2012年8月31日金曜日

日本企業の苦境は歴史的必然か!


   連日、シャープの経営危機がテレビのニュース報道で伝えられています。昨日は、シャープとの業務提携と資本出資に合意していた台湾の鴻海精密工業(ホンハイセイミツコウギョウ)のトップが、詰めの協議に来日したとの報道がなされたが、交渉の進展が思わしくなかったのか、記者会見もスッポカシて帰国してしまったと言うのです。
  シャープを初め日本のエレクトロニクス企業の苦境は、いったい如何して此処までの事態に陥ってしまったのでしょう。(シャープは、今期も2500億の赤字予想) 
  結果を遡って考えてみると、幾つかの避けがたいと思われる経過が見えて来ます。
  事の起こりは、2008年9月15日のリーマンショックに始まります。米国の大手証券会社のリーマン・ブラザースが約6000億ドル(当時64兆円)の負債を抱えて米国の連邦裁判所に破産を申請したのです。リーマン・ブラザースを初め、欧米の投資会社が、サブプライムローンと言う極めて信用度の低い住宅貸付で住宅投資を煽り、最後には大きな塊となったそのリスク投資が、一気に崩れ去ったのです。
  此のことで、世界の株式市場は大暴落をお越し、欧米各国の金融市場は大混乱に陥りました。言わば、日本のバブル崩壊の欧米版が起こってしまったのです。
  幸い日本の多くの金融機関は、過去の不動産バブルの教訓もあって、サブプライムローンと言う住宅投資やその金融投資に手を出していませんでした。その為、日本の銀行はサブプライムローンの崩壊による、直接的な影響を免れたのです。
  しかし、その事は比較的安心通貨と見なされた日本の円に、一気に世界の逃避資金が流れ込ん出来ました。
  1995年以降の円/ドル相場の推移を見てみますと、概ね、100円を高値に130円底値で推移していました。所が、リーマンショックを境に今日まで、円は急速な円高のトレンドに入ってしまったのです。
ご存じのとおり、日本のエレクトロニクス産業や自動車産業は、世界市場に製品を輸出する事で成長して来ました。又其の為に先端の技術を磨いてきたのです。
  ところが、その時期、日本から遅れて生産を拡大してきていた、韓国や中国の企業にとって日本の急速な円高と自国通貨安は、又と無い輸出販売の援軍と成りました。そして、その後の世界シェアーの日本との逆転に、それほど時間を要し無かったのです。
  今の日本の輸出企業の苦境は世界の金融市場の動揺を引き金に始まったと言えます。そして、その動揺は、その後の欧州の過剰債務国問題に波及して、今度は、対ユーローの急激な円高に進んでいったのです。
  更にもう一つの考えられる大きな要因は、2009年10月に起こった日本の政権交代では無いかと考えるのです。民主党政権の誕生が結果的に日本の為替の円高に追い打ちを掛けたと考えられないでしょうか。
  時の民主党政権は、政治主導を掲げて官僚はづしをマニュフェストに掲げていたのです。政権運営に不慣れな民主党政府と、それによる官僚叩きとも取れる動きで、国を挙げて急激な円高の阻止の為の重要な時期に、政管で有効な手段が打たれませんでした。
  政権交代自体は、それも国民の選択だったと考えられますが、幾つかの重要な節目が重なって、日本の現状を醸し出しているのでは無いかと考えるのです。
  この世界を揺るがせたリーマンショック以降、欧米の景気も予断を許しません。その中で、大規模な液晶の設備投資に走った日本の輸出企業の読み間違いから、その経営環境は世界の不況と自国通貨の急激な円高、更に後進国企業による追い上げで、今まで経験した事のない危機的状況に陥っているのです。
その後、リーマンショックの震源地であった米国は、国を挙げての資金対応と過去にない低金利で危機を乗り切って、現状に至っています。
市場による価格水準と言うものは、一度トレンドが出来てしまうと、それを修正するにはとても大きな歴史的インパクトを必要とするものです。未熟で政権運営に不慣れな政府が、型だけの口先介入でトレンドを転換して行けるほど生易しいものでは有りません。ダイナミックな世界経済から考えると、日本のエレクトロニクス産業が辿って来た今日までの道程は、色んな要因で歴史の必然と考えなければ成らないのかも知れません。

  
  

  

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