人生を振り返る時、「あの日に戻れたら、、、」と思った事のある人は多いのではないでしょうか。日時はどんどん前に進み、過ぎ去った過去が戻って来る事などめったに経験する事は有りません。しかし、一度一国の総理大臣にまで上り詰めながら、1年足らずで自ら降板した自由民主党の安倍晋三衆議院議員が、今日、再度第96代の総理大臣に指名されました。
再び国家運営のトップに返り咲くことなど、有力政治家と言えども、めったに経験する事の出来ない事だと考えるのです。一人の人間として、そうした運を担った人なのかも知れません。
今回選挙での政権交代自体は、此れまでの政権があまりにも酷い政府、政党で有ったと言う事から、国民自身が、一か八かの選挙の危うさを痛感した3年余りの日時で有ったと言っても過言では有りません。
要は、前政権は一部の政治を業とする者達によって、政権交代そのものを目的とした仕掛けの選挙で誕生した政権で有ったと考えるのです。国政など担える体を成さない政党組織が、それまでのマンネリに陥っていた保守政権に付け入って、出来もしない公約を国民の前に並べ立て、国民を愚弄した3年間だったのではないかとさえ思えるのです。
選挙民は、選挙で選ばれる国会議員一人一人の政治能力を正確に測る事など殆ど出来ません。今日の政党政治に於いては、やはり政党の綱領、主張を、どれ程私達が信頼できるかにかかって来ると思われます。
政治能力や可能性を秘めた有意な個々の政治家を擁しているとしても、それが、政治信条のタガの無い組織の中に於いては、全く機能しなくなることが有ると考えるのです。
大くくりに、政治に対する確固とした信条を組織のメンバーが共有していなければ、結果的に、政策や政治仕法がバラバラに成り、決して纏まりの有る国家運営など出来なくなるのではないかと考えます。それに、国会に上程される政党の法案自体は、事前にその政党内部で十分な推敲の末、提出されなければならないのは言うまでの有りません。
と言う事は、一部の第3局に見られる様に、国民全般に関わる政策に関しては一人の政治家の思い込みだけで事が進む事の危うさを、充分監視しなければ成りません。
政権選挙の結果、生き残った政治家の組織に、確固とした政治信条さえ残っていれば、それを支持する国民は必ずいるのではないでしょうか。
翻って私達国民は、今後とも、そうした政党や政治家の「性根」を見据えていかなければならないのでは、と考えながら国民生活の安定を願っているのです。
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