2011年8月29日月曜日

買い物のかたち

  孫娘の9歳の誕生祝いのリクエストで、奥さんとローラーシューズという物を買いに出かけた。それは、普通のクツを売る店には無く、電話で娘に確認すると、トイザラスと言うアメリカ系の玩具ショップで売っていると言う。
 その玩具やに行くと、だだっ広い売り場に、玩具が山の様に並んでいる。ところが、店員が見当たらないのだ。もう一度、入り口まで戻ると、そこにインホメーションが有って、店員らしき女性が二人いた。そこから、商品の陳列棚迄案内されて、ようやくお目当ての物を買い求める事が出来た。
 いかに、大規模のショップと言っても、商品は自分で探してください、と言うのでは私達シニヤには、くたびれてしょうがない。店舗販売も広いスペースを確保して多品種、大量販売が多くなっているが、やはり消費者にすればわざわざ店舗まで出向いて、商品を探さなければならないというのは、不便でしょうがない。
 ここでも、ネットでの購買が利便性で上回っていると思った。しかし、このネット販売になれていない人たちは、限られた地域で、少ない品揃えの中から、商品を選択しなければならない事になる。たぶん、若い世代を除くと、まだ多くの人がこうした昔ながらの購買行動を取っていると思うのだが、店舗販売とネット販売とでは、同一商品の販売価格が随分掛け離れていて、一度、それに慣れてしまうと、店舗で購入しようと言う意欲がそがれるのが事実だと思う。
 このほか、私達の購買行動で、訪問販売からの購入があるが、これには充分注意する必要がある。この前も、私のマンション管理組合に電子ブレーカーの売込みがあって、5~6年後には導入費用が償却出来て、月額の電機使用量の節約になります、とのふれこみだったが、その初期費用に50万弱の金額を提示された。この、電子ブレーカーの販売価格を確認しようと、さんざんネットで検索したが、如何いうわけかネットに出てこない。これは、胡散臭い営業だとピンと来た。
 一般的に、消費者にとってそんなにいい物ならば、地域の電力会社事態が販売していても良い様な商品だと思われる。大の大人が、一度は真剣に導入を検討するほど、巧みな説明と販売手法だったのだ。
 でも、私達が購入するものでも、価格だけが購入動機と言う訳ではないから買い物も難しい。生前、私の母などは、ほぼ毎日、夕方、おもむろに買い物に出かけて個人の商店からマーケットまで一通り回っては、馴染みの店で漬物や干物それに旬の安くなった野菜や魚などの買い物に出かけていた。おかげで、私達は腹を減らして母の帰りを待ったものだが、この様に、品物を手にとって眺め、思案しながらの日々の買い物が、今になって思えば、母の楽しみだったのかも知れないと思っている。

2011年8月28日日曜日

総理選び

 今、テレビをつけると自分の事でも無いのに、とても恥ずかしい思いをする。なぜかと言うと、民主党の代表者選びでその候補者5人が民放のテレビに雁首をそろえて出演し、司会者のあまりにも稚拙な問いかけに真顔で答えているからだ。卑しくも、与党の代表者選びは、日本の総理大臣を選出する選挙であり、いい加減な民放のチャンネルを借りなくとも、各都市で、討論開場を設けて実況させるくらいの手はずは取れ無いのだろうかと思うのです。
 どの局も、政治に関する解説者や論説委員をその質問に当てていると思うのだが、問いかけの内容がとても幼稚で、一国の総理大臣候補者に対する質問になっていない。又それに対して、真面目な顔で答えている方もほうで、日本の首相選びも軽くなったものだと、滑稽にさえ見える。
 かねてより、民放テレビの質の低下を感じていたが、その事が、当たり前のこととして、一般に受け入れられていると言うのも恐ろしい気がする。
国の政治が、稚拙な民放テレビ局のバラエティー番組の中に組み込まれているような気がするのは、考えすぎだろうか。私達は、勿論、日本の総理大臣を選ぶ手段を持ち合わせないのだが、選ばれる次の総理大臣が、如何いう人で、どんな考えを持った人かぐらいはもう少し知りたいものだ。
 面白おかしく軽い乗りで、国の総理選出の為のイベントを見ているのが、馬鹿なテレビ局だけであれば幸いなのだが、為替や物価と同じでそうした状況が長く続くと、それが当たり前の世界になってしまうから恐ろしい。
 地域の暮らしを含めて、国の方向やレベルについて、もっと私達一人一人が関心を持たなければ、ひょっとして、日本の形はゆがんで行くのかもしれないと思った。それで無くとも、地震で国土が、ずれたりちじんだりしている時なのだから。
 

2011年8月25日木曜日

闘龍灘をめざして

 昨日は、全行程150キロを車で走った。最近、京都の実家に行く以外、あまり遠出をしていなかったが、少し暑さもおさまり、老犬のアンディーも大丈夫だろうとドライブに出かけた。
 以前、西宮に住む友人から、中国道の滝野社ICの近くの景勝地、闘龍灘の事を聴いていた。彼の紹介は、闘龍灘の事ではなく、その近くにあって、とても美味しいと言うラーメン屋の事を教えてくれたのだが、私はその加古川の流域にあるという景勝地を一度見てみたいと思っていた。
 10時きっちりに、家を出て沿線の山本から裏山の長尾山トンネルを抜けて、三田方面に向かった。もうその時間で、ラジオは宝塚トンネル付近から7キロの渋滞を知らせていたが、いつもの裏道はとてもスムーズで、車の窓を開けて風を受けながら走った。
 三田にある、兵庫県立有馬富士公園を抜けて新三田駅を横目に、まずお母さんの機嫌取りを兼ねて、いつものアウトレットモールに立ち寄った。
ここで、奥さんがお目当ての店を何軒か回っている間、私とアンディーは、散歩しながら、人間ウオッティングをして時間を過した。こんな所に、福井や徳島ナンバーの車を見かけて、ずいぶん遠くから来るものだと感心する。
 前日の食事の残りの海苔巻きで昼食を済ませ、西に向かって出発した。三木を経由して小野から西脇方面に車を走らせる。この辺は、昔からゴルフで何度も来ているところで、ナビを見なくても大体の方向は頭の中にある。西に向かう延長線上には、姫路があるのだが、感を頼りに走っていると、播磨中央公園という大きな公園施設に出た。三田の県立有馬富士公園と並んで、兵庫中部の代表的な公園施設で、インターネットで見たことを思い出した。
 そこから、目的地の闘龍灘まではそれほど時間も掛からず行き着いた。
目的の、闘龍灘は水かさが引いて、川の中にゴロゴロと岩肌が見え、ちょっと変わった風景で、遠くから走ってきた割にはそれほどの感慨は受けなかった。
 少しは、秋の風を感じられるかと期待していたが、昼から気温がジリジリ上がって30度を越えた。せっかく、遠くまで来たので海のほうに出ようと、帰りは高砂から明石方面に海沿いを走って、第二神明、大蔵谷から自宅に向かった。
 家を出てから、7時間半、150キロのドライブだったが秋の風には、まだ少し早かった。
 


2011年8月23日火曜日

オークション

 この半年、随分身の回りの不要に成ったものをYahooオークションを利用して売りに出した。私のYahooオークションIDでは落札は出来るのだが、出品が出来ない。そこで、娘のIDを借りて商品の出品をしている。
 元々、Yahooオークションを利用しだしたのは、息子が同居していた頃、二人でゴルフの道具を物色していた頃からだ。その頃、息子は釣り道具を売りに出しては、ゴルフの用具を買っていた。私もそれにつられて、ゴルフのドライバーやアイアンを落札していた。ゴルフショップやメーカーの正価で買う事から考えると、新品で、大体65%が相場になっている。そんな訳でショップで品物を手にとって確かめ、納得がいくと、オークションにその品物が出ていないかを調べて購入する事にしている。面白いもので、欲しいもののほとんどが、オークションで手に入る時代だ。
 今年の初めから、昔使っていて、リコールでメーカーに買い戻されたコニカミノルタのデジカメがYahooのオークションで随分安く売られているのを、偶然見つけて
買戻しを掛けた。それと同時に、身の回りの使わなくなって、そのままほったらかしになっている物を売りに出してみると、私のように、物好きな人が多いのか、次から次に売れてしまう。勿論、何十万なんて品物は無いのだが、40年前のアナログカメラのアクセサリーやオルトフォンのオーディオケーブルなどは2万円近くで落札された。
 使う事が無く飾り物になっていた、それも35年前から持っていたサテンM-14というアナログプレーヤーのカートリッジも、たしか、1万5~6千円で買われてしまった。骨董品としての価値が付いたのかもしれない。
 反対に、昔、欲しくても手が出なかったオーディオケーブルで、今でも二十数万するケーブルを、二万円弱で手に入れた。勿論、経年で新品同様とは行かないが、オーディオのケーブルなどは、年月がたって機能が落ちる訳ではないので、新品でも中古品でも関係ない。とても良い買い物が出来た。
 今迄使った事が無くて、欲しかったケーブルが手に入って、今日は、その繋ぎなおしや入れ替えで、試聴に時間の立つのもわせ忘れていた。
そんな訳で、これからも、不要に成ったものを出品しては、欲しい物と入れ替えるという楽しみを、続けて行こうと思っている。
 

2011年8月22日月曜日

今年の夏

   蝉の鳴き声が近くの木から、遠くの山沿いに離れていくような気がした。急に秋めいてきて、車を出して買い物に付き合っても、車内の温度計は25度を差している。ここ暫くの暑さで、すっかり家の中で過ごす事が多くなっていた。孫達が来た時を除くと、必要以外に外出を控えていたからだ。
 それでも、この夏、子供達が2回泊まりに来てくれて、須磨の水族園にも付き合った。小学1年生の坊主とは蝉取りや、木屑の工作で触合う事が出来た。実家のお盆の法要で兄弟が集まったり、墓参りも済ませた。家内の実家には、大体2週間おきぐらいに、母の様子を見に行く事にしているが、この夏も、概ね元気で過せているので安心している。息子は、ちょこっと顔を出して、風のように帰っていっが、皆が元気で無事が何よりだ。
 今年の夏は、40年来の友人との別れも有った。その後の家族が落ち着いて過しているのいにも
はホッとしている。家族にしてみれば、長かった病気との戦いが終わった夏でも有ったのだ。来月の法事には夫婦でお参りに行く予定にしている。
 ベランダでは白のデユランタやブルームーンが花を付け始め、秋が来た事を示している。空もなんとなく秋の雲になってきたので、朝のウォーキングも再開しようと話している所だ。体にあまり負荷を掛けないように適度に動いていないと、いざと言う時に動けなく成るかもしれないと思うからだ。先日のゴルフでも、今迄ラウンド中に膝など痛くなったことが無かったのに、足に違和感を覚えると言う事は、家の中に座り込んでいたせいかもしれない。奥さんとも、秋を尋ねて少し動こうかと話している。
 

2011年8月20日土曜日

為替とガソリン価格

 昨日のゴルフ場へ向かう道は、高速道路を使わず下道を走った。特別急ぐ用事があるわけでもなく、下道を利用しても、朝早い時間であれば30分も余裕を見ていれば充分間に合うので、道路に料金を払わないようにしている。道路料金を払うくらいなら、その分ガソリンを買ったほうがましなような気がするからだ。
 それにしても、ガソリン価格が高止まりして、中々、下がらない。かねがね、どうなっているのかと訝しく思っていた所に、昨日、私を迎えに来てくれたN君と、そのガソリン価格の話になった。
 日本の円/ドル価格は、もう大分前になるが110~120円台の時でもリッター130円ソコソコで、現在150円程だ(レギュラーガソリン)。こちらは、詳細なデーターを持ち合わせないので、感覚だけで言っているのだが、その当時の原油相場は如何だったのだろうか。一時、WTIが100ドルを突破したと言うニュースを見たが、今は80ドルを割ったと言う。しかも、為替の円高で76円台が暫く続いている状況だ。
 何にしろ、相場価格と言うのは恐ろしいもので、暫くその水準が続くと、人の感覚はそれに慣れ親しむと言うか、その水準が当たり前の感覚になってしまうものだ。
為替にしても、その都度、粘り強く動きをけん制しないと、投機的な動きだけで押し込まれ、ズルズルと相場の位置を変えてしまうもものだと思っている。
 為替の円相場が95円ソコソコだったのは何時頃だったろうか、あれからでも20%も円高が進行している。その間、世界の原油相場はどうなっていたのだろうか。そんな事を、思うと、次から次に疑問が沸いてくる。たぶん私の感覚では、ここ暫く、原油相場は80~100ドルという強めの高止まりを続けていたように思うのです。円/ドルが120円台の時からすると為替は40%も円高が進行しているにもかかわらず、石油の輸入価格はそれに連動しているのだろうか。
 我々は国内で、主に9つ程の石油元売会社を利用してガソリンを購入しているが、その他、日本の大手商社がその輸入に関わっている。そして、それを今問題になっている通商産業省所管の資源エネルギー庁が関わっていると思われる。資源の安定供給と言う大義名分をもつこうした組織や、政府・通商産業省は国民の為に、石油の輸入価格に比例した適正な価格での供給を指導しているのだろうか。
 民主党政権は、当初、ガソリンの暫定税率の撤廃を公約に掲げ、その他の継続が危ぶまれた公約を押し立てて政権交代を果たしたものの、早い段階で石油価格の暫定税率部分の価格は、歳入の穴埋めの為にガソリン価格に転嫁されてしまった。それ以降も、政府や関係省庁が、その折々に、石油価格や元売の販売するガソリン価格に言及したのを聞いた事が無い。たぶん、それは霞ヶ関や関連業界で、それに言及する事はタブーなのかも知れない。何しろ、税収入の減少に苦しむ政府としては黙って取れる税項目に関しては、そっとして置きたいのが人情かもしれない。
 石油に関わらず、政府や通商産業省が関わる輸入物資に関する認可行政で関連業界との癒着が予想される事などは、問題にする事は無いのだろうか。
 このように、実際のデーターを伴わない素朴な疑問が、想像の域を出ない年寄りの弱い事と成れば、真に幸いな事となのだが。

2011年8月19日金曜日

8月の研修会

 今朝は、6時にN君が迎えに来てくれた。U君がメンバーの小野グランドカントリークラブ、オールドコースでの月例の研修会の日だ。天気が怪しかったが、相当曇っていている割りに、雨は降らなかった。8時21分、INスタートでコースに出た。
 ここの所、コースに出るのを控えているが、ドライバーショットの調子が良い。しかし、アイアンのセカンドショットが、ことごとくダフリ気味で、なかなか、パーオンとは行かない。そうこうする内、14番の150ヤードのパー3に来た。小野グランドのオールドコースを回るときは、いつもバックティーを使っており、ここのショートは150ヤードのやや打ち下ろしになる。打ち下ろしの為、他のメンバーは少し短めのアイアンをもっていたが、私は7番アイアンで確り振った。これが、この日のナイスショットでピン奥4~5メートルの下りのラインに付いた。ボールの後ろについて、カップを見たとき、なんとなくラインが見えたような気がした。3メートル先からスライスで下っていくと読んだ。ボールは思った通りに綺麗なラインを描いてカップに吸い込まれた。最近に無い、久しぶりのバーディーが取れた。スコア全体は、それを除くとちぐはぐなゴルフで、INは46点。昼からも、再三アプローチに失敗して、スコアーは気持ちと反対の方向に向かう。そのうち、左足の膝下の内側に痛みを感じるようになった。最近、普段のウォーキングをサボっているつけが顔を覗かせる。

 そして、今日のハプニングを目撃する事になった。最終前の、OUT,8番195ヤードの大きな打ち降ろしで、シングルのU君が2番目にティーショットを打った。
ところが、打球は大きくフックしてOBラインを飛び越した。ここまで2オーバーで来ていた、U君は、同伴者に打ち直しを申し出て、受け入れられた。その打ち直しを宣言した玉は、少しトップ気味に低く飛び出し、まっすぐにピンを目指した。打ち降ろしを計算しても180ヤード近い距離だ。ボールはピンの5~6メートル手前に着地して真っ直ぐピンを目指す。皆が固唾を呑んで目を凝らした先で、ボールはピンの根元で消えた。皆で打ち直しのホールインワンを目撃した瞬間だった。
 U君は折り返しのOUT38、トータル78点で上がった。N君も85点、登り調子のM君が86点、私がしんがりで94点と言う今日の結果だった。
心配された雨も降らず、日差しが抑えられた分だけ暑さはましだったが、やはり、体力不足を感じるゴルフだった。普段の体力造りに気を配らなくてはと、又反省する研修会になった。

後半の夏休み

  お盆明けが、又忙しかった。16日には、息子が顔をみせ、翌日には娘と孫二人を連れて、宇治のお婆さんを訪ねた。普段、中々、祖母の顔を見に行く事が出来ない娘が、孫を連れてお婆さんを訪ねたいというので、急遽、祖母のデイサービスの合間を縫っての訪問になった。お婆さんは大歓迎で、少しでも気に掛けてくれているのが、とても嬉しいらしい。その日も、外は暑く、クーラーを掛けて家の中で過したが、子供達は退屈もせず遊んでいた。
 祖母の所は日帰りで、今度は、そのまま私の所へ帰って、孫達はお泊りの予定だった。先日、私のところで作りかけた、小さな椅子に色を塗ると言うのだ。
そう言う事で、昨日、子供達が帰るまで、家の中はバタバタだ。
 家内は、孫達の為に、ベランダにシートを引いてペインティングの場所をしつらえたり、ケーキを焼いたり、食事の用意など、3人家族が増えただけで家の中はてんてこ舞いになる。
 朝起きると、下の坊主が、お爺ちゃん公園に蝉取りに行かない!と誘いを掛けてくる。孫達の、夏休み後半戦、千里の自宅に帰ると地域の夏祭りが待っていると言う。去年は、そんな事も無かったが、今年は下の男の子も小学生で、随分行動的になったものだと、その成長を感じた夏休みになった。
 

2011年8月15日月曜日

お盆の法要

 今日は、いつもの様に千里の下の妹の自宅に、兄弟全員が集合した。いつもの様に、お盆の法要が行なわれる日で、京都府の八幡に有る、臨済宗達磨堂円福寺から雲水が来てお経をあげてくれた。
 今日は若い僧侶で、初めてお目にかかる。今、円福寺には11人の修行僧が居り、日々、お勤めに励んでいるととの事だ。
全員に、お経の栞が渡り、般若心経や延命十句観音経、白隠禅師座禅和讃、締括りに四句誓願文を皆で唱えて、法要の読経を終えた。
 私の家では、先祖の位牌と両親の位牌を下の妹が守ってくれており、まず、新年の年賀、それにお盆の法要の時に、私の兄弟やその子供達が孫を伴って、お仏壇の有る妹の自宅に集まって来る。妹は、皆を迎える支度で、いつも大変なのだが、私の母が亡くなってから、ずっと続いている私達ファミリーの行事を引き受けてくれているのだ。
 今日の、お坊さんも、近頃はお盆の法要にこんなに家族が集まる事も珍しいですよ、と話していた。都会では、兄弟が勤めの関係や何かで全国に散らばると、
家族の行事の度に皆が集まると言う事は大変なのだろうと思われる。私どもは、幸いリタイヤした兄弟を始め、近隣に住まうものが多く、こうやって皆が集まれる事は幸いな事だ。勿論、こうして、亡くなった両親や祖先の位牌を守ってくれている、妹には兄弟皆が感謝している。
 今年は、新しく生を受けた赤ちゃんも参加して、満面の笑みを披露してくれた。
こうして、家族の絆が受け継がれていく事で、ささやかでも、幸せを感じる事が出来ると思っている。

2011年8月14日日曜日

後継選び

 菅首相の退任がほぼ決まり、マスコミの関心は後継問題に移っている。しかし、今候補に上がっているどの候補を見ても、我が国のリーダーである総理大臣としてふさわしいと思われる候補者がいないのは寂しい限りだ。民主党内に次の時代を担うに相応しいリーダーに成りえる人材がいるのだろうか。こんな調子では、民主党政権になってから3人目の首相も、世間から丸裸にされ、ぼろぼろになってその座を追われるのでは、と想像してしまう。かといって、野党のほうに適任者が居るかと言えば、それも又、首を傾げたくなる。ただ、その最中にいる候補達は、真面目に自分が日本の次のリーダーとして相応しいと思っているのだろうか。今の時代の政治家と言うか、世代の中心にいる人達に、決定的に欠けているのは、自己を見つめる謙虚さではないだろうか。自分を取り巻く何人かに担がれたからと言って、その気になるほど馬鹿げた人間はいないからだ。自分に能力が無く、誰かに頼らなければ身を立てられないような情け無い取り巻きに唆されて、自分の能力や本分を履き違えるから、すぐにぼろが出て、身包み裸にされて大恥をかくことになるのだと思うのです。世の中が、自己中心的で自負心だけが強い政治家を選んでしまったとも言えるかもしれない。それは、将来に対する確固たる信念や理想を持たない、多くの人間を国政の場に送り込んでしまった国民の責任でも有る。
 内閣の総辞職で首班が交代する事態では、その都度、総選挙を実施して新たに大勢を問い直す制度に改めたほうがいいような気もする。内閣が行き詰るたびに、選挙をしていたら費用だけでも、馬鹿に成らないと言うかもしれないが、一人の首相が二年ともたない日本の政治では、それくらいの覚悟で臨まなければ成らないのかも知れないと思ってしまう。様は、それくらい、日本の政党政治や議会制民主主義が壊れていて、大震災の復興とあわせて我が国の政治制度の改革が喫緊の課題に成っているとも言え無くも無い。今、考えても、次の首相や内閣が震災復興を充分成し遂げるほどの期間、政権を担う事が出来るかと言うと、又それも自信を持って断言できる状況ではないのです。
 この上は、政界再編はもとより、日本の議会の二院制や総理大臣の選出の有り方も含めて、抜本的な制度変更が検討されても良いのではないかと考えてしまいます。
 

2011年8月13日土曜日

四天王寺界隈

 昨日は、朝6時過ぎに目が覚めた。内の奥さんの、月に一度のNTT西日本病院受診の日で、この日はMRの検査を受けるとの事だ。アンディーを家に残して、8時前には家を出た。日中の暑さを考えると、老犬のアンディーの為には、家に置いておくほうがアンディーの為だと考えて、留守番をさせる事にした。
 阪神高速も、市内行きはとてもスムーズだったが、中国道あたりは、宝塚インターから下り35キロの渋滞が始まっていた。9時前には病院の駐車場に車を入れ、
奥さんがMRの検査室に入るのを見て、病院を出た。いつもここから、何もかも終わるのに2時間は掛かる。そこで、先月お祭りがあった五条宮を探そうと、玉造筋を勝山4丁目方面に歩き出した。今日は、アンディーを抱えての歩きではないので
足取りも快調だ。街路樹の日陰を伝って歩いていると、五条宮前と言う交差点に出た。そこが、先月お祭りがあった神社だった。もっと大きなお宮かと想像していたが、敷地がとてもこじんまりした神社だった。ただ、本殿の立派な構えと、青銅造りの狛犬の像が印象的で、横顔を写真に収めた。
 五条宮前に来た時、上本町沿いに長い日本造りの塀が目に付いた。ひょっとして、四天王寺さんかもしれないと、交差点を渡って、塀沿いに南に歩いて行くと、案の定、四天王寺の東の大門に出た。朱塗りの立派な大門だ。
 思いがけず、四天王寺さんの境内に入りお参りする事に成った。境内のあちらこちらで、お盆を迎える準備が始まっているようで、境内をお参りしながら一巡し、最後に本堂へお参りを済ませて四天王寺さんを後にした。
 もと来た東大門を出て、上町筋を北に向かって歩き、五条宮前の交差点を過ぎると、いっも北から南に向かい、上本町筋を天王寺区役所の方に入る夕陽丘ストリートがすぐ目の前に出て来た。この、上本町筋と玉造筋の間にある夕陽丘ストリートには、先ほどの天王寺区役所、名門大阪府立夕陽丘高校、それに天王寺警察病院、五条宮小学校などがあり、その先の玉造筋の角に、昔の大阪逓信病院(現在、NTT西日本大阪病院)があるという、チョッとした大阪の中心地の様相がある地域になっている。四天王寺さんは、聖徳太子が日本で始めて建立した寺と言うわけで、四天王寺は和宗総本山と言われるとの事で、なんとなく、すこし細い通りに入っても、落ち着いた佇まいが感じられる。最初の五条宮も、遠回りしたが、この夕陽丘ストリートに面した、天王寺区役所のすぐ裏の道を覗くと、石の鳥居が目に入った。
 病院に帰りついたら、玉造筋を歩き始めてから、汗をかいたが、丁度1時間とちょっとの朝のウォーキングで、四天王寺さんの境内を見学してお参りが出来たという、有意義な時間になった。

2011年8月12日金曜日

核の高レベル廃棄物

 連日の暑さで動きが取れない。自分ながら、こんなに怠惰だったかな、と反省している。そんな中、昨日の夜、NHKでフランスを中心に取材した原子力発電の現状を紹介するドキュメンタリィーを見た。そもそも、原子力発電で、今解決されていない最大の問題が原子力発電で出る核燃料のごみの問題だ。使用済み核燃料の最終的な処理について、有効な解決策が現状では見出されていない事が
クローズアップされている。我が国でも核燃料の再処理を行なう研究が行なわれているが、現状は、1%のプルトニュームと95%のウランに再生され、そこから、再処理のMOX燃料として取り出されるのは、わずか10%であり、残りは気の遠くなるような将来に掛けて、どこかに廃棄処分しなければならないのです。放射性物質の放射能が充分に減衰するまでの10万年先まで、こうした、放射性物質を含む廃棄物を管理していく事が、現実問題として可能なのだろうか。現状、フランスでは使用済み核燃料から注出されたウランをロシヤ、シベリヤの施設に受け入れてもらい、再処理を委託しているのが、現状らしいのです。
 地球温暖化の救世主として原子力発電を評価する考え方が言われて来ましたが、その裏で、地球上に増え続ける使用済みの核燃料の処理と言う問題を、これ以上容認していく事が、はたして人類にとって正しい行為なのかが問われます。
 フランスの場合でも、国の原子力政策を主導してきたのは、その研究や推進に当たってきた、原子力に対する高度の知識を有する高級技術官僚であっり、政治家は、そのほとんどが、専門的知識を有していないのが現状との事です。
 地球上で生活する人類の安全に関わる問題が、それに関わる一部の研究者や技術者、高級官僚によって、正確な情報が公開される事なく推し進められている事は、民主主義と言う観点から大きくかけ離れた状況だとの指摘がなされてた。
 日本で起きた大地震によって、たまたま日本で安全だとされてきた原子力発電所で事故が発生した。この事を契機に、世界は地球上で進行している原子力の平和利用としての発電事業が、決して地球規模の安全に繋がらないかもしれないという事を、皆で検証し、議論していかなければならないと思うのです。
 日本の場合でも、放射性物質がたとえ微量でも、放出され続けている現状で、
直ちに人の健康に影響する事は無いとする政府の見解は、実に国民を馬鹿にした発言だと思わざる負えない。米国などの放射性物質の人体えの影響のデーターは、広島、長崎の原子爆弾における人体えの影響を計ったデーターであり、チェルノブイリや今回の福島原発事故の様に、微量でもその地域に継続的に、出続けている放射性物質の影響を見極めたデーターは今の所無いのが現状との事です。
 一度、核物質の核分裂や、核燃料の冷温化をコントロールする事が出来なくなる事態が発生した時、その事故の終息の為には、とんでもないコストと、国民への危険がもたらされる可能性を考えた時、何とか後ろ向きでも後ずさりして、危機を回避する術を考えなければならないという思うのが普通の考え方ではないでしょうか。
 二酸化炭素の削減と言う観点からの原子力発電の評価も、使用済みの高レベル廃棄物の処理方法が確立されていない現状では、むしろその評価をリスクが大きく上回るといわざる負えません。
 豊かで、文化的な生活を勝ち得た先進国も、めざましい経済発展の途上国も
エネルギー問題は、その暮らし方や文明に関わる問題であるだけに、地域や個別国家の問題を超越した、初めての地球規模で差し迫った問題ととらえなければ成らないと思うのですが同でしょうか。

2011年8月8日月曜日

優しい政府

 成熟した民主主義国の政府は国民に弱く、とかく経済の合理性に反して甘い政策を採りがちで有る。財政危機と金融危機は未解決のまま共振し、今後も市場を揺るがすのだろう。、、、これは今日の日経の「核心」と言うコラムの書き出しで、日経のコラムニストの平田育夫氏が書いている文章の一部だが、そうなのかも知れないと思った。昔は、「西側の民主主義国家は」と言う言い回しが多く使われたが、今はソビエト連邦が崩壊してロシヤその他の民主主義国家が生まれた。お隣の中国にしても、共産党による社会主義国家の形態をとりながら、市場主義経済という自由主義に通じる国家運営を行なって、めざましい経済発展を遂げている。
 しかし、そのことで政治と経済のいびつな関係が、次第にクローズアップされててきていることは、皮肉な事でも有る。
 20世紀以降、民主主義国家の自由主義経済下では、ともすると政治が国民の顔色を伺って政策を掲げる事が多く、それが行き過ぎると、今度は国の形を壊してしまう方向に行きはしないかと心配になる。
 リーマン・ショック第二幕と題して平田育夫氏は、「優しい政府」があだに成るのではとしているが、日本の民主党による政権交代も、実現が危ぶまれたマニュフェストを掲げての政権奪取であった事が次第に明らかになってきた。
 民主党政権になってから、多くの点で政府保障が連発され、あたかも、国が私達の生活を全て保障してくれるかのような錯覚を覚えるのですが、それは、かつての社会主義的発想であり、全てを国民負担で賄おうとする考え方に通じるのでは無いでしょうか。民主主義国家の社会主義化とでもいえるかも知れませんが、多くの共産主義経済がたどって来た道を思い返すと、結論は見えていると思われます。
 先ほど、述べた中国やベトナムが社会主義体制を取りながら、自由主義経済化の道を辿っている事を考えると、なんとも、おかしな状況に見えて来るのです。

2011年8月7日日曜日

地域の七夕

  私は、今年地域の自治会役員をおおせつかった。役員と言っても、二人いる書記の内の一人で、会合の実際の書記は、もう一人の女性がほとんど引き受けてくれている。一昨日は、近くの公園で、この日曜日に催される、地域の七夕祭りの為の竹の切り出しに駆り出された。地域の七夕祭りは、三世代交流事業と言う名目で、自治会と老人会それに子供会主催と言う事になっている。
 今日は、5時から会長挨拶があって、夕方の七夕祭りの始まりだ。5時少し前に公園に顔を出すと、自治会役員の奥さんから、役員は3時半集合よ、といきなり怒られた。この歳に成ると、良く奥さん達に怒られる。
 公園には、夏休みの子供達や地域の主にお年寄りが集まってきた。ジュースや缶ビールなど冷たいものを安く提供、奥では、子ども会の若いママさんが焼き鳥やフランクフルトを焼いている。水槽ゲームと言って、プラスティックの金魚などをすくう水槽が二つ出ていて、そのうち、半分に割った竹の上を流す、流しソーメンがはじまり、小学生などの子供が歓声をあげだした。
 夕方で少し風が出て来て、暑さはましだが、蚊を追うのに忙しい。焼き鳥の煙が立ちこめ、流しそうめんに群がる子供達の歓声、そのうち始まったじゃんけん遊びなどで、場は結構盛り上がってきた。おじさん達は缶ビール片手に、串の焼き鳥をつまみながら、楽しそうな子供達を遠巻きに眺めて時間を過ごした。
 7時前には、子供達のスイカ割りが始まると、宝塚市長が顔を出す。事前には
挨拶のメッセージが届くとは、聞いていたが、本人が直接顔を見せるとは思っていなかった。夏休みの子供達には、間違いなく楽しんだ時間になったと思われる。

2011年8月5日金曜日

気持ちの良い音

  昨日、青森からオークションで落札した Synergistic Rrsearch Resolution Reference mkⅡ S/N466と言うオーディオのバランスケーブルが到着した。7~8年前であれば、このケーブルは2本ワンペアで16~17万するもので、現役の当時としても、サラリーマンの身としては購入するのに少し躊躇われた。このケーブルはAccuphaseのC-2400プリアンプとA-30パワーアンプとの間に使うつもりで落札したのだが、XLRのバランス接続仕用のケーブルだ。現在そこには、Synergistic Rrsearch kaleidscope Phase Ⅱ(XLR)インターコネクトと言う、一ランク下のケーブルが繋がれているが、このケーブルをCDプレーヤーのMeridian588とプリアンプの間に回すと、ラインの接続がバランス接続で繋がることになる。
 興味の無い人にとっては、だから同なんだ、と言う事かもしれないが、この趣味を続けているものにとっては、現有の器機のセットをそのままに、少しでも気持ちの良い音に近づけたいという、ささやかな試みなのです。
 早速、接続を変更して音だしを試みたが、音を出したとたんに低域のボリュームが格段に増え、全体のスケールが大きくなったように感じた。すぐプリアンプの出力ゲインを今までの24デシベルから真ん中の、18デシベルに変更して、同時にパワーアンプのゲインを-6デシベルの位置にして聞き込んで行くと、全体のバランスが取れて、出てくる音の密度がワンランク上がったように感じるのです。
 電気工学的な知識のない私にとって、未だに疑問なのは、このケーブルを変えることで出てくる音が、如何してこうも変わるのかと言う点なのです。今、アナログプレーヤーのフォノイコライザーとC-2400の間は、これもSynergistic Rrsearch Looking Glass Phase ⅡというRCAコネクターのアンバランスケーブルが入っていて、私の接続ケーブルは全て、Synergistic Rrsearch 社のケーブルで統一されている。パワーアンプ、プリアンプ、それにCDプレーヤーの電源もシナジスティック・リサーチの電源ケーブルが入っており、大阪のJR吹田駅に近い所にある、ヒノ・エンタープライズと言う輸入元の会社から、そのほとんどを入手したものです。当時は、まだ電機安全法と言う法律が施行されていなくて、この会社の製品が輸入規制を受けていなかった頃の事だ。
 このシナジスティックリサーチ社という会社は米国のカリホルニアにある新進気鋭のケーブルメーカーで、オーディオケーブルに電気でシールドを掛ける線を別に付けて、導体に影響を与えるノイズをキャンセルするという手法が認められて人気を呼んでいたメーカーなのです。
 今、ほんとに久しぶりに、小椋佳が1976年に出した「道草」というレコードアルバムを聴きながらこの書き込みをしているが、若かった35年前の頃が、目の前に浮かんでくるような懐かしい歌声が流れている。この時は、もうオーディオ機器やケーブルのことが頭の中から消えていて、その演奏や歌声に耳を傾ける時なのです。