私には妹が二人いて、二人は其々、吹田市の千里山と豊中市の千里中央に住んでおり、頻繁に行き来している。今日は私が千里中央の妹宅に寄ると言う事で、吹田に住む妹も私が行く時間に合わせて、千里中央にやって来た。
千里中央には、私達の両親の位牌が祭られており、盆と正月には兄弟姉妹にその子供たち、さらに其々の孫達を含めると総勢20数名が集まってくる。
今は、母と最期まで一緒に暮らしていた千里中央の妹宅が、私達ファミリーの集合拠点に成っているのです。弟家族も千里中央から一駅の近くに居を構えており、その弟の二人の息子達家族や、私の娘家族も北急行線の千里中央駅の徒歩圏に住んでいて、考えれば千里が私達ファミリーの縄張りと言っても過言ではありません。
こう言う私は、隣の兵庫県宝塚市に住んでいるのですが、それも阪神淡路大震災迄は、千里中央と言う名称のついた集合住宅の14階に住んでいました。阪神大震災で千里を離れたのですが、何かと言うとファミリーが多く住む千里に足が向くのです。
40年前に、この豊中市と吹田市にまたがる千里丘陵に、日本初となる公団の大規模団地が誕生して、団塊の世代の子供たちが育っていった後、一時、団地の高齢化が取りざたされ問題とされましたが、ここ最近になって、古い公団の建て替えが進み、さらに民間の新たな高層マンションなどが出来始めて、又、若い世帯の家族が戻って来ていると聞いています。
この千里地域を歩くと、確かに高層の集合住宅などが目を引くのですが、反面、大阪の中心部から遠くないこの地域はとても緑が多く、緑地としての公園も多く配置されています。
北大阪急行線で梅田まで30分、その梅田や大阪駅周辺の大々的な開発が進行していますし、大阪駅ビルと、そこに隣接する商業施設はすでにオープンしています。更に北側のJR貨物跡地開発の完成も近づいて、梅田界隈の景観も一変すると思われます。
私が現役でいた頃の社会情勢とは大きく違うはずだと思うのですが、そうした大規模な開発は新しい時代に継続されているのです。私達の子供や孫たちが暮らす千里と言うコミュニティーの変化と発展を期待しながら見て行きたいと思います。
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