2011年6月29日水曜日

残り物の扇風機

 弱り目に祟り目と言うのはこういう事か。九州地方は、例年より21日も早く梅雨明けとなった。ここ二、三日を見ると、近畿地方も梅雨が明けているのでは、と思わせる夏日が続いている。朝から27~28度の気温で、空は快晴だ。
 東京電力、中部電力、それに関西電力と玉突きでこの夏の電力不足が懸念される中、昨日、今日と大手電力会社の株主総会が開かれて、株主からは続々と脱原発の提案が出されている。自ら記者会見で、中部電力の浜岡原発の稼動停止を要請した菅首相は、この夏のエネルギィー需給には目もくれず、再生エネルギー買取法案に自らの退陣を賭けており、とばっちりを受けたのは海江田通産大臣だろう。九州の玄海町まで出かけていって、再稼動のお願い行脚をする羽目になっているが、本来、日本列島のエネルギー需給が危機に瀕している以上、それは首相自ら原発設置の首長さんに、直接お願いしに行くのが筋と言うものではないだろうか。このまま政府が、浜岡原発以外の原発に適切な再稼動基準の根拠を示せなければ、地域の首長は自ら進んで責任を負おうとしないでしょう。原発のある市町村は、原発交付金に頼った行政運営上から、再稼動に理解を示したとしても、近隣の市町村や県はそういう分けには行かないのです。
 一度、原発事故が起ころうものなら、直下のみならず、広範な地域に被害が及ぶ事が衆知の事実となってしまったからです。
 電力会社の株主が、脱原発提案を否決したとしても、それは株主の利害だけで決められうことでしょうか。電力会社の原発事業そのものが、一電力会社やその株主によって判断される域を大きく超えた事業と成ったのです。
 テレビニュースを見ていると、この夏は、日本列島総節電ムードに成るようで、我が家でも極力エヤコンを我慢して自然の風通しで凌いできましたが、やはり、こう暑くてはやりきれない。以前、壊れてから買っていなかった、扇風機を買おうと意見が一致して、夫婦で早速近くの量販店に赴きましたが、扇風機コーナーには何処の製品とも分らない、みすぼらしい扇風機が数台残っているだけでした。
 考える事は、皆一緒で私達は一足遅れた。それでも、残り物の可愛い扇風機を一台抱えて帰りました。この夏は、これで乗り切ら無くては!

2011年6月28日火曜日

「風評被害」

   たまたま、インターネットで慶応義塾大学の深尾光洋教授が週間東洋経済に寄稿された、「風評被害」は誰の責任か、という文章を読んだ。
 私も、マスコミや政府のスポークスマンが、今迄、事有るごとに「風評被害」と言う言葉を使う事に抵抗感を覚えていた。この文章は、私のその訝しい気持ちを分って頂いたような気がした文章だった。
 福島第一原発の水素爆発が起こっていたその時に、政府や原子力関係者、さらに、気象庁はどんな発表と、説明をしていたのか。風向きによって大量の放射性物質が降り注いでいた時に、計画的避難地域を指定して、自主避難などと言う中途半端な発表と、マスコミは一般の人達のレントゲンの受診を引き合いに出して健康には直ちに影響は無い、と言う文言を繰り返していました。
 放射性物質の被爆が問題になるのは累積の被爆で、特に子供や妊婦について
その影響を懸念して、国際機関は年間1ミリシーベルトという基準が定められていると言うのです。それにも関わらず、年間20ミリシーベルトと言う政府が発表した被爆の許容基準は、平時に原発作業に携わる人たちの上限基準に当たるとのことでした。IAEAなどは日本の政府の対応に懸念を示し、国際的には国内の外国人がどんどん、出国する事態となったのです。
 後から知らされる情報ほど、人々に疑念を抱かせるものはありません。人々が少しでも、子供達や妊婦の累積被爆を避けようと行動する事は、合理的な行動です。それに対して、根拠を示さず、「風評被害」と決め付ける政府の対応や、安易にその言葉を、連発してきたマスコミが、更なる風評被害を助長する張本人だったような気がします。最初から、正しい情報が開示されていたら状況は変わっていたでしょう。
 福島原発事故は、思わぬところに影響を及ぼしています。今年、国内で計画されていた、海外の著名な音楽家や楽団の来日や、芸術品の展覧会などが、幾つもキャンセルされています。ドイツの有名なバイオリニスト、アンネ・ゾヒー・ムターも、今年の、全国での演奏会を断念したとの記事を読みました。
 早く、世界の人たちが、安心して日本に来ていただける日が来る事を祈りたいものです。
 

2011年6月27日月曜日

誕生祝い

 昨日は、私の弟の次男に二番目の赤ちゃんが出来て、お祝いに皆が集まった。
皆が集まって顔を合わせるのも久しぶりで、こうした事でもないと、なかなか皆が集まる事もない。夫々が、何かと忙しい気分で過ごしているからだろう。
 大人と子供合わせて20人、いつも世話役の私の下の妹が、全員分の散らし寿司と春巻きを作って持ってきてくれた。私の奥さんは、手作りで、デザートのかぼちゃプリンを持参、弟のところで用意した鱈のすり身をつみれにした吸い物もとも美味しかった。
 何しろ、二人の甥に夫々男の子が一人ずつ、二歳と三歳だ。それに関東から里帰りしてきた私の上の妹の娘が、二歳の男の子を連れて参加。私の娘夫婦の子供は小学校の一年生と三年生、合わせて五人の子供が顔を合わせた。それに、勿論、今日の主役のお宮参り前の子供が加わる。
 私の弟の次男夫婦は、出産前から実家に泊まりこんでいるため、二階のお婆さんをを入れて七人所帯で、二歳の男の子が家の中をかき回しているようだ。
 普段、二人きりの生活に慣れている家内なども、改めて子育て当時の大変さを思い出していたようだ。
 子供達は、じっとはしていない。真夏を思わせる日差しの中、水やりのホースで遊んだり、庭の水盤をかき回したり、最後は、庭に這い出したミミズの取り合いで
大声で泣き出す。
 こんな、いつもの平和な光景を大事にしたい。この子供達が成人するずっと先まで、こんな平和な光景が続いている事を願っている。

2011年6月25日土曜日

真夏日

 梅雨明けを待たずに、真夏の日差しが注いできた。今日は、久しぶりに千里中央のショッピングエリアに車を止め、奥さんがあれこれ買い物をする間、アンディーと私は建物の玄関口で待っていた。
 4年前に亡くなったリズも、私達が出掛ける素振りをすると、とりあえず、私達にすがり付いて、連れて行けといったが、アンディーも、又同じで最大限のアッピールをする。私は、いつもそれに負けて結局一緒に連れて出ることになる。
 今日のような、真夏の日差しが照りつけるようになると、本当は部屋の中で留守番をするのが、アンディーの為にはいいはずなのだが。
 それに、現在、腕に抱く事のできる小型犬でも、入るのを断られる場所がほとんどだ。奥さんについて、アンディーを抱いたまま、ちょっと店に入って品物を見ていても、すぐ店員が飛んでくる。「お客様、他のお客様の手前ペットの持ち込みは、お断りしております。」と、いつもの決まり文句だ。
 私は、ムッとして、「この犬は君より綺麗なんだけど」、と言い返しそうになるが、内の奥さんの目が怖い。「だから、言ったでしょう、留守番させればいいのに」と、いつも私が叱られる。しょうがないから、微かに、冷房の空気が漏れてくるビルの玄関先で、私とアンディーは待機する羽目になるのだ。
 しかし、今日の日差しは格別だった、空は青々として、遠くには入道雲が出ている。梅雨明けの前に、早くも真夏日がやってきた。

2011年6月24日金曜日

シナジスティック・リサーチ

 久しぶりに、吹田の駅前の(有)ヒノ・エンタアープライズ社に電話をしてみた。
私がこの会社を訪れたのは6年ほど前になるが、吹田の駅前の道を少し入った建物の二階に有る、失礼ながら、とても小さな会社が、当時アメリカのカリホルニアに有る新進気鋭のケーブルメーカー、シナジスティック・リサーチ社の日本の輸入代理店になっていたのです。
 当時、私はオーディオ関係で、ステレオ・サウンドやオーディオ・アクセサリーなどという雑誌に、片っ端から目を通していました。そして、私がシナジスティック・リサーチと言うケーブルメーカーに興味を持ったのは、その会社の製品がアクティブシーリングという手法でケーブルに出来る電磁場をキャンセルして、外部から入ってくる多様なノイズを低減させ、音楽信号を保護する事に成功したと言うのです。
 しかも、その輸入代理店になっている会社が、とても土地勘が有って、家からそう遠くない大阪の吹田市にある事が分ったのです。
 私は、ヒノ社のホームページを確認して、会社を覗いてみようと出かけました。
そこには、私より少し年配に見える社長が居られて、話を聞くと、以前、大手のオーディオメーカーに居られたとの事で、そこを辞めてから会社を起こされたらしいのです。日本の経済成長と歩みを共にして、多くのオーディオメーカーが生まれ、様々な機器を販売したのですが、もう既に、業界は長い下り坂に入っていました。
 オーディオも、よりマニヤックになって、海外で造られる個性的で優秀な機器が注目されました。それは日本流の安価な大量生産品とは違う世界になっていたのです。海外から個性的な品物が、入って来る様に成っていたのす。
 そういう分けで、このヒノ・エンタープライズ社に何度も足を運んでは、シナジスティック・リサーチの、主に電源ケーブルを譲ってもらいました。それらは、展示品だったり、会社で試聴用に使っていたものなどだったのです。要するに中古の電源ケーブルが4本、同じく、バランスとアンバランスのラインケーブルが二本、私のオーディオのケーブル環境は、5年前に、この、シナジスティック・リサーチ社のケーブルで固められました。
 あれから、6~7年が過ぎて、すっかりヒノ・エンタープライズ社のことは忘れていたのですが、ある日、偶然、Twitterにヒノ社を見つけ懐かしさもあってホローしています。それは、今、お父さんに代わって会社を切り盛りしている息子さんが、書いているTwitterでした。
 今でも、ヒノ社は幾つものメーカーの代理店を勤めていますが、その中で、ZYX(ジークス)という主にカートリッジを造っている会社の代理店になっていて、ここが発表した、カートリッジのリード線を使ってみようと思いついて、何年か振りに電話を入れたのです。勿論、息子さんは、私のことなど覚えてい無いのですが、とても丁寧に応対してくれました。Twitter上から伺うと、結構忙しくされているようで、他人事ながら、なぜか嬉しく思ったしだいなのです。

2011年6月23日木曜日

植栽の散髪

 梅雨の雲に覆われた中、雨の振る前にと急いで散歩に出ると、背中にジワーッと汗がにじむのが分る。この何日か、梅雨空の中でも気温が上がってきて夏の気温を思わせるような蒸し暑さだ。

 それと、散歩道のあちらこちらで、庭木の刈り込みを行なっていて、うるさいチェーンソウの音がしている。この時期が庭木の手入や消毒を行なう時期なのだろう。今迄、あまり、気に留める事も無かったが、造園会社のトラック荷台は、切り落とされた、庭木の葉で一杯になっている。

 そういえば、私のマンションでも周りの植栽の散髪が行なわれて、すっかり綺麗になっていた。二日に渡って作業が行なわれたらしいが、こちが出かけている間に終わったのか、春から茂っていたつつじの植え込みや、大きな金木犀もスマートに刈り込まれ、部屋の中からの見通しも良くなった。

 本格的な夏を前に、この時期が造園会社の活躍のときなのだと、再認識した。
                                                                                                                                    

2011年6月21日火曜日

ブランデンブルク協奏曲

 今日は、朝、奥さんを陶芸教室に送った後、すぐに自宅に戻ってレコードに針を降ろした。出かける前に、プリとイコライザーの電源は入れておいた。オーディオ機器は、スイッチを入れて通電してから30分ぐらいはウォーミングアップをするのが普通だ。火曜日は、奥さんと一緒に家を出て、ゴルフ練習場のヒッコリーに直行するのが、いつものパターンだが、気兼ねなくボリュームを上げてレコードを聴ける貴重な時間なので、いつもの練習はお休みにした。
 何年ぶりだろうか、イ・ムジチ合奏団でヨハン・セバスチャン・バッハのブランデンベルク協奏曲の全曲を聞く事が出来た。イ・ムジチ合奏団の演奏で私達が良く耳にすのは、ビバルディーの協奏曲集「四季」の演奏だと思うのだが、このイ・ムジチ合奏団のアルバムは、私にとっては、二枚のレコードの裏表に収まった貴重なアルバムになっている。
 レコードプレーヤーが復活するまで、ブランデンブルク協奏曲と言えばスペインのチェロの名手で指揮者のパブロ・カザルスがマールボロ音楽祭管弦楽団を指揮した、第3番ト長調と5番ニ長調のCDを聞くのみだった。これとて、貴重な録音アルバムで、すぐには見つからないアルバムだと思うが。
 ブランデンベルク協奏曲は巨匠J・Sバッハの作品の中では、もっとも広く一般に親しまれている曲である。バッハの曲で私達が良く耳にするのは、無伴奏チェロ組曲やバイオリンソナタ&パルティータなどが有名ですが、バロック協奏曲は元々17世紀にイタリアで広まった形式だそうです。先ほどの協奏曲集「四季」を書いた、ベネチュア出身で18世紀初頭にその楽才を振るったアントニオ・ビバルディーが多くのバロック協奏曲を作曲して、その形式が当時の多くの音楽家の模範とされたとの事ですが、レコードジャケットの解説を改めて読んでみると、J・S・バッハもこのビバルディーの協奏曲形式を研究する事から初めて、その熱心な研究の結果、生まれたのがこのブランデンブルク協奏曲だそうです。しかもビバルディーの曲想を模倣するのでは無く、自ら独自の曲風でこの協奏曲は書き上げられており、今日、一般の人々に、最も広く親しまれる曲となっていると解説されていた。
 10時過ぎにレコードの針を降ろし、私の携帯の呼び出し音が鳴ったのが13時少し前、奥さんの教室が終わった時間だ、丁度、ブランデンブルク協奏曲の終演に間に合った。

2011年6月20日月曜日

「遠慮」

 二週間ほど前の事だったろうか、参議院の特別委員会で、自民党の林芳正議員が質問に立って、菅総理の言動が、あまりにもその場の思いつきでの発言が多く、思慮に欠けると追求していた。消費税やTPP、今回の国際会議での通産大臣も知らないソーラーパネルの設置推進の件など、etc。そこで、林芳正議員が質問の中に「遠慮」という言葉を使ってその本来の意味を例えに出していたが、その意味は、他人に対して控えめに振舞う事、言動を控えめにする事、やめる事、辞退する事として使われているが、本来の意味はと続けた。遠慮とは文字どうり遠くをおもんばかる事、先のことを良く考える事などの意味で、遠い将来のことを考えず、目先の事ばかり考えていると、近い将来心配事が起こるよ、いう意味ですと解説していた。
 「遠慮無ければ、近憂あり」の諺や「深慮遠謀」などの諺があるとの解説つきだ。
しかし、遠慮が無いのは、菅首相だけだろうか。昨日の、海江田通産大臣が、今停止中の原発稼動の安全宣言を行なっている事でも考えた。福島第一原発が全く終息の目処も立たない中、パホーマンスで浜岡原発の停止要請をしながら、他の原発の安全宣言は丁寧に根拠を示して説明されたのだろうかと。
 明らかに、政権や首相自身の人気取りを意識した行動と、矛盾する安全宣言ではないでしょうか。
 今、一番「遠慮」がないのは、国会議員ではないかとさえ思えるのです。自分達の都合や思惑だけの発言、行動が目に余るのです。
世の中が騒然としている時、私達は何処に拠り所を求めたらいいのでしょうか。この所、若い女性の結婚願望が上昇しつつある様ですが、身内にも新しい命が誕生しました。子供達の成長を頼みに、出きるだけ早く明るい世の中が戻ってくる事を願っています。
 

2011年6月19日日曜日

朝の公園

 朝まで、雨が降っていたのか、散歩に出たとき道はまだ濡れていた。ただでも歩きたがらないアンディーを抱えて、いつもの公園まで出かけた。
 公園の広場の土に水溜りが出来ていて、アンディーを下ろしても歩きにくそうだ。いつもの休日の朝は、もっと人が来ていて、子供達の声が聞こえるのだが、今朝はひっそりとして、静かな公園の佇まいだった。
 苔を身に纏った桜の古木も、水分を吸い込んだ様子で、苔が青々としている。
今が盛りの、あじさいを、眺めて朝の散歩は切り上げた。

2011年6月18日土曜日

フォノケーブルとリード線


 私は、先日来アナログターンテーブルのアームとフォノイコライザーを繋ぐケーブルを日本橋のシマムセンに注文した。それはオヤイデと言うケーブルメーカーの製品でPA-2075RRというものだ。フォノケーブルでも、うん十万もするケーブルはざらだが、これは、その十分の一で、しかもとても優秀なケーブルなのだ。
 私のアナログプレーヤーのアームは英国のSMEというメーカーの製品を使っている。それで、フォノケーブルは、そのメーカーの専用ケーブルを使っていたのだが、どうも中の線にトラブルを抱えている様なのだ。騙し騙し使っていたが、それを修理に出して、代え用に保管しておこうと、新しい物を注文した。
 それと、もう一つ、アームの先にカートリッジと言うものが有って、そのカートリッジと言うのは、レコードの溝からカートリッジの下に付いている針が、音を拾い上げ、電気信号に変換して送り出す役目のものだ。さらに、そのカートリッジからフォノケーブルに電機信号を送り出す、とても細い、4本のリード線と言うものが着いている。このリード線を自作して、ネットのオークションに出している人がいて、二日ほど前、とても興味の有る線を、ネットで見つけた。                    
それは私がアンプとアンプの間を繋いでいる、ラインケーブルで、米国のシナジスティック・リサーチとオランダのバン・デン・ハルと言うメーカーの線を使って自作されたリード線だった。今迄、夫々のアンプに電機を供給する電源ケーブルやアンプ間のラインケーブルには気を使ってきたが、正直、リード線を変えてみようと思った事は無かった。そのリード線でも有名ブランドの高いものは、小さな細い線4本一組で、2~3万するものもあるが、今度のものは、一組、1.200円と1.300円という安いものなのだ。
 効果が有るかどうか、疑心暗鬼で落札してみた。先方から連絡が入ったら、その出品者の住所に見覚えがある。それは、千里近くに住む、私の友人の住所の近くだった。
 品物を、送付すると言うのを、明日、貰いに行くからと先方に告げて、今日の午前中、友人宅を訪問するついでに、じかに受け取った。
 それと、シマムセンから、三時過ぎにはフォノケーブルが用意できていると言うので、何年か振りに日本橋に足を運んだのだ。
 夕方から、手元に揃った、アームのフォノケーブルとカートリッジのリード線の試聴を開始した。
私は、サテンのM14という40年前のMCカートリッジを所有しており、これにシナジスティック・リサーチの線を使って作られたリード線を装着した。もう一つは、オルトフォンのコンプラクンプトaというMCカートリッジに付け替えて試聴したが、何と私が思っていた以上の効果が出た。M14の聞こえ方は、一回り格が上がったような格調高いサウウンドになり、オルトフォンのほうは、明らかに音場が広がった。
 勿論、これは主観になるので、人によって受け止め方は違ってくると思うのだが、少し、オーディオをかじっている人であれば、その違いははっきり分るだろうと思った。
しかし、今回の場合、フノケーブルも変更しているので、フォノケーブルの影響は計りかねるが。

2011年6月17日金曜日

花の移ろい

 今朝は、駅一つ、宝塚よりの山本にある、あいあいパークのガーデニング施設を訪ねた。先日まで、そこは、バラの花で埋まっていたが、それも仕舞い掛けで、中庭はあじさいの苗木で占められていた。
 妻が好きな、柏葉あじさいなどもあったが、皆花の苗木で花そのものは小さなものだった。
 そこで、温室の中で販売されている、花々を見て回って、綺麗なランの花などを写真に収めた。
 写真を撮り始めて、あらためて振り返ると、梅や桜の蕾が膨らんだ初春から3ヶ月弱、桜が終わると、すぐにハナミズキが咲き桃の花やコブシが続いた。5月に入るとつつじの季節に入り、今年は少し遅れたがバラの花、そうこうするうち、牡丹が終わって、今年初めて意識したヤマボウシの白い花をずいぶん見かけた。
 例年より、少し早い入梅と同時に、あじさいの花が咲き始めて、今が盛りになっている。
 今年は、意識して見るからか、梅の花から始まった季節の花々の花付きが、とてもいいように感じる。家の周りのつつじも随分沢山の綺麗な花を付けた。
 寒暖の差が大きかった去年の気候が影響しているのだろうか。これから年後半の花が楽しみだ。

2011年6月15日水曜日

駿河屋のみなづき

 今日、6月15日は義父の命日だ。お墓は、車で平等院の前を宇治川に沿って上流の方向に少し走った所にある。いつも、実家の母を連れて行くのだが、大分足元がおぼつかない。今日は、あの階段を上れるだろうかと、心配しながら着いたが、手すりを持って自力で上がってくれた。途中で買った、綺麗なカサブランカやピンクのゆりの花を供えて、満足したようだ。
 帰りは、墓参りを済ませて気が済んだのか、宇治橋の袂に有る、いつもの和菓子の店に寄って、「みなづき」という夏季のお菓子を買って帰ると言う。普段、近所で気に掛けてくれるお宅にお土産にするらしい。以前から、駿河屋の「みなづき」はお婆さんのお気に入りの和菓子なのだ。
 ここまで来ているので、お婆さんの承諾を得て、近くの三室戸寺に寄らせてもらう事にした。ところが、休日でもないのにお寺を訪れる観光客も多く、少し暑くなってきていたので、この中をお婆さんを連れて歩くのを断念、大分、あじさいの花も写真に収めたので、次の機会に訪れる事にして、遠くから、門前を覗いただけで寺を後にした。
 日中、夏の暑さを思うと、ずいぶんましな一日だった。いつもは穏やかな宇治川だが、梅雨時らしく水かさが増して流れも速かった。平等院界隈にしても、主だった旧跡には観光の人出が戻って来て、雨の合間を埋めているのを感じた。
 

2011年6月14日火曜日

自分の本音で

  イタリアの原発に関する国民投票で9割の人が反対の意思表示をしました。現在でもイタリアでは自国の電力エネルギーの10%をフランスから輸入いているのですが、そのフランスは世界の中の原発大国で、電力の77%を原発でまかなっているのです。
 しかし、原発の数だけでは、日本もあまり負けてはいません。と言うのは、フランスが、現在59基で、日本は既に55基とフランスの93%に成っているのです。しかも、予定されている今後の建設計画を数えると、60基を越えるとの事です。勿論、今の政府で、今後の計画は白紙で見直すとの方針を出しています。この様な状況で、福島第一原発事故が、今後の世界の原発政策に大きく影響してきており、今回のイタリアだけでなく、原発の廃止を決めているスイスの他、ドイツも国内に17基ある原発を2022年までに全廃する事を決めました。
 しかし、今回事故を起こした、当の日本での論議はどうでしょうか。私も日本の経済立国としての現状を考えると、当然、より原発の安全性を見直して、今後も原子力エネルギーを維持すべきではないかと、当初考えましたが、その考えは正しいのかと言う思いがして来ました。政府の事故検証委員会メンバーにもなっている、九州大学の吉岡斉教授の話を、二度ほどTVで聞きましたが、こうした原子力の研究に長年携わって来られた専門家から、今後、長期的には再生エネルギーや他の代替エネルギーの比率を高めて、原発への依存を減らしていくべきとの意見が語られるのです。
 原発は、一旦建設されると、その後の稼動費用が他のガスや石炭、石油を使っての発電より、とても安くて済むそうですが、しかし、今回のように一旦事故が起こると、ちなみに今回の東電で試算されているのですが、10兆円などと言う巨額の経費に繫がるリスクがあるのです。この事故の終息に当てられる費用の他に、放射性物質の影響を蒙る人々や、地域の保障費用が上乗せされるのです。さらに、何よりも狭い日本の国土で生活を営む国民の健康に、大きくのしかかるリスクを考えなけれがなりません。
 事故から、3カ月、政府の浜岡原発停止要請が出て、これから夏場を迎える電力需要をめぐっる議論が急になってきました。地元の関西電力も一般消費者や企業に向けて、今後、15%の節電の要請を発表しました。経済産業省所管の資源エネルギー庁はその試算で、今後の原発再稼動がゼロとして、天然ガスや石炭で代替すると、家庭の電力料金は、月千円のアップになると言うのです。
 又、自民党の石原伸晃幹事長は、今日「国民は福島原発事故の件で、原発にヒステリックになっている」との発言をしたと報道されています。これは、後々、問題発言として、世間をさわがす事になると思います。又、関西電力の15%節電要請にしても、大阪府の橋下知事は、福井県の点検停止中の原発再稼動に向けた、地域行政に対する圧力と受け止めて、彼らしい、強い反発を示しているのです。
 しかし、彼のこうした姿勢は、地域や日本の大勢になるのでしょうか。イタリアやドイツのように多くの国民が原発反対の意思表示を出来るのでしょうか。
 私達日本人は、今迄、本来体制に弱く、過去から自己犠牲が美徳とされた日本人の風習から、政府が推進する国策に、面と向かって反対を表明する事に躊躇する傾向が有ります。かく言う私も、サラリーマンとして企業の歯車となって勤めていた過去がありますが、その為、どうしても体制に寄り添う考え方になり勝ちです。しかし、企業も昔のように、身内として社員を守っていく考えは、とっくに捨てています。国は、ここ何年も、一年と持たない内閣が続き、国民一人一人に責任を持つ事の出来ない政府が続いて来ました。
 私達も、これからは、周りや上下を見て物事の判断基準とするのではなく、自ら、本当にそうしたい、そうなりたい、と思う本音で物事を考えなければと思うのです。


2011年6月13日月曜日

カスタマーサポート

  今日、又あっけに取られる事があった。というのは、昨日、ブログの書き込みをしている最中に、ピーと言う音と共に、ノートパソコンのWindowsの液晶画面が、B5サイズぐらいの大きさに縮んでしまった。そのまま、何とか書き込みを済ませて、修復の作業に掛かったが、なにしろ基本が分っていないので、なかなか、上手くいかない。とうとう、息子に連絡を取って、パソコンに詳しい息子の友人の連絡先を教えてもらって、ヘルプを掛けた。しかし、いつもなら電話の向こうで、まるでその場でパソコンを覗いているようにアドバイスをくれる彼も、ひょっとしたらそれはソフトの問題では無く、ハードの修理が必要なトラブルかもしれないと、やけに連れない返事だった。それで、半ば諦めながら、それでもWindowsのプロパティーあたりから、画面の設定やデザインをいじっていると、偶然画面が元に復元したのだ。CPの初心者でもあれこれいじっていると、だんだん分ってくるものだと、自分に感心した。しかし、気に入らない部分がある、というのは、スタートボタンの並びのバーやWindowsの上に出ているタスクバーの記号や文字がやたらと小さい。年寄りはこういう事がとても気に掛かる。
 そう言う分けで、翌日、今度はVAIOのカスタマーサポートセンターに電話を入れてみた。過去から、顧客相談センターと言うのには何度かお世話になった事があったからだ。可愛い女性の声で、まるで私の横について教えてくれているように、的確に指示をくれる。問題が解決すると、それは感謝感激なのだ。
 今回もそれを期待して、音声にしたがって電話のボタンを押していくと、変なガイダンスが流れた。様は、問い合わせ1案件に付き2.100の料金に承諾いただければ、その先に進むというのだ。せっかく、期待して電話を入れたのに、全く、興ざめになってしまった。これだから、SONYはだめになってしまったんだんだと思った。
 3年以上続けている、プロバイダーの、SO-NETのカスタマーに相談してもハードの事には答えられないとの返事が返ってきた。こちらも、もう止めたと思った。ちょっと、ご無沙汰していると、どんどん世間は変わって行く、昔「問題は時間が解決する、それも良いほうに解決する」と言った先輩がいたが、今の時代は世知辛くなって、ほっとする喜びが、どんどん損われていくのを感じる。