2012年8月31日金曜日

日本企業の苦境は歴史的必然か!


   連日、シャープの経営危機がテレビのニュース報道で伝えられています。昨日は、シャープとの業務提携と資本出資に合意していた台湾の鴻海精密工業(ホンハイセイミツコウギョウ)のトップが、詰めの協議に来日したとの報道がなされたが、交渉の進展が思わしくなかったのか、記者会見もスッポカシて帰国してしまったと言うのです。
  シャープを初め日本のエレクトロニクス企業の苦境は、いったい如何して此処までの事態に陥ってしまったのでしょう。(シャープは、今期も2500億の赤字予想) 
  結果を遡って考えてみると、幾つかの避けがたいと思われる経過が見えて来ます。
  事の起こりは、2008年9月15日のリーマンショックに始まります。米国の大手証券会社のリーマン・ブラザースが約6000億ドル(当時64兆円)の負債を抱えて米国の連邦裁判所に破産を申請したのです。リーマン・ブラザースを初め、欧米の投資会社が、サブプライムローンと言う極めて信用度の低い住宅貸付で住宅投資を煽り、最後には大きな塊となったそのリスク投資が、一気に崩れ去ったのです。
  此のことで、世界の株式市場は大暴落をお越し、欧米各国の金融市場は大混乱に陥りました。言わば、日本のバブル崩壊の欧米版が起こってしまったのです。
  幸い日本の多くの金融機関は、過去の不動産バブルの教訓もあって、サブプライムローンと言う住宅投資やその金融投資に手を出していませんでした。その為、日本の銀行はサブプライムローンの崩壊による、直接的な影響を免れたのです。
  しかし、その事は比較的安心通貨と見なされた日本の円に、一気に世界の逃避資金が流れ込ん出来ました。
  1995年以降の円/ドル相場の推移を見てみますと、概ね、100円を高値に130円底値で推移していました。所が、リーマンショックを境に今日まで、円は急速な円高のトレンドに入ってしまったのです。
ご存じのとおり、日本のエレクトロニクス産業や自動車産業は、世界市場に製品を輸出する事で成長して来ました。又其の為に先端の技術を磨いてきたのです。
  ところが、その時期、日本から遅れて生産を拡大してきていた、韓国や中国の企業にとって日本の急速な円高と自国通貨安は、又と無い輸出販売の援軍と成りました。そして、その後の世界シェアーの日本との逆転に、それほど時間を要し無かったのです。
  今の日本の輸出企業の苦境は世界の金融市場の動揺を引き金に始まったと言えます。そして、その動揺は、その後の欧州の過剰債務国問題に波及して、今度は、対ユーローの急激な円高に進んでいったのです。
  更にもう一つの考えられる大きな要因は、2009年10月に起こった日本の政権交代では無いかと考えるのです。民主党政権の誕生が結果的に日本の為替の円高に追い打ちを掛けたと考えられないでしょうか。
  時の民主党政権は、政治主導を掲げて官僚はづしをマニュフェストに掲げていたのです。政権運営に不慣れな民主党政府と、それによる官僚叩きとも取れる動きで、国を挙げて急激な円高の阻止の為の重要な時期に、政管で有効な手段が打たれませんでした。
  政権交代自体は、それも国民の選択だったと考えられますが、幾つかの重要な節目が重なって、日本の現状を醸し出しているのでは無いかと考えるのです。
  この世界を揺るがせたリーマンショック以降、欧米の景気も予断を許しません。その中で、大規模な液晶の設備投資に走った日本の輸出企業の読み間違いから、その経営環境は世界の不況と自国通貨の急激な円高、更に後進国企業による追い上げで、今まで経験した事のない危機的状況に陥っているのです。
その後、リーマンショックの震源地であった米国は、国を挙げての資金対応と過去にない低金利で危機を乗り切って、現状に至っています。
市場による価格水準と言うものは、一度トレンドが出来てしまうと、それを修正するにはとても大きな歴史的インパクトを必要とするものです。未熟で政権運営に不慣れな政府が、型だけの口先介入でトレンドを転換して行けるほど生易しいものでは有りません。ダイナミックな世界経済から考えると、日本のエレクトロニクス産業が辿って来た今日までの道程は、色んな要因で歴史の必然と考えなければ成らないのかも知れません。

  
  

  

2012年8月28日火曜日

8月のゴルフ研修会<集中力に脱帽>

8月の末に延ばした、ゴルフ研修会の日がやって来ました。盛夏の時を避けて、出来るだけ9月に近い日時を選んで設定したつもりですが、外の暑さは中々治まりません。
  しかし、今日、小野グランドカントリークラブのOUTのティーグランドに立つと、風が涼しく感じられました。
  メンバーは、ハンデキャップ8のU君に私を迎えに来てくれたN君、それにめっきり腕を上げたM君の、何時もの顔ぶれに成ります。
  ゴルフカートにはフルバックからプレーする事を示す青旗が付けられて、OUTの一番を8時58分にティーオフしました。
  しかし、私は前回の研修会以来、今日まで一度もクラブを握っていませんでした。言い訳は色々ありますが、要は暑さで練習場に足を運ぶ気力が無かったと言うのが、正直な所でした。
  出だしの、1番パー5はドライバーショットが引っかかって、5オン2パットのダブルボギースタートで、2番に至ってはダブルパーの8を叩いて、前途が思いやられました。
  それでも、そこから思い直して淡々とボギーペースに持ち込み、OUTの最終9番の555ヤードパー5をドライバーと3ウッドを繋ぎ、ピッチングウエッジでピン上2.5mに付け、下りのラインをねじ込んでバーディーで締めくくる事が出来ました。
  どうしても、ショットが狙った所より左に飛んで、その修正に手間取りました。ラウンドしながらの試行錯誤で気が付いたのですが、クラブのダウンスイングで、右脇が緩んでいるのではないかと感じて、意識的にで右肘が開かない様にした所、アイアンショットやフェアウェーウッドで目標ラインに沿ったショットが出だしました。
  INに入ると、やはり出だしでもたつきましたが、12番と14番から17番までの5ホールをパーで上がる事が出来ました。残念だったのは、最後の18番パー5を、アプローチのミスでダブルボギーの7としたことで、INのスコアーは45点と成りました。
私の今日のトータルは、50、45の95点でしたが、同伴競技者は、U君がなんと35,37の72点のパープレー、N君が46、40の86点、それにM君は47、42の89点と、まだ夏の暑さが残るラウンドで大健闘のスコアーを記録しました。
  U君のチャンスをものにする集中力が光りました。何事にも「拘り」が重要だと感じた今日の研修会に成りました。

  

2012年8月27日月曜日

audioquest Carbon USBのレビユー

(デュランタタカラズカ)
予てから使ってみたいと考えていたaudioquestのUSBケーブルでCarbonと言うの機種を手に入れて、DACに繋いでから1週間が立ちました。
  ラトックのDAC RAL-2496UT1とその外部電源供給アダプターであるRAL-EXTOW01の間に今まで繋いでいた、audioquesut Cinnamonと言うUSBケーブルのワンランク上のケーブルです。このCarbonは巷の評判がとても良い製品なので、ネットオークションで狙っていたのですが、何回かの空振りの後、ようやく今回手に入れる事が出来ました。
  大阪のオーディオ専門店の逸品館が、USBケーブルの視聴結果をネットに公開していますが、そこでの評価どうり、納得の結果が得られました。
  最初に、NuforceのDACを購入した時に付属していたUSBケーブルを、audioquestのCinnamonに変えた時も、それなりのレベルの変化を感じました。しかし今回のCarbonはCinnamonのレベルとは明らかに段階が違う様に感じました。
(Carbon)
アクティブスピーカー間のケーブルを、細い付属品からCHORD社のCOBRA3に変えた時にも、明らかに全体の質が向上した事を体感しましたが、今回のUSBケーブルのレベルアップは、それまでの、楽曲の聞こえ方を数段引き上げて、此れはもうピュアー・オーディオレベルに入ったと言っても過言ではないレベルに成った事を体感しました。
  audioquestのUSBケーブルには、この上に、確か3機種上のレベルの製品(価格の高い)が有りますが、ニヤーフィールドオーディオ環境の費用対効果を考えた時、私的には、もうこれで十分だと思える製品だと感じました。
  
  一般的な音圧で聞く事が出来る楽曲全体のニュアンスで、演奏の空間的な響きが表現されている様に感じる事が出来たのです。言葉で表すことは難しいのですが、低音部から高音部まで正しい旋律を刻んで、そこに立体的に豊かな音響空間を表現出来ていると思いました。
(Cinnamon)
新しい試みの度に、スピーカーが奏でる音響の変化に気が付くのですが、過去の経験からは、必ずしも良い変化ばかりとは限りません。
  大編成のオーケストラによる交響曲や協奏曲から弦楽合奏にバイオリンやピアノのソロ楽曲まで、その幅は広いのですが、それらを破綻なく表現する事が出来て初めてオーディオレベルと言えるのでは無いかと考えています。
  時に、このスピーカーはジャズ向きだとか、このケーブルはクラシック向きなどと言う表現が有りますが、私個人としては、良いものは、どのジャンルの楽曲に対しても納得のサウンドを奏でるものだと考えています。細かく言葉で表現できませんが、Cinnanonnのレベルとは明らかに違う響きを感じましたので、拙い製品レビユーを書いてみました。



(ベランダ越しの桜の木につくつくぼうし)

2012年8月26日日曜日

それは猩々草(ショウジョウソウ)

  名神高速を京都方面に走り大山崎ICから京滋バイパスに入ると、右手にこんもりした八幡の山と左手に淀川の流れが視界に入って来ます。青い空と、高速道路から見る景色は、いつも空中を飛んでいる様な感覚に成るのです。
  今日も1時間ほどで宇治の実家に着きましたが、実家の小さな庭も、夏の強い日差しにさらされていて、宝塚と外気温はたいして変わらないと思っていましたが、やはり京都の宇治は暑さが強い様に感じました。
  娘と孫を連れて来た前回から、二週間とちょぅと日にちが立っていました。少し暑さが収まってからでいいよ、と言っていたお婆さんは、私達が着くとやはり嬉しそうに迎えてくれました。
   
  実家の南向きの庭は、じりじりと日差しが照り付け、百日草など、咲いている花の数も少なかったのですが、今年も、お婆さんのお気に入りの草花が庭に広がっていました。
  その、お気に入りの草花は、花屋で買ってきた別の花に付いて来た種が、庭に広がったものだと聞いています。
今回も、お婆さんから、その花の名前を調べてほしいと頼まれました。お婆さんの説明では、何でも沖縄の花ではないかと、言うのです。
  
  手掛かりが少ない中、自宅に帰って調べてみると、偶然、お目当ての草花にヒットしました。
それは、中米~ブラジルが原産で、猩々草(ショウジョウソウ)と言う事が分かりました。トウダイグサ科・ユーフォルピア属との事で、別名、草猩々(クサショウジョウ)と言う非耐寒性の一年草とありました。
  耳が遠くなっているお婆さんに聞き取れたかは分かりませんが、就寝前のお婆さんに電話で早速報告して、今日の頼まれ事を済ませました。  

  

2012年8月24日金曜日

有馬街道近くの「山のパン屋さん」

久しぶりに、三田方面に車を走らせました。お盆が過ぎ、甲子園での高校野球も終わって、暦は処暑を過ぎたと言うのに、外は真夏の日差しが降り注ぎ外出も儘ならない毎日です。
  奥さんの機嫌取りに、時々弁当もちで訪れる、三田のアウトレットモールに向かいました。
この暑さの中でも、相変わらず駐車場は満車状態で、老若の女性客が引切り無しにやって来ます。
  何時も、奥さんがお目当ての店を見て歩く間、私とアンディーは人間ウオッチングをしながら時間を過ごすのですが、この暑さの中、店先に噴き出す店内の冷気を吸い込みながらの時間つぶしと成りました。
  其のうち、今まで青い空と、白い雲に覆われた夏の空に、南の方から黒い雨雲が広がってきました。依然として、大気の状態が不安定で、激しいにわか雨や落雷の注意が出されていました。
  何点かの買い物もそこそこに、アウトレットを後にしました。
幸い、強い雨には会いませんでしたが、帰り道は有馬温泉を目指しました。
  神戸の北区から有馬街道に入り、有馬を過ぎると県道51号線で、宝塚の武庫川沿いまで下りるコースです。途中、船坂神社の手前を、左折して西宮高原ゴルフ場の前を過ぎると、左手にDaddys Bakery「山のパン屋さん」と言うログハウス風の店が見えて来ました。
  ウッドテラスが設けられたそのパン屋さんは、アンディーを連れて立ち寄る店として打って付けなのです。
  
  以前、ネットで紹介されていたその店に、一度行ってみたいと考えていました。
残念ながら、今日は店が休みで入店は叶いませんでしたが、場所が確認出来ましたので、次の機会に立ち寄ってみたいと思っています。
  少し涼しくなって外出しやすくなると、出かける機会も増えますので、アンディーを連れて入れる店の発見はとても貴重なのです。
  今日は、短時間のドライブでしたが、激しい雨にも合わず、自宅に帰りつく事が出来ました。 

  
  

  
  

2012年8月22日水曜日

Apple株の時価総額

  日々の残暑の厳しさに、うんざりしています。朝から空は青く、強い日差しが照りつけて外に出るのが憚られる中、家の中に籠って、熱戦が続く高校野球をテレビ観戦する事が多くなっています。
  日々のニュースの中で、この20日、アメリカのアップルの株価が665.15ドル迄上昇して、その時価総額が過去最高の6235億ドルに達したとの報道が成されました。
  此れは、1999年12月30日にマイクロソフトが記録した6206億ドルを上回って過去最高を更新したのだそうです。今の為替で換算すると、日本円で49兆5000億円にも成ります。日本で時価総額最高のトヨタ自動車が11兆そこそこですので、実にその4.8倍もの時価総額に達した事に成ります。
  かねがね、世界の株式市場の中でのNY証券取引所の株価の堅調ぶりを、やっかみ半分に眺めて来ましたが、改めてアメリカ経済の底の深さが窺われる出来事だと思われます。
  NY証券取引所のダウ平均は2008年のリーマンショック前の株価を回復して、ここもと堅調に推移しています。欧州の過剰債務国問題が完全に払拭されない状況の中、際立った印象だと見ているのです。
  其処には、米国の金融当局による巧みな金融政策と、政府による機敏な景気対策が効いているのだと思われます。そうした、経済社会に対する政府や金融当局の普段の対応が、きめ細かく打たれ、必ずしも平穏でない世界経済の中で米国の経済の適切な援護射撃が続いている印象を感じます。
  世界の上場企業の時価総額ランキングを覗いてみると、今回のアップルを筆頭に、米国のエクソン・モービルやウオルマート・ストアーズ、それにマイクロソフト、IBMなどが控えていて、いずれも堅調な業績を維持しているのです。
  日本の企業と言えば、その31番目に辛うじてトヨタ自動車が顔を出すと言った状況に成ります。
  しかも、かつて日本のお家芸だったエレクトロニクス産業が低落の一途を辿り、危機的な状況に陥っています。
  1989年12月30日の終値で38.915円78銭と言う史上最高値の株価を記録した東京証券取引所のダウ平均は、22年を経過して、今だに9200円台で、四分の一の水準に低迷しています。
  それどころか、30年以前の株価に逆戻りした企業の株価をざらに見る事ができると言う事は、如何いう事なのでしょうか。
  それは、取りも直さず世界のグローバルな企業環境と比較して、日本国内の経済政策に問題が無かったかを、検証する必要が有ります。
  確かに、日本は他国に先駆けて、資産バブルの崩壊による金融システムの崩壊寸前の危機を経験して、今日に至っていますが、此れまでの日本の金融当局による為替対策が、輸出企業の多い国内産業の競争力維持の為に、適切に機能してきたのかが問われます。それに国の政策自体が日本の製造業の国外脱出を推し進める政策が取られる反面、国内産業の振興をなおざりにして来た付けが、表面化してきているのでは無いかと考えられます。
  結果的に、米国や中国それに、一時金融破綻の危機を経験した韓国でさえ、自国の経済の競争力維持に努めてきたのです。国内の産業振興と海外での競争力推進のバランスが重要ではなかったのかと、思われて成りません。
  日本の東証上場企業の時価総額は、現在260兆円を前後していますが、政治、経済、外交など日本の政治機構の再構築と国内産業のバランスを早期に見直さなければ、世界の中での日本の存在感の下落に歯止めが掛からなく成るのでは無いかと危惧するのです。
  
  日本が文化やスポーツで世界に存在感を示すのと同じく、世界経済の中でも成長する国としての存在感を世界で維持出来ないものかと思われて成りません。
  
  

2012年8月19日日曜日

猪名川の花火大会

    昨日は、夕暮れから猪名川の花火大会が予定されていました。夏休みも残り少なくなった孫達を呼んで、市内から猪名川河川敷方向を望める見物スポットに行こうと思っていたのです。ところが、午後に成って、空模様が急変して来ました。
真っ黒の雲が大阪市内を覆い、遠くで稲光と雷鳴が聞こえだしました。大阪市内から見ると、宝塚の花屋敷は北の方向に成りますが、黒く厚い雨雲が見る見るうちに宝塚の上空に達したかと思うと、周りはけたたましい雨音に包まれて、思わずビクッとして首をすくめるような落雷の音が近くに響き出しました。激しい雨で自宅前のバス道は、雨水が流れ下っていきました。
  最近、こうした不安定な大気から、あちらこちらで短期間の集中豪雨が報じられています。
大阪市内南部で、落雷による人命被害が報じられました。近くで轟いた落雷の音は、大阪市内の物だった可能性もあります。
  雨のさ中、この分では花火大会は延期に成るかと思いましたが、6時過ぎに成ると、雨は上がり、確認すると花火大会は少雨決行と報じられていました。
  孫たちも予定通りやって来て、時折、小雨が残る中、傘をさしての食後の花火見物が無事出来ました。
今朝も、真っ青の空と白い入道雲の対比が清々しい朝でしたが、買い物の帰り、午後の3時ごろから激しい雨に会いました。
  残暑が過ぎて、9月の声を聴くと日本の南の海で台風が発生します。今、日本周辺で騒々しい南シナ海を、西から東に向かってきます。
台風を先取りする様な日本上空の大気の乱れが、季節の歩みを急がせている様に感じています。

  

2012年8月18日土曜日

エレクトロニクス産業の凋落

昔、私の記憶では、大阪の阿倍野区に早川電機工業と言う会社が在って、早川徳次と言う叩き上げの創業者がいました。
  この早川徳次社長が発明したのが、今、皆が使っている、芯の繰り出し式鉛筆であるシャープペンシルなのです。この会社は、戦時中にはラジオの生産に進出し、その電気事業が戦後テレビの生産に繋がりました。社名は早川電機を経て、現在のシャープに成ったのです。
  大阪には、家庭電器のメーカーで、ご存じの松下電器産業(現パナソニック)や三洋電機(パナソニックに吸収される)が有りましたが、当時からシャープは大阪の企業の中で、一匹オオカミのユニークな存在だったと記憶しています。
   近年、シャープは液晶テレビの開発で目覚ましい発展を遂げ、テレビ事業の盟主SONYにその地位を取って代わる程の企業に成長しました。しかし、国内メーカーや韓国企業との競争に打ち勝つため、4~5年前よりテレビ事業や携帯、モバイル向けの液晶生産の大規模な設備投資に向かいました。それは、パナソニックやソニーにも言えることですが、日本のテレビ放送事業が2011年に地上デジタル放送への移行が過ぎると、国内需要は急速な落ち込みを示し、海外販売では、対ドル、対ユーロでの大幅な円高もあって、販売競争で極めて深刻なアゲンストの風に見舞われたのです。
  今年3月の決算で、国内のエレクトロニクス産業は各社共、大幅な赤字決算に陥りました。液晶生産に特化したシャープは、現時点で来期も続けて2500億もの赤字を見込むと言う状況に陥っています。
  この春、シャープは業績の再建に、台湾のエレクトロニクスのアセンブリー企業である鴻海(ホンハイ)の支援を仰ぐ事を決めました。シャープの株式を鴻海に持ってもらい、当面の資金繰りに充てようと考えたのです。しかし、シャープの株価は、現在、支援交渉時点から大幅な値下がりとなり、当初見込んだ資金を得る事も難しくなっているのです。
融資を担う銀行からは、更なる事業の縮小とリストラを迫られているのです。シャープは5000人もの人員削減も合わせて計画されているようですが、これらの、日本の電機メーカーの事業不振について、日本の経済団体や政府、経済産業省は知恵を貸さず傍観するのみなのでしょうか。
  そもそも、支援先がどうして海外の台湾企業なのかと、疑問が持たれます。これらの一連の大手電機メーカーの事業不振は、日本の雇用にも大きく影を落としています。
  今、これらの国内企業の事業不振に対して、国内の銀行や経済団体、それに政府経済産業省は、なす術を持たないのでしょうか。オリンピックでは有りませんが、この様な時こそ、国内が一丸となって、国内産業をサポートする体勢を構築する事は出来無いものかと考えるのです。
  バブルの崩壊では、日本の金融の崩壊に歯止めをかける為、大手銀行に対して、国の資金投入も含めて、様々な手が打たれました。今回の東京電力の東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故についても、東京電力の事業存続をサポートし、税の大量投入による国有化で乗り切ろうとしています。
   必ずしも民間の企業に国が直接支援を行う事は、資本主義社会では妥当な事だとは考えませんが、日本の金融業界や経済団体で、危急の国内エレクトロニクス業界の後押しについて、オーガナイズする手法は無いものかと考えるのです。
  今こそ、産業界のチーム・ジャパンを発揮する時では無いかと思われて成りません。日本のこれまでの経済成長を主導してきたエレクトロニクス産業の衰退は、取りも直さず日本経済の決定的な凋落を印象付けることに繋がると考えるからです。
  
  欧米の資本主義先進国の間でも、政府や社会が一体となって、これら、自国の産業をバックアップしています。今の日本の政治は、あらゆる面でこの様なきめ細かなサポートが抜け落ちているのでは無いかと思われて成りません。
  理念が無い上に、それまでの絶対的な経験の欠如が、国家運営上の全ての面に現われているように思えるのです。一々マニュアルを広げなければ決断できない、形だけの政府の存在がネックとなっていると、考えられないでしょうか。国家戦略担当大臣などと言うポストはどこで機能しているのでしょうか。
  20年に及ぶデフレ環境下に、それでも、主だった日本の大手企業は大きな内部留保を溜め込んで来ています。世界的な輸出競争を余儀なくされる自動車やエレクトロニクス産業は、その性格上多大の設備投資が成長の鍵と成っているのです。
  2008年、米国のリーマンショックを経て、欧米の経済状況は予断を許さない状況が続いています。
  
  現在の民主党政権は、当初の政治主導を標榜しながら、結果は日本の官僚資本主義を助長し、国民の意思に反する政策を平然と推し進めると言う、全ての面で、ちぐはぐな印象を免れません。
  真の財政再建の為にも、国内産業の適切なサポートの上で、企業の成長戦略に関わって行く必要が有ります。民間活力をサポートする事が、過剰な政府支出を削減する一つの手法に繋がると考えるからです。
  

  

2012年8月16日木曜日

67回目の終戦記念日

  昨日は、このお盆の期間、昭和20年8月15日の終戦の日から67回目の終戦記念日を迎えました。私は、終戦の前の年の生まれですから、終戦の時の記憶は全く有りません。
  私の戦後の記憶は、物心がついた5~6歳の頃からの物となりますので、日本の戦前の世相は、そのすべてが亡くなった両親の話で想像するのみでした。
  その様に、私は戦後の教育を受けて育ったのですが、如何してか私の頭の中に、日本の現代史の記憶が希薄である事に気が付きます。
  勿論、自分の成長の過程で、日本の大正時代以降の現代史について自ら興味を持って学んでいれば、もう少し当時の状況が理解されたと反省しています。
  私が受けた一般的な戦後教育の中では、恥ずかしながら自分の不勉強もあって、欧米列国に後れを取るまいと、アジアの植民地支配を目指した戦前の政治状況について、とても薄っぺらで希薄な知識しか持ち合せていないのです。
  そして、昨日の夜、NHKの「終戦」<どうしてもっと早く終われなかったのか>と言う終戦記念日のスペシャル番組を見ました。
  其処では、日本の戦局が次第に行き詰まる中での、日本の戦争の遂行を統括する内閣や軍部の様子が描き出されていました。そこで、軍部自身が、それ以上の戦争遂行を不可能と自覚した後でも、結局、縦割りの官僚体制が究極の所で物事を決めきれず、天皇陛下に上奏する事すら躊躇って、いたずらに時間を過ごして行った事が指摘されていました。
  終戦の仲介を不可侵条約を結んでいたソ連に打診する試みも、内部の意思統一を欠き、タイミングを逃した事が描かれていました。
  
  日本の軍部が主戦派を遠ざけて終戦を模索し始めてから、連合国によって広島、長崎への原爆投下に至る迄の3か月間に、60万人の銃後の人命が奪われたと伝えています。
  
  昭和20年3月10日の東京大空襲で10万人、沖縄戦で民間人を含む12万人、長崎、広島の原爆投下で合わせて21万人、その他にも多くの人命被害に繋がりました。
第二次世界大戦での日本の戦没者の合計は、外地に出兵した兵員の240万人、内地での民間人80万人の合わせて310万人に上ると言われています。
  私達日本人の経験に省みて、戦争と言う人と人の殺戮が、いかに悲惨な結果をもたらすものかを、戦争を知らない世代にもっと知らしめなければならないと考える所以です。
  過去の歴史の中で、日本の軍国主義体制と軍や政府の指導部が、日本を世界戦争の道に向かわせてしまいました。その結果が、上記の様な壊滅的な国土の荒廃と、人命被害に繋がってしまったのです。
  番組に出演していた東京大学の姜尚中教授が、当時の決断を先送りする指導部の誤りを指摘して、それは今の日本の政治機構にも当てはまり、どうしても統治機構を変えなければ成らない、と言っていたのが印象的でした。
  日本海の人も住めない小さな岩礁の島を巡って、自国民への狭量なナショナリズムを煽ることの愚かさを、政治家自身が自覚しなければなりません。国民相互が感情をコントロールできずに、国同しの対立に繋がる事の結果の重大性に、お互いが気付かねばなりません。
  人々を対立へと導く愚かな政治家を、国民自体が選別する力を持たねばならないと思うのです。
日本は、過去の日本の悲惨な経験を、世界の戦争を知らない世代に、もっと知らしめる努力が求められるのでは無いでしょうか。
  
  

2012年8月14日火曜日

お盆の法要

   日曜日とその翌日にお盆の法要と墓参りを済ませました。日曜日の法要には、京都八幡の臨済宗円福寺に僧侶を頼み、3世代の家族16人が集まって僧侶の読経に唱和しました。
  私達ファミリーのお盆は、位牌を守ってくれている末の妹宅に全員が集まって、お盆の法要を行うのが恒例に成っているのです。
  翌日は朝から凄まじい雨が降り、到底墓参りは無理かと思われましたが、暫くすると雨も上がり、無事墓参りを済ます事が出来ました。
  このお盆の入りに関西の空模様は大荒れに成りました。お婆さんが住む京都の宇治では、宇治川沿いの民家が流されたり、城陽の義兄宅付近も道路が冠水した様です。お盆の期間のこの大雨は、私は今まで記憶が有りません。
  今日、14日は午後からようやく天気も落ち着き、車でアンディーを連れ出しました。何処に行くあても無かったのですが、宝塚の大劇場方面に車を向けました。
  
(霊園から大劇場を望む)
大劇場前の東の交差点を山側に上がっていくと、そこには、6年前に亡くなったリズの眠る共同墓地が有ります。お盆前にその動物霊園から7回忌の法要の案内が届いていたのです。
  何時も入れる園内の駐車場は、亡くなった愛犬のお参りに来た人達で満車に成っていて、園外の駐車場に回らなければ成らないほどでした。9月が命日ですが、内の奥さんも、「お盆の期間にお参りが出来て良かった」とうなずいていました。
  近くの宝塚ファミリーランド跡地のフォービスも、私達がアンディーを伴って良くいく場所です。この暑い夏場はあまり来ませんが、リズの墓参りの帰りに立ち寄りました。
  この施設には、ガーデニングの販売スペースが在ったり、ドッグランやペットとその用品を販売する建物が設けられています。
   
  このフォービスと言う施設からは、宝塚大劇場の前を通って阪急の宝塚駅にのびる「花の道」に通じているので、気候の良い季節には格好の散歩コースに成っているのです。
  今年の天気は全国的に大荒れですが、このお盆を節目に駆け足で夏が通り過ぎて行く様な気がしています。子供たちが小さかった頃の事を思うと、今は静かにお盆が過ぎて行きます。
  
  
(フォービスのガーデニング施設でハスの花)

2012年8月13日月曜日

暑い夏に感動を有難う!

  世界のアスリート達が、一堂に会して熱戦を繰り広げたロンドンオリンピックも、17日間の熱い戦いに終止符が打たれました。大会期間中、今回ほどオリンピックのテレビ放送を、熱心に見た記憶は、今まで有りません。
  柔道に始まり、男女サッカー、それに水泳、体操、卓球、バレーボール、レスリングなどです。
特に、男子サッカーの予選からの勝ち上がりには興奮しました。それは、予想外の出来事だったからです。なでしこの順調な試合運びと、最後まで金メダルを追い求める姿に感動しました。
  男子柔道は残念な結果が多かったようですが、それも試練で、課題を克服する目標が出来たと思って、世界のスポーツとなったお家芸の将来の飛躍の糧としたいものです。
  水泳は若い選手が新たに力を付けて、男女とも素晴らしい結果を残しました。
体操は、当初思わぬ苦戦のスタートでしたが、個人でさすがの結果を上げましたし、最後に近かった、女子のバレーボールと、男女のレスリングの日本選手の頑張りは大したものだと思わせてくれました。それに、女子の卓球も初めてのメダルが銀メダルとなりました。
  若者達が其々の参加種目で、私達に感動を与えてくれたと感じています。4年先のブラジル、リオの大会を目指して、また新たな練習の取り組みが始まる事でしょう。
  日本の若者たちが、世界の若者と互角に戦うスキルと体力を備えることを目標に、これからの練習に励んでもらいたいものだと期待しています。

  

2012年8月11日土曜日

CHORD Cobra3 RCA

  先日、「ニヤフィールド・オーディオの完成」等と書きましたが、最近の音楽視聴環境は、目まぐるしく変化していて、発展形が多義に渡って来ています。其処には間違い無くMP3やiPod、更にHDオーディオ(CD音質を超える高解像度オーディオフォーマット)の出現が大きく影響していて、誰でも手軽に高音質の音源を視聴できる環境が整って来たからなのです。
  私が取り掛かったニャフィールド・オーディオと言うのは、パソコンを中心にインターネット経由の音声を視聴する進化形の、ごく初期段階の取り組みで、パソコンのiTunesやMicrosoft Windows Media等から高音質のインターネットラジオにアクセスして音楽視聴を楽しむと言うものです。
  長年、ピュア・オーディオ(以前はオーディオ視聴に、この様な表現は有りませんでした)を趣味にして来ましたが、様々な音声視聴方式の開発から、簡易な視聴機器で、CD音源を超えるフォーマットが手軽に視聴できる様に成りました。
  当初、私はパソコンを介して高音質のインターネット・ラジオの視聴を目的に、こうした取り組みを始めました。それと、音の良いヘッドホンでの音楽視聴を試みてみようと考えたのです。
  その為、パソコンのUSBポートからUSBケーブルで接続するデジタル・アナログ・コンバーター(DAC)付のヘッドホンアンプを手に入れました。その段階では、パソコンのUSBポートからDACアンプとを繋ぐUSBケーブルなどが必要に成りました。
しかし、私のパソコンは現在無線ランにしていますので、この範囲では、既に半分、AirPlayに対応している事に成ります。先に書きましたが、新しく無線のモデムも買い替えて、ルーターとの接続のLANケーブルはカテゴリー7の物に取り換えました。此れによって、インターネットの受信音声は、それまでと比べて格段に安定した事は、前述の通りです。
  その次に、パソコンサイドのアクティブ・スピーカーを追加しました。アクティブ・スピーカーはそれ自体、スピーカーを駆動するパワーアンプをスピーカーの中に内蔵している為、DACヘッドホンアンプのRCA出力からピンケーブルでアクティブ・スピーカーのRCA入力端子と接続すれば、パソコン経由のインターネットラジオの音声が、スピーカーで視聴する事が出来る様に成るのです。
  其処までは、世界の高音質インターネット・ラジオの音声視聴にパソコンが介在しましたが、最近急速に、ネットワーク・プレーヤーと言う機器が出回りだしました。それは、その機器自体で、ネットの音声を受信したり、様々な種類の音声視聴フォーマットに対応する事が出来る能力を備えています。しかも、現在、出てきている機器は、それまでのオーディオ機器に比べて、とても安価な製品が多く見受けられます。
  更に、この秋、デンマークのスピーカーメーカーDYNAUDIOからXeo(シオ)と言う無線のハイエンドスピーカーが売り出されるとの事です。今度の製品は、其処からスピーカーケーブルが消える事に成るのです。
  3日ほど前、英国のオーディオ・ケーブルのメーカー、CHORD(コード)社のCobra3と言う比較的安いケーブルが、如何いう分けか、1本だけ安くネットに出品されていました。
  予てから、評判の良いこのケーブルを、アクティブスピーカー、CAS-33の左右のスピーカーの接続ケーブルとして、手当てしました。
  此れが又、評判通りとても良い結果を示しています。ピュアオーディオの世界では、電線病と言って、大枚のお金を掛けて、あれこれケーブルを取り換える事を、そう呼んでいるのですが、事実ケーブルによっては、オーディオ・アンプを取り換えるよりその効果が顕著に表れる事が有るのです。程度問題ですが、それも趣味のオーディオの一つの楽しみ方に成っています。
  しかし、AirPlay(無線での視聴)が当たり前に成って、この先オーディオ機器を繋ぐケーブルが無くなると、こうした楽しみ方も過去のものとなる日が来るかも知れません。何処か、寂しい気もして来ました!

2012年8月9日木曜日

蝉の抜け殻収集

    昼頃、娘と孫を伴って、宇治のお婆さんの所に付きました。盛夏真っ只中と言った天気で、隣の神社の境内から、割れるような蝉の大合唱が聞こえてきます。
去年も、宝塚の雲雀公園で、小学1年生の孫と蝉の抜け殻を見つけに行きましたが、今日も、「お爺ちゃん、蝉の穴を見に行こう」と坊主が誘ってきました。大きな木々の周りに、蝉がはい出した穴が無数に見つかります。そうした木々の幹を上にたどって見て行くと、あちこちに蝉の抜け殻を見つける事が出来ます。
蚊にかまれる事を覚悟で、神社の長い参道脇の木を、二人で丹念に見て回りました。
其処には、木の幹の下の方に、この夏を泣き疲れた蝉が止まっていて、2年生の坊主が、そっと手でつかみに行っても、もう逃げる元気が有りません。
そうかと思うと、今頃、遅掛けに穴からはい出した蝉の幼虫が、脱皮の為に木を登るのが確認できました。
  
  いつも、宇治のお婆さんを訪ねると、周りに沢山の季節の花を見かけて、写真に収めますが、この時期、目につく花と言えば百日紅(さるすべり)ぐらいのものです。それでも、ピンクや白い百日紅の花が、夏の盛りを表しているのかも知れません。
  地面に落ちていた油蝉の羽を2枚と、10個近くの蝉の抜け殻を収集して、蝉の穴探検を終えました。おかげで、短パンでむき出しの足は、二人とも無数の蚊の攻撃を受けていました。

2012年8月7日火曜日

夏休みの工作の手伝い

千里に居る娘が、午前中に二人の孫を連れてやって来ました。明日、京都のお婆さんの所に付いてくると言うので、前日から泊り込でやって来ました。それと、子供達との約束で、夏休みの宿題の工作を手伝う事に成っていたのです。
やって来たその足で、近くのホームセンターに出かけて、木工ボンドや工作用の板切れ等を少々手当てしました。
  小学2年生の男の子は、最近少年野球に入って頑張っていますが、元々、手先が器用で何かしら、作っては遊んでいます。
  今日は、4年生の女の子は、お人形遊びの部屋のフィギュアーが作りたいらしく、色々、母親に注文を付けている様なのですが、私には内容が良く掴めません。
小学生の、夏休みの工作では、可愛らしい小ぶりの椅子の製作キットや小鳥の巣箱などの例が、ネットに紹介されていました。
  しかし、男の子は、漠然と自動車や飛行機が作りたいと言い、女の子は、やはり人形遊びのフィギュアーの製作に拘っていました。
  狭い私の部屋に、木工の板切れや手当てした木を広げて、半日、宿題に付き合いました。
男の子は、F-1のホーミュラーカーの製作と女の子は、余っていたベニヤで、部屋のベースを手伝いました。
  未明迄、なでしこのフランス戦を観戦した為、此方はすっかり寝不足で、昼寝する分けにもいかず、ねむた目をこすって、半日、孫たちの工作に付き合った一日でした。