昨日は、このお盆の期間、昭和20年8月15日の終戦の日から67回目の終戦記念日を迎えました。私は、終戦の前の年の生まれですから、終戦の時の記憶は全く有りません。
私の戦後の記憶は、物心がついた5~6歳の頃からの物となりますので、日本の戦前の世相は、そのすべてが亡くなった両親の話で想像するのみでした。
その様に、私は戦後の教育を受けて育ったのですが、如何してか私の頭の中に、日本の現代史の記憶が希薄である事に気が付きます。
勿論、自分の成長の過程で、日本の大正時代以降の現代史について自ら興味を持って学んでいれば、もう少し当時の状況が理解されたと反省しています。
私が受けた一般的な戦後教育の中では、恥ずかしながら自分の不勉強もあって、欧米列国に後れを取るまいと、アジアの植民地支配を目指した戦前の政治状況について、とても薄っぺらで希薄な知識しか持ち合せていないのです。
そして、昨日の夜、NHKの「終戦」<どうしてもっと早く終われなかったのか>と言う終戦記念日のスペシャル番組を見ました。
其処では、日本の戦局が次第に行き詰まる中での、日本の戦争の遂行を統括する内閣や軍部の様子が描き出されていました。そこで、軍部自身が、それ以上の戦争遂行を不可能と自覚した後でも、結局、縦割りの官僚体制が究極の所で物事を決めきれず、天皇陛下に上奏する事すら躊躇って、いたずらに時間を過ごして行った事が指摘されていました。
終戦の仲介を不可侵条約を結んでいたソ連に打診する試みも、内部の意思統一を欠き、タイミングを逃した事が描かれていました。
日本の軍部が主戦派を遠ざけて終戦を模索し始めてから、連合国によって広島、長崎への原爆投下に至る迄の3か月間に、60万人の銃後の人命が奪われたと伝えています。
昭和20年3月10日の東京大空襲で10万人、沖縄戦で民間人を含む12万人、長崎、広島の原爆投下で合わせて21万人、その他にも多くの人命被害に繋がりました。
第二次世界大戦での日本の戦没者の合計は、外地に出兵した兵員の240万人、内地での民間人80万人の合わせて310万人に上ると言われています。
私達日本人の経験に省みて、戦争と言う人と人の殺戮が、いかに悲惨な結果をもたらすものかを、戦争を知らない世代にもっと知らしめなければならないと考える所以です。
過去の歴史の中で、日本の軍国主義体制と軍や政府の指導部が、日本を世界戦争の道に向かわせてしまいました。その結果が、上記の様な壊滅的な国土の荒廃と、人命被害に繋がってしまったのです。
番組に出演していた東京大学の姜尚中教授が、当時の決断を先送りする指導部の誤りを指摘して、それは今の日本の政治機構にも当てはまり、どうしても統治機構を変えなければ成らない、と言っていたのが印象的でした。
日本海の人も住めない小さな岩礁の島を巡って、自国民への狭量なナショナリズムを煽ることの愚かさを、政治家自身が自覚しなければなりません。国民相互が感情をコントロールできずに、国同しの対立に繋がる事の結果の重大性に、お互いが気付かねばなりません。
人々を対立へと導く愚かな政治家を、国民自体が選別する力を持たねばならないと思うのです。
日本は、過去の日本の悲惨な経験を、世界の戦争を知らない世代に、もっと知らしめる努力が求められるのでは無いでしょうか。
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