2011年4月17日日曜日

遠い記憶の詩

 可笑しなもので、私はこの時期になると、  どういうわけか三好達治の詩を思い出す。
その詩は、自分では、中学生の頃の国語の教科書に載せられていた詩だと思っているが、その詩について、特別、誰かと話し合ったりした分けでもなく、試験に出題されるというので覚えたという分けでもないと思っている。ただ、私は特別、詩を好んで読んだ記憶も無いので、其の時の自分の頭の中に、何かインプットされるような言葉の響きがあったのだろう。
 あわれ花びらながれ、おみなごに花びらながれ、、、で始まる、三好達治の詩集「測量船」の中に収められている、「甃(いし)のうえ」という題名の詩なのです。

                 甃(いし) の う へ

            あはれ花びらながれ                  
            をみなごに花びらながれ
            おみなごしめやかに語らひあゆみ
            うららかの跫音(あしおと)空に流れ
            おりふしに瞳をあげて
            翳(かげ)りなき寺の春をすぎゆくなり
            み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
            廂(ひさし)に
            風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
            ひとりなる
            わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ
                              
                              (詩集「測量船」より)
 
 私は高校を卒業して、京都の同志社大学に進んだ。同志社のキャンパスは南側が御所で東の
女子大の奥は、相国寺という禅宗のお寺になっていて、周りの環境が、この詩のシチュウェイションを思い起こす環境であることも、学生時代から、しばしば思い出していた理由なのかも知れない。 


             ああ風で花びらが流れる 
             歩いてくる娘達の上に花びらが流れる
             娘たちはしとやかに話しながら歩いている 
             のどかな足音を響かせながら
             時々に花をあをいで
             春の陽を受ける寺のそばを通り過ぎていく
             寺の瓦は緑色に映え 
             ひさしに 
             静かに風鐸が吊り下げられている 
             私は一人で
             自分の影をい石畳に見ながら歩いていこう   (Craft爺)
 
 もう、季節の歩みは速く、桜の木々は花びらを散らして、若葉が覗き始めている。
我が家の周りも、時々に、吹く風で花吹雪が舞うほどだ。
 桜の季節が終わりに近づくと、自宅近くの椿が花を付け、つつじの蕾が膨らみ始める。間もなく、花水木も花をつけ始めるのです。
                                               

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