朝8時に家を出て、家内が月に一度受診する、天王寺のNTT西日本大阪病院に向かった。9時の予約との事で、いつもより30分以上早く自宅を出た。今日は阪神高速の池田線は随分混んでいて、予定の9時には着きそうに無い。車は流れに任せるしかしょうがなく、車のラジオに耳を傾けていると、何のニュースだったか、もうちょっと注意していれば、と思われる事故の報道を耳にした。
家内とその話になり、最近、全てに「気配り」の無さを感じる出来事が多くなっている事に話が及んだ。大体、気配りが出来ない、自分本位、もっと言えば自分勝手、は子供や若い人の特徴の様にしばしば語られるが、最近若者や子供だけに当てはまる悪癖では無い事に気が付く様に成った。
そもそも、子供や若者にその傾向が顕著に見られると指摘する事は、自分達親の世代の責任で、言わば昭和生まれが老齢者の域になり、日本の世の中全体の傾向に成って来ているのかもしれないと思うのです。
しかし、今回のような、自然災害が起こると、昔に比べてボランティアで被災地支援に向かう人たちも増えたし、義援金なども随分の金額が寄せられている。
しかし、こうした目的がはっきりしていて、自分の貢献を意識できる事柄には、人々の関心や気使いが認められるのですが、何気ない日常はと言うと、これは又、別の話で、そう成ってい無い事に気が付くのです。
何気ない普通の日常生活で、以前なら、当然意識された気使いや気配りが、無意識の中で抜け落ちている事に気が付きませんか。
暇な老人がと思われるかも知れませんが、昭和生まれの私達が老齢域に達し、自分が発する何気ない言葉や行動が無意識の内に他人を傷つけていたり、ちょっとした「気配り」の無さが、取り返しの付かない事故やトラブルに繋がる事が増えわしないかと心配になるのです。
差し障りがあってはと、あえて一般的な事柄で、夫婦の会話を伝えましたが、私自身、思い返すと、これらの事に思い当たる行動や言葉使いが有るのに気が付かされるのです。
予約の時間に20分ほど遅れて、病院の玄関に奥さんを降ろして、私とアンディーは残暑の街中で散歩を開始した。勝山3丁目の角に、とても、感じのいい喫茶店が有って、中を覗くと、抱っこして頂ければ、と入るのを許されて私とアンディーは外の暑さから一息入れる事が出来ました。
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