2011年7月11日月曜日

京都祇園祭り

 昨日、京都では神輿洗いと言う儀式が行なわれました。これは、飾りの無い神輿三基を八坂神社の舞殿に出し、そのうち一基(中御座)の前後に火を灯した松明を持って、四条大橋まで引き出し、前もって汲み上げられ、清められたた鴨川の水に榊を浸して、神輿を清める儀式の事です。これが祇園祭りが始まる儀式の一つになっています。
 私は、学生時代の四年間と社会人になってからの8年半、併せて12年半も京都にいました。それで、どういう分けか、私の中の梅雨明けと夏の到来は、祇園祭が基準に成っていたようです。ただ、学生時代は、この頃、学校が夏季休暇に入っており、ほとんど京都には居なかったので、私の京都での感覚は、会社の勤めが京都になり、そこで家庭を持った時からの基準と言ってもいいかも知れません。
 昨日は、その他、鉾建てと言って 各鉾町で山鉾の組み立てが始まる日でも有りました。当時、私の勤める会社の前には、ちょうど長刀鉾が組み立てられましたが、この長刀鉾は32基の山鉾の中でも一際目立つ鉾なのです。
 京都の町もこの山鉾の組み立てを皮切りに、祇園祭の雰囲気が高まって来ます。14日~16日が宵山になり、夕方から各鉾の上で祇園囃子が行なわれますと、祭りのムードが盛り上がり、翌日の山鉾巡行で、それが最高潮に達するのです。
 でも、祇園祭はそれで終わりでは有りません。その日の午後、八坂神社で神幸祭と言って、神輿渡御に先立って本殿で祭典が行なわれ、夕方には、各鉾町にこの神輿が繰り出すのです。
 この後、花傘巡行や環幸祭などの日をへて、一ヶ月に及ぶ祇園祭が締め括られます。クライマックスの山鉾巡行が終わると、京都の街中は、水を打ったように静かになりますが、京都に暮らすと、今言ったような、色々な行事を見る事が出来るのです。
 昭和50年の7月、ちょうど山鉾巡行の日、四条どうりの沿道は人の波で埋まっていました。
私は、その人ごみの後ろで、山鉾の巡行を眺めていると、そこに山鉾から投げられたちまきが飛んできました。私は咄嗟に手を伸ばすと、その手の平にすっぽり、ちまきが収まったのです。普通、なかなか山鉾から撒かれるちまきを掴むことは出来ません。その日、会社に帰ると、それまでの京都生活に終わりを告げる、会社の転勤辞令が発令されていました。それが、京都で見た私の最後の山鉾巡行だったのです。

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