2012年3月5日月曜日

東大寺修二会に思う

去年の大震災の只中に、陸前高田の防災センターから、町の人達に最後まで避難の呼び掛けをしながら、自ら津波に飲み込まれた女性が恋人と交わした最後のメールの事が報じられていた。
「ぜったい生きる、愛してる」このメールを発信して、津波にのまれたとの事だ。啓蟄の今日、今も記憶に新しい、去年のあの日の出来事が目に浮かぶ。若い人達がどんな思いで命を落としたのかを考えると、自然に涙が滲んで来るのです。
若い母親と小さな子供や小学校からの避難の途中に津波に流された子供達など、どんなに怖ろしかった事か。孫と娘を津波にさらわれ、一人、後に残された年老いた女性の表情を見ると、誰も慰めようが無かったであろう。
あれから一年を迎えようとしている。季節の移り変わりは早く、我が家のベランダ越しの桜の古木に、ここもとの春の雨に濡れて、可愛らしい花の蕾が確りとついている。
奈良の東大寺二月堂で三月一日から、二七日、十四日の修二会が始まっている。東大寺のホームページを見ると、今迄に幾度も廃止の危機を乗り越えて、今年で1261回を数えるとの事である。天平勝宝4年(752年)東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始したと記されていた。
昨年も、「お水取り」の事をブログで取り上げた事を記憶しているが、その時は、ただ関西に春を呼ぶ行事として、お水取りの事を書いただけで、その行事の成り立ちや意味まで調べようとはしなかった。
「お水取り」は二月堂のご本尊、十一面観音菩薩に、われわれが日常に犯している様々な過ちを懺悔する事を意味する行(ぎょう)だとの事であり、修二会が始まった頃は、それは、国家や万民の為に行われる宗教行事を意味したとの事である。天災や疫病、反乱は国の病と考えられて、その様な病を取り除き、鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民快楽などの、人々の幸福を願う行事であったとの事なのです。
そう考えると、今年の東大寺の「お水取り」は、一年前の大災害の被災者の冥福を祈り、改めて国の安寧を願う意味を持つ行事と言えると思います。
平成7年1月に、私も阪神淡路大震災を経験しましたが、あれから20年もたたない中で起きた昨年の東日本大震災を最後に、私達が、日々平和で落ち着いた生活を送る事が出来ます事を、心から願いたいと思います。

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