2011年9月20日火曜日

ささやかなオーディオ環境

   私のオーディオ環境は、長方形の14畳ほどのリビングの奥に、左右の壁面から約40cmずつ、奥行きも40cm強空間を取って、スピーカーを配置している。
 天井は比較的高く、1.1メートルあるスピーカーから、上に1.4メートルの空間がある。14畳のリビングに、6畳の和室が続いているので、オーディオを聴く空間としては20畳ほどか。そこに、ディナウディオ コンター3が置かれている。
 両方の、スピーカーの後ろに壁コンセントがあり、その壁質は石膏ボードと思われる。両方の壁コンセントを米国のワッターゲートのオーディオ用コンセントに取替え、コンセント周りの15センチ四方に鉛のボードを張って補強してある。コンセントのカバーはアコースティックリバイブのアルミのカバーに取り替えた。
 主電源は、右のコンセントからオルトフォンの木質タッブまで、シナジスティック・リサーチのリゾリューション・リファレンスACマスターカプラーと言う電源ケーブルで繋いでおり、そのオルトフォンのタッブから、アキュフェーズのパワーアンプA-30とプリアンプのC-2400に先ほどと同じ、リゾリューション・リファレンスACが2本使われている。そして、左のコンセントからは、同じくシナジーのリファレンス・ACマスターカプラーと言うリゾリューションの下のクラスの電源ケーブルを入れている。色々試してみたが、私のCDプレーヤー、メロディアン588にはこのケーブルのほうが、相性がいいように思えた。
 電源ケーブルも、最初はワイヤーワールドやサエクが輸入しているキャメロット等、色々試してみたが、このシナジスティック・リサーチに出会って、此れにはまってしまった。当時は、このシナジスティク・リサーチの代理店をしていた、吹田市のヒノ・エンタプライズ社からそのほとんどを譲ってもらった。
 この、ヒノ・エンタープライズ社はシナジスティック以外にもPAD(ピューリスト・オーディオ・デザイン)と言う米国の高級ケーブルメーカーの代理店も努めていたが、今はその両方とも他社に譲っているようだ。
 当時、ヒノ・エンタープライズ社の好意だと、私は感じているのだが、インターコネクトケーブルで、カレードスコープ・フェイズⅡルッキングラスというRCAや同じくカレードスコープ・フェイズⅡのバランスケーブルを格安で提供してくれた。
 背景には通産省の規制で電安法が施工される事になり、多くの輸入ケーブルが
差し止められて、以降日本の販売店で購入する事が出来なくなったのです。
 このような、趣味の世界に国が関与すると言うのも、全く理解が出来ません。
その、市場規模からして、国内産業を保護すると言うメリットも無いと思われるからです。
 ここに、アナログ再生の為のフォノイコライザーにさすケーブルにカルダスのゴールデンクロスRCAが加わりました。
最近は、この新しく私のシステムに加わったカルダスを、色々繋ぎ変えてはその試聴に時間を割いています。

2011年9月19日月曜日

地域の大学祭

  私が住む地域に、宝塚大学と言う学校がある。以前は、宝塚造形芸術大学と言う名称の大学だったが、この所、総合大学に衣替えして、随分学生も増えた。この大学が私が所属するつつじヶ丘自治会に、年間5万円の会費を払ってくれているらしい。その為、例年、秋の学園祭に自治会のブースを設けて、水槽ゲームを出展している。私が住むつつじヶ丘地域は、背後の長尾山系の南斜面にあって、そこに、宝塚大学のキャンパスが立てられており、大学のキャンパスは広いスペースは無いが、大阪平野を見渡す眺望は、素晴らしいロケーションに有る。
 今年、私は自治会の役を仰せつかっており、今回の学園祭の世話役も割り振られていて、朝、10時から12時半までと、昼からの15時から17時の間、ブースの店番の担当と言う事になっていた。
 朝は、アンディーを抱いて家内も見学についてきたが、登り坂をゆっくり歩いて、キャンパスに辿り着いた時には、うっすら、汗をかいていた。
 自治会のブースは、キャンパスの比較的奥にあって、正面に演奏の為のステージが設けられていた。そこでは、ヘビーメタルと言うかエレキギターをかき鳴らしドラムを叩きまくる演奏が行なわれており、耳が張り裂けんばかりの大音量に苦しめられた。さらに、私のブースの隣は、女子学生がチジミを焼いていて韮の匂いが苦手な私は、これにも閉口して、来店する子供の世話も満足に出来なかった。
 午前中、早めに失礼と、退散すると、昼過ぎから夕立が降り、風も出てきた為、急に涼しくなって、何とか午後からの役目を無事務め、店じまいをする事が出来たのです。

2011年9月18日日曜日

医者知らずのアンディー

   11歳半になっている、我が家のアンディーの体調が優れない。3~4ヶ月前から、水を飲むと、飲んだ水が気管に入った時に咽る様な仕草をするようになっていた。いつも予防注射などを受けに行く箕面の動物病院で、先月も見てもらったが、そこの獣医は動物に対して自然体で、ことさら過剰な治療をしない事を信条にしている医師で、後ろ足を触って、両膝のお皿が自然脱臼していると言う診断の他には、水を飲むときに咽るような仕草については、たまに、水を飲むのが下手な犬もいるんですと言う以外、特に何も説明がなかった。
 水を飲む度に、この苦しそうな仕草がだんだん強くなって、昨日は水を飲んだ後、夕方食べた食事を吐いてしまった。
 これは、もう様子を見ている場合ではないと、自宅近くの、比較的出来て新しい動物病院に連れて行った。私なりに、問診に備えて、ネットで症状を検索して予備知識を持って行ったが、その動物病院の先生は始めて来院した私達にとても細かく丁寧に診断を説明してくれた。
 まず、嚥下(えんげ)障害と言って飲食物を飲み込む事に問題があるのか、それも、咽頭部分に腫れや腫瘍などの問題があるのかを、段階的に検査して、処置を考えなければならないと説明してくれた。レントゲンの結果は、右の肺に誤嚥(ごえん)と言って、水や食物が間違って入り込んだ可能性が示された。しかし血液検査の状況は、幸い、ほとんどの検査項目で異常は見受けられないと言う。しかし心臓が、平均より一回り肥大している事と、多少なりとも、気管から肺に過去の誤嚥の可能性が伺われるので、まづは、抗生物質を10日ほど飲ませ、症状が改善しないようであれば、それから、喉の内視鏡検査を考えましょうと提案された。喉の奥を見ると言う事は、犬の場合、当然麻酔を施しての検査と言う事になる。
 今日は、6年前に12歳半で無くなったリズの命日になる。私の誕生日を待って、その翌日、外出先の車の中で心臓麻痺で亡くなった。
 リズは、まだ若い頃、乳房の癌と診断されて、その切除手術を二回も受けた。3キロに満たない小さな体で、麻酔を伴う手術は極力受けさせたく無いと思ったが、良性でも癌は切除したほうが良いと進められて、医師に任せた。おかげで、リズは12年半の寿命を全うし、あっけなくも綺麗な最後だったと思っている。
 医者知らずと思っていたアンディーが、いつの間にか10歳を越え、足元が覚束なく成っていた。特にショックだったのは、今日のレントゲンに、アンディーの前足が映っていて、間接の受け皿が摩耗でなく成っていると言われた事だった。
 普段から、あまり歩きたがらないはずだと思った。リズが逝った後、私達夫婦を慰めてくれたアンディーの、この先の頑張りを、支えていこうと思っている。

2011年9月17日土曜日

好きになれない政治家

 野田内閣に対する私の懸念が早々に現れた。鉢呂経済産業相の軽はずみな言動が、マスコミの格好の餌食になり、遭えなく、就任9日目の辞任に追いこまれてしまったからだ。長らく政治家として人生を生きて来た人でも、状況やその場の雰囲気に、とてもノー感な人がいることに驚く。今回の問題となった言動で、「死の町」と言う表現は、今の状況下、政治家が使う言葉としては、あまりにも、避難住民の心情を逆撫でする、それこそ、配慮を欠いた無神経な用語だと思うのです。さらに、本人は冗談のつもりで、原発視察後の記者懇談で、記者に擦り寄って「放射能がうっった」等の言葉や仕草をした事は、よほど世間に対する警戒感の無い人なのではないでしょうか。仲間内では特に問題にもされない事でも、自分の置かれた立場に対する確りした認識が無いと、こう言う事になってしまいがちですね。
 しかし、野田総理の人事で、鉢呂氏の後任に枝野元官房長官を入れたことを、私はとても理解出来ません。菅内閣での大震災、とりわけ原発事故に当初から関わって、今日、その情報隠蔽とも取られかね無い当初の対応で、今、放射能飛散による体内被曝や蓄産農家の問題が問題化している事への危機感が感じられないからなのです。別に野田内閣の肩を持つつもりはありませんが、この後、本国会に進み、3次補正や、さらなる震災、原発対応が検証がされる事になれば、当然、発生当時、内閣の要としてその地位にいた者が質問の矢面に立たされ、場合によっては一手に批判を浴びかね無いと思われるからです。適材と言うより、先を読む配慮を欠いた人事だとは思いませんか。国会のスムーズな与野党協議の進捗に妨げとならないかがし心配されます。
 ここで、話は違いますが、私は法律家をあまり信用していません。特に弁護士と言う仕事をしている人をあまり好きになれません。
 日本の法曹界は、戦後米国流の司法制度が一般的になり、裁判そのものが勝ち負けの世界になって今日に至っていると思うのですが、私が関わった2つ、3つの民事裁判では、原告側も被告側もほとんどが作文か脚本の世界でした。おおよそ、真実とはかけ離れた自分達に都合の良い、議論に終始していたのです。
 裁判とは、こんなものかと、がっかりしたものです。それ以来、自分の都合のいい主張に慣れた弁護士上がりの政治家への不審が強くなりました。
 特に、法律の条文は暗記したかもしれませんが、法律で取り扱うべき様々な事案については、ほとんどが、全くの素人と言って差し支えありません。
 その後、我が国では検察庁の大阪特捜部で信じられない不祥事が明らかになりました。日本の司法制度の危機が表面化したのです。
 そんな法曹界上がりの者達が、政治家としての中途半端なイデオロギーだけで、国民生活を仕切る事が出来るのでしょうか。ましてや、政策理念のばらばらな集団でまとまっていけるかに、本来、疑問を持っているのです。
 そうした理由で私は、先の枝野氏などは好きになれません。弁護士出身の全ての政治家が、そうだと言っている分けでは無いのですが、ほんとに、理路整然と真実とは違う(嘘を)主張をする事が出来るのが、弁護士だと思っているからです。
 特に、菅内閣当時の枝野官房長官を長とする内閣官房は原子力災害の発生で、真実の情報を伏せると言う、決定的な間違いを起こしたと思っています。そのことは、以後の国民への保障負担をより大きなものにし、何より国民の不信感を増幅させた張本人の一人だと思うからです。現在、その責任を問う声が高まっていないのが不思議ですが、後々、必ず問題化するものと思っています。

2011年9月16日金曜日

月に一度の病院通い

  朝8時に家を出て、家内が月に一度受診する、天王寺のNTT西日本大阪病院に向かった。9時の予約との事で、いつもより30分以上早く自宅を出た。今日は阪神高速の池田線は随分混んでいて、予定の9時には着きそうに無い。車は流れに任せるしかしょうがなく、車のラジオに耳を傾けていると、何のニュースだったか、もうちょっと注意していれば、と思われる事故の報道を耳にした。
 家内とその話になり、最近、全てに「気配り」の無さを感じる出来事が多くなっている事に話が及んだ。大体、気配りが出来ない、自分本位、もっと言えば自分勝手、は子供や若い人の特徴の様にしばしば語られるが、最近若者や子供だけに当てはまる悪癖では無い事に気が付く様に成った。
 そもそも、子供や若者にその傾向が顕著に見られると指摘する事は、自分達親の世代の責任で、言わば昭和生まれが老齢者の域になり、日本の世の中全体の傾向に成って来ているのかもしれないと思うのです。
 しかし、今回のような、自然災害が起こると、昔に比べてボランティアで被災地支援に向かう人たちも増えたし、義援金なども随分の金額が寄せられている。
 しかし、こうした目的がはっきりしていて、自分の貢献を意識できる事柄には、人々の関心や気使いが認められるのですが、何気ない日常はと言うと、これは又、別の話で、そう成ってい無い事に気が付くのです。
 何気ない普通の日常生活で、以前なら、当然意識された気使いや気配りが、無意識の中で抜け落ちている事に気が付きませんか。
 暇な老人がと思われるかも知れませんが、昭和生まれの私達が老齢域に達し、自分が発する何気ない言葉や行動が無意識の内に他人を傷つけていたり、ちょっとした「気配り」の無さが、取り返しの付かない事故やトラブルに繋がる事が増えわしないかと心配になるのです。
 差し障りがあってはと、あえて一般的な事柄で、夫婦の会話を伝えましたが、私自身、思い返すと、これらの事に思い当たる行動や言葉使いが有るのに気が付かされるのです。
 予約の時間に20分ほど遅れて、病院の玄関に奥さんを降ろして、私とアンディーは残暑の街中で散歩を開始した。勝山3丁目の角に、とても、感じのいい喫茶店が有って、中を覗くと、抱っこして頂ければ、と入るのを許されて私とアンディーは外の暑さから一息入れる事が出来ました。

2011年9月15日木曜日

実はアレルギー体質

   ゴルフ疲れで昨日は、一日中体がだるく、昼寝もしたが夕方までダラダラと過してしまった。以前は、こんな事は無く、納得がいかないと、翌日早々に、練習に行ったものだが、この頃はそうは行かない。知らず知らずに、昔の自分の体力とは違っている事をしみじみ感じさせられる。
 家内に「お父さん、今日も暑かったからスコアー、悪かったんでしょう!」と慰められると、余計にしょんぼりする。
 階段を踏み外して、踊り場まで転んで怪我をしてから7年以上、人間ドック以外に病院に行った事が無い。しかし、その時の右膝の怪我で蜂窩織炎 と言って右足の皮下に菌が入り足が腫れ上がって、長い間抗生物質の点滴に通った。
 私は、これも私の体のアレルギー体質高進に影響しているのではないかと考えている。昨日のように一日中炎天下にいると、直射日光と汗が反応して日焼けと同時に発疹が出る。これが、あとでとてもかゆくてたまらない。
 抗アレルギー薬を飲んで、皮膚科で貰った軟膏をつけているが、暫く、落ち着くまでかゆみが残るのだ。
 4年後には定年と言った頃、逆流性食道炎ではないかと、阪大で胃カメラを飲んだら、親指ほどの立派な胃潰瘍ですと言われた。胃の中の写真を見せられると、なるほど、それが写真に映っている。その時の、阪大から来ていた産業医に胃潰瘍の治療薬を飲む事と、出来れば、ピロリ菌を退治する薬を飲みませんかと進めらた。
 丁度その頃、ピロリ菌の治療薬が保険適用になったとかで、私も承諾して、その薬の投与を受け入れた。3~4ヶ月で胃潰瘍が治癒し、同時に検査ではピロリ菌も見受けられませんとの報告を受けたのです。
 しかし、このピロリ菌を退治する薬が、私の体質を決定的に変えた第一の原因ではないかと疑っている。その後、それまで、花粉など全く反応した事の無い私が、翌年の春先、鼻水を出していたのです。さらに、追い討ちをかけるように、その後、夏には時計に反応して、金属部分の触れる腕がマッカに腫れ上がったのです。
 それ以降、時計も出来なくなりました。金属アレルギーと言うより、接触アレルギーといったほうが言い様で、柔らかな綿の素材などは大丈夫なのだが、化繊やプラスティク素材などにも反応するようになりました。
 医者に尋ねると、ピロリ菌治療薬との因果関係は認められませんとの答えが返ってきたが、それでも私はピロリ菌治療薬の原因説を疑っている。
 大体、私がゴルフをする時は、綿の白手袋を両手にして、その上から両手にゴルフ手袋をすると言った具合で、男性としては、物々しいスタイルなのです。
そうした、アレルギー対策も慣れましたが、60年以上生きてきて、体質の変化と言う経験をしているのです。これが、体調の変化にならないよう気を付けて行かなければと思う、この頃です。

2011年9月13日火曜日

残暑のパインレークGC

   今朝は、6時半にN君とM君が私のマンションの駐車場に来た。今月は、久しぶりにパインレークGCでの研修会の順番になっていた。いつも、N君が私を、迎えに来てくれるが、今日は、N君がそれに便乗して、私の所の来客用の駐車スペースに車を入れ、M君の車に乗り込んだ。宝塚の長尾山トンネルを通って下道で、西脇に抜ける道が、私達のお決まりのコースに成って来た。
 今日も、朝が早い事もあるが、三人で世間話をしながら走ると、1時間ほどで、目的地のパインレークGCに到着した。
 昨夜も、暑さで中々寝付けなかったが、朝から晴れの天気で、昨日同様残暑がぶり返したような天気だ。
 マスター室で練習場の玉を借りるコインを2つ貰って、50球ほど軽く肩慣らしをして、OUTからスタートした。
 来る時から、何とか平静に周ろうと密かに心にきめ、1番スタートに望んだが、やはり、第1打は、無常にも、右フェアウェーのサイドバンカーに捕まった。フェアウェーの右バンカーからは、打ち上げを見て140ヤードぐらいだが、第2打はトップ気味に出すだけと成った。それでも、フェアウェー真ん中で50ヤードの急な打ち上げは残るものの、比較的イージーと思った。所が、スリーオンの好機に、サンドウェッジのショットは、ラフをくぐって、エッジに届かず、その淵に止まってしまった。そこから、スリーパットが待っていて、結局、出だしの1番パー4を7打叩いてしまった。
 パインレークGCのOUTスタートは、出だしのスリーホールをいかに、無難に通過するかでその日が決まるとも言われている。
 次の、比較的易しい、パースリーで1オン4パットが続いた。アーアー、今日もと思ったが、3番ハンデキャップ1番の難所でまずまずのティーショット、セカンドの打ち降ろしを、アプローチウェッジであえて刻んだ。そこから第3打をピン下3メートルにつけて、ワンパットのパーが来た。同伴のN君はこのハンデキャップ1番で早々に、バーディーで上がる。
 2番の4パットで吹っ切れたのか、自分でも何とかパットの感触が戻ってきた。
相変わらず、ドライバーショットが好調で、後は、ショートアイアンの距離感とアプローチに掛かっていると感じた。午前中は何とか粘って45点で上がったが、昼からのINではこらえ切れなかった。暑さもあったが、まさに練習不足と体力不足で56点と崩れ、今日も、あと少しのところで100点を切る事は無かった。
 しかし、ドライバーの感触と、パターの感じは随所に手ごたえが感じられて、後はイージーミスを気をつければ、何とかスコアーに成るかな!と言う感触を得た事が
今日の収穫と言う事にしておこう。 

2011年9月12日月曜日

実家の庭の草花

 車検整備の部品手当てに2~3日掛かるとの事で、車が帰ってきた。それならと、日曜日は宇治の実家を訪ねる事にした。朝からどんどん気温が上がって、まるで盛夏のような天気だ。
 着いたのは、11時前だったが実家の庭先は日当たりが良く、暑さで居れないぐらいだった。いつも、お婆さんが時間つぶしにいじっている草花を写真に取るのだが、庭の奥に面白い花があった。
 花と言うより、4~5枚の葉が出ていて、その葉の中ほどまで、朱の赤い色が付いている。花と言うより、葉の中ほどまで朱色に染まった葉っぱ、といった感じだ。これが、庭の奥にたくさん伸びていて、お婆さんのお気に入りらしい。
 アンディーを連れて、実家の横の神社にお参りしたり、歩いて行ける距離のマーケットに家内と買出しに出かけたりで午前中を過した。
 昼からも気温が高く、私とアンディーは、エヤコンの入った居間で充分昼寝をして体を休めた。
 お婆さんは、娘と話をして時間を過すだけで良いらしい。家内の作る食事が楽しみで、普段、食が細くなっていると言いながらも、夕食のポテトコロッケを平らげ、クリームスープに舌ずつみを打っていた。
 涼しくなったら、義母の実家が有る京都府の和知町に有る母の実家の墓参りに連れて行くことを約束して、夕食後に実家を後にした。
 帰ってから、気になっていた庭の面白い花の名前を調べたが、何処にも載っていない。お婆さんも、花屋さんで買った庭に植える花の苗に、その種が付いてきて、いつの間にか育ったのだと言う。
 帰り際に、種の付いたその花を小さなビンにさして持たせてくれたので、大切にベランダで育てたいと思っている。
 

2011年9月10日土曜日

NY市場はジェットコースターか

   現役を離れてからも、新聞の経済欄には一応目を通しますが、それにしても内外の為替や証券市場の日々の変動が、大きすぎると感じています。2009年9月11日のNY同時テロ発生から10年、それ以降の世界の経済指標がとても大きく揺れているのです。
 3年前の9月、NY市場でリーマンショックが起こりました。それは、瞬く間に世界の金融市場を駆け巡り、中国のオリンピック終了後を心配していた世界経済は、肩透かしの状況でアメリカの金融市場と密接に繋がるEU経済が、大きく影響される事となったのです。アメリカ、欧州各国の必死の金融政策対応で、決定的な危機を凌いでは来ましたが、そのダメージは、ことのほか尾を引いており、欧州経済の懸念とアメリカ経済の鈍化傾向が、交互に共鳴し合って、為替特に債権、株式の市場のアップダウンを激しくさせているように感じるのです。
 特に、NY市場を眺めていると、まるでジェットコースターのように、一日置きに大幅な変動を繰り返したりしています。昨日のNY市場のダウ平均は、欧州経済の鈍化傾向を嫌気して、300ドル超も値を下げました。昔で有れば何が起こったのかと、うろたえる程の値幅の変動なのです。しかし、このような変動は、最近、日常茶飯事で、特に面白いのは、翌日の取引では決まって大きくジャンプする確率が高い事なのです。
 随分前から、それはリーマンショックよりずんぶん前からの事に成るのですが、有価証券取引に、高速のコンピューターが導入され、様々な証券のコンピューターによるプログラム売買が取り入れられました。瞬時に大量の銘柄が高速で売買され、一日の取引の傾向でさえ予測し得ない取引となっているのです。その要因の一つは、主に欧米で発達したデリバティブ取引や先物取引にあるのではないかと思っています。先物取引とコンピューターによる高速大量売買が引き起こす、このような、不測の変動が日々繰り返されて、現在の市場を形成しているように思うのです。時系列で見れば、日々のプログラム売買も、本来資本市場の適正な価格に修練すると思われるのですが、はたしてそうなっているかは、私には分りまん。この様な状況下では、個人投資家はとても弱い立場に立たされます。
 この欧米のデリバティブや先物主導の高速で大量プログラム売買が、日本の有価証券市場に大きな影響を及ぼしていて、日本の資本市場の形まで大きく変えてしまったように感じるのです。特にこの10年、様々な国際的な金融と経済の変化に、日本の資本市場が取り残され、どんどん、しぼんで行くのを実感しています。
 このことを振り返って考えると、日本の政治状況がずいぶん大きく影響していると思わずにはいられません。確かに、日本の保守政権の劣化が目に余る状況でしたが、元々、先に、我が国の官僚組織が保身化に向けて劣化していた所に、本来の金融、資本市場から大変遠い、政権運営に不慣れな左派系リベラル政権が、大きな期待と共に政権交代を果たしたのです。
 特にこの3年、世界の経済の激動の中、為替にしても、中国のように、したたかなこだわりを持って国益を堅持する姿勢が、日本政府や金融当局には見られませんでした。このことは、孤軍奮闘していた、日本の物造り中心の産業界を萎縮させ、本来世界に誇れる日本の経済、産業構造さえいびつな形に変形させた感じがします。この結果、経済停滞の中で、為替は大幅な円高となり、国内から雇用がどんどん奪われて行きました。円高のメリットは何処に行ってしまったのでしょうか。
 何と言っても、日本は民主主義の資本主義市場経済で世界に生き残ってきましたが、この先、日本経済が寄って立つ資本市場の劣化をそのままにして、世界経済の中で、日本経済の再構築が出来るのでしょうか。その様な事に、全く、思いを巡らさず、気付もしない未熟な政府が何時まで続くのかと、先行きが思いやらてなりません。
 

2011年9月9日金曜日

前原発言に思う

   朝刊に目を通すと、民主党:議員立法、政調独自で提出判断 政府との調整チーム廃止。と言う目次が目に付いた。おりしも、他の目次に、前原政調会長、米国で武器三原則の見直し発言とある。そこには、防衛大臣も寝耳に水の発言と出ているので、これも、政調会長個人の考えを、米国の公式の場で述べたものと思われる。
 そもそも、民主党政権が発足した当初から、鳩山首相の沖縄米軍基地県外移転発言に始まり、菅首相にいたっては、突然の消費税増税問題を皮切りに、どんどん、事前調整無しに自前の発言を口にすると言う不手際が問題となり、発足当初に、政権そのものの勢いを削いでしまった過去がある。
 民主党政権3人目の野田総理が誕生したが、未だに民主党は党全体の政権運営に意思の統一を欠くという重大な欠陥が見られる。政権党としての経験不足といえばそれまでになるが、政権党としての、とても基本的なまとまりが見られない事が、一向に改まる気配を見せないのだ。
 そもそも、民主党自体が、保守よ寄りの議員から元々社会主義を目指して活動してきた議員まで、あまりにも政治信条の統一を欠く寄せ集めの集団となっていて、その意思の不統一が、様々な矛盾を生じる元凶となっているのではないだろうか。
 そうした、政治信条の違う政治家達を無理やり寄せ集めて、自民党と言う保守政権の対極の党を作ろうとした所に、矛盾を生む原因があると思うのですが、
2大保守政党が政権を競う状況や、保守と純粋のリベラルの2大政党が交互に国民の新任を競うような成熟した政治状況ができていない所に、未だに日本の政治の屋台骨が定なら無い原因があるように思えて仕方が無い。
 当初の、記事の感想から外れたが、政治信条のずれた議員を寄せ集めて、意思の統一を図り、国政を司って行くというのは、誰が首相になっても、おいそれとは行かないのではないだろうか。ましてや、野田総理は、代表戦を競ったライバルに気を使うあまり、前原政調会長に党の政策立案で内閣を超える権限を与えてしまった様に見える。事実そうなっていると思われるが、これが内閣の国政運営上大きな制約と成らないかと懸念される。
 それと、夫々の所管大臣がものを言う時には、少なくとも閣内で意思の統一が図られている事柄以外については、個人の考えを野放図に言い放つのではなく、丁寧で、慎重なもの言いの配慮が欠かせないと思うのです。
 せっかくの新内閣、現下の非常時が続く国政に、何かを残すことなくマスコミの餌食になるような事の無い様気をつけてもらいたいものだ。

 

2011年9月8日木曜日

ポーチュラカこと松葉ボタン

  奈良や和歌山に大きな大雨の災害をもたらした台風12号が過ぎて、近畿も秋の涼しい空気に包まれた。今日は、久しぶりにアンディーを連れて、家内と川西市内まで徒歩で出かけた。行きは長い下り坂が続くので、3キロのアンディーを抱えている負荷を除けば、比較的楽な道のりになる。
 家内が用事を済ませる間、私とアンディーは阪急の駅周辺を歩いて、アンディーが疲れると、人間ウオッチングで家内を待った。
 駅周辺でも、所々に花壇がつくられていて、この時期、私も何度か写真に収めている可愛いポーチュラカの花を良く見かける。
 ピンク、レッド、イエロウ、オレンジそれにホワイトと色の取り合わせも、とても可愛らしい。ポーチュラカと言う花の名前は家内が教えてくれたが、もう一つ松葉ボタンと言う名前も持っているという。ガーデニングが盛んになって、洋名のラベルが付いたりしているが、元々、松葉ボタンと言う和名も持っていたのだ。
 夏を過ぎようとするこの季節の花は、百日紅やむくげの花も終わりに近づき、元気に咲いているのはハイビスカス等に移っている。背の低い葉鶏頭がフラワーパークでも見かけるようになったが、色とりどりのポーチュラカの可愛らしい花がやはり目に付く。先日の、台風明けに出かけた朝の散歩で、家内が公園に咲いているポーチュラカを、ほんの少し頂いて帰り、ベランダのプランターに刺しておいたものが、ピンクの花びらを開いた。もやしのように弱々しい茎に見えるが、生命力は思ったより強いのかもしれない。

2011年9月7日水曜日

十三駅中阪急そば

   今朝は、前もって連絡を入れていた茨木のヤナセに車を持っていった。9月に車検を受けなければならない。予定をみて見ると、今日から4日程が都合が良い。所が、随分前に、車検の連絡の葉書が来ていたのを、ほったらかしにしていた為、急な申し出では代車の用意は出来ないといわれた。
 ようやく、少し涼しい空気になって、気持ちの良い風が吹く快晴の空だ。昨日は、7月に逝った友人の49日の法要に出かけた為、アンディーは一日中留守番をさせられた。其の為か、今朝はどうしても付いていくというジェスチャーで、家内と私の足元にすがりつく。大体、出かける前はこんな風で、まるで子供のように大騒ぎになる。家内はシブシブ、アンディーを抱えて付いて来た。
 茨木のヤナセは大阪モノレールの駅のすぐ傍で、帰りはアンディーをゲージに入れて電車で帰ることに成った。モノレールの駅に上がると、すぐ右手が阪急の京都線で南茨木駅に繋がっていた。普段、電車を利用する事が無い私達夫婦にとって、その位置関係などほとんど頭の中に無い。
 切符売り場で路線を確認すると、阪急線なら梅田方面の十三駅で宝塚線に乗り換えれば、私の最寄駅の川西能勢口までそんなに時間はかからない。しかも、モノレールを利用して阪急線と連結している蛍が池経由で帰るより、乗車料金も安かった。本当は、娘のいる千里に立ち寄って、千里中央で時間をつぶして、娘の車で送ってもらう事を考えていたが、それも娘の都合で出来なくなった。
 久しぶりに、阪急電車に揺られて十三まで来て、宝塚線のホームに降りると、
懐かしい阪急そばの駅中の店が目に入った。
 現役時代、この十三駅で乗り換えて神戸と京都、夫々の勤め先に通っていた。
どちらも、三年程の年数だったが、勤めからの帰り、乗り換えの十三駅の阪急そばにはまっていた。当時、280円の立ち食いの天ぷらそばは、なんともレトロな味がして、そばやだしが、学生時代の学食を思い出す素朴な喉越しだった。ついつい、家に帰れば夕食が待っているのに立ち食いそばの暖簾をくぐっていたのだ。
 今日の自動販売機には、天ぷらそばは300円になっていた。電車を乗り継いで帰る事になって、思いがけず懐かしい味に出会う日になった。

2011年9月5日月曜日

台風に閉じ込められて

  この頃どうしてか、とても物臭になっていて、全ての行動が鈍っている感じがする。大体、同期のK君から突然電話があり、6月に大雨で直前に取りやめたゴルフコンペを11月にやる事に成ったと言う連絡が有ったあたりからの事だ。
 今年の夏のコンペは、元々私のメンバーコースのパインレークで開催する予定だった。所が、マンが悪く直前の大雨で急遽取り消に成った。クラブも快くキャンセル料も無く取り消しを了承してくれたので、私もクラブの担当者に謝って、事は円満に済んだ。
 所が、先日の電話では、何人かの同期が話し合ってパインレークは難しいので、いつも開催しているチェリーヒルズを11月に予約したとと言う突然の話だった。近くに出かけようとした矢先の連絡で、その場は生返事をして電話を切ったが、後から、私に事前の声掛けも無く、君のコースは「難しいのでいつものチェーリーにした」と言うくだりが、だんだん気持ちに引っかかって、幹事役のK君に電話を掛けなおして、コンペの再予約の経緯に強い不満を言ってしまった。
 普段、そんな事ぐらいで世話役の人間に気持ちをぶつける事など無かったのにと、後の祭りで、自分の中で後味の悪い思いが込み上げて、反省シキリと成った。
 家内にも、最近よく言われるのだが、話しかけてもろくすっぽ返事をしないし、急に怒り口調で何かを言って来ると指摘される。これは、頭か心の老化かもしれないと思っている。お父さんには、もう二度と話しかけないから、とその場はいつも怒っている家内も、自分の心の中や、頭で思いついたことを突然話題にしてくるものだから、不意を付かれたこちらは、すぐに反応できないだけなのだが。
 のろのろの、長台風でこの3日ほど家に閉じこもった。オーディオの裏に入り込んでラインケーブルの差し替えに時間を費やした。せっかく買い揃えて、満足していたメインのシナジスティック・リサーリのバランスケーブルを、たった1万9千円でネットで手に入れたカルダスのゴールデン・クロスに変えたとたん、暫くおさまっていた、電線病が頭を持ち上げた。
 それから、カルダスの誇るゴールデン・リファレンスの0.5mを、これもネットで格安に手に入れた。昔だったら、カルダスの1mのゴールデン・リファレンスが20万円台はする。ネットで仕入れたゴールデン・クロスなどRCAのプラグの中のピンがゆがんでいた。だが、その薄汚い中古の線を繋いだとたん、音がぎっしり詰まっていて、しかも余裕のある響きが伝わってきた。
 オーディオ・ケーブルなど経年の使い汚れはしょうがないが、機能は全く劣化していない事が分る。むしろ、使い込まれて良くなっているかも知れないと思った。
 おかげで、長年我が家で裏方を務めてくれた、シナジスティック・リサーチの嫁入り先が、この2~3日で次々に決まった。これも、大事に仕舞い込んでおけば、先々、ビンテージのケーブルとしての価値が出るのは分っているが、こちらも、そうは余裕が無いので、致し方ない。
 秋の入り口の長雨はアナログレコードとCDの聴き比べに丁度良い時間をくれたのかも知れない。ベランダの外の木々はたっぷり雨を含んで顔が洗われたようだ。

2011年9月1日木曜日

新代表選びに思う

  民主党の代表者選びを見ていて、私は、実はがっかりした。世間や、マスコミのネガティブキャンペーンにさらされ、検察審査会の強制起訴と言う不名誉を受けながらも、その政治家としての小沢のカリスマ性に、予てから心の底で期待する部分があったからです。過去から、壊しやの異名を取り、豪腕、辣腕との評価を集めてアンチ自民党政治の先頭に立ち、方法論は別にしても、現在の民主党政権を実現させたのは、彼の力に負う所が大であったと思っています。
 鳩山が行き詰まり、小沢を道連れに退陣したおかげで、政権交代で既に政治家として出来上がっていた菅に、思わぬお鉢が回ってきた。所が、最後と、手を上げたのは良いが、何の準備も無かった菅は党内のアンチ小沢のグループに担がれて、その政権のしょっぱなから脱小沢をスローガンにした政権浮揚を、目論んだと思われる。政権に付いて日の浅い民主党が、その当初から、党の内部分裂を主導するような党運営をしていて、民主党内閣が上手くいくはずが無いと思っていた。
 案の定、最初から、議論する事も無く、思いつくまま政策を口にするものだから、党も閣内もまとまりが付かなくなった頃に、最悪の状況で、東日本大震災が起こってしまった。その後は震災や原発事故対応の不手際を突かれて、菅がどんどん追い込まれた挙句に、あわや党内分裂かと思わせた不信任決議をかろうじてかわして、今回の政権交代後、三人目の代表選びとなったのです。
 それで、何にがっかりしたかと言うと、代表選挙で小沢が結論として、海江田の指示を決めた事なのです。三人目の代表選挙に及ぶこの期に、自分に擦り寄って来て、事後に影響を及ぼす事が出来ると目される候補に指示を決めた瞬間に、小沢と言う政治家に対する、かすかな期待が消し飛んだ気がした。
 様は、国や国民の事ではなく、石原都知事が言う「我欲」以外の何物でもないと言う事が、証明された瞬間でもあったと思うのです。
 それまで、どうせ政治資金規正法違反なんて、如何でも良いと、私は思っていた。政治家は、今までも、大なり小なり細かな法律を無視して、現在に至っており、現にアンチ小沢の菅や前原も外国籍の個人から、献金を受けていた事実は覆い隠すべくも無い事実だからかなのです。
 しかし、代表候補者の誰を指示したらよかったのかは分りませんが、自分の影響が及ぶと思われる候補者に、真っ先に、自身が率いる手勢を向けさせた時点で、小沢一郎の政治評価に終わりを告げたと思うのです。
 当初は、劣勢が噂されていた、松下政経塾出身の野田財務大臣が結果として小沢指示候補以外の票を一手に集めて逆転勝利することと成った。
 今、新代表は、党内融和を主眼に当初の政権を立ち上げようと頭をひねっている様子だが、小沢グループに配慮した人事配置も、所詮、次の衆議院選挙までの繋ぎであり、小沢の手勢も次の選挙迄と思って間違いないのではないかと思うのです。
 政治家が寄って立つ立ち居地は、大儀を抜きにして有り得ないと考えるのです。
国や国民をないがしろにして、自己顕示だけが表に出たのでは、この先、多くの人間を引き付けて行くことが出来るでしょうか。