2011年3月26日土曜日

福島第一原子力発電所のこと

  福島第一原発の状況が、連日ニュースのトップで報道されている。日本人は太平洋戦争で、唯一広島、長崎への原子爆弾の投下を受けた国民として、その惨劇を経験している。原爆投下後、その土地の人達がどれほど、放射能の被害に苦しんだ事か。戦後66年、二酸化炭素を放出しないという事から原子力の平和利用が推し進められ、日本でも、一般国民の自覚のないままに、55基もの原子炉がつくられているとの事である。戦後の復興と経済成長に国内の電力エネルギーの確保は必要不可欠であった。特に国内にエネルギー資源を持たない日本にとっては、原子力の平和利用の技術向上は、願っても無い事であったに違いない。
 全国で、原子力発電所が計画される度に、その地域で導入の賛否が繰り返されてきたが、一般の国民にとって、大きな関心とはならなかったのが事実ではないだろうか。
 国や経済産業省の推進策とも相俟って、電力各社はこの狭い日本に原子力発電所の建設を競ってきた。そして、今回、過去の想定を遥かに上回る大地震によって引き起こされた大津波が、太平洋岸に建設されていた6基もの原子炉を直撃したのだ。原子炉施設に襲い掛かった津波は、原子炉の稼動に必要不可欠の冷却装置と関連施設を破壊した。しかも今回の日本の原子炉の事故は六基もの同時事故で、そのいくつかで発生した、原子炉建屋内の水素爆発によって、その対応の難しさは予断を許さない状況となっている。
 今回の原子炉の事故の報道を受けて、1979年の米国スリーマイル島原発事故と、1986年ウクライナのチェルノブイリ原発事故についての概要の説明を読んでみた。それらの原因については、後に様々な検証がなされているが、原子炉そのものは一旦そのコントロール性を失うと、高温に達している核燃料の制御が極めて難しく、しかもいずれの事故にも人的ミスが言われているのも事実である。
 事故を受けてその対応に当たる者達を原子炉内から出る放射能が襲い、益々その対応を困難なものにしている。スリーマイル島の場合は死者は出なかったようだが、水素爆発で原子炉そのものが破壊され、大気中に大量の放射性物質を放出したチェルノブイリ原発事故は、その処理に当たった多くの軍人や作業員の命を奪う事となり、周辺地域や周辺国にまでその放射性物質の環境汚染を巻き起した。チェルノブイリ原発は周りを石棺と呼ばれるコンクリートの建屋で覆い、放射能を閉じ込めているが、それも建屋の老朽化と内部に閉じ込められている放射能が雨水の浸透から地中に溶け出し、汚染を広げている可能性が懸念されているとの記述であった。 私は、一概に原子力の平和利用を否定するつもりは無いが、それでも首都の電力をまかなう施設が破壊されて、放射能の拡散も含めて、今の大きな混乱に繋がっている事を考えると、電力供給の問題だけでなく、交通網、通信、水道などのライフライン、さらに食料確保の問題など、今回の震災は日本の有り様そのものについて、真剣な再検討を促しているように思うのです。
 この狭い日本で、1億2千8百万人が暮らしていかなけれならないとして、電力の事、水道の事、交通の事、通信の事それに食料の事など一つ一つは、本当に大丈夫なのだろうか、この当たり前の基本的事柄の再検証が求められているのではないでしょうか。
 国の様々な制度についても、多くの不具合が認められながら、なかなか、その是正、適正化が図られずに現在に至っている。先日NHKの朝のテレビだったか、大和総研理事長の武藤氏が、大津波によって、全てが破壊された東北三陸の地を、これからの社会に適合した希望のある地域に再生され無ければ、と発言されていた事を思い出した。二万人を大きく越える人的被害に繋がったこの度の大災害を乗り越えて、未来に希望のある日本社会が復興される事を、心から祈りたい。

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