2011年9月17日土曜日

好きになれない政治家

 野田内閣に対する私の懸念が早々に現れた。鉢呂経済産業相の軽はずみな言動が、マスコミの格好の餌食になり、遭えなく、就任9日目の辞任に追いこまれてしまったからだ。長らく政治家として人生を生きて来た人でも、状況やその場の雰囲気に、とてもノー感な人がいることに驚く。今回の問題となった言動で、「死の町」と言う表現は、今の状況下、政治家が使う言葉としては、あまりにも、避難住民の心情を逆撫でする、それこそ、配慮を欠いた無神経な用語だと思うのです。さらに、本人は冗談のつもりで、原発視察後の記者懇談で、記者に擦り寄って「放射能がうっった」等の言葉や仕草をした事は、よほど世間に対する警戒感の無い人なのではないでしょうか。仲間内では特に問題にもされない事でも、自分の置かれた立場に対する確りした認識が無いと、こう言う事になってしまいがちですね。
 しかし、野田総理の人事で、鉢呂氏の後任に枝野元官房長官を入れたことを、私はとても理解出来ません。菅内閣での大震災、とりわけ原発事故に当初から関わって、今日、その情報隠蔽とも取られかね無い当初の対応で、今、放射能飛散による体内被曝や蓄産農家の問題が問題化している事への危機感が感じられないからなのです。別に野田内閣の肩を持つつもりはありませんが、この後、本国会に進み、3次補正や、さらなる震災、原発対応が検証がされる事になれば、当然、発生当時、内閣の要としてその地位にいた者が質問の矢面に立たされ、場合によっては一手に批判を浴びかね無いと思われるからです。適材と言うより、先を読む配慮を欠いた人事だとは思いませんか。国会のスムーズな与野党協議の進捗に妨げとならないかがし心配されます。
 ここで、話は違いますが、私は法律家をあまり信用していません。特に弁護士と言う仕事をしている人をあまり好きになれません。
 日本の法曹界は、戦後米国流の司法制度が一般的になり、裁判そのものが勝ち負けの世界になって今日に至っていると思うのですが、私が関わった2つ、3つの民事裁判では、原告側も被告側もほとんどが作文か脚本の世界でした。おおよそ、真実とはかけ離れた自分達に都合の良い、議論に終始していたのです。
 裁判とは、こんなものかと、がっかりしたものです。それ以来、自分の都合のいい主張に慣れた弁護士上がりの政治家への不審が強くなりました。
 特に、法律の条文は暗記したかもしれませんが、法律で取り扱うべき様々な事案については、ほとんどが、全くの素人と言って差し支えありません。
 その後、我が国では検察庁の大阪特捜部で信じられない不祥事が明らかになりました。日本の司法制度の危機が表面化したのです。
 そんな法曹界上がりの者達が、政治家としての中途半端なイデオロギーだけで、国民生活を仕切る事が出来るのでしょうか。ましてや、政策理念のばらばらな集団でまとまっていけるかに、本来、疑問を持っているのです。
 そうした理由で私は、先の枝野氏などは好きになれません。弁護士出身の全ての政治家が、そうだと言っている分けでは無いのですが、ほんとに、理路整然と真実とは違う(嘘を)主張をする事が出来るのが、弁護士だと思っているからです。
 特に、菅内閣当時の枝野官房長官を長とする内閣官房は原子力災害の発生で、真実の情報を伏せると言う、決定的な間違いを起こしたと思っています。そのことは、以後の国民への保障負担をより大きなものにし、何より国民の不信感を増幅させた張本人の一人だと思うからです。現在、その責任を問う声が高まっていないのが不思議ですが、後々、必ず問題化するものと思っています。

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