日本海側や北の方は大変な大雪に成っている。舞鶴で95センチの積雪と言う事は、昨年訪れた、お婆さんの実家がある山あいの丹波町や綾部でも、一面、雪に埋もれていると思われる。とは言え、季節は進んで、今日は節分だ。うちでも、奥さんが今日は巻き寿司を作ると言っている。
豆まきの福豆も、奥さんがマーケットで買ってきた。子供達が小さな頃は、皆で家の中の豆を拾い集めて、ボリボリ食べていたが、今は夫婦二人で沢山撒くと後の掃除が大変だ。
私は結婚当初京都市内に住んだが、京都で節分に鰯を食べると言う習慣もその時初めて知った。
節分は、元々季節の分かれ目の意味で、「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の其々の前日を指していて、
暦では、春分や秋分と同じく、季節の歩みを表す節目の日でもありますね。
暦で立春の前の節分が特に節分として残っているのは、立春を前にして冬から春になる一年の節目の日として、今の大晦日と同じように考えられていたとの事で、その日に一年の厄難を祓い新たな年を迎えると言う意味が込められているのだそうです。。
調べてみると、「豆まき」の行事は「追難(ついな)」と呼んで、中国から伝わった風習らしく、俗に言う「厄払い」「厄落とし」と呼ばれて厄病などをもたらす悪い鬼を追い払う儀式として、文武天皇の頃、慶雲3年(706年)に宮中で初めて行われたのだそうです。
先ほどの、節分に鰯を食べる習慣も関西を中心にした西の風習との事で、鰯の頭を柊の小枝に刺して魔よけとして家の入口に飾る事から来ていると言う事です。
京都の八坂神社で行われる祇園祭は、元々、平安時代初期に京都に都を移して以来、度々市中に疫病が流行した事から、それを治める神事としてその由来があると聞いていましたが、私は、何となくこの疫病のお祓いの意味で鰯を門口に吊るすという風習が始まったと思い込んでいました。
しかし、節分で魔よけに鰯を食べると言う習慣は、もっとそれ以前からの風習で、鰯を焼く煙で厄病を祓うと言う意味が込められていたのでは、との事なのです。
それと、今年の恵方は北北西の方角だそうで、節分にこの方角を向いて巻き寿司をほうばる風習は、福を巻き込むとか、まるかじりは、縁を切らないと言う意味が込められているのだそうです。そして、この習慣は、主に大阪の船場から広まった風習らしくて、大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った「巻き寿司のまるかぶり」のPRイベントがマスコミに取り上げられて、関西地方に広まり全国に広まって行ったとの事なのです。と言う事はずいぶん最近のことに成ります。
節分の豆まきと鰯を食べる事、それに巻き寿司のまるかじりは節分の一連の風習だと思っていましたが、少し違っている事が分かりました。面白いですね!
0 件のコメント:
コメントを投稿