2011年6月20日月曜日

「遠慮」

 二週間ほど前の事だったろうか、参議院の特別委員会で、自民党の林芳正議員が質問に立って、菅総理の言動が、あまりにもその場の思いつきでの発言が多く、思慮に欠けると追求していた。消費税やTPP、今回の国際会議での通産大臣も知らないソーラーパネルの設置推進の件など、etc。そこで、林芳正議員が質問の中に「遠慮」という言葉を使ってその本来の意味を例えに出していたが、その意味は、他人に対して控えめに振舞う事、言動を控えめにする事、やめる事、辞退する事として使われているが、本来の意味はと続けた。遠慮とは文字どうり遠くをおもんばかる事、先のことを良く考える事などの意味で、遠い将来のことを考えず、目先の事ばかり考えていると、近い将来心配事が起こるよ、いう意味ですと解説していた。
 「遠慮無ければ、近憂あり」の諺や「深慮遠謀」などの諺があるとの解説つきだ。
しかし、遠慮が無いのは、菅首相だけだろうか。昨日の、海江田通産大臣が、今停止中の原発稼動の安全宣言を行なっている事でも考えた。福島第一原発が全く終息の目処も立たない中、パホーマンスで浜岡原発の停止要請をしながら、他の原発の安全宣言は丁寧に根拠を示して説明されたのだろうかと。
 明らかに、政権や首相自身の人気取りを意識した行動と、矛盾する安全宣言ではないでしょうか。
 今、一番「遠慮」がないのは、国会議員ではないかとさえ思えるのです。自分達の都合や思惑だけの発言、行動が目に余るのです。
世の中が騒然としている時、私達は何処に拠り所を求めたらいいのでしょうか。この所、若い女性の結婚願望が上昇しつつある様ですが、身内にも新しい命が誕生しました。子供達の成長を頼みに、出きるだけ早く明るい世の中が戻ってくる事を願っています。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿