2011年3月19日土曜日

友人がくれた玉の光

 私の父は、無類の酒好きで、私の子供の頃のお使いは、酒屋に酒を買いにいくこととだった。月の初めは、サントリーの角を買いにいかされた覚えがある。大体それが3日ともたないで、その後は、日本酒の一升瓶を買いに行った。ウイスキーの時は、ウイスキーをビールで割って飲んだりしていた。酒の入った父は、普段の気難しい顔とはぜんぜん違って、陽気になり、子供達を笑わせたりした。子供達は食事をする父の周りで、父の酒の肴に母が焼いたテキのおこぼれに預かったりしたものだ。そのような父は、昔から一日二食が習慣だったが、いつも、夕食は酒が主食のような物で、最後はお茶漬けで終わっていたと思う。
 酒好きの父に似ず子供達は皆、酒がだめだった。これは、母方の血を引いたのではないだろうか。私も成人して、人と酒を飲む機会などが有ると、グラス一杯のワインで顔は真っ赤になり、一升ビンでも空けたようだと笑われた。そのため、現役の時も乾杯程度は口にするが、自分から好んで酒が欲しいとは思わなかった。
  しかし、仕事で、どうしても酒を付き合わなければ成らない場面も出てきた。そんな時、したたか飲むと、トイレに立って、洗面でもどし、顔を洗って又酒席に戻って飲む。こんな時は、自分ながら飲んだら飲めるな、と思ったもので、量を飲んでも決して酩酊するような事が無かったのは、父の血を引いていたからだろう。
 その私が、晩酌をするようになって2年以上がたった。きっかけは、友人から送られてきた日本酒だった。それは純米酒の「玉の光」と言う酒で、夫婦で飲むのが好きな友人が、夏場、冷やして飲むといけるよ、と送ってくれたものだった。彼は京都の伏見の出身で、実家が酒造会社の運送を引き受けていた会社の息子だった。夫婦で付き合って40年以上に成る。
 この、「玉の光」が私の体に合ったのか、食前酒として飲みだしたら、随分口当たりが良くて、冷たく冷やした白ワインの趣があった。その後、ディスカウントストアーなどを覗く様になった。色々な銘柄が並んでいて、母が父のために買っていた「菊正」、酒好きの別の友人が昔飲んでいた「剣菱」、ゴルフ仲間が、私なんか、紙パックの、「のものも」で十分ですよと言う大関酒造の製品など、多くの酒が棚にあった。一つ二つ、別の酒に手お伸ばして、飲んでみると、これが又、一つ一つ舌触りが違う。
 今も量を飲むことは無いが、最近、他の銘柄の味わいを楽しむような飲み方が出来るようになった。身内にも酒の先生がいて、最近私が飲みだしたと聞いて、わざわざ、純米大吟醸「獺祭 」(だっさい)と言う酒を持って来てくれた。これが又、私的には、香りが良く、シャキットした舌触りとでも言おうか、おいしく頂いてしまった。
 タバコは思い立って止めてから二年が過ぎた、このタバコと入れ替わるように日本酒を飲むようになったが、体重は75キロ、一時の事を思うと2~3キロ増えたか。
この上は、サボりがちのゴルフ練習で汗をかかなければと思っている。

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