2012年12月31日月曜日

いつの間にか大晦日

  2012年の大晦日も暮れてきました。午前中に奥さんと、おせちの食材の買い出しに、デパ地下に出かけました。流石に大晦日の買い物客で店内は大賑わいで、レジに並ぶだけでも一苦労の状態でした。
  毎日が休日と言う私にとって、今年もいつの間にか大晦日が来てしまった、と言う感じです。
  昼から久しぶりに、滝田洋二郎監督、中井喜一主演で浅田次郎原作の「壬生義士伝」と言う映画をTVで見ました。戦いに敗れ、南部藩の大坂蔵屋敷にたどり着いた中井喜一扮する吉村貫一郎と言う南部浪士の生き様に、映画の終盤、久しぶりに私の目から涙があふれました。
  良かれ悪しかれ、日本は江戸時代と言う封建体制の「規律」の中で人々の機微が養われ、明治維新を経て、今日の近代日本の社会に繋がっているのでは無いかと感じました。
  
封建社会と言えども、その強い規律が今日の勤勉で情緒に富んだ日本人の気質を醸成した原因ではないのかと思えたのです。
  東北の貧しい武士が家族の為、国を脱藩し新撰組の隊員として働き、手にした金を家族に仕送りするが、最後には南部武士の義から幕府軍と共に討幕軍と戦い、南部藩の蔵屋敷で腹を切ってはてる物語です。
  其処には、武士と言えども貧しい東北の生活と、貧しい中で家族の愛を育む士族の生き様は、現代にも通ずる日本人の心を感じました。又、最後は義理の為に自らの命を投げ出す主人公の義を貫く心が、同時に、今日の私達に残されているかどうかをも考えさせられた映画でした。
  私達の2013年はどんな年に成るのでしょうか。政府がかわり、急速に進む円安と株価の急上昇に期待を膨らませる人もいるかも知れませんが、国内外の懸念材料には事欠きません。
如何か来年が平穏な年に成りますように!

2012年12月29日土曜日

ショスタコービッチのWaltz 2

  オランダのバイオリニストで世界中で演奏活動を行い、ヨーロッパやアメリカで絶大な人気を誇るアンドレー・リュー(Andre Rieu 1949年10月1日)のユーチューブサイトで、今日とても楽しい音楽を聴きました。
  多くの人が、時に耳にする曲だと思うのですが、ドミトリー・シュスタコービッチと言う20世紀ソ連の作曲家の曲でジャズ組曲第2番と呼ばれている曲が有ります。私自身は、ショスタコービッチの曲に親しみが有る訳ではないのですが、ショスタコービッチと言う作曲家はどちらかと言うと交響曲や弦楽四重奏曲等に於いて、戦争などを題材とした暗くて重たい曲が多いのだそうです。そんな中で、ジャズ組曲と呼ばれている曲はとても軽妙で、一聴、皆が体をゆする楽しそうな曲に成っているのです。それも、アジヤ人には何処となくノスタルジックな少し哀愁を感じさせる曲と成っています。
  ジャズ組曲と言っても、その内容は純粋な意味のジャズでは無くて、どちらかと言うとダンス音楽に近いものです。その為、演奏の編成もオーケストラやジャズバンドとは違い、ライトミュージックやプロムナードコンサートに近い編成に成っているとのです。
  ジャズ組曲として知られているその題名自体も、本来は「管弦楽のための組曲」と言うのが本当の題名だそうです。
  前置きが長くなりましたが、そうした曲想と、オーケストレーションが楽しいクラシック演奏を世界で繰り広げ、爆発的な人気に成っているアンドレー・リューの演奏スタイルに、ピッタリの曲だと感じました。
  私の一番のお気に入りの交響曲は、やはりベートーベンの交響曲第7番の第二楽章ですが、最近耳にしたもので印象に残った音楽は、映画で爆発的なヒットを記録した「シンドラーのリスト」のテーマ曲や、このショスタコービッチの「Jazz Suite Waltz 2」ではないかと思っています。
新年には毎年、オーストリアのウイーン楽友協会大ホールで恒例のニューイヤーコンサートが開かれますが、輝かしい年の初めを祝って、何曲もの楽しいワルツが演奏されます。

  https://www.youtube.com/watch?v=vauo4o-ExoY  Andre Rieu-The Socond Waltz(Shostakovich)
                                                                                                                                                  You-Tube

2012年12月26日水曜日

あゝ、あの日に戻れたら、、、

人生を振り返る時、「あの日に戻れたら、、、」と思った事のある人は多いのではないでしょうか。日時はどんどん前に進み、過ぎ去った過去が戻って来る事などめったに経験する事は有りません。しかし、一度一国の総理大臣にまで上り詰めながら、1年足らずで自ら降板した自由民主党の安倍晋三衆議院議員が、今日、再度第96代の総理大臣に指名されました。
  再び国家運営のトップに返り咲くことなど、有力政治家と言えども、めったに経験する事の出来ない事だと考えるのです。一人の人間として、そうした運を担った人なのかも知れません。
  今回選挙での政権交代自体は、此れまでの政権があまりにも酷い政府、政党で有ったと言う事から、国民自身が、一か八かの選挙の危うさを痛感した3年余りの日時で有ったと言っても過言では有りません。
  要は、前政権は一部の政治を業とする者達によって、政権交代そのものを目的とした仕掛けの選挙で誕生した政権で有ったと考えるのです。国政など担える体を成さない政党組織が、それまでのマンネリに陥っていた保守政権に付け入って、出来もしない公約を国民の前に並べ立て、国民を愚弄した3年間だったのではないかとさえ思えるのです。
  
  選挙民は、選挙で選ばれる国会議員一人一人の政治能力を正確に測る事など殆ど出来ません。今日の政党政治に於いては、やはり政党の綱領、主張を、どれ程私達が信頼できるかにかかって来ると思われます。
  政治能力や可能性を秘めた有意な個々の政治家を擁しているとしても、それが、政治信条のタガの無い組織の中に於いては、全く機能しなくなることが有ると考えるのです。
  大くくりに、政治に対する確固とした信条を組織のメンバーが共有していなければ、結果的に、政策や政治仕法がバラバラに成り、決して纏まりの有る国家運営など出来なくなるのではないかと考えます。それに、国会に上程される政党の法案自体は、事前にその政党内部で十分な推敲の末、提出されなければならないのは言うまでの有りません。
  と言う事は、一部の第3局に見られる様に、国民全般に関わる政策に関しては一人の政治家の思い込みだけで事が進む事の危うさを、充分監視しなければ成りません。
  政権選挙の結果、生き残った政治家の組織に、確固とした政治信条さえ残っていれば、それを支持する国民は必ずいるのではないでしょうか。
  翻って私達国民は、今後とも、そうした政党や政治家の「性根」を見据えていかなければならないのでは、と考えながら国民生活の安定を願っているのです。

2012年12月25日火曜日

クリスマス明け、ゴルフもオフシーズンに、、、

  奥さんは、今年のクリスマスにもシュトーレンを焼いた。去年は2回に分けて焼き、同じ曜日に集まる陶芸の仲間に一つずつ配ったのを覚えている。
(焼きあがったシュトーレン)
今年は、それでも細やかに、一度にオーブンで焼ける個数を焼いて、娘や陶芸友達でバラの栽培を教授してくれる友人と、その他近くの兄弟に、おすそ分け程度に持って行った。今年の我が家のクリスマスは、そんな調子で過ぎていった。奥さんに言わせると、ここからが、年明けに向けて気忙しくなると言う。
  今年は、私の病院での検査予定が年末年始にかけて続くため、1月8日のPET/CTが終わって、1月17日、年初の初めての診察日まで気持ちの落ち着か無い日々を過ごす事に成る。
  私は、年始の用意の為の奥さんの食材の買い出しに付き合ったり、ベランダ周りの掃除ぐらいしか役に立たないからだ。
(焼き上がりに粉砂糖をふる)
今日、何時ものゴルフ研修会の仲間で、毎回私を迎えに来てくれるN君から電話が掛かってきて、黄疸の症状が出てきて南大阪医療センターを受診した所、明日から、即検査入院を申し渡されたとの事だ。私が初めてキャンセルしたこの前のラウンドの時から調子が悪く、同伴のU君やM君の強い勧めでようやく病院に行ったとの事だった。
(ラッピングしたシュトーレン)
ゴルフに向かう車の中で、何時も、南大阪で一人住まいをする96歳の彼の母親の事が話題に上るのだが、医者が100歳まで太鼓判を押しているとの事だ。年明けには91歳を迎える私の義母も、電話で寂しさを訴える以外はすこぶる元気で、あらためて母親世代の生命力の強さには敬意を表さなければならないと感じる所だ。
  
  そんな分けで、U君からも電話が入って、結局1月のゴルフ研修会は初めて中止に成った。一番寒いこの時期を、体を整備して少し暖かくなってから、皆元気で再開しようと電話を切った。ゴルフも暫くオフシーズンに入る。
  


(ピンクの蕾も混じる山茶花)

2012年12月23日日曜日

リンゴのスイーツ、タルトタタン

  クリスマスが近ずくこの時期、うちの奥さんが忙しくなる時でもあります。昨日は、孫娘の為、クリスマスプレゼントに赤い毛糸でニットのワンピースを編み上げました。
  それと、これからクリスマスに合わせて、シュトーレン(ドイツ風の菓子パン)と言うパンを焼きだします。そして、今年は、そのシュトーレンを焼く前に、予てより焼く予定にしていたタルトタタン(リンゴを用いたタルト)と言うお菓子を先に焼いてくれました。このタルトタタンを、内の奥さんが焼く事になった切っ掛けは、かれこれ一年がかりで、そもそも料理研究家の栗原はるみさんの本にレシピが乗っていた事からでした。その本で焼きあがったタルトタタンと言うお菓子が乗せられたガラスの器を手本に、陶器でその器を製作するところから始まったのです。
  内の奥さんは、栗原はるみフアンで、彼女が出している料理の本をよく参考にしているようです。彼女が好んで使う京都在住の陶器の作家に興味を持ったり、年齢が近い彼女の髪型を参考にしたりもしていました。
  そう言う分けで、タルトタタンと言うお菓子は内の奥さんの中では、焼きあがったその菓子を乗せる為の器作りから始まったのです。リンゴが出回って安く手に入るこの時期、沢山のリンゴをバターと砂糖、ラム酒でじっくり炒めてシナモンで香り付けをし、その上にパイ生地を乗せて作るのだそうです。最後にパイ生地を下に煮詰めたリンゴをひっくり返すと、あめ色に光った、リンゴのタルトが出来上がります。
  タルトタタンを乗せる陶器の器は随分前に出来上がっていましたが、私が、懸案のタルトタタンの実物を見たのは、この度が初めてでした。
  それは、甘党の私好みのお菓子で、夕食に尋ねてきた孫達と紅茶と共に、美味しく賞味しました。

2012年12月22日土曜日

冬至、鯛めし、柚子湯の日

 昨日は冬至。奥さんの半年ごとの股関節診断で、昼から尼崎の労災病院に出かけた。2日前に来院して撮ったMRI(磁気共鳴診断装置)の結果を踏まえて、整形外科の診察を受ける日に成っていた。

昼から2時半の予約だったが、奥さんが出てきたのは4時を過ぎていた。おまけに、予報通り雨が降り出し、4時過ぎと言うのに辺りは暗くなりかけていて、やはり冬至だと変に納得した。
  帰りの車の中で、ラジオから流れる「鯛めし」のレシピの解説を聞いて、奥さんが今日は鯛めしに挑戦すると言う。何時ものマーケットで食材を仕入れて返った。
(愛媛今治の郷土料理)
愛媛にいた頃は、来島海峡で取れる鯛で、美味しい鯛めしを味わった事を覚えている。以来、殊更、鯛めしの店に行った事も無かった。
  奥さん手製の土鍋で炊き上がった鯛めしは思いの外の出来上りで、底のおこげも香ばしい香りを放っていた。鯛の切り身をほぐしているので骨も無く、そこに千切りの柚子を乗せて、蛤の吸い物、かぼちゃの煮つけと共に美味しく頂いた。
  
夜の入浴時には、鯛めしで使った柚子を湯船に浮かべて、細やかな柚子湯も味わう事が出来た。冬至、鯛めし、柚子湯を味わう日に成った。

2012年12月20日木曜日

モラルと善悪の基準は

  毎日、こちらはじっと座っているだけですが、目や耳に飛び込んでくる日々のニュースはとても目まぐるしいものが有ります。
今朝も、朝刊を広げると、三菱自動車のリコール対応が極めて消極的として、国土交通省が厳重注意と言う見出しが目に入ってきました。私は、瞬間「エッ」と、そこで目が留まったのです。
  三菱自動車と言えば、10年も前の事に成りますが、1970年代から自動車の極めて重要な部品の不具合を隠ぺいし続けて、2000年~2002年にかけて、大々的なリコール隠しとして大きく世間を騒がせた経緯の記憶がよみがえったからです。
  当時の三菱扶桑トラックバスの自動車タイヤの取り付けの不具合から車輪の脱落で、2件の死亡事故が発生した事件で社会に大きな不安を与え、当時の経営トップが故意に部品の欠陥を隠ぺいしていたとして司法の有罪判決を受けると言った経緯があった事を覚えています。
  それから、10年の時の経過があったとしても、その企業に過去の法人としての不適切な行いが反省として継承されていないと言う事は、組織として極めて遺憾な企業体質と言わざる負えませんん。もともと、私は、三菱のダイヤモンドマークのエンブレムが嫌いで、三菱自動車のリコール隠しの印象が強く残っていました。
  私は、モラルや善悪にも絶対的な基準があってしかるべきだと思うのです。やって良い事、悪い事の見極めが、組織全体で出来なくなると言う事はとても怖い事ではないでしょうか。
  個人の悪事やモラルの欠如による他者への影響は、自ずから限られて来るのが一般的ですが、大きな組織と資本を擁し社会に多大の影響を与えかねない企業が、その製品の安全に関わる部分で自らの製品の欠陥を隠ぺいしてしまう有り様とは、組織として不適切と言う以前に社会的な存在そのものが否定されても致し方ない組織だと断じたいと思うのです。
  
(寒さの中大輪のバラ)
日々の競争に生きる現代社会の企業と言えども、自らの組織の都合だけでは無くて、自らに社会の絶対的なモラルの基準をあてはめて、常に思い返してもらいたいものだと思うのです。
  先般の中日本高速道路が所管する笹子トンネルの崩落事故についても、過去になされていた打音検査などがいつの間にか省かれて、安易な形だけの目視の点検に成っていた事実なども、その時のトピックスとして捉えるのでは無く、徹底した原因の究明の過程で、抜け落ちた安全への構えを取り戻さなければ、あのような事故が今後どれだけ増えるか分かりません。
  利益を追求する厳しさのあまり、当然備えなければならない社会的なモラルや、善悪の基準が甘くルーズに成っていないかを、振り返る必要があるのではと、チョット考えました。
(リビングからの今朝の朝陽)

2012年12月19日水曜日

この冬一番の寒気

  今朝リビングのカーテンを開けると、低い雲の合間に青空が覗き、雲の淵から朝陽が覗き始めていた。気温は、全国的にこの冬一番の冷え込みだと言う。
耳の冷たいのを我慢しながら、朝の散歩に出た。
今年の夏、マンションの周りの空きスペースに植えた寒椿の苗木が、しっかり根付いて可愛い赤い花を付けた。よく見ると蕾も沢山ついている。
雲雀の公園では、元気なお年寄りのグループのゲートボールが始まっていた。
公園も、すっかり冬の様そうで、真っ赤に染まった満天星つつじが鮮やかに色ついていた。
  散歩道の途中に、たわわに実を付けた金柑の木も見つけた。
最近、雲雀の公園を囲んでいた背の高い生垣の木が切り取られて、公園から大阪方面を一望する景色が広がった。そこに立って眺めると、伊丹の大阪空港を飛び立つ飛行機や、遠くの生駒山のシルエットを見る事も出来る。
今日は、歩いていると頭が痛くなるような冷たさを感じて、何時もの散歩道を途中で切り上げた。終始抱っこのアンディーも腕の中で震えが止まらなくなっていた。
(金柑の実)

2012年12月13日木曜日

政党政治の安定を

(腹巻をして寝るアンディー)
衆議院選挙の日が近づいて来ました。私の地域は兵庫6区に成るのですが、この辺まで候補者の選挙カーが回って来て、連日支持を訴えるスピーカーの声も熱を帯びて来ています。
  しかし、今回の様に12党もの政党が名乗りを上げ、しかもその中には、俄か仕立ての政党が混じってくると、選ぶ方も、各党の主張がこんがらがって分かりづらく成っています。

大体、何処の誰とも分からない(口の悪い表現をすると、何処の馬の骨とも分からない)ポット出の候補者が、たいそう大きな政治公約を叫んでいます。小選挙区に立候補している候補者自身が、何か勘違いをしていて、自己の立場を良く分かってい無いのではないかとさえ思えてなりません。
  総選挙の前から、長年各地の選挙区に根差して政治的主張を訴えて来ている候補者はほとんどいなくて、その候補者たちは、「私を国会に送って頂ければ、原発を0に致しますとか消費税を上げさせませんとか、憲法を改正しTPPを云々」等々と大言壮語しているのです。
政党の公認を受けて、各小選挙区に立候補している大方の人達は、元々、一羽一絡げの候補者達で、その党の党首とか幹事長あるいは政策立案の責任者でもなければ、国政の専門家でもありません。候補者達が、自分達の立ち位置を自覚しているのならば、政見放送にしても、辻立ちの訴えにしても、自分が寄って立つ政党の政策そのものを十分理解して、各選挙区で自らの政党の公約を丁寧に説明しなければならないと思うのです。
  どこか、マイクを握った候補者一人一人が、その場限りの言いっぱなしの政権公約を叫ぶ選挙スタイル自体が、日本の政治意識の希薄さに繋がっているのではないかと思えるのです。
  選挙前から、日本の政治家の質の問題や世襲議員の問題、引いては日本の政党政治の行き詰まり等が指摘されて来ました。
  今回の選挙にしても、政治家を指向して国政に名乗りを上げる候補者たちの、政治家としての資質や適性は充分吟味されているのでしょうか。民主主義国家で有る以上、基本的な資格をクリヤーする日本人で有れば、誰でも立候補する権利を有していますが、過去から、政治を稼業と勘違いしているかもしれない世襲議員と共に、国政への立候補を就職活動と勘違いしている候補者がいない事を切に祈るのみです。
  
(一ちょらの手編みノセーターを着て)
終盤を迎える選挙戦も、前回選挙の大きな反作用が予想されています。大きな風の中で、国政に押し上げられる一人一人の当選議員には、たぶん何の力も無いのではないでしょうか。
であるなら、せめて、確固たる政治理念に根差した安定した政党の出現を、期待したものです。
  
  

2012年12月12日水曜日

人間ドックで精密検査を、、

(散歩道のレモンの様な実)
今年の秋は、私が初め思った通り、とても短かかった。日本上空に偏西風が蛇行して、近畿地方にまで寒気が入り込んで来ているようだ。朝から外の空気はとても冷たいが、空は晴れ渡っていて、それでも日中の気温は7~8度までしか上がらない。
  昨日は、ゴルフ研修会でU君のホームコースの小野グランドCCニューコースの予定が入っていたが、私は人間ドックで引っかかって、クリニックの担当医に精密検査の予定を入れられてしまった。その為、自分からゴルフの予定を初めてキャンセルした。
  昨日は、みっちり朝の9時半から午後の3時半まで、問診や血液検査、お腹のエコー検査に、同じく腹部CT検査など、ほぼ半日病院の中にいる羽目になった。
  
  大阪府立森ノ宮成人病センターと言う病院は、そこに着くなり、とても大きな病院であることが分かる。来院者も多く、ロビーは朝からとても込み合っていた。
  
(モクレンの蕾)
ドックを受診しているクリニックからの紹介で予約を入れてもらったが、担当医の問診を受けるまで1時間近く待たされた。そこで今日の検査の項目が告げられて、一日の検査がスタートした。
  内科の待合室の椅子に腰かけて、周りを見渡していると、殆どの来院者が夫婦と見られる同伴者がいたり、高齢者には介護士の様な人が付き添っていた。
  私にも奥さんが同伴していた。今までは奥さんの診察日に、私が運転手で同伴していたのだが、今日はさかさまになった。うちの奥さんは長年の病院との付き合いで、病院内の事に慣れていて、とても手際良く私を誘導してくれる。まるで私の介護士の様だった。
  
  朝から絶食絶水で2時半ごろまで、食事もとるれない有様で、ようやく3時前に軽くサンドイッチで朝昼兼用の食事をとる事が出来た。
  現役の頃から病院には縁がなく、入院したのは、不覚にもリタイア前に喫茶店を出た先の大理石の階段を踏み外して、三日ほど運び込まれた汚い病院にいた事ぐらいだ。
(朝の大阪平野)
全く、発熱や痛み、体の不調など何の自覚症状もなくて、検査の結果精密検査の受診を申し渡されたことで、狐に摘ままれた様だが、問診を受けた担当の医師からは、それが事前検査だと告げられた。暫く結果待ちの憂っな日が続く、、、

  

2012年12月11日火曜日

「小沢昭一的心だー」

  私は、昭和42年に社会に出て平成16年まで37年間のサラリーマン生活を過ごした。しかも、その37年間の間、私は、その生涯をセールスマンで通したと自負している。
朝早くから、社用車を駆って会社を飛び出し、あちらこちらを飛び回った。若い頃、四国に赴任していた時期などは、自らハンドルを握って1日200キロ以上走る事もザラだった。そんな折に車のラジオから流れてくる、NHKの「昼の憩い」のテーマ曲は、営業の出先でホッとするひと時だったし、それと忘れられないのは、昼過ぎに、ラジオから流れて来る「小沢昭一の小沢昭一てき心だー」と言う軽妙なトーク番組だった。以来、俳優の小沢昭一は私の中で、最も親しみやすく、好きな俳優に成っていた。
  彼のラジオトークは、人がまねの出来ない境地に到達していたと思っている。NHKの「昼の憩い」と言う番組も随分長く続いているラジオ番組だが、もう小沢昭一氏の生の声を聴く事は出来なくなった。
  リタイヤして8年が過ぎた、昭和生まれの先輩が次々に居なくなるのも寂しい。


  
  
  
  http://www.youtube.com/watch?v=9QLuvzjLlQo (NHKの昼の憩いのテーマ)  youtube

2012年12月6日木曜日

デイブ・ブルーベック・カルテット

  朝のNHKニュースが、アメリカのコネティカット州で5日、ジャズピアニストのデイブ・ブルーベックさんが91歳で亡くなった、と言うニュースを伝えていた。
彼のジャズカルテットのアルトサックス奏者だった、故ポール・デスモントが作曲したテイクファイブと言う曲がジャズナンバーとしては空前のヒット曲となって、1960年後半に彼のジャズ・カルテットが一躍世界のジャズファンの注目を集めたのです。
  私の所有するLPレコードにも、テイクファイブ・デラックスと銘打ったアルバムが入っていますし、その影響から、当時、何枚かデイブ・ブルー・カルテットのアルバムを購入しました。特に私は、すでに10年以上前に亡くなった、アルトサックス奏者のポール・デスモントの軽妙なアルトサックスの演奏に惹きつけられました。
テイクファイブのアルバムには、1963年2月22日に行われたカーネギー・ホールでのコンサート録音と、1961年9月6日のスタジオ録音の初演盤が入っていますが、断然、演奏会場の歓声と熱気が伝わるカーネギーホールでの収録が魅力的だと思いました。
  4分の5拍子が刻む変拍子のリズムの上に、アルトサックスの軽妙な掛け合いが、何んとも心地よく、一世を風靡するジャズナンバーと成ったのです。
私が、このLPを手に入れたのは、たぶん1970年代そこそこだと思うのですが、デイブ・ブルーベック・カルテットが発表したALICE IN WONDERLAND(不思議の国のアリス)と言うアルバムの収録曲なども冒頭から4分の3拍子で始まり、途中で4拍子に変わると言った、変拍子の一端が覗いていました。
  それと、デイブ・ブルーベック・カルテットのアルバムの解説に目を通すと、由井正一氏と言う懐かしいジャズ評論家の名前が目に入って来ました。
  
手にするジャズのLPアルバムも、今から、かれこれ40年の昔を懐かしく思い出す物に成っているのです。
  
  

2012年12月3日月曜日

社会に潜む危険

  中央道の笹子トンネル内で天井に設けられていた1トン以上の重さのコンクリート板が、100m以上の長さで崩落した。テレビ報道ではコンクリート板を吊り下げていた鉄製の金具の劣化ではないかと、伝えられている。記者会見をした中日本高速道路の幹部によると、点検が目視のみで、経年劣化を調べる科学的検査は取られていなかったと言うのです。
  一連の報道を聞いていて、何んともお座なりな管理体制に思えてしかたがない。厳密な点検検査には大きな費用負担が避けられず、簡易な目視で済ませていたと言うのだ。
  30年以上の構築物は全国に数限りないが、それらのメンテナンスは如何成っているのだろうか。今回の事故を垣間見るだけで、現在、経営者としてそれらの監督義務を負う人達のおおらかさが目についてならない。厳しくきめ細かな目配りや気配りが敬遠されがちで、その傾向はひょっとしたら、社会全体に広がっているのでは無いかとさえ考えるのです。何か不手際や不都合な事柄が判明すると、取りあえず上層部が会見で一斉に頭を下げる事で事が住むと、思い違いしていないだろうか。
  気がきかない気付かない症候群とでも言おうか、社会全体の空気の弛緩が、日本の政治、経済、社会、文化を侵食しているのでは無いかと思えてくるのです。
  トンネルの天井板の崩落と言う一つの事故に相応する考えられない出来事が、今後も日本全国で起こるのでは無いかと懸念されます。
  現役の頃、ヒュウマンエラーはどれだけ注意しても無くならない、どれだけその件数を減らせるか、と言う事を問題にした経験が有ります。
  
  今回の事案の監督行政は国土交通省だと思うのですが、形骸化した行政組織では決定的に気配りが欠落していると思わざる負えないのです。
  今の形ばかりの政治行政の下では、社会のどこに危険が潜んでいるのか分かりません。
  

  

2012年12月2日日曜日

お婆さんの手編ソックス

(咲き出した実家の山茶花)
12月に入った今日、昼過ぎから宇治の実家に向かいました。お婆さんは週初めの火曜日から、一日置きに土曜日迄デイサービスに出かけます。つまり、週に三日はデーサービスの車が迎えに来てくれます。寂しがりやのお婆さんは、このデーサービスが生きがいに成っているのです。
  食事も美味しいし、デーサービスに来ているメンバーと顔を合わせている間が、余計な事を考えない何よりの時間だと言うのです。それで、予定の無い日曜日と月曜日、一人で家の中にいる二日間が、とても手持無沙汰で寂しいらしいのです。
  此のところ、補聴器なしには殆ど周りの声は聞こえないのですが、補聴器を嫌って付けようとしません。お婆さんの状況を想像すると、耳が聞こえないと言う事は、静寂の中で一日中を過ごしているのだと想像するのです。奥さんと電話でしゃべっていても、適当な返事が返って来て、殆ど会話に成らないようです。
  年明けの一月五日で91歳に成るお婆さんにとって、一日一日を過ごす上での問題は、デーサービスが無い日の食事の事ですが、殆ど運動らしい運動をしていないお婆さんは食欲がわかないと言うのです。そもそも、一人で食事をすると、何を食べても美味しくないとこぼしています。
  
所が、内の奥さんが作る食事を、「美味しい、美味しい」と言いながら完食するのです。
  行き付けの近くの町医者や歯科医院、それにエデンさんと言うお気に入りの美容院と、近くのセブンイレブンに出かけるくらいで、一人で遠くに出かける事もありません。
  そのお婆さんが、最近、しきりに「もういい加減にお父さんが迎えに来てほしい」と言い出しました。
  内の奥さんも心配に成って、取りあえず、何かお婆さんの日々の生きがいを作らねばと考えて、最近、毛糸でホームソックスを編んでくれるように頼みました。実は、お婆さんは若いころから編み物の達人で、機械編みで家計を支えた程の腕前の持ち主だったのです。
  しかし最近、周りの者達に手編みのセーターを編んでやる事も無くなり、すっかり編み物をする事も無くなっていました。
  娘からのリクエストに気を良くしたお婆さんは、古い毛糸をほどいては、ホームソックスを編み出したのです。私も、直接、私のソックスを頼みました。
  今日、実家に行くと、もうすでに4組のソックスが出来上がっていました。その他にデーサービスのお友達に、二組のソックスをプレゼントしたと言っていました。お婆さんの手持無沙汰の解消に、このホームソックスの編み物が効果を発揮していました。
  今、内の奥さんも、ネットでハマナカのちょっと上等の毛糸を取り寄せて、孫のニットのワンピースを編みだしていますが、実家のお婆さんも、実は、Craft婆さんだったようです。何もしないのはCraft爺さんだけに成ってしまいました。