我が家から阪急川西能勢口駅までは車で5分の位置にある。その阪急川西能勢口駅の高架を過ぎた交差点から5キロ程南に行くと、そこはもう伊丹市の中心地になる。
今朝は、壊れたテレビを家電量販店へリサイクルに出したついでに、県道13号線で池田尼崎線の途中に位置する伊丹市のニトリ迄、足を伸ばした。
奥さんが、家庭用品を見ている間、私はニトリを出て、伊丹の中心市街地を歩いてみた。私たち夫婦は豊中市に15年、今の宝塚市に15年住んでいるが、近くの伊丹市は空港の有る町ぐらいにしか考えていなかったので、そこの情報はほとんど無かった。
猪名川の西岸から武庫川にかけて広がる地域は、思ったより歴史が有る土地柄のようだ。
伊丹中央の表記のある地域は、昔から猪名野と呼ばれ、瓦が乗った白い土塀があったり、木造の酒蔵を思わせる建物が残っていたりで、とても趣のある風情を感じる街並みに成っていた。
私がニトリの有る建物側から、県道13号線を渡った辺りに丁度、小西酒造と言う酒造元の本社があり、白雪の樽が積まれた販売店や、酒蔵を改造したレストランなどが並んでいた。
その町並みは倉敷の歴史地区とまではいかないが、とても落ち着いていて、好印象の佇まいを感じる事が出来た。その界隈は伊丹郷町(いたみごうちょう)と言われ、元々酒造元が集まっていた所らしい。しかし、目線を上に向けると、この街の中心市街地は真新しい高層のマンション郡に取り囲まれていた。
鎌倉時代からこの地を管理していた伊丹氏によって城が築かれていたが、織田信長に仕えた荒木村重が伊丹氏を滅ぼし伊丹城の名称を有岡城と改め自身の居城としたあと、織田信長への謀反で城を捨て出奔してしまう。その後、江戸時代には京都の公家、近衛家の領地となって、その時代からこの地域で酒造りが盛んになったと言われている。
この地域は、兵庫の灘、京都の伏見と並ぶ近畿の酒造りが盛んな地域だったらしい。しかし、それも明治以降急速に酒造りが衰退して、現在では僅かに二つの酒蔵が残っていると言う事なのです。
後で、中世以降のこの土地の歴史を少し覗いてみたのですが、江戸時代に至る迄の摂津、三木、篠山、尼崎等の地が天下騒乱の中で興味深い歴史をたどってきていて、ちょこちょこ調べて見るのも面白そうだと感じた。
京都から兵庫にかけて、近隣に池田、茨木、高槻等の歴史に良く登場する市が並ぶが、その中でも伊丹市は調べれば面白い地域なのかもしれないと感じた。
0 件のコメント:
コメントを投稿