2011年12月10日土曜日

今の日本の世相は


  日々、様々なニュースに接して、最近、世の中が歪んで行くように感じてならない。特に若者に関する陰湿な事件、事故があまりにも多いのではないかと感じている。特に小さな子供が、自分の母親に傷つけられたり、内縁関係の若い父親から、ひどい虐待を受けるニュースには目と耳を塞ぎたくなる。
それと、通りがかりの見ず知らずの女性や子供に、いきなり切りつけるなど、全く卑劣で常軌を逸しているとしか思われない事件が、所かまわず発生している状況は異常としか言いようがない。それらの取り締まりにあたる地域警察の日常の治安活動は十分なのだろうか。児童虐待にしても地域の児童相談所で業務に付いている人達の対応は、本当に適切に機能しているのだろうか、と思わざる終えい。
この様な世相の乱れは、突き詰めて考えていくと、国民生活に行き着くと思うのです。少子高齢化とか日本経済の長期停滞とか、色々もっともらしい理屈をつけるが、若者の教育に当たっている教師はその心の発達に、十分に意を用いているのだろうか。高校、大学を卒業した若者たちの社会進出に、政治、経済を担う大人たちは意を払い、充分支えているのだろうかと。
若者の五割前後の者たちに、交際している相手がいないと言うのも、異常な世の中ではないのだろうか。若い男女の間に、近づき難いどんなバリアーが在るのか聞いてみたい気がする。
自分自身に問い掛けても、男と女の関係は大昔から代わることのない人の自然な営みであり、いまさら云々すべき問題では無いと思うのです。若い男女の関係そのものが不自然な世の中というのは、日本の何処かに問題があるとしか思いようが在りません。
私は、数年前まで日本の世相は、なんとなく大丈夫だと言う漠然とした思いを持っていた。その理由は、日本の各世代の女性が比較的健全で、だめな男達をコントロールして、強かに社会を支えていると感じていたからです。ところが、最近、その確信にも、揺らぎが出ているのを感じています。その理由は、まだはっきりしている分けではありません。余計なお世話だと思われるかも知れませんが、孫達の世代の小さな子供がテレビでもてはやされたり、十代の女の子のほとんどがエンターテイメントにあこがれて、子供のころに培わなければならない子供なりの情緒や感性が、スポイルされているのではないだろうかと、心配になったりするのです。
世界に目を転じると、アメリカンドリームが崩壊した米国の若者達が、ワシントンに向けて大きなデモ
を行っています。政権に対する、格差是正と雇用の要求です。アラブの春といわれる中東の民主化運動が今年吹き荒れましたが、ここでも中心は若者でした。欧州各国の財政問題もこの先どう解決されるかの見通しも、全くといっていいほど立っていません。この様な世界の動きを見ていて、全く日本と違っているのは、同じ世代の若者のアクションだと思うのです。
異性と付き合えない若者、幼児虐待や卑劣なストーカーに成り下がる若者など、どこか、其処には、ひ弱で自ら世の中に立ち向かう勇気の無さが感じられてなりません。
国政を司る能力が問われる政治家達、自己保身に余念の無い公務員組織、日本の国を捨てて海外に逃げ出す経済界など、国の形が揺らいでもしょうがない条件はそろい踏みです。
先般、大阪に改革を志す若い行政マンが現れました。その行く末はまだ未知数ですが、若者を中心にその力を集結して、未来を切り開いてもらいたいものだと思うのです。

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