2012年12月20日木曜日

モラルと善悪の基準は

  毎日、こちらはじっと座っているだけですが、目や耳に飛び込んでくる日々のニュースはとても目まぐるしいものが有ります。
今朝も、朝刊を広げると、三菱自動車のリコール対応が極めて消極的として、国土交通省が厳重注意と言う見出しが目に入ってきました。私は、瞬間「エッ」と、そこで目が留まったのです。
  三菱自動車と言えば、10年も前の事に成りますが、1970年代から自動車の極めて重要な部品の不具合を隠ぺいし続けて、2000年~2002年にかけて、大々的なリコール隠しとして大きく世間を騒がせた経緯の記憶がよみがえったからです。
  当時の三菱扶桑トラックバスの自動車タイヤの取り付けの不具合から車輪の脱落で、2件の死亡事故が発生した事件で社会に大きな不安を与え、当時の経営トップが故意に部品の欠陥を隠ぺいしていたとして司法の有罪判決を受けると言った経緯があった事を覚えています。
  それから、10年の時の経過があったとしても、その企業に過去の法人としての不適切な行いが反省として継承されていないと言う事は、組織として極めて遺憾な企業体質と言わざる負えませんん。もともと、私は、三菱のダイヤモンドマークのエンブレムが嫌いで、三菱自動車のリコール隠しの印象が強く残っていました。
  私は、モラルや善悪にも絶対的な基準があってしかるべきだと思うのです。やって良い事、悪い事の見極めが、組織全体で出来なくなると言う事はとても怖い事ではないでしょうか。
  個人の悪事やモラルの欠如による他者への影響は、自ずから限られて来るのが一般的ですが、大きな組織と資本を擁し社会に多大の影響を与えかねない企業が、その製品の安全に関わる部分で自らの製品の欠陥を隠ぺいしてしまう有り様とは、組織として不適切と言う以前に社会的な存在そのものが否定されても致し方ない組織だと断じたいと思うのです。
  
(寒さの中大輪のバラ)
日々の競争に生きる現代社会の企業と言えども、自らの組織の都合だけでは無くて、自らに社会の絶対的なモラルの基準をあてはめて、常に思い返してもらいたいものだと思うのです。
  先般の中日本高速道路が所管する笹子トンネルの崩落事故についても、過去になされていた打音検査などがいつの間にか省かれて、安易な形だけの目視の点検に成っていた事実なども、その時のトピックスとして捉えるのでは無く、徹底した原因の究明の過程で、抜け落ちた安全への構えを取り戻さなければ、あのような事故が今後どれだけ増えるか分かりません。
  利益を追求する厳しさのあまり、当然備えなければならない社会的なモラルや、善悪の基準が甘くルーズに成っていないかを、振り返る必要があるのではと、チョット考えました。
(リビングからの今朝の朝陽)

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