2011年3月24日木曜日

レンタルクラブが届いた

 私は、ゴルフクラブは昔からミズノのクラブを使っている。とくにドライバーはパーシモンの時代からミズノだ。昔、ゴルフを始めた頃は、昨年訃報を聞いたシングルの先輩から、これを使えといって渡されたベンホーガンのパーシモンが使い始めだった。当時は転勤先の四国の松山にいて、住まいの周りは田んぼが広がっていた。そばの、農業用の池に造られている練習場に、ドライバーを一本持って出かけ、力いっぱいボールを叩いていた。ボールは大きく左に飛び出し、ブーメランのように右にカーブして落ちる。いわゆる、どスライスの玉を打っていたのだ。力いっぱい叩くものだから、手前のゴムのマットを叩くと、当時はスチールのシャフトが弧を描いて曲がる。それを膝に当てて、元に戻しながら使うものだから、グリップ側から片目で覗くとシャフトが波を打っていた。
 それでも、ゴルフ場に出かけると、飛距離には自信があった。当時はシャフトが交換出来ることなど知らなくて、そのクラブを廃棄してしまった後、なかなか自分に合ったクラブを見つける事が出来なかった事を覚えている。
 長い間、ドライバーもスチールのものを使っていたが、その後、カーボンのシャフトが普及しだして、それを使うようになると、もっと自分に合ったクラブを見つける事が難しくなったように思った。その辺から、ゴルフクラブの遍歴が始まったように思う。ベンホーガンは勿論、クリーブランドのパーシモンヘッド等も試した。ミズノも、シャフトがカーボンになってもヘッドはパーシモンだった。ヘッドも、最初の頃は、カーボンのヘッド等があって、今の
チタンヘッドになる迄に、いろいろなものが売り出されたのだ。
 50歳頃から飛距離が少しずつ落ちてきた。それでも同年輩の者と競って、そんなに負けるような事が無かった。それが60歳台に入って目に見えて飛距離が落ちたのを自覚するようになった。
還暦前に、建物の二階から階段を踏み外して落ち、右手首の骨折などの怪我をしてから1年ほどブランクが出来たり、50肩になる度に、練習場から遠のいた。そんな事を経て行くうちに、自分の意識と体が連動しないゴルフになってきたようだ。それでも、飛距離が諦められない。自分が拘って使っている、ミズノからシニヤ向きの道具が出たりすると、それを試してみたい気持ちが、むずむずと、湧き上がって来る。
 そんな訳で、今回も3泊4日のクラブレンタルを申し込んだ。昔は、こんなサービスは無かった。
見た目で気に入って手にしても、実際使ってみると、必ずしも自分に合ったものが手に入るとは限らなかった。時代が進んで、ゴルフも女性や子供に広がって、皆に親しまれるスポーツになった。
クラブメーカーのこんな取り組みも、大衆化を広めているのか。

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