2012年10月30日火曜日

オペル・オメガからマツダ・アクセラ

    マツダのアクセラ・スポーツに乗って6日が過ぎた。この間の走行距離は200キロほどだが、アイドリング・ストップにも慣れて、快適な走行性能にとても満足している。
しかし、マツダのディーラーに置いてきたオペル・オメガV6ワゴンがいかに快適な車だったかを、今更ながら思い出している所でもある。
  車の好きな弟のアドバイスで、2002年9月に取扱店のヤナセで新車を購入してから今年で10年目、マツダの販売店に渡した時点で116.000キロを超えていた。しかし、まだまだエンジンはスムースで、重いはずの車重を軽々と加速させていて、エンジンの状態には全くストレスを感じなかった。しかし、如何せんATミッションの変速に不具合が出て、それも始動して暫く走った時点で突然ミッションが滑って空吹かしの状態に成り、しばしばエンジンの回転計だけが吹き上がる症状を見せていた。ヤナセの担当者も申し訳なさそうに、この症状はオートマティック・ミッションそのものをそっくり替えるしか対処のしようがないと、私に告げていた。
  おまけに、エンジンオイルとミッションオイルの漏れをシールドしたとたんに、ラジエーターのプラスティック部分にひび割れが見つかり、冷却水の滲み出る症状が確認されていた。やはり、10年を過ぎると、色んな部分に次から次に不具合が出てきて、通常の整備の枠を超えた部品のオーバーホールが必要に成ってくるようだ。
  今までに同じ車を10万キロを超えて乗り続けた経験は、今回が初めてだった。まだ愛犬リズが元気だった頃、若かったアンディーもつれて八ヶ岳方面や、倉敷の大原美術館と歴史地区に3回、それに島根県には、去年の出雲・松江方面の小旅行も含めて、これも3回往復した事を思い出す。
  オメガを走らせていた最後の方では、アクセル操作に気を付けていたおかげで、すっかりジェントルな運転に慣れて、今度のマツダ車の穏やかな運転操作に繋がっている様である。
  3リッターのオペル・オメガワゴンV6からバトンタッチした今度のマツダアクセラ・スポーツハッチバックは、2リッター車ながら、これまでの走行でリッター13キロのインディケーター表示を示しており、、今までの車では有りえなかった数字だと驚いている。
  カーナビも最新のものが付いていて、齢を取った最近は、仕様書を確認するだけでも大変に成って来た。
  安全運転で、追々に新車に慣れていこうと思っている所である。
(去年撮影した石山寺の紅葉)

  

2012年10月26日金曜日

ベスグロと準優勝の日

  今日は秋の同期会ゴルフコンペの日で、ゴルフ研修会メンバーのU君が手配してくれて、小野グランドCCオールドコースで開催されました。
天気は、朝から秋の青空が広がる絶好のゴルフ日和に成りました。中国道の改修工事が続いているのも分かっていましたし、私は、何時もの様に176号線の下道で吉川方面に向かいました。   私は7時前に家を出たのですが、中国道を避けて来る車で176号線もいつもより混んでいて、豊中方面から中国道でゴルフ場に向かっていた二人が渋滞に掴まった為、マスター室に頼み込んでスタート時間を30分強遅らせてもらい、1組は9時38分にオールドコースのOUTをスタートしました。
  私は、3組のしんがりでM君、Y君の3人のパーティーで9時52分にスタートしました。
実は、私は今週月曜日にホームコースのパインレークGCで10月の何時ものゴルフ研修会を終えていましたが、スタートのスリーホール目で13点を叩き、久々にトータル113点と言う不名誉な成績で打ちひしがれていました。
  所が今日は如何した事か、出だしの3ホールをパーで通過し、4番5番をダブルボギー、ボギーとするものの、6番でバディーが来て、後の上りスリーホールを何れもボギーのトータル5オーバー、41点で上がりました。
  昼からのINに入っても、出だしのロングをパーとし、11番の長い打ち下ろしのショートはダブルボギーに成りましたが、次のミドル13番で、今日2つ目のバーディーが来ました。
  13,14,15番をパープレーで通過して、上り3ホールはボギー、パー、ボギーで乗り切りましたので、INのトータルは3オーバーの39点、トータルも、41,39で久々に80点の成績に成りました。
  朝、スタートまでの時間に、練習グリーンでの好感触がラウンドでも続きました。それと、前回まで足の痛みに悩まされましたが、それが嘘のように無くなったのです。
  ひょっとしてと、ゴルフシューズを変えて臨んだ今日のラウンドでは、足の痛みが大幅に緩和されたのです。
  近くのゴルフショップで購入したECCOブランドのシューズが原因でした。スエーデンのECCOのゴルフシューズは、とてもしゃれたデザインで気に入って履いていましたが、まさか靴が原因とは思ってもみませんでした。
  何はともあれ、絶好のゴルフ日和に、準優勝と、べストグロスの栄誉に輝いた一日と成りました。
  
   

  
  
  

2012年10月20日土曜日

伊丹郷町の街歩き

今日は、奥さんが家庭用品の大型店のニトリに行きたいと言うので、昼から、家から一番近いニトリの伊丹店まで出掛けました。川西能勢口から県道13号線を南に走ると、15分も走らない内に、伊丹の中心街に行くことが出来ます。伊丹1丁目の信号を過ぎると、間もなくニトリの伊丹店が有ります。
奥さんが、店内でお目当ての買い物をしている間、私とアンディーは伊丹の中心部を散策する事にしました。ニトリの伊丹店のある場所は、JR伊丹駅まで歩いて5~6分の伊丹の中心地に有ります。店を出て東の方向に歩き出すと飲食店が並んでいて、中には長い行列が出来ている店もありました。今日は土曜日で、わざわざ伊丹市街に訪れている人もあるようです。この界隈は伊丹郷町(いたみごうまち)と言うらしく、江戸時代より酒造が盛んで、古い酒蔵なども残されています。
今日、私とアンディーはJR伊丹駅の方向に歩いてみました。すると、JR伊丹駅の手前に小振りの石垣が現われ、そこに有岡城跡と言う表示が有りました。城跡と言っても、城壁のほんの一部を残すのみですが、その界隈はどことなく趣のある風情を感じる場所でした。
  ニトリを出た所から東に歩いていると、細い路地の先には立派なお寺が有ったり、と思うとその前には真新しい高層のマンション入り口が有るのです。郷町と言われる地域は、たぶん、とても狭い地域だと想像するのですが、伊丹1丁目から3丁目界隈は、整然と区画されていて、その区画を比較的新しいマンションがいくつも取り囲んでいるのです。
城跡を残すこの界隈は、酒造の伝統を感じさせる地域でもあるのですが、閑静な地方都市の趣とが混在するどこか魅力的な街と感じました。
  四国の松山市など地方の城下町で暮らした経験を持っていますが、そうした城下町の趣を、ギュと凝縮したような街並みがとても好ましく思えました。
  秋の好天の中、アンディーは有岡城跡で用を済ませ、道中ずっと抱っこ状態ですが、ご機嫌の街歩と成りました。

2012年10月16日火曜日

ヤマボウシの赤い実

  今朝の散歩は、途中から背中が汗ばむほどでした。秋も深まって来ましたが、日中はまだ暑い日があります。
(ヤマボウシの赤い実)
先日、山本の園芸センターに立ち寄った際、面白いものを見つけました。入り口近くにあった背丈くらいの木に、赤い実が付いている木でした。興味を覚えて、枝に付いている名前のしるしを見てみると、ヤマボウシとありました。
(ヤマボウシの花)
ヤマボウシは6~7月頃主に白い花を付ける木ですが、ヤマボウシにこんな赤い実が付くとは知りませんでした。春の初めから白いモクレンが花を咲かせ、桜が散ると続いて花見月のピンクや白い花が見られます。そして、梅雨頃から夏の前に白い花を付けるのが、ヤマボウシです。
(ザクロの実)
ヤマボウシと言う名前を知ってから、そんなに月日も経っていませんが、今回、ヤマボウシにこんな可愛らしい赤い実が付く事を初めて知りました。
  秋には柿や栗などが季節の代表的な実ですが、それ以外にも色々な木が実を付ける事を知りました。
  散歩の帰り道、今年もザクロの木に赤い実が付いているのを見つけました。
(秋咲きの黄色いバラ)

2012年10月12日金曜日

絶好のゴルフシーズン

  秋本番、ゴルフのベストシーズンがやって来ました。今日は、研修会仲間のMu君の誘いで、彼のメンバーコースである山の原ゴルフクラブに向かいました。Mu君と私、それに現役時代の同期2人が今日のメンバーでした。所謂、何時もの懇親会ゴルフのメンバーで、このメンバーで回るコースは山の原GCの恋里コースに成っていました。
  ベランダで外の気温を確かめて長袖のシャツを着ましたが、コースに着くと少し風が有りそれで丁度良い状況でした。
  トータル5.592ヤードの白のティーを9時半にスタートしました。前回のプレーからほとんどクラブを持たずに、久しぶりの今日のプレーに成りましたが、INのスタートからショットはまずまずで、2つのショートのパーを含めてボギーペースで進み、18番パー5のサードショットは、ウェッジショットで50センチに付けINの上りのバーディーと成り、折り返しのOUTに期待を繋げました。
  しかし、OUTの1番はパーでスタートしたものの、3番の打ち下ろしのパー5で、またまた大叩きの9としてしまいました。ティーショットが天ぷらで距離を大きくショートし、セカンドをミスショット、更に、左のOBを嫌がってフェアウェイ右サイドぎりぎりを狙ったサードショットを松林に、4打目は出すだけとなって、その後6オン3パットと言った具合でした。
スコアーの為か、どっと疲れが出てきて、おまけに2度も左手のグリップが緩んでミスショットに繋がりました。前回もそうでしたが、後半左足の足裏の鈍い痛みも気に掛かりました。
  結局、スタートのINが44点、昼からのOUTを50点として、今日は94点の上りと成りました。
此処から1週間置きに、研修会に同期会コンペと予定が入っていて先が思いやられます。
  同伴のメンバーも似たり寄ったりですが、年齢を増すにつれて、一つ一つの動作に何処かぎこちなさが出て、思わぬミスに繋がっているのです。‘‘力まず冷静に’’と心に唱えて頑張らなくては!

(金木犀の花)

2012年10月9日火曜日

アンディーと朝の散歩


(金木犀の黄色の花)
    奥さんが、早起きしてパン造りに取り掛かりました。近所のシーズー犬のシーザーのお母さんから、アンパン15個、クリームパン15個の依頼が入っていました。シーザー君のお母さんは、詳しくは話したがら無いのですが、何かのボランティアをしていて、其処の子供達の集まりに持って行くのだそうです。以前、内の奥さんが頼まれて焼いてあげた所、大変好評だったと言う事で、再度リクエストが入ったと言う分けです。奥さんも、頼まれると満更でもない様子で、朝から張り切ってパン造りに入りました。
  そんな分けで、今朝は私とアンディーだけで、朝の散歩に出ました。マンションの裏側から外に出ると、辺りの空気は金木犀が放つ香で満たされていました。
  晴れ渡った朝の日差しは、歩いていると少し汗ばむくらいでした。道すがらには、野生の柿の枝がたわむ程、実を付けています。しかしこの時期、散歩道には、夏の名残の木槿やコスモスぐらいで目立つ花はあまり多くありません。
  
(散歩道から池田の五月山を望む)
アンディーはこの頃、道端に降ろしてもあまり歩こうとしません。手先の骨がすり減っているのか、手首で体を支えている様なのです。それで私も、あまり無理をさせません。そんな分けで、散歩の道中は、殆ど抱っこの状態なのです。散歩の途中で、アンディーは何人かの顔見知りのおばさんたちから、声を掛けられますが、抱っこされた状態で応対しているのです。
  今日は、秋の気持ちの良い空気の中で、アンディーと朝の二人歩きとなりました。
  
  
  
(途中いくつも見かける蜘蛛の巣)

2012年10月8日月曜日

村の守り神

  秋祭りの季節がやって来ました。この時期、あちらこちらで村の神社のお祭りが模様されています。
  お婆さんが住んでいる地域の守り神である伊勢田神社も、昨日は秋祭りの最中で、地域の世話方が境内に提灯を吊るしたり、お祭りの飾りつけをして、集まっていました。
例によって、朝10時半には、お婆さんの様子を見に宇治の伊勢田町に行きましたが、伊勢田神社のお祭りには、小さな子供にお祭りのはっぴを着せて若いお母さん達も、集まって来ていました。
     そこで、何時もお参りしている伊勢田神社について、インターネットでその歴史を覗いてみました。
  なんでも、山城国風土記によれば、大宝3年(人皇42代文武天皇の御世)9月初め奉主田幸祭礼とあり、約1.280余年前にこの地に鎮座されたと有り、明治6年村社に列せられたと書かれていました。この記述から、伊勢田神社がとても古い神社で有ることを知りました。
道理で、村の神社にしては、参道やお社の構えが厳かな気がしていました。
御祭神として本社殿には、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、手力男大神(たじからおのおおかみ)、それに萬幡豊秋津姫大神(よろずはたとよあきつひめのおおかみ)がお祭りしてあると記されていました。本殿後方の左右に末社として稲荷神社と春日神社が、本殿に上る前の左側に、作田神社と八幡神社の社殿が置かれてあると言った具合です。
亡くなった義父が、この伊勢田神社の直ぐそばに家を建てた頃は、まだ近くに茶畑や竹藪などがあり、のどかな村の風情を残していました。伊勢田の伊勢はこの地に伊勢神宮の社田が有った事から、その名が付いたのでは無いかと、考えられているそうです。
  
  この40年の歳月の間に、すっかり周りは住宅地で埋まり、竹藪が真新しい高層のマンションに変わってしまいました。
  それでも、村のお祭りは、延々と、毎年変わる事無く続いているのです。



  

2012年10月5日金曜日

天王寺ぶらり歩き

  今日は奥さんの病院の受診日で、朝8時半に家を出ました。阪神高速の川西小花の入口から、大阪市内の道頓堀出口まで道路はとてもスムースで、上本町9丁目の交差点から夕陽丘ストリートに入るまで1時間を要しませんでした。
この夕陽丘ストリートと名付けられた細い通りには、交差点を曲がってすぐ天王寺区役所が目に入ってきます。この界隈は天王寺区の真法寺町と言って、すぐ左手に大阪警察病院とその隣の府立夕陽丘高校の建物が並んでいて、古い落ち着いた街並みに成っています。
この夕陽丘ストリートを真っ直ぐ進んで、玉造筋に出る手前の右手に、15年以上、内の奥さんの体を見てくれているNTT西日本大阪病院が有るのです。
私が会社に勤めている間は、最寄りの大阪環状線桃谷駅まで、阪急宝塚線と大阪駅からJRを乗り継いで病院通いをしていました。当時、私はめったにこの病院に来ることは有りませんでしたが、勤めを終わってからは月に一度、アンディーと一緒に奥さんの病院通いに付き合っています。
そもそも、どう言う因縁か、私の本籍は長崎から大阪に出て来た私のお爺さんの代から天王寺に在り、奥さんと二人で婚姻届を出した所がこの天王寺区役所だったのです。以降、こんなに頻繁にこの地を訪れるとは思っていませんでした。偶々、奥さんが阪大病院に居た主治医の転出に伴なって、このNTT西日本病院を受診する様になってからの事なのです。
去年は、待ち時間の時間つぶしに、アンディーを伴って、近くの四天王寺にもお参りしました。それと、勝山3丁目の角の小奇麗なカフェを見つけて、フレーバーなコヒーを楽しんだりしています。今日も、待ち時間の2時間を、アンディーと天王寺ぶらり歩きで過ごしました。
  
  

2012年10月4日木曜日

私の愛車

   今朝、朝食を済ませて和室のパソコンの前に座ると、背中からかすかに金木犀の香りが漂ってきました。何時もは、一番先にキッチンの勝手口を出た所の金木犀から、香りが入ってくるのです。まだ黄色の花が付いているのを見かけていないので、何処から来ているのかと、ベランダ越に南の角にある大きな金木犀を見に行きました。
  目を凝らして丹念にさがすと、下の方の奥の枝に、ちらほら黄色い花が付いているのを見つけました。空気が涼しさを増して来るこの時期、最も秋を実感するのが、朝のつめたい空気の中に漂う金木犀の香りだと思うのです。
  さて、此の所、長年愛着を持って乗ってきた愛車オペル オメガ MV6ワゴンの、あちらこちらに不具合が出てきました。車検後の1年点検で、エンジン下から少量の液体が漏れていていて、何度か原因を調べてもらいましたが、如何もはっきりしません。まずエンジンオイルとミッションオイルの滲みを突き止め、13万の費用を掛けてシールドしました。しかし、その後も少し時間を置くと少量の液体の漏れが確認され、不具合の完全な修理は出来ていませんでした。
  ヤナセの担当者によると、ラジエーターのプラスティック部分にかすかなひび割れが有るとの事です。今回の検査でも、原因を特定する為ラジエーター内部に水圧を掛けると状況を更に悪化させる可能性がある事と、ラジエーターの交換には更に10数万の経費が掛かるとの見積もりが出されました。検討の結果、漏れ自体がごく少量の為、そのままで状況を見る事にしました。
  しかし、走行中のATミッションの変速の滑りはATミッションユニット本体を交換するしか無いとの判断が伝えられました。これは、自動車にとって大手術に成ります。まず、50数万円近いATユニット本体をドイツのメーカーに発注して、届いてから10数万の工賃を掛けてATミッションの積み降ろしの交換作業を行うのです。
  大体、そこまでして車を乗り継ぐ人が少なくなっている今、メカニックの技量にも不安が付き纏います。油漏れのシールド一つに手古摺る様では、「何おか言わんや」なのです。
  昔の車は、それ自体が機械の塊の様なもので、全て分解して油で洗い、再度組み立てると言った作業が中心だったと思うのです。ところが、最近の車は、其々の基幹部分が電子化されていて、それもユニット化されてい為、昔のように分解して不具合の部分の部品を交換すればいいと言う分けにはいかなく成っているようです。加えて、去年の車検から1年しか立たないのに、今装着しているバッテリーのデーターが、交換時期を示していると言うのです。
  クラシックカーを整備しながら長年乗り続けている人の事が紹介されますが、それには大変な労力と経費が掛かるのが分かります。
  
  私の車遍歴は、24歳の時のゴールドのホンダN360の新車を皮切りに、颯爽と新婚旅行に出かけた日産サニークーペ、長男が生まれた時乗っていたツートンカラーのいすゞベレット、徳島ナンバーでラリー塗装の三菱コルト、初めての転勤先で買った中古のトヨタカローラ1600と、中古車を乗り継いで、憧れのスカイライン1800の新車を思い切って購入しました。以降、大阪に帰って2000CCのブルーバードsssから、3リッターの日産マキシマへ、バブルの絶頂期には千里日産の支店長の勧めで、4リッターのJ・フェリーにも乗りました。そして、偶々、オプションの現金化と言う臨時収入で、2002年に現在のOPEL OMEGA MV6ワアゴンへと乗り継いだのです。
  家族全員で乗る車と考えてのワゴン車でしたが、長男が独立し間もなく娘も嫁いで、夫婦二人の車に成って10年が過ぎてしまいました。
  拘って装着したミュシュランのタイヤ プライマシー LCの静粛性と乗り心地にも助けられて、今までに無い満足感を得る走りの車でしたが、現役引退と言う私にとっては嫌な決断の時が来たのかと、とても寂しさを覚えているのです。
  
  
  
  
  

2012年9月29日土曜日

とんでも無い政治家達!

  台風と共に秋がやって来ました。季節の歩みの正確さを改めて知らされます。植物や季節の花々の日々の変化に時の移り変わりを感じていましたが、朝夕、顔を吹き抜ける風の冷たさに1年のサイクルの速さを感じています。
  広くて、深い知識と正しい理解力に的確な判断、そして経験に裏打ちされた果敢な決断力が今ほど求められている時期は無いのではないでしょうか。此の所の社会情勢を覗いている中での私が感じる感想です。
  政府民主党の代表選挙に続いて野党自民党の代表選挙が行われました。今日のTVニュースで、次回に投票したい党はと言うのに、自民党が35%、民主党が14%、日本維新の会が12%との結果が伝えられていました。
  しかし、3年前に国民の期待を込めた政権交代が、これほど国民にとってひどい期待外れに成るとは、だれが予想できたでしょうか。
  
  日本の国家運営を担うための正確な知見や理解、内外情勢に対する日々の正しい決断力などを備えていなければ到底不可能な大仕事を、私達は知識も経験も乏しい、とんでもない政治家達に、託してしまったと思いませんか。
  その結果の、重大性や悲惨さを考えると、笑いごとでは済まされない事がはっきりして来ました。それでも、現在の政権政党に特段の違和感を持たれない人達が、いまだに居ると言う事にも驚かされるのです。
  政治の責任で、これほど直接国民生活に不安と停滞感を及ぼした時期は、此れまでの経験では無かったのでは無いでしょうか。
偶々、その様な時に限って、日本を未曾有うの大災害が襲うのです。民主党の最初の内閣は沖縄の普天間基地移転に伴い、沖縄の人達の心に一時的な期待と、その後に大きな失望を与えてしまいました。その後を引き継いだ内閣は、自ら与党内の分裂の切っ掛けを作り、災害対策の不手際を指摘されながら、総理辞任を渋って党内外に物議をかもしました。
  更に、3度目の内閣に至っては、党の公約にも一切掲げていなかった消費税増税案を、社会保障の名目を盾にして、ごり押しする事と成りました。そして、大震災の復興対策もそこそこに、この夏、全国で停止していた原発の内、関西電力の大飯原発再稼働のゴーサインを、首相自らが出したのです。
  そうかと思うと、今度は、国民の声に押されて2030年代には原発の稼働をゼロとするエネルギー対策を打ち出し、その舌の乾かぬ間に、建設が決まっていた青森県大間原発の工事継続を許可すると言った支離滅裂振りです。
  東京都知事による尖閣諸島の東京都による購入計画が持ちあがると、尖閣諸島の国による買い上げが検討され、国際会議で面談した中国首脳から直接自制を求められたにも関わらず、あたふたと、その2日後には国有化を決定すると言う決断が成されました。その後の両国関係と状況はご存じの通りと成りました。両国の現在置かれた政治情勢やタイミングの判断が、慎重に行われたのか甚だ疑問が残る所なのです。
  
  そして、米軍の軍事的スケジュールに乗っ取って配備が決められている問題のオスプレー輸送機は、台風が去れば、沖縄に向けて飛び立つ事が既に伝えられています。
  恐らく最後のこの民主党政権は、増税問題、震災対策、原発を含む新たなエネルギー対策、日米安保に則った装備の配備計画や基地の移転問題、更には近隣の中国や韓国との領土を巡る外交交渉等、何れも、はっきり目に見える形で国益が損なわれていくのを感じずにはおれません。
  この様な有様ですから、国民生活を取り巻く有効な経済対策なども望むべくもないのです。
テレビの街頭インタビューで、政治は誰がやっても変わらないと言う発言をされる方を良く見かけますが、今回の事で、私達国民も日本の経済界も、国民皆が、いやと言うほど痛い目にあったのではないでしょうか。この様な時世に、得てして過激ではっきりした物言いが人気を集め、又してもとんでもない政治の似非集団が現われる事にも充分注意が必要に成ると思うのです。
  昔、「物事は時間が解決するし、それもいい方向で物事は解決するものだ」と言うのが口癖の先輩上司がいましたが、私達を取り巻く環境もそうあれば幸いだと思うのですが。
  



  

2012年9月26日水曜日

秋めいた朝、西天満へ

  朝から快晴の青空が広がっていました。まだ日差しは強いのですが、顔に感じる風は幾分涼しく、秋が其処まで来ている事を感じました。
今日は2ヶ月振りに、バスと電車を使って大阪市内の西天満クリニックに向かいました。11月には人間ドックの予約が入っていますが、今月で、今処方されている高脂血症薬が切れ、薬をもらいに大阪市内に出かけました。
普段、奥さんと出掛ける川西市街では、ウイークデーに見かける人影の殆どはが老壮のシニヤの男女で、若者はとても少ない様に感じていました。少子高齢化が叫ばれる昨今、街中には老人しか残ってい無いかの様です。
  所が、9時過ぎの阪急電車の車内は、普段あまり見かけない若者たちで占められていました。思い思いのカジュアルな服装で、そう言えば背広姿のサラリーマンもあまり見かけません。
私の日常は、大阪市内に出かける用事が全く有りませんので、電車に乗る度に現役時代が懐かしく、どこか新鮮な感じさえ受けるのです。
  2ヶ月前とは阪急梅田の改装工事も進み、行きかう人達や街並みの息遣いが伝わってきます。
私の日常と随分違った街のリズムが、そう感じさせるのかも知れません。
阪急梅田駅から西天満迄、お初天神の境内を通り過ぎて20分、折り返して40分のウォーキングでしたが、涼しさを感じる風の中で、背中には薄ら汗ばむのを感じました。
  
  9時に自宅を出て、12時には帰り着く、朝の散歩が出来ました。

2012年9月20日木曜日

日本の金融政策は

  昨日19日、日本銀行の白川方明総裁は当面の金融政策で、日本国債の買い入れ枠を10兆年増やして80兆円とする、大幅な金融緩和策を発表しました。
  日銀の金融政策は、今までも十分緩和状態を維持していると思われるのですが、世界の景気や金融情勢のなかで、常に日本の政策が追い上げられている印象を拭えません。
  と言いますのは、9月に入ってヨーロッパ中央銀行がスペインの国債利回りの7%越えなどの危機的状況を踏まえ、域内の国債を無制限に買い入れる内容の決定に踏み切ったのです。更に、9月13日にわ、予てから話題に上っていた米国FRBのバーナンキ議長が、第三次の金融緩和策(QE3)を決定したのです。その内容は、国内の住宅担保証券の月400億ドルに及ぶ買い入れ策と言うものでした。米国の景気、雇用の目に見える改善が成されない中で、連邦準備理事会が早めに追加の対策を発動して来たのです。
  この様な、欧州、米国の思い切った景気対策や金融の追加支援策の結果、日本の金融政策に、ジワリと圧力が掛かってきていました。
  2008年4月に50歳代で日本銀行の第30代総裁に就任した白川方明氏は、元々、日銀生え抜きで、学者肌の優秀な事務方と言う印象が有りました。福井俊彦総裁の後、政府が提出した国会同意人事で、野党であった民主党の反対にあい政府提出の人事案が否決されました。
  福井総裁の退任に伴い、その下で副総裁に就任していた白方氏が昇格する事に寄って、50歳代の日銀総裁が誕生すると言う経緯に成りました。
  
  あれから4年、米国発のリーマンショックが発生し、米欧の金融事情は大荒れとなりました。そんな中で、日銀は急激な円高や国内のデフレによる景気対策にに追われてきたのですが、私見ながら、日本の金融当局の対応策は、どの時点をとって見ても、欧米の後追であった感じを免れないと思われるのです。
  福井俊彦前総裁の後を受けて、卒なく極めて慎重に金融政策に当たってきた白川総裁ですが、極めて安全運転に徹した金融政策に誤りは認められませんでした。しかし、結果的には、未だに日本のデフレの克服も、対ドル、対ユーロでの大幅な円高の阻止も出来ませんでした。
又、今回もヨーロッパ中央銀行や米国のFRBの思い切った追加金融政策に促される形で、日銀の金融政策がとられたと受け止める事が出来ます。マーケットは、その直後はサプライズとして反応していますが、過去と同じく日本の政策に独自性が感じられ無い中では、たぶん今回もその効果が長続きして、日本のデフレ対策や景気の振興に大きな影響を及ぼす事は無いのではないかと考えられるのです。
  此れまでの、日銀による日本の金融政策に大きな誤りは認められませんが、世界の金融市場で、日本独自の金融政策が評価される事もありませんでした。対応に誤りが無いと思われる分、残念な思いも残ります。又、同時に景気振興やデフレ退治には、金融政策だけでは叶わない事も自明の理ではないでしょうか。

2012年9月19日水曜日

峠の茶屋「一軒家」

ネットでニュースを検索していて、偶々、兵庫県三田市の峠の茶屋「一軒家」と言う茶そばとわらび餅を出している店の書き込みが目に留まりました。写真が出ていて、藁ぶき屋根の古民家風で雰囲気の良い佇まいでした。場所を確認してみると、何時も私のメンバーコースに行く途中で、三田の有馬富士公園の入り口の交差点を、左へ篠山方面に山を緩やかに登って行く峠の途中に有るらしいのです。
地図上で道を辿って行くと、その「一軒家」から山を下った先に、永沢寺(ヨウタクジ)と言う曹洞宗のお寺が有るのが分かりました。このお寺は、三田では花の寺として有名なお寺で、菖蒲や牡丹、それに芝桜の花園を花絨毯と呼んで、皆に親しまれているお寺なのです。
私自身、話に聞いただけで訪れた事が無かったので、茶そばと永沢寺を目指して、三田に出かけました。途中、神戸電鉄の終点駅ウッディータウンの中央公園に立ち寄って、用意していたおにぎりをほうばりました。
  兵庫県の北摂三田には、古いお寺が沢山あり、先ほどの有馬富士公園前の交差点から間もなく、西国霊場の花山院菩提寺と言う、有名なお寺も有ります。私は、このお寺もまだお参りした事が有りませんでした。
少し秋めいた風の中、峠の一軒家を目指して車を走らせました。その店は思っていた通り、藁ぶき屋根の古民家で、中年の二人の女性が私達を迎えてくれました。
  私は、茶そばとわらび餅のセット、奥さんは、先ほどの食事でお腹が大きいと、わらび餅だけを頼みました。
  茶そばは茶そばにカイワレを乗せてダシを掛けて頂くものでした。わらび餅も、出来立ての様に少し暖かく、おいしく頂きました。只、事前におにぎりを食べたのは失敗でした。
  それと、辺りの風景を写真に収めていると、なんと電池切れに成ってしまいました。私が使っているCanon G12は普段電池の持ちがとても良いので、つい、うっかりしていたのです。
  峠の茶屋「一軒家」の写真だけは辛うじて撮る事が出来ましたが、写真はそこまでに成ってしまいました。
峠の茶屋を後にして、永沢寺まではそれほど時間は掛かりませんでしたが、丁度この時期、季節はずれで、訪れている人影も見られませんでした。
  私達も、またの機会に出直す事にして、永沢寺から川辺群猪名川町を経由して川西方面の帰路に着きました。

2012年9月16日日曜日

琵琶湖の湖西へ

  沖縄に超ど級の台風が近づいていますが、宝塚の空は秋の空を思わせる白い筋雲が、所々に見られます。
  今年の春、神奈川県に居る同期の友人が、滋賀県の雄琴での高校時代の同窓会の集まりで来阪しました。久しぶりに会って、夕方までの時間を過ごしたのですが、彼の希望で、桜が咲く比叡山の延暦寺を訪れました。ホテルのチェックイン迄の時間、延暦寺のお参りを済ませた後、湖西の坂本から石山寺などを巡りましたが、春のその時期、琵琶湖岸の湖西の風景が印象に残っていました。
  もう一度秋に行ってみたいと考えていましたので、昨日の朝、何時ものようにおにぎりを持って滋賀県の浜大津を目指して家を出ました。
  所が、朝、少し涼しかった外の空気は、日差しを受けて、見る見る夏の空気に変わっていました。車を止めて、昼食をとる適当な場所も見当たりません。
  途中、思いついた所は、京都市内の入り口の東寺でした。五重塔を眺めながら、東寺の駐車場の松の木陰で昼食を済ませ、5条通りを東に向かって大津市内に入りました。
  当初の目的は、琵琶湖沿いに湖西を走り坂本から琵琶湖大橋の袂の堅田に出て、其処から京都の大原を経由して京都市内に抜けるつもりでした。
  しかし、日中の気温はまだ夏の空気に支配されていて、秋を求めるドライブはまだ早かったようです。
  さすがに真夏と違い湖西を走る道はすいていましたが、秋の空気とは程遠く、所々に係留されるヨットの影が夏の名残を思わせる風情でした。
  
  琵琶湖に浮かぶ浮御堂を過ぎ、琵琶湖大橋を右に見てUターン、無料の湖西道路を京都東ICに向かい、宇治の実家に立ち寄って夜に帰宅しました。
  涼しい秋風を求めるドライブは、もう暫く時間が掛かるのかの知れません。