私は、学生時代の四年間と社会人になってからの8年半、併せて12年半も京都にいました。それで、どういう分けか、私の中の梅雨明けと夏の到来は、祇園祭が基準に成っていたようです。ただ、学生時代は、この頃、学校が夏季休暇に入っており、ほとんど京都には居なかったので、私の京都での感覚は、会社の勤めが京都になり、そこで家庭を持った時からの基準と言ってもいいかも知れません。
京都の町もこの山鉾の組み立てを皮切りに、祇園祭の雰囲気が高まって来ます。14日~16日が宵山になり、夕方から各鉾の上で祇園囃子が行なわれますと、祭りのムードが盛り上がり、翌日の山鉾巡行で、それが最高潮に達するのです。
でも、祇園祭はそれで終わりでは有りません。その日の午後、八坂神社で神幸祭と言って、神輿渡御に先立って本殿で祭典が行なわれ、夕方には、各鉾町にこの神輿が繰り出すのです。
この後、花傘巡行や環幸祭などの日をへて、一ヶ月に及ぶ祇園祭が締め括られます。クライマックスの山鉾巡行が終わると、京都の街中は、水を打ったように静かになりますが、京都に暮らすと、今言ったような、色々な行事を見る事が出来るのです。
昭和50年の7月、ちょうど山鉾巡行の日、四条どうりの沿道は人の波で埋まっていました。私は、その人ごみの後ろで、山鉾の巡行を眺めていると、そこに山鉾から投げられたちまきが飛んできました。私は咄嗟に手を伸ばすと、その手の平にすっぽり、ちまきが収まったのです。普通、なかなか山鉾から撒かれるちまきを掴むことは出来ません。その日、会社に帰ると、それまでの京都生活に終わりを告げる、会社の転勤辞令が発令されていました。それが、京都で見た私の最後の山鉾巡行だったのです。
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