2011年4月28日木曜日

「それは結果であって、原因では無い」

 ひょっとして、私は人より考え方が過激なのだろうかと自問する事がある。それにしても、腹の立つ事が多すぎて、ついつい何かに胸の中を吐き出さずにはいられない。
 大阪地検特捜部の前田元主任検事による、証拠改ザン事件で、証拠隠滅罪の刑が1年6ヶ月の実刑に確定したというニュースが流れた。しかも双方が控訴しなかった為、刑が確定したとの事だが、弁護士を通じて出したコメントが振るっている。「判決を真摯に受け止め、潔く刑に服する事にした」と言うものだ。「馬鹿な」、潔くも何も、卑しくも検察官が自らの面子か組織のプレッシャーか知らないが、自分に都合の良い証拠をでっち上げて、無実の国民を罪に貶めようと意図した行為は、言語道断、前代未聞の行為で、恥ずかしくて判決後にコメントスを出すなどという立場には無い。しかも、元々求刑2年と言うのが問題であると思う。だから、1年6月と言う実刑そのものが、いかにも甘すぎると考えるのだが如何だろうか。かねがね、日本の司法は、草食化していてヒューマニズムを取り違えているのではないかとさえ思うのです。日本の法曹界そのものの、抜本的な見直しが必要なのではないでしょうか。いったい、今回の事件で、検察庁の体質まで踏み込んで徹底した原因究明が、本当に出来たのでしょうか。昨日も、江田法務大臣を通じて、全ての検察の取調べで、録音を実施するというニュースが流れていたが、日々の出来事のドサクサにまぎれて、トップの辞任や一部の人事で、この問題が適当に処理されるような事は、絶対にあってはならない問題だと思うのです。我が国の先進国としての沽券に関わる問題では無いかと思うからです。
 裁判を司る裁判官、検事、弁護士、それらを包括する日本の裁判所や検察庁等の司法組織は、何処に出しても恥ずかしくない組織として、適切に機能しているのだろうか。
 捜査のあり方、起訴のあり方や量刑判断等、過去の判例だけにとらわれない時代に即した法律の運用がされているのだろうか。
 かつて、民事裁判に少し関わった経験があるが、その実態を覗いてとても大きな疑問を感じたものだ。まるで、ノンフィクションだが、虚構の脚本を書いているかと思わせる裁判の進行を見ていて、こんなものかと唖然とした。
 それと、今回の場合も身内が身内を裁くという構図で、それでなくとも公務員の不祥事は、民間であれば必ず起訴され、刑事事件にされるところを、訓戒とか譴責、依願退職などで取り繕ってしまう日常があるのです。私は、このような身内を庇い合う公務員組織の体質が目に付いて成らない。
 昨日、クローズアップ現代という番組で、尼崎のJR事故の原因究明をしているメンバーで、作家の柳田邦男氏の言葉が、耳に響いた。「それは、結果であって、原因ではない」という言葉だ。大阪地検特捜部の前田元主任検事の事件も、その結果としての行為を個人的な原因に帰するのではなく、様々な要因を広く見つめ直さなければ、本当の原因の究明とその改善や対策が取れないのではないだろうか。国の制度も適切に運用されてこそ、遍く国民に資するものと思うのです。
 このことは、色々な所で指摘する事が出来るかもしれません。もっとも近いところでは、結果的に引き起こされた福島第一原発の事故です。いずれ検証される事だと思うのですが、国によるエネルギー政策の推進や、日本の電力会社が原子力発電に傾斜して行った背景などです。

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