2011年6月12日日曜日

Canon FTb

 梅雨の一日、雨が降り出す前に散歩を済ませてから、部屋で古いカメラバック等のかたずけをした。大型のカメラバックには、今もフイルム一眼レフカメラが二つ入っており、一つはCanon AL-1といって近くのカメラチェーンを覗いた時に、遊びで中古の安いカメラを買って帰ったものだ。どうしてか、巻き上げレバーがびくとも動かない。もっとも、電池が入っていないので動かないのかもしれない。そして、もう一つは、私が一眼レフカメラを買った初めてのもので、これもCanonのFTbというカメラだ。このときは、50ミリの標準レンズの他、24ミリと35ミリの広角レンズ、それに135ミリの望遠レンズを持っていた。今も、24ミリと35ミリのCANON FDレンズはカメラバックの中に納まっていた。とても、思い出の深いカメラで、本格的に写真を撮るようになった切っ掛けのカメラだった。その後、CanonがライバルNikonに対抗して社の精力を挙げたF1というカメラを発表した。どうしてもそのカメラが欲しくて無理をして手に入れた。、当時、私の給料ではとても高い買い物だったのだ。 FTbからF1に持ち替えて、休みの合間には得意になって写真を撮っていた。
 私は、今も連絡を取り合っている幼友達の影響もあって、中学時代から写真にとても興味を持っていた。友達の中には、その時代から、父親から借りたペンタックスなどを旅行に持ってくる者もいて、とても羨ましく思ったものだ。当時、そんなものは、家の経済状態では到底、買ってもらえる様な物では無かった。そんな事から、社会人になって自分の収入で買える様になったと時、真っ先に一眼レフのカメラを手にしていた。
 そんな、私の趣味が、弟に影響しその先に、一時期、息子にも影響を与えた。弟は、下積みの苦労を経て本物の写真家になった。誰もが苦労するこの時期、彼も大阪にスタジオを構えて頑張っているが、写真をやるといった息子にカメラバックごと渡した時期があったが、それは長続きしなかったのだ。父親が苦労して手に入れたF1は、いつの間にか、彼の友達に譲られていた。
 そう言う分けで、家に残された大型のカメラバックの中には、Canon F1のアクセサリーのバルブフラッシュやフラッシュカプラーという部品が残されていた。
 それと、FTb用のTTLブースターと言うのが見つかっのは、本日の収穫だった。以前からあるのは分っていたが、さっぱり、何に使ったのかを、思い出せなかった。ネットでさんざん検索すると、FTb用で周りが暗い状況での撮影の為の補助装置だった。たぶん当時購入したは良いが、ほとんど使わず、そのまでほったらかされた物だったに違いないと思った。
 これからも、記憶が飛んでしまわないうちに、少しずつ、周りのかたずけをしなければと、反省する一日になった。

2011年6月11日土曜日

梅雨の晴れ間

 9月7日はいつものゴルフの研修会の日であった。ところが、5日に研修会のメンバーのN君から緊急の電話が入った。彼は無類の呑む兵衛でカラオケが好きと来ている。いっも近くの飲み屋やスナックに自転車で出かけて、楽しい時間を過ごすらしい。ところが、4日の晩は、少し呑みすぎた。
帰り道、自転車の千鳥足で肩からつんのめったとのことだ。翌日の病院の帰りに電話を入れてきたが、どうも、右肩脱臼に、ひょっとしたら骨にひびが入っているかもしれ無いと言う。彼はゴルフの調子が上り調子だっただけに残念だっろう。しかし、歩道から、道路側に倒れたらしく、車でも来ていたら命に関わる所だった。
 今迄、アクシデントでメンバーが抜けることは初めてのことで、兼ねて一度ゴルフに行こうと話しをしていた古い友達に連絡をいれて、快諾をえた。
 ところが、翌日M君からも、急に電話が入り、奥さんの母親が90歳代で亡くなったとの連絡だ。結局、いつもの二人が欠席で、急遽、連絡を取ったK君を入れて三人でラウンドする事にした。
 ハンデがシングルのU君に事情を連絡すると、彼が7日はどうも雨模様なので、8日か9日あたりに予定を替えられないか交渉してみたら、と言う。幸い9日、9時前のINスタートに変更することが出来たが、今回ほど、ラウンド前にばたばたした事は無かった。6月の梅雨らしい天気が続いて、多少の雨は覚悟しなければならないが、9日は午前中の曇りが、昼からは晴れ間も出るゴルフ日和となった。
 K君とは現役時代から26年ほどの付き合いだが、若いころ、四国の松山勤務時代から良くゴルフをしたライバルだった。しかも、私の生涯ベスト スコアーは彼のメンバーコースで、37、39、の76で、バブルの時期を経てコース名が何度か変わったので、以前の名前は忘れたが、山の尾根を行くような丘陵コースでフェヤウェーの幅もとても狭かった。そのコースにはその後行く機会が無かったが、今、吉川ロイヤルGCと名前を変えていて、私のメンバーコースのパインレークGCとは目と鼻の先に位置していたのだ。中国道を使わず、下道で三田方面に向かって帰る途中に、いつも見かけていたコースだった。
 ゆっくり、三人で回ったが、相変わらずU君は調子が良く、途中までワンアンダーのペース、後半少しつまづいても41点、折り返しは43点と難コースでも安定したペースで上がった。K君もゴルフは以前から上手かった。花粉の最盛期にはゴルフをやめているが、歳相応に肩の痛みなどで、私とどっこいのラウンドペーストなった。互いに100を少しオーバーの結果だったが、久し振りの交友で楽しい時間を過ごせた。
 

2011年6月8日水曜日

烏滸の沙汰

 世の中が落ち着かないのは、勿論、東日本大震災による大津波による被災と、今も状況が危惧される福島第一原発の推移である。三ヶ月が経った今、大震災直後の原発事故の状況が政府のトップ、一握りの人間達によって握りつぶされ、正確なデーターが影響の及ぶであろう地域の人達に知らされなかった事がはっきりしました。
 昨日のNHKBSでのハーバード大学緊急討論でも、海外の検証チームによって、日本政府の情報開示に問題が有る事が、はっきり指摘されているのです。
 与党の中の彼らは、その若さや経験の無さから大きな勘違いをしていると思うのです。私達国民になんら責任を負うつもりも無い人間たちが、あたかも全ての権限を与えられて、国民の生死を左右できると思っている可能性がある事なのです。あえて言えば、あの若い口先男の官房長官などはその典型ではないでしょうか。被災地域に対する初期対応も大幅に遅れ、被災地のその後の難渋は人災とまで言われています。そうした状況から、今の菅首相を初め、政府と民主党の執行部は一蓮托生で、大なり小なり責任を免れぬ人たちだと思うのですがどうでしょうか。
 その同じ人たちが、今度は、しぶしぶ退陣を匂わせた菅首相の退陣後について、云々しています。如何考えても、今顔が浮かぶ民主党の議員達で、次の日本の代表を任せられる人は一人もいません。参議院の西岡議長は、菅首相が自分の進言を無碍にしてから、徹底して首相攻撃を行なっていますが、曲がりなりにも、与党で参議院の議長まで務める重鎮が内輪の総理大臣を公の場でこき下ろすのを見るのは、前代未聞の事だと思うのです。
 首相退陣後について、急に騒がしくなった執行部の面々の事を、新聞記者に問われて、西岡議長は、「烏滸の沙汰」といいました。学のない私は、その都度勉強させられるのですが、オコノサタとは「笑えるほどバカバカしい状況」と言う意味で、烏滸とは中国の後漢の時代、からすが水辺で騒がしいという字句からきていて、我が国では、烏滸がましいなどの言い回しに繋がっているとの事です。ようは、首相の後継について物を言うのが烏滸がましい人たちが、自らの不徳で国民に対し大きな迷惑をかけているにもかかわらず、全くそのことに気がついていない状況なのです。
 このブログで、以前書きましたが、冗談では無く与野党でこの先を託せる人材がいるのでしょうか。無縁社会を生きる私達は、どんどん、内に篭って、その様な状況に視てみぬ振りを決め込みがちです。
 私が今、救いだと思うのは、今回被災した東北地域の地方行政に関わる人達の中に、期待のもてる人達が多くいると思えた事なのです。
 私達はこれからも暫く、心と生活の落ち着かない日々が続くかも知れませんが、被災地で心細さと、不自由な生活を余儀なくされている人たちの事を考えると、そんな事も云っていられないですね。

2011年6月6日月曜日

「縁無き衆生」

 新聞に載っていた週刊誌の広告見出しに、「度し難し」という言葉が載っていた。「度し難し」なんて、目にする事も、耳にすることもあまり無い。そこで、調べてみると、度し難しというのは、救いようが無いという意味と言うことだ。そしてその言葉は、「縁無き衆生は度し難し」と言う仏語に由来する諺にあると書いてあった。
 縁とは機会と言う意味で、衆生とは人のこと、それに度しは救う事を意味し、難しで出来ないと言う否定になる。その仏語の前後には、お釈迦様がどんなに偉くとも、その教えを聞こうとしない人まで救う事は出来ないと言う意味で、その事から、人の忠告を聴こうとしない人は救いがたい、と言う時に使う諺だとの事だった。
 戦後に育った私達は、まだ戦前の道徳教育を受けて育った親達も若く、事あるごとにその影響を強く受けながらも、主に、戦後の民主主義や米国流の個人主義教育の中で育った。そして、私達の子供は、日本の戦後の高度成長とより自由な個人主義的教育のなかで、より個性を尊重する教育を進めらる中で育ったと思うのです。

 ここに来て、現在の日本社会の状況を憂うる話や記述を目にすることが多くなったが、1990年あたりから、日本の経済成長はピークを越え、今日まで長い停滞の時期を経てきた。日本の元気な時代を生きてきた私達にすれば、今の日本はどうなってしまったのかと憂うる事しきりだが、より深刻だと思うのは、社会も家族も個人さえもが、ばらばらになって協調性や連帯性が急速にに希薄になってしまった事ではないだろうか。しきりにマスコミなどで、無縁社会と言う言葉が語られる。
 個人主義や画一的で無い個性を尊重する考え方は、世界の自由主義と民主主義が成熟する中で主導権を握ってきたが、その道がそれて間違っていないかを警戒しなければならない。
過去からの歴史は常に時間軸を別にして、行きつ戻りつの繰り返しで形成されて来た節がある。
 そこで、「縁無き衆生は度し難し」だが、個人がその考え方や生き方を主張するだけでなく、その生き方が謙虚で有る事と調和させ無ければ成らないと思うのです。
 「唯我独尊」と言う言葉もありますが、行き過ぎて、自分だけ良ければ良いという風潮があまりにも目立つと思いませんか。家庭は核家族化、終身雇用から非正規社員へ、それが行き着いて、とうとう無縁社会と言われるまでになっていないでしょうか。
 日本国を運営する政治が今のような状況に陥っているのも、元はといえば私達一人一人(周りに無関心な個人主義)のせいかも知れません。日々の生活の中で、少しは謙虚に人の言葉に耳を傾ける事、その上で身を処して行く事が求められるのかも知れませね。

2011年6月5日日曜日

「いずれがあやめかきつばた」

 私達の朝の散歩コースに、とても立派で歴史がありそうな幼稚園がある。あるとき、その幼稚園に隣接する空き家の住宅が取り壊されて、小さな池を配した植物園が出来た。この幼稚園が子供達の為に造ったのだ。秋には、その小さなスペースで田植えを行なったり。夏には、大きなひまわりの花が咲いたりで、結構楽しめるスペースになっている。
 梅雨入りして、季節の花々もどんどん歩みを進めて、その小さな植物園には、今、あじさいが咲き始め、小さな池には、可愛らしいはすの花が咲いた。
 又、その横のスペースに、すっとした紫色の蕾が伸びて、あやめの花びらがひらいている。
最初、この時期だから、これは菖蒲かな、と思ったが、いやいや、あやめかもしれないと思って写真に収めた。
 自宅にかえって、調べてみると、「いずれがあやめかきつばた」とある。そうそう、昔からこの花々の見分け方が、難しくて、こんな言葉があるのだろう。
 その見分け方で、簡単なのは、花びらの基のところが黄色なのが菖蒲で、花びらの基のところに
網上に線があるのがあやめだそうだ、それにかきつばたは、根もとの部分が白いものとなっていた。あらためて、取った写真を確認すると、花びらの根もとに白い線が入っている。これが、あやめか、と納得した。ちなみに、菖蒲はアヤメ科ではなく、サトイモ科だそうだ。ヘー、
 あじさい、あやめ、はすの花、いずれも梅雨の季節に、私達の目を楽しませる花々だ。
 

2011年6月4日土曜日

ゴロタ石と龍の髭

 梅雨が始まる前に、工事が予定されていたマンションの植栽工事が始まった。マンションの正面玄関側に繋がるつつじの植え込みが随分傷んで、おまけに、雨がひどくなるとその部分から土が流れだしていた。理事会で以前より懸案になっていた件を、今の役員の努力でようく工事が実現した。マンションの中で女性達数人が植栽の役を引き受けて手助けをした。
 枯れたり痛んで歯抜けになっていた背の低いつつじの木を補充して、道路側に土が流れないようにと、ゴロタ石と言う丸い石が並べられ、セメントで固める工事が施された。
 この、石の内側のつつじの植え込との間に一メートルほどの間があって、そこに山土を入れ、その上から玉流と言う草を手の幅間隔で植えていくのだ。
 造園の会社からは三人程の人が入って、昨日、今日と作業に当たったが。この玉流と言う草を植えるのは、マンションの住人の仕事になっていた。
 朝の散歩から帰ってくると、その作業が始まりかけていた。朝から、つつじの木を植え込んで、後は玉流と言う草を植えるだけになっていた。造園業者の人に声をかけると、この草はその形が龍の髭に似ている事から通称龍の髭、玉流と言う草だという、説明を受けた。
 住人6~7人でこの龍の髭を植える作業に取り掛かった。軍手を持ってきて、久しぶりの土いじりだ。龍の髭を植えた後で黒っぽい樹皮堆肥を敷き詰めて作業完了。皆で、30分ほどの作業に汗をかき、これで何とか梅雨の本降り前に土止めの作業を終える事ができた。

2011年6月3日金曜日

昔のLUXMAN

  日本のオーディオメーカーで草分けの部類に入るLUXMAN(ラックスマン)と言う会社がある。私が最初にこのLUXMANの製品に触れたのは、1976年頃だったか管球式のシンプルなプリアンプCL-32を使った時からになる。その時は、パワーアンプに英国のクオード405との、今となっては、なんとも変な取り合わせの構成だった。これで、タンノイのアーデンを鳴らしていたのだが、CL-32とクオード405との取り合わせで、出てくる音は高音がキラキラするような、とても華やかな美音を発していた記憶を持っている。
 その後、このCL-32のプリが同じ管球式のプリアンプでCL-36に昇格した。同時にパワーアンプがパイオニアの純A級アンプExclusive M4に変わっていた。それからこの組み合わせが、私のその後のメインシステムとして、随分長く続いたのです。
 この様に、LUXMANの製品との出会いは、ステレオの管球式プリアンプが初めてであった。しかし、今となっては、とても悔やまれるのは、そのときシステムに組み込まれていた、ドイツのアナログターンテーブルのDual(デュワル)1229を早期に手放してしまった事だったが、この時、デュワルと入れ替わったのが、LUXMANのPD-444と言うターンテーブルだった。
 この、PD-444というターンテーブルはアームを二本セットできるアームベースを持っていて、当時、LUXMANから発売され、大変注目されたアナログプレーヤーだったのです。デュワルのプレーヤーは、それに比べると何処か玩具っぽく見えた。アームもカートリッジも固定だったと思う。オートチェンジャーと言うのも軽い製品のように思われた。しかし、今になって思うと、あのDual1229と言うのは、別の仕法で、PD-444に勝るとも劣らないメカニズムを持ったプレーヤーだったと思うのです。
 ともあれ、その時の私は、LUXMANのPD-444の導入にまっしぐらだった。まず一本目のアームはフィデリティー リサーチのFR-64sというアームで、今日でも大変人気の高いアームなのです。つぎの二本目はサエクのWE-308SXと言うアームで、これも又、とてもメカニカルで凝ったものだった。その当時、私のオーディオシステムの完成形はプリアンプにLUXMAN CL-36、パワーアンプにPioneerのExclusive M4、ターンテーブルにLUXMANのPD-444、という構成であった。そこにオーディオカセットデッキでNakanichin 670ZXがラインナップされていた。一時、ティアックのオープンリールデッキを持っていたが、世の中は断然カセットデッキに傾いていたのだ。これらで、TANNOYのアーデンを鳴らしていた。
 会社に入って、初めてのボーナスをつぎ込んで買った、山水のモジュラーステレオから10年ほどの間のオーディオの変遷を簡単に振り返って見た。それと最近、PhileWebという電機製品などの紹介ページでLUXMANが28年振りにPD-171というアナログターンテーブルをリリースしたという記事を目にして、遠い昔、私もLUXMANのターンテーブルを使っていた事を思い出したのです。

2011年6月2日木曜日

雨上がりの朝歩き

  私が今のところに引っ越して来たのは、阪神大震災の翌年、平成8年10月の事で、今年でまる15年に成る。雨上がりの今朝の散歩も、大阪平野お望む南斜面の丘陵地に位置する雲雀が丘山手は、山の草木が緑を深めて青々と茂ってきた。
 毎朝、アンディーと奥さん同伴で歩くようになって6年ほどに成るが、山手の家並みも随分変わってきた。古い大きな屋敷が取り壊されて、そこに幾つもの小ぶりな家が建てられる。
わざわざ、こんな丘陵地の海抜の高いところに、家を建てて、引っ越してくるのだから、ここの土地に相当こだわりのある人達なのかも知れない。 
 宝塚の花屋敷地区と雲雀が丘山手地区とは隣りあわせで、今年からこの地域の自治会役員になって知った事だが、花屋敷地区で240所帯程が住まう地域になっている。
 花屋敷つつじヶ丘のバス停を出発して、雲雀が丘山手を経由、阪急宝塚線沿いの下道まで降りて、下の176号線から、つつじヶ丘の奥の満願寺地区に通じるバス道を歩いて帰るのが、私達のいつもの朝の散歩コースになっている。
 今年10歳になったアンディーは、もっぱら抱っこで、ほとんど歩かないから、私は3キロの荷物を抱えて歩いている状態になる。行きはよいよい、帰りは怖いで、下から登りの後半は、ゆっくり歩いているのに背中が汗ばんでくる。
 夏を前にしたこの時期、道すがらの名前も知らない花や木の実を眺めながらのいつもの朝あるきだ。

2011年6月1日水曜日

VAN DEN HUL

  VAN DEN HUL と言うのはオランダのオーディオケーブルの老舗メーカーでとても有名だ。
そのバンデンハルの新しいRCAのラインケーブルが、神奈川から今日届いた。先日、購入したフォノイコライザーとプリアンプの間を繋ぐために探し出したものだ。
 私の、ターンテーブルはSMEのアームのケーブルも、SMEのRCAプラグにバンデンハルのケーブルがフォノ用にアースをつけて加工されている。ターンテーブル購入と同時にSMEの3009Rのアームを付けたので、その時、SME専用のケーブルとして付いていたものと思っていたのだが、ひょっとすると、オーディオショップの担当者が、SMEのRCAプラグとバンデンハルのケーブルを組んでくれたのかも知れない。その時の記憶が曖昧だが、ともあれ、このフォノケーブルをフォノイコライザーに繋いで、今度は、フォノイコライザーからプリアンプに繋ぐラインケーブルがいるのだが、それは、たまたま、手持ちしていたortofonのリファレンス7NXと言うラインケーブルを繋いで、アナログ再生を開始した。ortofon 7NXはとても良いケーブルで大事に取って置いた物だった。
 そこまで、漕ぎ着ける迄に、ばたばたしたので、まともに音が出ただけで喜んでいたが、今度は、じっくり再生音を聞き込んでみると、私の頭の中にある雰囲気の音とは、どうも違う気がした。
 オルトフォン7NX RCAケーブルは、RCAのプラグがコレクトチャック方式と言って、端子にプラグを差し込んだ後、プラグのカバーがネジになっていて、これを締めていく事で、差込が確り固定される方式になっている。最近、このコレクトチャックが、はやりになっている様だが、どうも入り口をネジで閉める事で、音が硬くなり、音の広がりに微妙に影響しているのでは無いかと言う疑いが出てきた。
 レコードを変えて聞き比べてみても、何処か音の広がりに欠ける。それなら、プラグの締め具合を少し緩めれば再生音に広がりが出てくるかも知れないと思ったが、その時、バンデンハルの上位のRCAケーブルがネットに格安で出ているのを見つけたのだ。調べてみるうちに、思わず入札ボタンを押してしまった。
 VAN DEN HUL Integration Hybrid HALOGEN FREE というRCAのケーブルで、発売以来欧州でいくつもの賞を取ったケーブルと言う事だった。
 そのケーブルが、今朝、届けられた。早速、午前中から視聴に入ったが、これがドンピシャに当たった。オルトフォンとは違って、上下左右に音が広がり、何より硬かった音に軽さが出てきた。かといって、低音も遜色なく弾んでいて、まずまず、満足のいくものだった。
 ケーブル自体は新品で、今迄、通電していない為、慣らしが必要な事は言うまでも無いが、エージングが進むに連れて、もっと滑らかな再生音になるのではないかと言う期待を抱かせた。
 結果的にアームケーブルからフォノイコライザーを経由してプリの入力端子までVAN DEN HULで繋ぐ事が出来た。
 過去に、ケーブルは、散々、試した事があるが、なかなか満足の行く結果を得ることが少ない。今回は、幸いな事に一回で決める事が出来て、とても満足の行く一日になった。

2011年5月31日火曜日

政治はどうなるのか

  明日から6月入り、現役の時だったら衣替えで、昔は女子社員の制服なんかも一斉に替わった。もっとも、今時、制服を着せている会社も少なくなったのだろう。
 TVニュースを見ていると、国会の方も、又、騒がしくなって来た。早いもので、今年の8月で、一昨年の夏、民主党が政権交代をしてから2年に成る。その間、今までの日本の政治と世間の動きを振り返ってみると、とても色んな事が有った。
 当初の鳩山首相は、普天間問題のごたごたと、母親からの生前贈与の申告漏れで敢え無く自滅。同時に、幹事長だった小沢一郎が、自らの政治資金規正法違反容疑で秘書が逮捕されるに及んで、総理と手を繋いで辞任した。思わぬ状況でお鉢が回ってきた、菅が総理大臣に選ばれた。ところが、選ばれた途端に、議論もしないで、唐突に消費税の引き上げを持ち出して、一気に不信を買ってしまう。その後の、民主党の任期切れの代表戦でも小沢と戦って、再度、菅が引き続き首相を務めるが、初めから、小沢排除の方針で、反小沢の布陣をあからさまにした為、党内は小沢に同調する鳩山、それに小沢グループと反小沢グループの対立状況を作ってしまった。そうした中、尖閣諸島での中国漁船不法操業をめぐる政府対応から、国会の紛糾が続き、反小沢の先鋒で官房長官の仙石が参議院から不信任を出され、辞任に追い込まれる。
 仙石の後を受けて、省庁の無駄の洗い出しに当たった枝野が官房長官に就任。消費税増税を一旦引っ込めた菅は、今度はTPPをぶち上げるなど、何とか不人気の挽回を模索するが、内閣の支持率は今年の年明けから、30%を大きく割り込んだ。外国人からの献金問題が発覚した外務大臣の前原の辞任と、統一地方選での民主党の大敗を受け、内閣の命運も風前の灯かと思われたまさにその時、3月11日、M9の東日本大震災が起こったのだ。
 随分はしょって、此れまでの政治状況を振り返ってみたが、大きな国民の期待を受けて、せっかく念願の政権交代を果たしながら、政権与党は如何してこのような状況に陥ってしまったのかを考えなければならない。
 日本の政治は、あの時点での自民党政治からの転換を、多くの国民が望んだ結果だったのでは無いだろうかと思うのです。しかし、国民の支持を受ける為に掲げた数々の公約に、実現性と継続性への疑問が露呈してしまった。その上、大きな問題は党内の分裂状況を、自ら作ってしまった事では無いだろうか。 
 日本にとって、最大の不運は、この様に政権に対する国民の不信が頭をもたげ、コロコロ、国の総理大臣を変えることが、世界的にも対面が悪いというだけで、継続が許される様な状況の中で、国難とも言える、大地震と大津波が起こって、それに原子力発電所の大事故迄が重なってしまった事だろう。
 自分の記憶を確かめるように、書いてみたが、そこには大きな問題があるのではないかと、思い当たる。一昨年の政権交代時には、日本の閉塞状況が煮詰まっていた時に、悪い言い方をすれば、仕掛け人に、えさを撒かれたのではないかと思うのです。
 日本の将来を如何して行くのかの精緻な議論をへせずに、裏付けはともあれ、小沢のシナリオに沿って、国民受けする公約を揚げ、それまでの状況に嫌気をさしていた国民の気を引いた事だろう。それに、今になっては沈黙しているマスコミも、反小沢を掲げながらも、一斉に共同戦線を張って政権交代の援護射撃に向かった。しかし、結局、民主党は、期待して投票した有権者を大きく裏切る事となった。
 政権交代は、敵の弱り目に付け込んで仕掛けた小沢の采配で成功した様なものである。それまでの民主党の有力議員は、野党経験しかない、政治手法に乏しい議員でしかなかった。しかも、当初から、小沢の政治手法に反発を持つ議員グループとの反発が根強く、党内のまとまりに欠いた党運営が、決定的に経験不足を露呈させてしまう事となったのではないかと思われる。
 国民にとっては、弱り目に祟り目で、信頼してこれからの日本を託す事のできる政党が、今、見当たらないという事ではないだろうか。経済社会も、変動の大きい国際社会に適応する為か、国内の雇用や所得を守る事が出来ない環境となっている。今回の大震災と原発事故で、そこに将来の日本のエネルギー問題までも抱え込む事と成ってしまった。
 この様に、被災地の復興と原子力事故の収束、それに日本の今後のエネルギー問題など、多義に渡る問題を、同時並行的に解決しながら国民生活を守っていく事は、誰が、どの政党が担っても、この時期一筋縄ではいかないと思われる。
 まずは、何と言っても、政党を超え全国会議員が協力し合って、この難局に当たる事のできる強力なリーダーを選ばなければならない。この難局は、一つの政党や一握りの政治家で担える範囲を大きく超えていると思うのです。現在、国の議員に選ばれた政治家は全力を尽くして、一日も早く被災地と日本の国全体の為に、最善を尽くさねばならないと思うのです。

2011年5月30日月曜日

レコード整理

 梅雨に入って、ベランダの植物も水を含んだように緑が深くなってきた。幸い、台風の風での大きな影響は無かったが、それでも花が雨風に打たれて乱れているのを見て、家内がベランダの内側に移していた。

 レコードプレーヤーの復活で、昨日は家内の部屋にあったレコードを、私の部屋に引越した。あらためて、クラシック系、ジャズ系、フュージョン、ポップス系、国内ボーカル系、と整理し直すと、280枚ほどのレコードが確認できた。

 懐かしい、ホークシンガーの本田路津子のアルバムを見つけて、「耳をすませてごらん」とか「雨の日はしょうがない」など透き通った歌声を聴きながら、レコードアルバムの整理した。

 ある時期、弟から、相当数のジャズ系のアルバムを貰い受けたが、そのほとんどをまだ聞いていない。わたしの、お気に入りのCDでSOMETHIN'ELSEと言うジャズの大名盤があるが、これも、CD版のジャケットと同じレコードが確認された。キャノンボール アダレー、マイルス デイビス、ハンク ジョーンズ、サム ジョーンズ、それにアート ブレーキー、と言うメンバーでジャズの原点のようなアルバムだ。

 当分の間、これらの事で、時間をもてあます事は無いだろうと思っている。梅雨の晴れ間に体を動かそうとは思っているが。

2011年5月28日土曜日

Phase Tech EA-5

 随分と早い、入梅となって、おまけに台風まで来ている。連日の雨模様で、今日は、とうとう一歩も外に出なかった。と言っても、実は理由があって、家の中での作業に忙しかったのだ。
 3日ほど前、色々調べた末に、アナログレコードを再生する為のフォノイコライザーを購入した。
東京、青山のオーディオギャラリーがネットに出した、フェーズテック EA-5と言う製品で、協同電子エンジニアリングと言う会社が出しているものだ。
 新製品ではないが、発表以来とても評価が高く、数々の賞を取っている。販売価格が7万弱するものを中古の価格、3万6千円ほどで手に入れた。
 数年前、少し無理をして、プリメインアンプを、セパレートアンプに入れ替えた。退職後で贅沢と思ったが、それでも、奥さんに気兼ねしながら日本橋の河口無線に発注した。
ところが、導入したアキフューズのプリアンプC-2400は、アナログレコードを聴くためのイコライザーを後付で増設しなければならなかった。同時に購入したパワーアンプのA-30 と価格がそんなに変わらないと思えるぐらい高い。
 その時点で、私は、まあいいか、とあっさり諦めていた。そのうちアナログボードは追加すれば良いと思ったのだ。その頃は、ほとんどCDを聞くことが多くて、その外には、あまり興味を持っていなかった。その時から、SME 3009RのアームにortofonのMCカートリッジKontrapunkut aを載せたドイツのターンテーブル、アコースティック シグネチュアーのSambaはリビングの飾り物になっていたのだ。そのうち、そのうちと思いながらずるずる時間が立っていた。
 アナログプレーヤーのセットだけで、いくらしたか、など知ら無い妻からは、「お父さん、あれ聞かないんだったら、ネットで売れるんでしょ」なんていわれる始末で、そろそろ何とかしようかと思っていた。そこから、評価が良くて手頃な値段になっているフォノイコライザーを、片っ端から調べて、見つけたのが、青山のオーディオギャラリーがネットに出した、フェーズテックEA-5だった。
 ネットで支払いを済ませると、翌日には品物が届いた。わくわくして、セッティングを開始し、いざ音だしに入ると、どうしても右側の入力が出ない。様は、右のスピーカーから音が出ないのだ。
 久しぶりに、アームの調整を入念に済ませ、期待してレコードに針を降ろしたが、片チャンネルから音が出ないというアクシデントで、どたばたが始まったのだ。
 MMのカートリッジとMCカートリッジを交互に替えて視聴し、ひょっとして、フォノケーブルやラインケーブルに不具合は無いか、などの可能性をチェックしていった結果、どうも、届いたフォノイコライザーに原因があるかもしれないと、行き着いた。
 青山のギャラリーの担当者に連絡を取ると、こちらでチェックしますので、恐縮ですが、すぐ送り返してください、と言う。それで昨日、先方でチェックした結果製品に問題が無い事が分り、今朝製品が送り返されてきたのだ。そこから、再度自宅でのチェックが始まった。日本橋のオーディオショップのアドバイスを受けながら、一つ、一つやっていくと、どうもアームの線に問題がありそうだ、と言う所までたどり着いた。
 ターンテーブルの下側、アームの線に繋げるRCAのプラグを少し強く、指で押してみると、なんと、両方のスピーカーからいきおい良く音が飛び出したのだ。
 いずれ、アームを外して、メーカーでチェックしてもらわなければならないが、とりあえず、原因が判明した。外は雨だが、気持ちは晴れ晴れ、何枚も、懐かしいレコードを聴いてしまった。
レコードの音が持つ、ゆったりしておおらかな響きが贅沢で、こんなにいい物だったのかと、アナログ再生をあらためて見直した一日になった。

2011年5月27日金曜日

二ヶ月を過ぎて

 東日本大震災から2ヵ月半、被災地は懸命に立ち上がろうとしている。反面、福島第一原子力発電所は、当初の、政府、原子力保安院や東京電力の、連日の国民をなだめるような記者会見とは、相当違った結果が明らかになって来ている。一号炉に次いで、二号炉も三号炉も、いわゆる、原子力燃料のメルトダウン(溶融)が起きて、原子炉容器や原子炉の格納容器に穴が開いたり、破損している可能性が示された。そのことは、夫々の水素爆発や、むき出しの核物質から大量の放射性物質が外部に放出されて、相当広い範囲に影響が出てきている事を示している。
 当初、専任のような形で、国民向けにメッセイジを発していた枝野官房長官の言っていた事は、何だったのかと指摘しなければならない。「直ちに健康に影響するものではない」等と言うフレイズは、国民に対する、まやかし以外の何ものでも無かった事になる。
 さらに、これも政府の原子力委員会の斑目(マダラメ)と言う委員長は何者なのだろうか。原子力事故発生以来、当初は、ほとんど表に出ず、事故現場の確認にも出かけなかった人物で、放射性物質の影響について、文科省が子供の浴びる放射線の許容基準を年間20ミリシーベルトとするのにOKの指示を出したという。彼については、最近、色々の事が言われだしているが、私は当初から不思議な人物に映っていた。「原発は、そうとう儲かるんですよ、原子力みたいな不気味なものは無いですよ、結局、金がものを言うんです」等など、彼が発した談話は、ユーチューブでもそうとう話題になっている。
 東京大学で、その道の教授を務めていた人で、政府の原子力委員長まで成っている人なのだから、如何わしい人では無いと思うのですが、柏崎刈羽原発事故の処理に絡んでは、経産省の原子力安全保安院のメンバーから、原子力委員長として不適格との指摘を受けている事実も分っている。
 物理学や機械工学的な識見は高い人なんだろうと思うのだが、この人の話を聞いていると、何処か、お宅くっぽく見えて来るのは如何してだろうか。それに話がとても軽い。深刻な事態が進行しているにも拘らず、何処か、ひと事のような雰囲気をかもし出す人なのです。
 原子炉への海水注入に際して、再臨界について問われ「その可能性はゼロではない」という言葉が、最近問題になっているが、N.Yタイムズなどは、米国の原子力関係者の談話として、あの時点での言葉としては、全く当たらないとしている。そして、日本の政府部内では、事故収束の目処も立たないうちから、早々と原因究明の委員会が立ち上がった。さらに、海外からは、社会主義的と揶揄される被災者救済のスキームも構築されようとしている。様々な、矛盾を抱えた二ヶ月半が過ぎようとしているのだ。
 結局、現在の原発事故の対応は、主に東京電力一社に任されて、政府の原子力委員会や安全委員会、それに経産省の原子力安全保安院などは、ほとんど機能していないのではないかと思われる。原発事故対応の細野補佐官は、誰と話をしているのだろうかと思われてし方が無い。
 人の話の受け売りだが、数学者の岡 潔さんの言葉に、20世紀は物理学の時代だったが、それは破壊と操作の時代だといえる。しかし、20世紀を形作って来た物理学にも限界があって、21世紀は新し世界を模索する世紀に入ったのでは無いか、とのお話であった。その事は、私達の暮らし方の変更を意味するのかも知れない。しかし、今はまず、原発事故の一日も早い収束の目処が付けられる事を祈りたい。