2年前の政権交代時点で、彼の賞味期限は切れかけていた。何故なら、自民党の敵失による政権交代にしろ、その主導的役割は、圧倒的に小沢の豪腕に頼ったものであり、与党になった当初から、自らは前面に立って党を主導する気力を保持していたとは思われ無いからだ。そこに、後に最低の総理と言われる鳩山首相がもたなくなって、文字通り、晴天の霹靂で代表の座が転がり込んできた分けである。
その時、小沢も動けず目の前に総理の座が提示された為、何とかなると、意を決したものの、それまでに国のトップとしての政策を含めた事前準備が決定的に不足していたと思わざるをえない。また、タイミングが悪かったのは、マスコミによる政治資金規正法違反容疑報道で世間的に反小沢のムードを高め、党内の小沢外しに乗ってしまった事ではないだろうか。この事は、後々、党内に深刻な亀裂を生じさせて、民主党としての一体感を当初からスポイルする事となってしまった。
自己の政策的なバックボーンが欠如している為に、最初から付け焼刃で唐突な政策を口にすることになり、内閣としての確固たる方向性や政策的裏づけの無いまま、若手と左派系の反小沢グループによる内閣運営は、初めから国家運営のキャリア不足を抱込んでいたし、それに加えて脱官僚の旗印は掲げ続けていた為に、官僚組織も使いこなせず、国会のスムーズな運営まで滞る始末となってしまった。そんな中で、東日本大震災発生が発生した。
東北の歌人石川啄木の歌の中に、「石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ消ゆる時なし」という歌があるが、菅首相を取り巻く環境は、まさにこの「石をもて追はれるごとく」のフレーズを地で行く状況に陥ってしまっている。冷静に判断すれば、普通はここまで来る段階に、どこかで区切りをつけると言うのが当たり前なのだが、今迄状況を引っ張って来たと言うのは、自分も周りも、適切な状況判断能力を無くしているとしか思われ無い。我々国民は彼の意地の政治に付き合わされる事になってしまったのだ。
最初から、総理大臣と言う地位を望まなかったならば、彼の評価や人生は、また違った状況になっていた可能性を考えると、人生とは皮肉なものだと思わざる負えない。
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