2011年4月16日土曜日

原子力と行政組織

 今回の、東日本大震災の発生で、私は自分の既成概念に少なからぬ影響を受けたのかもしれないと思っている。民間企業に就職して、定年まで一つの会社に勤めた経験しか持たない私は、様々な世の中の出来事を、その狭い視野でしか見ていない事に自分ながら気が付いていた。
 
 しかし、そうした認識の下でも、私の興味は、主に世の中の仕組みに目が行きがちで、特に政治的な仕組みや経財界、官僚組織等の互いの係わり合いに、目が注がれがちだ。そうかといって、Twitterでぼやく以外は、週刊誌を読み漁たり、財界や官僚のゴシップを探すというわけでは無いのです。

 戦後、私が育った過去を振り返ってみると、自分の生涯の大部分が日本の復興と成長の時期に符合している事と、その後の、登り詰めた後の日本の社会を見てきた思いがする。そして、世の中に出て、一民間企業で、たまたま、多くの企業の価値の尺度に関わる仕事についた事、その事が、時々の景気循環や政治状況に大きく左右される場面を見てきた事で、おのずと、政治体制や財界、官僚機構や行政組織に興味を持って来たのです。

 まず、今回の大震災の発生で、未曾有の災害に見舞われた東北の地で、自ら被災しながら、ひたすら、地域住民のために昼夜分かたぬ働きをしている地方の公務員がいることと、救助に向かった10万を越える自衛隊員、消防、警察関係者の懸命の働きを見て、彼らの公務員としての使命感以上の人間としての働きを見た思いがしました。

 今まで、私はともすると、国の官僚組織や地方行政組織に対して、一括りに批判的な目で見てきた。特に国がそうだから、地方も右に習え的に既得権を張り巡らし、国民の税金でぬくぬくと暮らしをむさぼっているように批判的に見てきたのです。しかし、今回の報道を見ていて、地方には、今でも素朴に、公僕として住民の為に働く公務員がいること、命を掛けて救助に向かう自衛隊員や消防隊員、警察官がいることを目の当たりにしました。

 では、永田町にいる政治家や霞ヶ関にすまう国家公務員は如何なのでしょうか、中央に集う政治家や、その政権から、今はじかれている国の官僚達は確り国民の為の仕事をしているのでしょうか。今度の、大震災による大津波で福島第一原子力発電所が被災し、世界が懸念する、大事故に発展して来ています。

 この、福島原発の事故の状況やその後の東電や原子力行政を主導してきた構図を、ちょっと、調べているうち、やっぱりかという思いがしてきたのです。原子力事業を自分達の既得権益に繋げている、政治家、国の省庁と持たれ合いの電力事業者、原発を主導する御用学者達の構図が浮かび上がってきました。これは、何が何でも安全性が最優先されるべき原子力行政が、中央でのもたれあいで、ないがしろにされて来た構図ではないかと言う疑問です。
 
 東電は2007年7月18日の中越地震で、柏崎刈羽原発が極めて深刻な事故に発展しかねない状況があったにも関わらず、今回の事故にその教訓を生かす事が出来なかったという事実も出てきました。内閣府に設置されている、原子力委員会と原子力安全委員会は、夫々、委員会として推進役と規制機関という正反対のものが同舟しています。経済産業省の中の組織である、原子力安全保安院と資源エネルギー庁はその性格上規制と推進という相反する組織がここにも同舟しているのです。今、巷では、そこに関わってきた個別の人たちの事が取りざたされてきています。

 東京電力の原子力事業の建設推進は国と業界による二人三脚なくして、ここまで建設が進む事は無かったと思うのです。政界と電力業界のもたれあい、経済産業省と電力業界との間の天下りの構図、その中の原子力安全委員会や、経産省の安全保安院、それに原子力安全基盤機構などと言う組織が、何の為に設けられているのか、毎年の、4,000億を越える国の原子力関連予算と共にもう少し調べていけば、私でもゴシップ週刊誌を発行する事が出来るかも知れません。

 確かに、稀に見る大地震によって、想像を絶する大津波が東北沿岸部に押し寄せた。しかしそこに建設した原子力発電所は、いかなる事態でも事故を起こす事が許され無い原子力の事業ではなかったのか。そこには、やっぱり、自分達の都合だけを基準にした人間達のエゴの構図が見えてくる思いがするのです。採算性や推進在りきで、本来の安全性が、本当に突き詰められていたのでしょうか。

 日本の政党政治、政権と官僚組織を構成する人間達、そこにコネクションを求める財界組織、また、そこに入り込む学術関係者など織り成す彩が絡み合って、解こうとして解け様も無い状態に見えます。しかし、この最大の日本の危機が、ここからの日本の再生に繋げる為には、こうした、自己本位の権益に群がる社会的構図をどう壊していくかに掛かっているのではないでしょうか。

 大震災からの復興と、現在進行形の原発事故と言う国家的大災害の復旧と検証が、新しい日本の将来の為に、今後必ず求められると思うのです。
 


 

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