2012年3月11日日曜日

東日本大震災から1年

   2011年3月11日 午後15時46分、あの日から1年が立った。その日、私は昼食後、近くのヒッコリーと言うゴルフ練習場に向かった。14時頃、いつもの一階の打席で練習を始めたと思う。千円で90分打ち放題のこの練習場は人気があって、午前10時に開始する朝の部は混み合う為、午後の時間に回ったのだと思う。
1時間半、みっちりスイングして、汗を拭きながら練習打席からロビーに帰ってくると、ロビーのテレビに地震の情報が流れていた。少し強い地震が起きたなぐらいで、何の感慨も無く、しばらくテレビを眺めて練習場を後にした。
ところが、車のラジオから、各地に3メートルの津波予報と言うアナウンサーの声が耳に飛び込んで来た。その後、次々に情報が流れ、各地に6メートルの津波予報と言う。またまた、冗談の様な事を言っていると思いながら、自宅に向かって車を走らせていた。
自宅に帰ると、どのチャンネルも関東地方の強い地震の情報で占められていて、奥さんと二人でテレビにかじりついて、その後の三陸沿岸に押し寄せる津波の映像に目を奪われた。これは、ただ事では無いと感じて、私たちが経験した阪神大震災の時の記憶が思い出された。その時点でも、津波の犠牲者の情報はほとんど入っていなかったと思う。しかし、その時私は、これは100人や200人の犠牲者では済まないと思ったのを覚えている。
  阪神大震災の時もそうだったが、地震被災の当初は現地で何が起こっているか被災の様子はほとんど分からない。メディアによる情報が追いついて来ると共に、少しづつ状況が伝わってくる。
今回、より深刻だったのは、福島第一原子力発電所が津波の被災を受けたとの情報がもたらされた時だったのではなかろうか。
あれから1年が立って、被災地の状況は、やっと、瓦礫が一所に積み上げられた状態、と言っても過言では無い。
政府主催の慰霊祭をテレビで視聴し、津波の犠牲になられた二万人近い東北沿岸の被災者の冥福をお祈りした。
東日本大震災の本当の復旧復興は、丸一年立った今日からなのかも知れない。生き残られた被災地の人達が、心に一区切りを付けて、前に向かって歩まれる事を心から祈り致します。

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