2011年3月6日日曜日

洞が峠と八幡の円福寺

 国道1号線の枚方市と八幡市の境に、洞が峠という場所がある。この道路は、昔から枚方バイパスといわれ、大阪から京都、大津に抜ける主要幹線なのですが、近年道路沿いには、多くの飲食店や車関係の店ができています。そこに、随分昔から、茅葺の茶店があり、この茶店の横を細い道が先の竹やぶの方に続いていて、そこを進んで行くと、臨済宗 達磨堂円福寺という臨済宗の修行道場があります。ここが私どもが折々の法要をお願いしている、禅宗のお寺なのです。
 私と、この寺との関わりは、父が昭和54年に亡くなり、その折に、かねてから最寄の臨済宗の寺として、京都の大本山妙心寺から紹介されていた母が、葬儀を依頼したのが始まりでした。
 当時、実家は寝屋川市の香里園にあり、後に、一介の在家の葬儀を頼むお寺としては、大変恐縮するお寺だったことが分かりました。その時、葬儀には、3人の雲水を引き連れた、当時の住職であった西片義保老師がお見えになって、父への引導を渡されたのです。
 この、西片義保老師が、後々、大本山妙心寺の管長に就任されるのです。父の葬儀の後、私達兄弟は、夫々子供を伴って、お礼に、円福寺の老師を訪ねたところ、普段老師が寝起きされている奥の居間まで通していただき、抹茶をご馳走になったことを覚えております。
 以降、季節ごとに法要の案内を頂いたり、折々に法事のお勤めに修行僧に来ていただいたりのお付き合いが始まりました。そして、昭和の終わりに母も西片老師に見送って頂いたのです。

 その後、平成16年西片擔雪老大師も無事妙心寺の管長の勤めを終えられ、84歳で他界されてから4年が立ちました。そして現在も、円福寺さんからのご案内をいただく関係が続いております。
 ちなみに、その昔この八幡の洞ヶ峠は、織田信長が明智光秀に討たれた折に、中国地方から取って返した羽柴秀吉との戦いを、筒井順慶が、この地から、様子見したとの言い伝えで、様子見を決め込む事を「洞が峠を決め込む」と言ったそうです。
 

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