1975年(昭和50年)8月、私は会社の始めての転勤で四国の松山に渡った。渡ったと書いたのは、当時四国に行くには、飛行機か、船に乗っていく以外に無かったからだ。6年半に及ぶ四国暮らしについては、又の機会に書くことにして、今日は四国に渡ってからのオーディオの思い出を紹介したい。
市電の通る県庁前の通りと、地元の大街道という通りの交差する角に四国電業という電気屋があった。松山での電器製品の購入はこの店がメインだった。名前は忘れたが、私に丁重な敬語で接する店員が居たのを覚えている。タンノイのアーデンというスピーカーを注文したのは、この店だった。 オーディオ雑誌で仕入れた情報を頼りに、私はオーディオ機器をこの店で注文していた。アンプ類に録音デッキ、それにスピーカー等などだった。
以前、芥川賞作家の五味康祐氏の事をこのブログで書いたが、この五味康祐氏のメインのスピーカーがタンノイのスピーカーで、それは、オートグラフといって、英国のTANNOY社から発売されており、クラシック音楽の再生スピーカーとしては、第一級の評価を受けていた物だった。
38センチの同軸スピーカーの開発で、オーディオ界で高い評価を受けたこのスピーカーを、つぎつぎに展開して新たな製品を発売したが、日本ではTEACががその販売代理店を勤めていた。当時既に、オーディオファンの注目を集めていたJBLは山水が輸入代理店を務めており、TANNOYとは、又、別の評価の製品だったと思っている。
私は それまで、ONKYOの83MKⅢと言う大型のブックシェルフ型スピーカーで音楽を聴いていたが、その後四国に渡ってから、TANNOYの存在を知る事になったのだ。其の頃、私の収入で手に入る限度は、TANNOYのARDENが精一杯で、それでもスピーカーワンセットで40万を越えていた。それは、TANNOYが開発した38センチのデュワル・コンセントリック、同軸2ウェイスピーカーを用いて現代風にアレンジされた新製品だった。それをセッティングしたときの気持の高振り
其の当時の、私の再生装置は、パワーアンプがQEAD405で、プリアンプにLUXの真空管アンプCL32というちぐはぐな物だった。そして、アナログプレーヤーは、その後何故か、早く手放してしまった西ドイツのDUAL1219だったのだ。今考えれば、このシンプルなシステムの音は、まるで単音を奏でるような、透き通った再生音であったと記憶している。
38センチのスピーカーから出てくる音としては、とても可愛らしく高音部が印象的で、そうかと言ってベースの音量が不足している事は無かった。ゆっくりとした低音にキラキラした高音部が乗っているとでも表現する音の広がりは、当時の私にとってこの上ない再生音で、私は四国の田舎で一人悦にいっていた。今となって思い返すと、その後、長い付き合いとなったTANNOYのARDENもさることながら、其のシステムから出てくる音の広がりは、DUAL1219というオートチェンジャーのアナログプレーヤーが、大きく影響していたのでは無いかと思っている。それと、LUXのCL32というシンプルな真空管アンプがシステムの音色を担っていたのかも知れない。
その後もアンプやプレーヤー、テープデッキなどは色々入れ替えたが、TANNOYのARDENだけは四国から大阪に転居して、阪神大震災を経験する2007年にも、我が家のリビングに置かれて、私のオーディオシステムの中心に座っていた。。
0 件のコメント:
コメントを投稿