経済無策の状態だったのです。民主党政権は、日本の財政悪化を唱える割に、何かと言うと大規模な補正予算と財政支出を強調するのみで、具体的な景気対策や為替の円高対策に対する言及も有りませんでした。その為、民主党政権下で、むしろ赤字国債の発行が加速したと言っても過言では有りません。
加えて、4年前民主党の後押しで繰り上げ就任したと言っても良い、現在の白川方明日銀総裁は、日本銀行総裁就任以来、それまでの事務方らしい安全運転が続き、これまで繰り返してきた金融緩和のペースも、常に後追いに終始して、そのほとんどが目に見える効果を発揮してこなかったと考えられるのです。此れまで、マーケットに機先を制する大胆な金融政策が打たれる事は有りませんでした。その結果、各国と比べ、日本の円だけが常に先んじてマーケットの標的とされ、ズルズルと円高を更新し続けていたのです。  
  世界各国の株価は、もうすでに2008年のリーマンショック前の水準を回復していましたが、日本の株価は、為替の円高が重しとなって、大幅に出遅れていました。しかし、この年末年始で、一先ずその出遅れを少し取り戻す水準まで来ましたので、この先、松の内を過ぎてどう動くかが興味のあるところです。野田内閣解散から1800円もの値上がりで、一息ついた投資家も多いと思われます。
話は変わりますが、今回の衆議院選挙の最終投票率が、59.32%と戦後最低の投票率であった事が報じられていますが、むしろ、ムードや一時の人気だけで動く浮動票の減少が自民党にとって幸いしたと言っても良いのではないでしょうか。
  しかし、私達は政権選択の選挙で、一時のムードや一か八かで政権を選択する事のリスクや怖さを、この3年間程痛感した期間は無かったのではないでしょうか。今年の半ばには参議院の選挙が来ますが、ヒッチャカメッチャカだった民主党政治の反動から、国民総保守化と言うのも頂けないかと考えるのです。今年、日本の世相は如何動くのでしょうか!

2013年1月2日水曜日

八坂神社の初詣

  今年も2日の今日、京都祇園の八坂神社の初詣を済ませました。昭和45年、奥さんと八坂神社の神前結婚を挙げた翌年の正月から本年まで、夫婦の親の喪中の年をのぞいて欠かさず初詣は八坂神社と決めて続けて来て、今年で41年目の正月を迎える事が出来ました。
毎年、欠かさずお参りを続けるうち、私達夫婦の中では、いつの間にか、年の初めの決まり事に成っていて、途中で中断する事が憚られる雰囲気になってしまった。
四国の松山暮らしの折には今と違って本四架橋も無く、正月休みには瀬戸内海航路のフェリーで実家に帰省していましたが、正月の2日は、決まって八坂にお参りを済ませて京都の奥さんの実家へ、年始の挨拶に訪れていました。
振り返ると、子供たちの成長に合わせて41年分の思い出が積み重なっていて、私達夫婦の間では、八坂神社の初詣も今では家族の細やかな歴史に成っているのです。今日、八坂神社の境内で、19年生まれの私の年回りは、昔風に数えると古希に当たることを知りました。
四条大宮から四条通りを八坂神社迄真っ直ぐ直進して、神社前の交差点を左にとって東山通りと、鳥居前の間をそのまま円山公園の駐車場に、30分毎250円の駐車料金で止める事が出来ます。10時を超える頃から、境内までの参道には様々な屋台が並び、初詣の人波が増えてきます。
お参りを済ませ、今年の新しいお札を頂いて40分ほどで八坂神社を後にしましたが、帰りの道路は、京都市内に入る近隣府県の車で長い列が出来ていました。