2011年3月31日木曜日

869年貞観大地震

 今度の東北関東大震災はその規模と被害の大きさから、私自身、多くの事を考えさせられた。
平成7年1月17日未明、大阪千里の15階建てのマンションの、14階に住んでいた私は、突然の大きな地震の揺れに、咄嗟に、大丈夫、大丈夫と大声を出しながら、一瞬本当に大丈夫かという思いがよぎったのを覚えている。命の危険を感じた初めての経験だった。
 その時から16年、今は海抜150メートルに位置する4階建てのマンションの一階に移り住んでいるが、あの時の記憶は時間とともに薄れていた。当時、神戸市内やその周辺部の人口密集地域で6400名を越える人達が命を落とした大惨事であった。その記憶が薄れそうになったときに、今回の大震災が起こった。太平洋側の東南海沖大地震に対する警戒が叫ばれていたが、今回は東北関東にかけての広い地域の地盤が動いたとの事だ。しかし、今回の地震の情報を読んでいる内に、今から1150年も昔に、陸奥三陸沖で貞観大地震(869年)と言う大きな地震が記録されていた事を知った。日本三代実録という、天安2年(858年)8月から仁和3年(887年)8月の30年間の出来事を記録した歴史書の記述にその地震のことが記されているとの事だ。最近の研究で、その1、000年以上も昔の大地震の記述から、その地震は、少なくともマグニチュード8.3以上とされ、大津波に襲われた様の記述が記されていると言う。その事から、沿岸の津波対策の大幅変更を検討する提案もされていたとの事であるが、1000年以上も前の大災害が、今に生かされる事は無かったようだ。大宰府の地にながされた、菅原道真もその編纂に携わったという歴史書が、1000年以上も前に書かれていたという事も初めて知った。現役時代は、数字の変動を追い掛けていた経験から、社会科学での数字の変動に無意識で規則性を認めてきたが、リタイヤした今、その規則性の認識は誤りで、変動する社会は、絶えず変化していて、二度と同じ場面に遭遇する事は無いのかも知れ無い、という思いがしていた。それは自分の生きている間は、という注釈付きではあったが。しかし、今回の大震災で、大自然にはやはり、時間を越えて規則性が証明されたような気がしたのだ。
 それと、今回の大災害のもう一つの問題は、福島第一原子力発電所の津波による事故の発生だ。私も政府や東電、原子力保安院の記者会見について、ここで書いたが、知識の無い私達に、正確で分りやすい情報開示がなされなければ、あらぬ不安を掻き立てる事となって、冷静な対応を邪魔する事になると感じたからです。自分なりに少しでも事故の事、それによってもたらされるリスクについて知りたいと思った。放射線、放射能、放射性物質について夫々の意味を認識する事からが始まりだった。いくつかの中で、私の理解に参考になったレポートをここに、乗せておきます。http://sites.google.com/site/reportfujibayashi/元東芝原子炉設計部長の藤林徹さんのレポートです。無断でここに紹介させて頂く事をお許しいただきたいと思う。
 枝野官房長官の記者会見の言い回しも、少し変化してきました。徐々に状況の厳しさがにじんできております。事故を危惧する世界の専門機関から多くの支援の手も差し伸べられてきている。状況の開示が真実に近づいたからと言って、事態の深刻さは変わりません。一日も早い事故の収束が待たれます。
 

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