2012年2月23日木曜日

「政治塾」が日本の政治を

  今日の夕刊に目を通していると、政治の世界で「政治塾」の開講が増えていて、この「政治塾」が今後の衆議院議員選挙を見る上での指標に成るかも知れないとする記述が目に留まった。そこで、選挙の前に塾が増えると言う事は、政治家にとって、まさに選挙と言うのは受験の様なものかもしれないと、ふと感じた。 
私が受験を経験したのは50年近くも前の、昭和37年から38年の頃になります。小学校から中学校時代にも、何度か学習塾に入った事を記憶していますが、あまりはっきり覚えていません。いずれも長続きせず、すぐ辞めたと思っています。
その頃、私の父は体の無理がたたって、戦後多かった結核を病み、家を売って借家住まいと自宅療養を余儀なくされていた時期でもありました。自営業だった家庭は、経済的に、とても困窮してて子供の塾通いどころでは無かった頃だったのです。高校進学も、一番手近かで、失敗する心配の無い府立の高校に進学しました。そんな分けで、私は、大学受験の時期が来ても、受験の為の予備校の様な所には行った経験が有りませんでした。
  たまたま近くに、行きつけの町の風呂屋があって、そこに関西の大学に通う兄弟がいました。その経緯も覚えていませんが、関西大学の法学部の学生だったそこの兄貴が、週に一、二度私の受験英語の勉強を見てくれたのです。その人の弟は関西学院大学の英文学部の学生で、時折、大学生活の話を、私にしてくれました。勉強を見てもらうのも、そこの兄貴のボラティアだったと思っています。そして、そこで、私の頭の中に大学生活の情報がインプットされ、大学進学の夢を膨らませる切っ掛けになった様に思っています。純真な18歳の私には、そこの兄貴たちと一緒に風呂場の掃除をする事と、大学生活の話を聴く事は、勉強を見てもらう以上に受験勉強中のストレスを発散出来る、楽しい時間だったのです。
高校の担任からは、その時の私の学力程度から、広島大学の文Ⅰを受験するように指導されましたが、18歳の私には原爆が投下されて多くの無残な犠牲者の出た街は、とてもイメージが悪かった。それに、関西の大学なら、アルバイトをしながら実家から通えると考えていました。それと、兄貴たちの、関関とは違って同立の同と京都の街にあこがれたのだと思います。
結局、昭和38年春、京都の同志社大学経済学部に現役で入学することが出来ました。
元々、何かを始めた時の集中力と、本番に強い気性が、その当時から有ったのかも知れません。
そんな分けで、私は若い時から、「何々塾」と言うものを経験したことが有りませんでした。しかし、日本での、本来の意味での塾は、塾そのものが学びの場であって、決して予備と言う意味は無かったのではないかと思うのです。
今の政治家には、大学を卒業後、社会にほとんど出ることなく企業が主催する「政治塾」なるものに入塾して、職業政治家を目指した人たちが沢山生まれています。そしてそういう人たちが国の中枢で国政を担っているのです。私は勉強不足で、どこの世界にそんな国が多くあるのかを知りません。
若くから、社会で生産的な仕事にも付かず、大学に残って研究者として専門を極めることもなく、若くから、只管、国や地方の税金に支えられて暮らしてきた職業政治家たちに、本当の国民の生活が理解できるとは、到底、思いません。日本の政治が「何々塾」に担われると考えると、とてもやりきれない気持ちに成りませんか。

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