2012年5月5日土曜日

葵祭(賀茂祭)の禊の儀

   今年は桜の花の盛りに宇治の母を連れて、上賀茂神社の見事な枝垂桜を見る事が出来た。
時が進み桜も散って新緑の季節を迎えた昨日、京都の葵祭の斎王代による禊の儀(みそぎのぎ)が、上賀茂神社で厳かに執り行われたとのニュースを目にした。
5月の15日に行われる葵祭は京都に勤めていた頃、ウィークデーの昼間の事でもあり、斎王代を中心にした華やかな行列を見に出かける事は出来なかった。新緑の昼間に催されるこのお祭りは、元々、京都の祭りと言えば賀茂祭と言いわれこのお祭りを指したとの事である。京都御所を出発した行列が、左京区に在る下賀茂神社から北区の上賀茂神社に至る行事で、両賀茂社の例祭として1400年の昔が起源とされているとの事である。それは、京都では、庶民のお祭りである祇園祭と武者行列が勇壮な時代祭とともに、京都の三大祭りに数えられている。
下賀茂神社の祭神は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)とされていて、上賀茂神社と合わせた賀茂社の総社とされ正式名を賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と呼ばれていると記されていた。
また、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)と言う上賀茂神社と合わせて、京都では、八幡の八幡八満宮と共に天皇陛下が直視を使わされる、勅祭社との事であった。
しかも、賀茂氏と言うのは大和朝廷に遡ると、山城の国の現在の奈良県葛城地方を出自とするとの事で、今に伝わり何気なく眺めていた日本のお祭りも、元を辿って行くと、どんどん神話の世界に近ずいていくのが興味深く思われた。
  
  今年は、たまたま駐車場を求めて訪ね歩いた先の上賀茂神社で、素晴らしい桜の花見が出来た事から、何となく親しみの深い神社に思えて、そのお祭りの起源を覗いてみた。



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