今日は奥さんの病院の月例の受診日で、朝から天王寺区のNTT西日本病院に向かった。外は
時折陽がさす時もあるが、冷たい風が顔にしみるような寒さだ。何時もの様に病院の駐車場の近くで、アンディーにおしっこをさせ、1時間以上車の中で待った。
私が、ラジオの国会中継を聞きながら日経新聞に目を通している間、アンディーは助手席のシートにうずくまって、気持ち良さそうに眠り込んでいた。隣に私がいるだけで安心するようだ。
ただ今日は、病院の帰りに大手町の大阪歴史博物館に寄る予定をしていた。うちの奥さんは、如何いう分けか抽選に強く、大阪歴史博物館で催されている柳宗悦展のペアチケットを申し込んだものが送られて来ていた。
アンディーはもう一度、博物館の地下駐車場の中で、車中の留守番をしなければならない。
上本町通りの大手町四丁目にはNHKの大阪支局の大きなビルと、それに隣接する大阪歴史博物館があり、その隣には大阪府警のやけに立派なビルも聳え立っている。
奥さんが陶芸の習い事をしている関係で、民藝派の陶芸家として紹介される、河合寛次朗や浜田庄司の名前はよく知っていて、岡山の大原美術館や去年訪れた安来の足立美術館などで作品には、何度もお目にかかっている。
今回の柳 宗悦は日本で、いわば民藝品の美を提唱した本人であり、明治43年には文芸雑誌「白樺」の創刊に参加して志賀直哉や武者小路実篤らの中心メンバーの一人として活躍したのだそうだ。その後、27歳の頃、人から贈られた朝鮮の小さな壺の素朴な美しさに魅かれて朝鮮に渡り、そこで、民族性の現れた民衆の実用品に美しさを見出したとの事です。
日本に帰って、全国各地の職人の手による実用品に注目して「民芸」と言う新しい言葉を生み出したと有りました。関東大震災の混乱を避けて京都に身を寄せた頃、陶芸家の河合寛次朗や浜田庄司、英国人のバーナード・リーチなどとの親交を深めたとの事です。棟方志向や岸田劉生などの画家などとの親交も記されていた。
昭和11年には、自ら集めた民芸品を展示する日本民藝館を東京駒場に開設しました。今回の
特別展は、日本民藝館の所蔵する各地の民芸品や、柳と行動を共にした仲間の工芸家たちの作品など、350点の作品、資料を展示して、柳宗悦が唱えた民芸の美と思想を紹介しています。
柳宗悦とは少し先輩になりますが、兵庫県福崎町出身で「遠野物語」で知られる民俗学者の柳田國男を思い出しました。やはり、東京帝国大学文学科に進み、最初詩作や文学を志して、田山花袋や島崎藤村、森鴎外などと親交があった状況が、どこか共通している様に思えたのです。
日本各地の郷土研究から日本の民俗学を打ち立てた柳田國男と、全国の郷土の工芸品に職人が作り出す美を見出した柳宗悦の事が心に重なって浮かんだ。
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