2012年1月30日月曜日

アンディーの赤いセーター

  本格的な寒さがやってきた。冬の日差しは有っても、外の空気はとても冷たい。この寒さは、節分の頃にかけて強まると言う。朝の散歩には出ても、必要以外の外出は控えている。奥さんのマーケットの買い出しに付き合った時も、アンディーと私は、車から一歩も外に出ないで待っている。
3日ほど前に、奥さんがマーケットの2階に有る毛糸の店に立ち寄って、アンディーのツナギのセーターを編むと言って、5玉入ったバーゲンの赤い毛糸を買って来た。前から、何着か編んでいて、今はもっぱら茶色のストライプが、アンディーの外出着になっている。
以前いた、リズのセーターもあるのだが、アンディーは少し足が長くて、微妙にサイズが違っているようだ。
昔、お婆さんは編み物を人に教えるほどの腕前で、直接母親の指導を受けた分けでも無いと思うが、うちの奥さんも編み物が達者だ。昨年の暮れには、娘の孫二人にセイターを編んで、クリスマスのプレゼントにしたし、私の弟の息子に昨年生まれた初めての女の赤ちゃんにも、可愛い毛糸の産着を編んでやっていた。
このところ、私は、何か作ると言う事もなく過ごしていて、趣味的な制作になると、奥さんのほうが主になっている。この頃は、陶芸の作品も仕舞う場所に困るほど点数が増えてきていて、そろそろ、卒業かな、等と呟いている。
今日、編んでいたアンディーのツナギのセーターが編みあがった。上は赤い糸で、腰から下を、余っていた茶色の糸で編んでいて、着せてみると、とても可愛く出来上がったので、写真をアップする。お腹から両足の股にかけては空いていて、そのまま用を足せる様に編まれている。
陶器の写真は奥さんの最近作で、出来上がる度に写真を撮って、制作ノートに張り付けている。
奥さんの最近のセーターと陶器の制作になる。

2012年1月28日土曜日

「まさかの備え」

  朝起きると外は雪が降り出していた。朝から雪を見るのは、今年の冬初めてになる。
朝食をとっていると、テレビに山梨で強い地震があったことを伝えていた。富士五湖の周辺で、震源は河口湖あたりと言う。
東日本大震災以来、関東地域で大小の地震が続いているのが気に掛かる。先日も、富士山は活火山で、何時か又噴火すると言う話を聞いて、そんな事を想像すると大変な事になるのではと考えた。
去年3月の東日本大震災は、後にM9と修正されたが、それに相当する地震が平安時代前期の869年の貞観時代に記録されていた事を、今回の大地震で知ったばかりだ。
そして、富士山の過去の噴火の歴史をネットで覗いてみると、そこに、同じく貞観時代の噴火の文字があった。
富士山の過去の噴火史の中に、貞観864年の記述があって、それは記録にある貞観大地震と5年しか離れていない時期であったことが記されていた。この事は、日本近郊の地殻変動に何らかの関わりが有るのでは無いかと想像される。素人の勘繰りだが、ひょっとすると、少しは関係があるのかも知れない。
  気象庁では、富士山とは30キロの距離の隔たりがあり、その火山活動との関連は無いとしているが、今回の東北沖を震源とした、まさかの大地震が発生した事も、素人としては、人知の及ばない自然の働きが無きにしも有らずでは無いか、と考えてしまう。
むやみに、不安を煽ることは慎まれる事ではあるが、この所、公の発表や言っている事に懐疑的に成っているのも事実なのです。常々、情報のない一般人の信頼に答える情報発信が行われていたなら、無用な風評や心配は、起こらないと思います。
人々に良い事であれ悪い事であれ、正確で信頼のおける情報が、いかに大切かを、最近感じているのです。
それと、「まさかとか想定外とか」と言った油断は、つくづく禁物ですね。
私自身も、若い頃は何事に寄らず、ずいぶん物事に対する気配りや注意が不足していた事を感じますが、「まさかの」の備えの大切さを今回ほど思い知らされた出来事も無かったのでは無いでしょうか。

2012年1月27日金曜日

どじょうか蛭か

世間には、様々な問題について調べたり、研究している専門家と言われる人たちが大勢いる。その人達は、今の野田総理や民主党の執行部が言っている消費税増税や年金問題について、どう思っているのだろうか。
私は、かねてから、日本の危機的な財政事情を憂うる野田総理が不退転で消費税増税を訴えている問題は、今までの政府予算の支出構造をほとんど変更する事なく、しかも、税収増に繋がる様々な経済対策も何も行わない事を前提とした、問題定義ではないかと思うのですが、如何でしょうか。
なるほど、政権交代後、当初に政府予算の無駄を省くと言う取り組みが、民主党政府によって行われましたが、彼らが事前に予想していた程の削減結果に繋がらなかった事から、益々、財政赤字に歯止めをかける為には、手っ取り早く、欧米並みの消費税増税に頼るしか方法が無いと、思い詰めているのでは無いでしょうか。
しかも年明けの国会が開いた途端に、民主党がまとめた最低保障年金の支給の為には、17%の消費税額が必要になるとする、試算をしていたと言うのです。

私が以前から考える、政府の予算構造の抜本的な変革は、今の日本にとっては、革命的な政治転換と、捉えなければ成らないかも知れません。公務員の人員削減や人件費の引き下げは勿論、その為には、政治家自らが政治家の定員削減や歳費の削減と、お手盛りの政党助成金の縮減など、経費削減の努力を示さなければ成りません。
しかし、それよりも大きな予算の改変は、中央の各省庁にまたがる特別会計予算への切り込みではないでしょうか。今年も政府の2014年度、特別会計予算案は、3兆1000億に決まったと言う小さな記事を見ました。一般会計で税収減と恒常的な赤字予算を抱えながら、特別会計の改変は遅々としています。
すでに、既存の毎年の予算の中に組み込まれた行政組織や公的関連団体の、廃止も含む劇的な改変は、政府が国民に増税を強いる比では無い困難が伴う仕事になるものと思われます。
国家予算の抜本的な削減の取り組みや、国のデフレを克服して税収増に繋げる様々な規制緩和や景気対策を打ち出す事無く、一方通行で国民に消費税増税で負担をしいる事が政治家が今、唯一とるべき道なのでしょうか。
今後の日本を牽引し、リーダーシップを執れる政府や政党は、そうした真の改革を目指して取り組む政治家、政党ではないでしょうか。
 将来日本の展望も示さず、言わば、全てを国民に甘えた政策しか持ち合わせない未熟な政治家達に、国を任せ分けには行きません。
今後、現状を憂うる多くの人達が、もっと積極的に発言していかなければならないと思います。
私は幼い頃、畔道から裸足で田んぼに入ってドジョウやフナを手掴みして遊んだ覚えがありますが、ドジョウの首筋をグッと掴むと、キュと言う鳴き声を上げるのを聞いた気がします。それと、田んぼにはドジョウだけでは無く、人の血を吸う蛭もいるのです。
人の体にくっ付いて、知らぬ間に血を吸うのが蛭ですが、自らをドジョウの様にと例えた総理大臣は、本当は自分は蛭だと気づかずに、そう言ったのかも知れません。

2012年1月26日木曜日

中華のマーボ茄子

  何気なく、付いているテレビに目をやると、中華料理のマーボ茄子の料理を案内する番組がかかっていた。私は以前から茄が好きで、それも単純にスライスした茄を油をひいたフライパンでサッと焼き、ウースターソウスをかけて、ビールを飲みながら食べる簡単な食べ方が好きなのです。
もちろん夏などに、焼きナスを生姜醤油で食べるのも好きですが、このマーボ茄子の料理は今まで食べたことが無かった。テレビコマーシャルでレトルトのマーボ豆腐等が出ていますが、これも豚ミンチが使われています。
マーボ茄子は、豚ミンチを豆板醤とニンニクや醤油、酢、砂糖、ごま油で味付けして炒め、片栗粉でとろみを付け、適度な大きさに切って油で揚げた茄と合わせて出来上がります。茄によって、出来上がりの食感が違ってきますので、できるだけ新鮮な茄が良い様です。
奥さんが、普段あまり作った事が無い料理ですが、ネットで適当なレシピを出して、リクエストしました。出来上がりは、私が想像した通りとても美味しく出来て、私の好物料理が一つ増える事に成りました。
以前書きましたが、私は中華の担担麺も好物なのですが、豚のミンチを使っている点と、豆板醤や甜麺醤の味付けがマーボ茄子の料理と通じるものがあり、結局、そうした味付けが好きなのだと気が付きました。
  ダイエットの為には脂っこい料理は禁物ですが、現役時代の神戸の中華料理の屋台などの味がとても懐かしく、時々中華料理を食べたくなります。
奥さんが、タニタのダイエットの料理本を買ってきましたが、私の気まぐれな注文で、中々ダイエット料理の機会が取れないようです。
私が住んでいる近くに、中華料理の料理人で、関西のテレビで料理番組に出ている程一彦氏の料理教室があり、うちの奥さんは1年程そこに通ったことがありますが、私が記憶に残る様な中華料理を作ってもらったことがありません。最初のマーボ茄子の写真は、程さんの豆腐も入ったマーボ茄子です。
私は、医者から動脈硬化を指摘されていて、その治療を始めていますので、食事には出来るだけ気を付けて美食の誘惑に負けないよう頑張りたいと思っています。

2012年1月25日水曜日

「嘘と真実(ほんと)」

  政治家は信用できない! 特に国民向けに何かをアッピールする場合の彼らは、意識的に事の本質を隠そうとする意識が働くのでは無いかと思わざる終えない。
去年の大震災のあと、深刻な原子力事故が発生して、当座の対応に追われていた菅内閣が、その最中の原子力災害委員会の会合の議事録を、取っていなかったとする問題だ。災害への対策に追われて議事録を取る暇がなかったとする言い訳は通用するのだろうか。さらに大震災の災害対策本部の会合の議事録も作成されていなかった事が、その後、明らかになるにつけては、当時の政府の対応振りがとても訝しく感じられるのです。ひょっとして、それは自らの政府の不手際を隠ぺいする為の、誰かの指示による故意ではなかったのか?と勘繰りたくなる出来事で、まさにノンフィクション映画さながらです。
内閣や政府関係の議事録は、それを取る事が法律で定められているにも関わらず、そのような事に疎い民間や素人の集団では無い国の中枢にいる官僚や政治家が、災害対策に関わる会合の議事録を、どさくさに紛れて失念したという言い訳は、にわかに信用することは出来ない。
菅内閣では、当時の原子力委員会の近藤俊介委員長が提出した「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」と言う書類が、首都圏を含む致命的な想定で、国民にとても開示出来ないとして、無かった物として封印されたことが最近になって明らかになっています。
  当時の菅首相や官房長官を務めていた枝野幸雄現通産相達が災害の深刻さに狼狽えて、国民への開示義務を故意に伏せてしまったのでは無いだろうかと言う、疑念が益々大きくなっています。
この事は、原子力事故によるその後の放射性物質の広範な汚染状況の確認にも関わって来る問題で、その事を国民に対して正確に情報発信していなかった事で、放射性物質に汚染された稲わらを与えられた肉牛の放射能汚染や、最近では放射性物質に汚染された砂利が、東北地方の広範な地域の建設現場ですでに使用されていると言った問題につながっていると考えられます。
さらに、現在の野田首相は、早々に、福島第一原子力発電所の事故が冷温停止状態になったとして、あたかも事故が終息したかの様な記者会見をしているのです。
この件も野田首相は、政府として原子力事故の問題を政権の第一命題としてあまり長く引っ張りたく無いと言う意志の表れだと捉える事が出来ます。要は、原発事故については、東京電力による事故実態と捉え、可能な限り国民的な問題から切り離そうとしているのではないかとさえ思えるのです。
この様な経過から、野田首相は震災対策の第2、弟3の補正予算が通ったことで、復興や原発事故の対応そのものを、対策本部に丸投げして、消費税増税に全力投球と言った具合なのです。
この様に、政府の情報開示について疑念を抱いているのは、私だけではないと思うのです。国政に携わる政治家が全部が全部とは言わないまでも、より責任のある立場に立った者ほど、肝心な時に肝心なことを隠してしまいがちです。たぶん、増税や社会保障の一体改革の問題にしても、その中身や将来に対する思惑等、自らに降りかかる政局も作用して、国民に対して正確な事実を開示しているかどうか疑わしいと思っています。自ら知り得る情報のほとんどを口にしていない可能性が伺えます。
国民に対して、真に誠実な情報開示に努めていれば、後になって当時の誤魔化しや不手際を謗られる事はありません。必ず、後になって「嘘と真実(ほんと)」は明らかになるのです。



2012年1月24日火曜日

動物霊園と清荒神最澄寺

晴れ間が覗いた午前中に、今年になって初めて、5年前に亡くなったリズの墓参りに行った。そこは、宝塚動物霊園と言って、176号線の宝塚大劇場前の交差点を山側にしばらく上がった行った所にある。坂道を車で登って行って中国道のガードの下をくぐると突き当りになり、左に曲がった先を山の方に上がった所が動物霊園で、右に曲がって道なりに進むと、その先には清荒神最澄寺がある。
この清荒神最澄寺には、年明け、関西の広い地域からお参りの人が詰めかけ、とても賑わうお寺なのです。亡くなった母は、生前、毎年年初にこのお寺にお参りに来ていました。私達も、たまたまこの近くに住むようになって、ここにお参りに来るようになったのです。
年が明けると、父の正月命日の22日に合わせて寝屋川市の三井にある両親の墓参りに行くのですが、その際も、すぐ近くの成田山に立ち寄ってお参りする事にしています。リズの墓参りと清荒神のお参りも、いつもセットになっていているのです。今年も、年明けの最後に清荒神にお参りして、私達夫婦の、年初に古いお札を返して新しいお札を頂き、今年の家族の健康と無事を祈願する年明けの行事が終るのです。
この日は、天気が全国的に寒くなるとて伝えていたが、そうとう高台に位置する動物霊園でも、特に寒さを感じなかった。
毎年、母がしていたように清荒神で台所のお札をもらって、この日は沿道の屋台のたい焼きを食べながら山を下りましたが、阪急の清荒神駅まで参道を歩くと色々なものが売られていて、銀杏や金柑などを買って帰ったりするのです。
年明けの早々には交通規制で、清荒神の駐車場まで行く事が出来ません。それで、毎年のお参りが、月中を過ぎてしまうのです。奥さんとは、毎年、リズの墓参りの「ついで参り」で、ご利益も有るか如何か?、と話ながら、我が家の年初の行事を終えました。

2012年1月22日日曜日

子供の放射能被爆

本当にこんな総理大臣や政府を頂いている日本は大丈夫なのかと考えてしまう。原子力事故直下の福島県が、県の子供の医療費を無料化にする様にとの知事の要請に対して、最初は十分検討するとしながら、医療費がかさむのではないか、それに対応する医師不足が問題になるのではないか、更に、他府県との公平性が問題になるのではないか等と言う理由を挙げ面って、無料化の要請に対して実施を断念する結論を固めたと言うのです。
無料化の実施には、100億円の費用が見込まれるとの事ですが、日本の将来の社会保障を支える為にと、ごり押しとも取れる大幅な消費税増税を唱えながら、原発事故で広範な地域の子供の放射能被爆が懸念される被災県でのささやかな要請を断念すると言う判断は、如何いう政治感覚なのかと驚かざる終え無いのです。ほとんど、国家運営の判断や経験に乏しい総理大臣と、誰が見ても軽薄に見える財務大臣コンビが、バックの財務官僚に支えられて、この難しい日本の内政状況を取り仕切ろうとしてしているのです。国民に対する適切な政策の取捨選択の判断に問題は無いのでしょうか。
東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故から、10か月も過ぎていると言うのに、事故後、原発から放出され続けた放射性物質の政府の除染の取り組みは、民間の除染業者の入札が始まったばかりだと言う対応の遅さです。この間にも建設用の石から高濃度の放射性反応が見つかり問題化しています。政府の原子力事故由来の放射性物質に対する対応が、事故当初からはなはだ稀薄に感じられてなりません。
原発事故発生以来、民主党政府は国民に対する適切な情報開示を故意に伏せてきた流れがあると思うのです。最近になって、文部科学省がSPEEDI(放射能影響予測調査システム)の情報を、国民に開示する事なく、外務省が国内の米軍と米国政府に対して、事故発生後一早く情報提供していた事実が明るみに出ましたが、この件についても政府の釈明も聞かれず、どうしてかマスコミも大きな問題として追求していません。
政府の官房長官として当時の状況を全て知り得る立場にあった枝野幸雄氏が、現在も通産相として、ストレステストで休止中の原発再稼働の問題を所管していて大丈夫なのかと危惧されるのです。
彼の発言や答弁を聞いていると、政府にとって都合の悪い事や公にしたく無い事を、弁護士らしく言葉巧みにカモフラージュする術に長けている、典型的な口先男のイメージが付きまとうのです。
事故からまだ一年もたたない中、風評被害を恐れると言う理由からか、食品に対する放射能問題も徐々にトーンダウンしています。放射性物質がより多く降り注いだ福島第一原発周辺県の子供達の健康調査と経過観察だけは、今後疎かにしてはならない大切な問題ではないでしょうか。

2012年1月19日木曜日

世界のイーストマン・コダック

   夕方前、フイルムのメーカーでは、世界のトップでアメリカの名門企業であるイーストマン・コダック社が、米国の連邦地方裁判所に連邦破産法第11条(日本の民事再生法に相当)の申請を行った、と言うニュースが入ってきた。一週間か十日ほど前でしょうか、今年になってからNY証券取引所でコダックの株価が1ドルを割り込み、このままでは上場廃止に成るかも知れないとの新聞記事を目にしたばかりでしたが、私の感覚からすると米国のあの映像界の巨人が倒れたと言うのは、やはり一つの驚きでした。
裁判所の監督下で事業は続けながら、保有する特許などを売却して負債の処理に当たるとの事です。創業130年を数える米国の名門企業の破産法申請は、アナログからデジタルへの世界の潮流を見誤った、典型的な例ではないでしょうか。世界で初めてデジタルカメラを発表しながら、フイルム事業に拘って、映像事業のデジタル化の切り替えに後れを取ってしまった。
  フイルム事業では、世界第2位の日本の富士フィルムは、国内の生え抜きのカメラメーカーに一歩も引けを取ることなく、最近でもデジタルカメラ部門で意欲的な新製品を世界に発信し続けています。昼間に、テレビのコマーシャルを見ていると、女性の化粧品等を手掛けているのを見掛けた事があります。
国内でも、企業の新陳代謝はめまぐるしく、私が、個人的に愛用しているコニカミノルタカメラのコニカの前身は、サクラカラーのブランドで写真フイルム事業を展開していた小西六写真工業と、大阪のカメラ専業メーカ、ミノルタカメラが合併してコニカミノルタと成り、その後フイルム事業とカメラ事業から完全に撤退してしまうと言う経緯を歩んでいます。
映像事業と言っても、日本でカメラ事業を展開している大手のキャノンやニコンにしても、勿論デジタルカメラの製造で勝ち残って来た企業ではありますが、元々のカメラ事業だけでは企業を発展拡大させる事が出来ず、個人用のプリンターや事務用プリンターを初めとして、様々なデジタル製品に事業を多角化し、ニコンに至ってはコンピューター用の半導体製造装置などの映像事業以外が四割に及ぶ事業の多角化で、国内だけでなく、世界の企業として生き残って来たのです。
私も、フイルムカメラを手にする事がほとんど無くなりました。以前持っていたCANONのEOS3と言うフイルム一眼レフカメラは近くのキタムラカメラで売ってしまいましたが、奥さん用のCONTAX T2 と言うコンパクトカメラの名器は、まだ机の中に大切に仕舞い込んでいます。たまには、贅沢をして、フイルムカメラを片手に歩いてみようかと思った次第です。

2012年1月18日水曜日

債務残高と財政改革

  財務省のホームページを覗くと、軽やかなBJMが流れ、日本の公債残高が増え続けており、先進国中で最悪の水準に達している事を伝える優しい女性の声が聞こえてくる。23年度末の公債残高は668兆円に成る事が見込まれており、これは税収の16年分に相当して、将来世代に大きな負担を残すことに成るとの音声が聞こえて来るのです。
しかも、国際比較で、しばしば問題にされている日本の国債、借入金並びに長期の政府保障債務残高の合計は、刻一刻増えつ続けており、財務省資料の23年9月末の残高では954兆円を超えて、現在もリアルタイムに増え続けている様なのです。
それは、先にも書きました国の一般会計予算で、ここもと、国税の上りが40兆円ほどしか無く、その他を工夫してかき集めても歳入は50兆円そこそこにしか成りません。それに対して歳出は必要額を足しこんで行くと、90兆円を超えてしまいますので、どうしても、足らずの40兆円強は、更なる赤字国債によって賄わざる終えなくなるのです。財務省のホームページの呼びかけは、財務省自ら日本財政の財政危機を内外に発信し続けています。
こうした、日本の財政の現状にも関わらず、直近でも、日本国債に国際的な資金が流れ込み、日本国債の値上がりとそれによる利回り低下を見せているののは、如何してなのでしょうか。
欧州のユーロ参加国での財務不安が増幅しており、フランス国債をはじめ9か国の国債格付けが、一斉に引き下げられ、加えて欧州金融安定化基金の格付けまで引き下げられた事は、今後の欧州の債務国問題の対応に、大きな痛手となっているのです。
米国も、今年は大統領選挙の年で、自国の景気の維持拡大に神経を集中させているのが現状で、ユーロの動揺を横目に、ドルレートの相対的な定位安定を模索するのが精いっぱいの状況です。
こうした、世界の金融情勢の中で、比較安定通貨と見なされる円は、引き続き円高状況の緩むことは有りません。この事は、今年も日本の産業界に大きな重しとなり、ひいては国の更なる税収減に繋がって行くと思われるのです。
日本の財政悪化を憂うるメディアと守旧の有識者の多くは、日本の円高のメカニズムと相対的に選考される日本国債を見て、その理由として、日本の対外債権が3兆円にも及ぶ経常黒字を保有している事、及び、欧米各国と比べて低位にある消費税率が、今後の引き上げ余地を大きく残している事を上げるのです。
しかし、財政の悪化に歯止めをかけ、財政を健全化する手段としての抜本的な歳出構造の改革や、政府予算の歳出削減努力に至っては、鼻から、その余地が少ないとしている点が共通している様に思われます。様は、既得の権益を手放すことなく、大人しい一般国民に負担のを強いる事を主張するのです。
硬直化している日本の歳出構造を切り崩して行く事は、言葉で言うほど簡単では無い事は誰の目にも明らかです。しかし、日本の将来の破たんが確実に予想されるほどの危機的状況であれば、増税も手段として否定しませんが、政治は日本社会が1945年に戻るに等しい覚悟を示して、国政運営の転換を訴えてこそ、真に国民の理解と信任を得るのでは無いでしょうか。
困難を伴う本質的な転換を目指さず、在任中の小さな巧妙の為に、実現したとしても何れは行き詰る政策を、ごり押しすることで国民の支持は得られるとは思いません。ローカルとしての大阪で、若い政治家が支持を得ている現象は、過去からの体制や構造を抜本的に変換していこうという主張が、地域の賛同を得ている結果では無いでしょうか。
既得権にしがみ付き、自己保全にのみ汲々とする官僚国家的社会は、何れ身動きが取れなくなる可能性があります。政治が動かなければ、政治は一般国民から、何れ完全に見放される事に成ると思うのです。

2012年1月16日月曜日

消費税増税と財政の闇

ネバー、ネバーネバー、ネバー、ギブアップ。メタボのドジョウが呟いた。菅内閣を引き継いだ野田首相は自己の政治生命を掛けるとばかりに、消費税の増税に意欲を燃やしています。今や、日本の財政が、とんでもない事になっていると言うのは内外で周知の事実なのですが、政治家が決して明らかにしようとしない日本の財政の歳出構造について、このままで行くとしたら、ちょっとやそっとの増税では将来を担保することなど絶対出来ない事を、承知した上での主張なのだと思うのです。
平成16年の事になるのですが、参議院の総務委員会の場で元民主党の松岡満寿男と言う元参議院議員が質問に立って、国、地方の公務員の人件費が60兆円になっていて、現在70数兆円しかない税収では国の経営は成り立たないと、発言しました。この時から、日本の公務員数は正規の公務員のほかに準公務員とか臨時の職員とか国地方の税金で賄われる公務員数が議論されましたが、その総務委員会での政府側の答弁で、もろもろ合わせた国所管の公務員数は、160万人との説明をしているのです。

野田首相は、この消費税増税を主眼とした税と社会保障の一体改革を打ち出して、今回その為に、内閣改造を行い、合わせて国会議員の定数削減や公務員人件費の削減に取り組む決意を表明しています。しかし、国会議員の定数削減や歳費の見直しも大切ですが、戦後日本の社会を世界第二の経済大国に押し上げた、国の運営の制度と財政の歳出構造を、抜本的に見直さなければ、小手先で消費税増税に漕ぎ付けても、早晩行き詰まる事になるのは明らかだと思うのです。
先の、松岡元参議院議員の主張は別にして、去年、2011年の財務省資料によりますと、国家公務員の人員は56.4万人(行政機関30.2万、自衛官他特別機関26.1万)その人件費は5.2兆円。地方公務員の人員は285.5万人(一般行政95.5万、公立学校教員107.6万、警察消防他公営企業82.4万)その人件費は27.8兆円との事です。以上から、国地方の税金で賄われている公務員の総数は342万で、財務省の資料を信用するとすれば、その人件費は合わせて総額33兆円と言う事になります。 
ちなみに、総務省が発表している昨年の資料によりますと、2011年、平成23年度予算の地方財政計画額から、国の税収が約41.7兆円、地方税収の合計が約35兆円と成っています。そうしますと、国、地方の税収合計は76.7兆円と言う事になります。ここで、単純に見ると、国、地方の税収合計額76.7兆円の43%もの税金が全国の公務員人件費に充てられているに等しく見えるのです。これは、国民が享受する、国、地方の行政サービスの経費として容認される金額なのでしょうか。
ここで、日本のここ10年の国の一般会計予算歳出を比較した単純な資料を見付けたのですが、世界的にリーマンショックが発生した2008年の麻生政権時を別にして、2001年~2008年度の小泉、安倍、福田政権の一般会計の平均歳出額は83.6兆円になっていて、一方2010年~2012年度の鳩山、菅、野田政権は平均94.3兆円となっています。その差は、実に10.7兆円の実質財政悪化と成っている事が分かります。
そして、その期間の国債発行額の単純比較を見てみますと、2001年~2008年度の小泉、安倍、福田政権の平均発行額は31.6兆円で、一方、2010年~2012年度の鳩山、菅、野田政権は44.4兆円と12.8兆円も自民党時代よりも増えていて、歳出額の単純差額よりもさらに増えていることが分かります。
お金に色はついていませんから、財務省が発表している国、地方の公務員人件費の総額が33兆円である事を信用すると、自民党政権下の小泉~福田首相当時でも、2011年度の国、地方の公務員人件費の33兆円は、その当時の毎年の国債発行額を上回っている事に成ります。もうこれは、他人事のようにギリシャの噂をしている場合では無いことは明らかです。
しかも、経済産業省所管である原子力安全基盤機構の様な、何の国民の役にも立たない独立行政法人に国の税金をつぎ込んで、寄生虫の様な天下り役人を飼っているなどは、腐った官僚機構の典型であり、野田首相は消費税増税前に、まずそうした仕組みを根本から作り変える事に、意欲を燃やせないものかと考えるのです。
もちろん国による、教育や治安、防衛等の一定の行政規模や、年金、医療、介護の社会福祉のセイフティーネットの確保は、国の運営上必要不可欠である事を重々承知したうえで、国、地方の行政機構の時代に合わせた抜本的な見直しと、合理化を断行しなければ、増え続ける国債残高に歯止めをかける事など、到底無理な話だと考えるのです。
小泉自民党時代に国債発行残高の30兆円に拘った取り組みを思い出しますが、今や思い出に浸っている暇はありません。
日本の戦後の復興と経済成長は、資産バブルの崩壊で、1990年ごろを境として下降局面を迎え、思わぬ長期低落で今日の低成長時代に至っています。
公的機関も戦後の高度成長の時代に民間に並ぶ処遇を勝ち取ってきました。たゆまぬ努力で、自らの所得環境の改善に取り組んだ結果、日本には公務員天国という言葉が生まれたのです。
 公的機構では、経済成長のピークアウトで日本経済全体と民間企業の業績が下がり続けても、一旦勝ち取った権利や処遇をたやすく手放す事はありません。しかも、日本の政治を主導してきた政治家の多くが、国の官僚や公務員出身の地方議員とその世襲議員で占められていました、このことが、国、地方の公務員組織の静かな自己増殖を許す事に成ったのでは無いでしょうか。
今回見た日本財政の一般会計では、私の様な素人でも数字上の比較や推論をする事が出来るのですが、225兆円と言われる特別会計の中でうごめく国家公務員や関連行政法人等では、一般国民が容易く伺い知れない、もっと複雑な闇が存在するものと思っています。
私が思いますに、財政の立て直しと国民生活の安定化には、どうしても経済の分母を押し上げる政策が不可欠では無いでしょうか。どこまでも、増税で事態を凌ぐ事は出来ません。日本産業の活力を取り戻す政策がかならず必要です。民間経済の成長を手助けして、税収増に結び付ける政策なくして、財政の好転や再生は無いものと考えるのです。

2012年1月14日土曜日

行きはよいよい帰りは、、

今日は、久しぶりに散歩で汗をかいた。何時もの様に、雲雀が丘の公園まで歩いたところで、奥さんが駅前の八百屋に寄って人参があれば買って帰りたいと言い出した。阪急雲雀ヶ丘花屋敷駅の西出口」の前に古いビルがある。去年の秋に駅の東側の線路沿いに引っ越したが、奥さんが長年通っている陶芸教室もこのビルに入っていたが、ここの一階に小さな八百屋があって、果物などを並べている。奥さんは、この八百屋が気に入っているのか、陶芸の日は終わると何時もこの八百屋で買い物をして帰っていた。
今日は雲雀の公園から、駅の東出口の八百屋に向かって、どんどん坂道を下って行った。ところが
その八百屋に、今日は果物以外野菜類は、ほとんど置いて無かった。この八百屋は、奥さん曰く、主人のおじさんが、ちょっと変わっていて、気まぐれな商売をしていると言うのだ。
いつも、あまり商売げの無いおじさんの勧めで買う果物など、言われた通りにおいしいものが多く、ついでがあれば、そこで買い物をする様にしているらしい。
今日は当てが外れて、ここまで来たのだから一駅東の川西市街まで出ようと言う事になった。
元々、食材の買い出しは車で出ることが多いのだが、今日は行き掛かりで思わぬ遠出になってしまった。
「行はよいよい、かえりが怖い」、で川西市街まで下りて来ると、帰りは海抜150メートルの山登りを覚悟しなければならない。ところが、うちの奥さんは、そんなことはお構い無しに、人参の二、三本も買えば済むのかと思っていたら、重たい荷物を下げて、マーケットから出てきた。
おかげで私は、3キロのアンディーを左手に抱え、右手で買い物袋を下げる格好で、帰り道に向かった。
  実は前日、風呂上りに体重計に乗ると、体重計の針が77キロを指していた。去年の下がった時から見ると、5キロの体重増加になっていた。
奥さんからは、お父さんはこの頃ゴルフの練習にも行かないし、絶対運動不足と、指摘された。
奥さんなりに、私が最近歩く事も少なくなっていている事を感じていて、今日は、奥さんから散歩を誘ってきた。

10時前に家を出て、バス通りを上ってつつじヶ丘のバス停迄たどり着いた時には、上半身に汗をかいているのが分かった。ゆっくり、ゆっくりの山登りだったが、この持続的な体への負荷が、なまった体には必要なのかも知れないと感じた。自宅に帰り着いたのは12時15分前になっていた。

2012年1月12日木曜日

今年の西宮戎

マンションの駐車場を出た時が、車のダッシュボードの表示は2度だった。今朝は、全国的に今年一番の冷えこみだそうだ。今年は、いつもの10日戎に2日遅れて西宮戎神社の参拝に向かった。
下の妹が甲陽園に住んでいた頃から西宮戎にお参りするようになった。9日、10日は大変な人出で
夙川あたりの駐車場に車を置いて、戎さんに向かった。
阪神電車の西宮駅あたりから、出店が並び横の赤門まで人波が続く。いか焼やりんご飴、焼きそばやフランクフルトなどの屋台と、福笹などの縁起物を売る店が並んで、沿道の賑わいが続く光景は、やはり独特の年始の光景になる。
いつもなら、そうした人波の流れに歩みを合わせて門をくぐり、納札所に去年頂いたお札を返してから本殿に進む。詰めかける人たちと肩と肩を擦れ合いながら参拝を済ませているのです。
しかし、今日は状況がちょっと違った、沿道は、屋台もすっかりかたずけられて、出店が出ていた商店街の店先は水を流して清掃する姿が見られた。この分なら、境内に車を乗り入れることができたかも知れない、と話しながら、赤門まで来ると、境内の屋台の片づけが続いていて、何台ものトラックが境内の中に入り込んでいた。
例年のように、押し合いながらの参拝ではなく、ゆっくり本殿前に進んでお参りが出来た。今年の年初も、まづ、京都の八坂神社にお参りして、東山の知恩院に回った。そして地元の氏神様へのお参りと西宮戎の今年のお札を頂いて、毎年の年初の神社巡りを終える事が出来た。
宇治のお婆さんが、如何いうつもりか、お伊勢さんに行こうか、と奥さんに言出だしているようですが、お婆さんの足ではお伊勢参りは難しいと思うので、おかげ参りは又の機会になると思います。

2012年1月11日水曜日

人間ドックの再検査

今日は、二か月振りに電車で大阪に出た。昨年の11月の人間ドックの腹部エコーで、膵臓の端に小さな腫瘍の様な影が見えるとのことで、昨年、再検査の指摘が届いていた。

その前の年には、頸部動脈のエコー検査で、動脈硬化が進行している可能性が指摘され、クリニックの主任医師に治療薬の服用を進められていた経緯がある。その点については、奥さんが長年掛かっている、NTT西日本の内科の副院長に、私のデーターを見せて相談したところ、この程度なら食事などの生活改善と適度の運動でクリアーできるのでは、と言うアドバイスを入れて、治療薬の服用をパスしていた。
元々、この人間ドックを紹介してくれた、友人のM君から、明日クリニックに行くので、君はどうすると誘いの電話があった。今回は、毎年の人間ドックで初めて、内蔵について再検査の指摘を受けた。それも、普段、見付け憎い膵臓での腫瘍の可能性と言う事もあって、M君の電話に、重い腰を上げて再検査に臨んだ。
クリニックでのエコー検査の結果、やはり7ミリほどの小さな影があるが、2か月前の人間ドックの際と比べて特に大きくなっている様子は無いとのことで、少しほっとした。しかし、良性かどうかも分からない腫瘍らしきものがあることは事実で、注意深く経過観察をしていくことが、指摘された。
膵臓に出来る癌はとても見つけにくく、進行してから分かる事も多いと言われたが、私の場合エコーで見える場所にある腫瘍で、経過を観察し易いのだそうだ。
それより、クリニックの医師は、私の動脈硬化の進行が気になるらしくて、エコーの画像を見ながら、血管の内側に白く見えるコレステロールの幕が確実に一昨年より増えている事を指摘していた。
私が、「私の母は71歳で心筋梗塞で亡くなりました。それと、父も、足の血管が詰まって、足を切断しなければ、、、、最後は心不全で亡くなりました。」と言うと、「アー、それはいかん、両親がそうなら、動脈硬化の家系や。すぐ治療を始めよう」と、自分の判断に間違いは無いとばかりに言い放ちました。
私は、先生の迫力に、「はい分かりました。よろしくお願いします」というのが精いっぱいで、動脈硬化の改善薬を服用することが、その場で決まった。腹部の次のエコーは、4月に検査の予約入れて、クリニックの受診を終えた。
M君は2か月おきに、このクリニックで血圧降下剤を処方してもらっていて、私が、M 君の年明けの受診日に合わせて再検査の受診を決めたので、二人の診察が終わった後、久し振りに昼食を共にした。
西天満からは、堀川戎の参道沿いに屋台がのぞいていたが、遅がけに明日、西宮戎にお参りに行く予定にしているので、私はカメラ片手に、歩いて帰り道の梅田に向かった。

2012年1月9日月曜日

C世代と言う新成人

    成人の日の今朝は、少し寒さも緩み薄日が差す朝に成っている。平成4年、1992年生まれと言えば、日本のバブル絶頂期からは少し過ぎてはいたものの、依然として、惰性でバブルを引きずっていた時期だったと思います。1989年12月に、日本のダウ平均株価が38.900台の最高値を付け、今年の8.500円の水準まで、ほぼ一貫した長い下降トレンドの基点近くに生まれた人達になるのです。
今朝、新聞に目を通していると、C世代と言う、今まで私が目にしたことの無い文字が目に入って来ました。20年後を如何思いますか?と言うアンケートの始めに、C世代へのアンケートとあったのです。C世代とはどう言う意味なのかと、調べてみると、それは日経新聞の用語でComputerと親和性が高く、ネットで新たな知人とConnectし、CommunityとChangeを重視、さらに自分たちでCreateする、いわゆる「ソーシャル」な人達のことです。と言うネットの書き込みがありました。
  日本は、2000年にITバブルを経験するものの、その後の経済状況は、右肩下がりから脱却する事が出来ず、デフレを強めていくのです。この時代の若者たちが置かれた状況は、社会生活の様々な局面で我慢を強いられ、期待が萎む時代を生きてきたのでは無いでしょうか。
  そうした中で、唯一、若者達が手に入れたものはモバイルやパソコンのネットコミュニケイションだったと思うのです。しかし、其処には現実とは異なる、バーチャルの世界も混在すると言う危うさを感じるのです。 
  別の新成人への、一番大切だと思うものはと言う問いかけで、それは家族という答えが最も多かったのは、やはり、東日本大震災の影響だと思われます。
  ついでに、総務省の発表では今年の1月1日現在で、辰年の新成人の数は122万人だそうです。
2008年から5年連続で過去最低を更新し続けているらしく、これ迄のピークの、第一次ベビーブーム世代が成人を迎えた1970年(246万人)の、初めて半分以下になったのだそうです。
  

2012年1月7日土曜日

KONICAMINOLTA Dimage A200

  今年は、もう少し真面目に写真を撮って行こうかと考えている。昨年からの写真は、取り合えず始めたBlogのつたない書き込みを誤魔化す為に、身の回りの草花やスナップを撮って、Blogにアップしてきた。もちろん、写真自体はそれで良いと思っているが、Blogにアップする写真は別にして、何を主に写真に収めるかとか、もう少し構図やカラーの色調などに拘った写真を取ってみようか等と、考え始めている。
私は元々、写真が持つ大きな目的の一つは、写真を撮る人が、自分を中心とた時代を記録していく事では無いかと思っていて、その為、今までほとんどカメラの色々の機能を使うことも無く、カメラの撮影機能のダイヤルはAUTOにセットしたまま、結果をカメラ任せで写真を撮ってきた。
そこで、身の回りの目に入った物にピントを合わせて、シャッターを切っていくと言う作業の中で、少なくとも私の場合は、今でも、無駄なシャッターをためらう傾向がある。悲しいかな、フイルムカメラ時代の、それも素人写真の癖がなかなか抜けないのです。要するに、無駄にフイルムを使いたくないと言う癖が、いつまでも残っているように感じている。
  デジタルカメラになって、少し容量のある記録メディアさえ買っておけば、ワンショット、ワンショットに拘らなくとも、いくらでも気に入らないショットは削除すれば良い訳で、同じ場面の撮影シーンで、もっとショット数を増やして撮影すれば良い事に気が付きました。
幸い昨年、依然とは比べ物にならないくらい作業の能力のあるノートパソコンを手に入れましたので、一旦、多くの写真を取り込んでも、パソコンが重たく成る事もありません。
Blogにアップする写真はこれまで通りとして、別の視点で、自分なりのフオトブックを作成する事が出来ればと考えています。
そんな訳で、一度手放した、デジタル一眼レフを買い戻そうかと考えていましたが、かねてから、程度の良いものが手に入ったらと考えていた、コニカミノルタのDimage A200と言うズームレンズ一体型のデジタルカメラを、年末にネットで見つけました。
今、コニカミノルタのDimage A2と言うカメラを使っていますが、このカメラのレンズと、今度手に入れたA200とは同じレンズで、35mm換算で28ミリ~200ミリのズームレンズが付いています。しかも、このレンズの開放F値は、F2.8~F3.5ととても明るいレンズが付いているのです。
Dimage A2から込み入った機能が整理されて、少し小ぶりに仕上がっているA200の一番の魅力は、持ち出しやすい機動力だと思っています。背面の液晶はバリアングルになっており、色々な角度から被写体を捕らえる事が出来るのです。私が日常使っているCanon Power Shot G12も背面液晶はバリアングル機能になっていて、非常に重宝しています。
毎日持ち出して、シャッターチャンスを狙うための道具として、たぶん今年活躍してくれるものと思っています。高価なデジタル一眼への投資は後回しになりましたが、当分、この機材で間に合うのでは無いかと考えています。