2012年6月24日日曜日

与謝蕪村の俳句画から、、

今日の新聞に与謝蕪村の俳句絵が掲載されていた。美の美と言うコラムで、与謝蕪村 無限のポエジーとあった。そこに掲載されている蕪村の俳句絵は逸翁美術館蔵となっており、与謝蕪村が描いた奥の細道画巻の中に描かれているものや、これも、北村美術館蔵とある「鳶・鴉図」と言う重要文化財指定の紙本墨画淡彩二幅が乗せられていた。
私は、俳句については門外漢であるが、俳句に添えられている絵に興味を覚えた。それは、いずれも長閑かでユーモラスなタッチで絵が描かれていて、日本の昔からの絵の中に、現在の日本の漫画ブームのルーツがある様な気がしたからだ。                                     
私達は、昔、学校の教科書に出ていた「鳥獣人物戯画」について、日本の漫画のルーツを感じたものだが、与謝蕪村は江戸中期に俳人としての名声と共に、俳句画と言う世界を確率した人物と書かれていた。解説では、松尾芭蕉を敬いつつも、その模倣になる事を良しとしなかったとと言う。
その、与謝蕪村について少し調べて見ると、先ほどの俳句絵を所蔵している逸翁美術館と同じく、私が住んでいる地域のすぐ隣の市、池田市に関わる記事が目に付いた。
池田市には、「呉春」と言う地酒が有り、昔から通には好まれる有名な地酒と聞いている。この呉春というのは与謝蕪村の弟子の俳号で、昔、この池田の地を呉羽の里(くれはのさと)と呼んだ事から、称した名との事である。そこには、晩年の蕪村を、池田と京都を往復しながら最後まで支え続けた人だと記されていた。
意外な所に、与謝蕪村と近くの池田市の関わりが有る事を知る事が出来た。
池田市にある逸翁美術館は阪急電鉄や宝塚歌劇の創始者である、小林一三氏が創設した美術館で、私も一度訪れた事がある。そして、今の176号線の宝塚から川西を経て猪名川を渡ると池田市に入るが、手前の猪名川にかかる橋の名前は呉服橋(くれは橋)になっている。




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