2012年2月27日月曜日

早世に生冥福を祈る

今朝、窓のカーテンを開けたら、外の家々の屋根は雪を乗せていた。カメラを取ってベランダに出ると、まだチラチラ雪が降っている。朝の陽が、雲の合間から覗いていて、溶ける前にと、桜の古木に乗った雪を写真に収めた。
先日、弟から吹田に住む従弟の奥さんが亡くなったと言う知らせが入った。今月の14日の事だと言う。8年前に乳癌を発病して、手術で患部を取り除いたものの、4年前に他所への転移が認められて、闘病生活が続いていたとの事である。
5年ほど前になるか、4月の桜の時期、夙川の花見の帰りに、従弟と一緒に80歳半ばの伯母を伴って我が家を訪れてくれた事があった。
背のスッとした美しい人で、予てから病を持っているうちの奥さんと、その後、お互いの病気の話などをしていたようだったが、当節ではあまりにも若い58歳と言う年齢での早世だった。 
本人の生前の希望で、葬儀は、家族だけで、すでに執り行われていた。
従弟は私より9歳年下の気の優しい人柄で、妻の病に付き添う為、単身赴任だった勤めをやめて、自ら会社を興して頑張っている最中だったとの事だった。覚悟をしていたとは言え、その若さで相愛のパートナーを亡くした悲しみは、他人には計り知れない。従弟の奥さんの冥福を祈る為に、この日曜日、遅ればせながら、私の兄弟皆で彼の自宅へ焼香に赴いた。
従弟の父親は、7人兄弟の私の母のすぐ上の兄で、亡くなってからずいぶんに成るが、私達兄弟にとっては、幼い頃からとても世話になったとても優しい伯父さんだった。私達兄弟内では、天使の様なと形容する性格の人で、私達兄弟が幼いころから、何かと面倒を見てくれた人だった。

従弟の奥さんの闘病が続く中、90歳になる伯母が近くの老人介護施設にいると言うので、突然だったが帰りに従弟の案内で、久しぶりに伯母を訪ねる事に成った。
普段、少し痴呆が出ていると聞いていたが、本人はいたって元気で、真新しく整備された施設で淡々と余生を送っている様に見えた。私達、甥、姪の顔を笑みを浮かべながら眺めまわして、皆、「歳を取ったね!」、「私が歳を取るのもしょうが無いね」と口にした。
長男の嫁が亡くなったことは知らされていなかったが、毎日、「出された食事は、美味しいと思って、頂くようにしているのよ」「私は今どこも悪いところが無いの」と言う言葉が印象的だった。
従弟に言わせると、日常の不平や不満、我儘を一切口にしないそうだ。
91歳を迎えようとしている伯母も、天使の様だった伯父の境地に達していて、自分の置かれた環境を達観して、日々を送っている様に見えた。
お互いに、日常の事柄に紛れて、長らく従弟や伯母の顔を見に行くことも無かったが、従弟の奥さんが、幼い頃世話になりながら長らくご無沙汰をしていた伯母の所に、連れて行ってくれたのかも知れないと思った。

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