2012年9月29日土曜日

とんでも無い政治家達!

  台風と共に秋がやって来ました。季節の歩みの正確さを改めて知らされます。植物や季節の花々の日々の変化に時の移り変わりを感じていましたが、朝夕、顔を吹き抜ける風の冷たさに1年のサイクルの速さを感じています。
  広くて、深い知識と正しい理解力に的確な判断、そして経験に裏打ちされた果敢な決断力が今ほど求められている時期は無いのではないでしょうか。此の所の社会情勢を覗いている中での私が感じる感想です。
  政府民主党の代表選挙に続いて野党自民党の代表選挙が行われました。今日のTVニュースで、次回に投票したい党はと言うのに、自民党が35%、民主党が14%、日本維新の会が12%との結果が伝えられていました。
  しかし、3年前に国民の期待を込めた政権交代が、これほど国民にとってひどい期待外れに成るとは、だれが予想できたでしょうか。
  
  日本の国家運営を担うための正確な知見や理解、内外情勢に対する日々の正しい決断力などを備えていなければ到底不可能な大仕事を、私達は知識も経験も乏しい、とんでもない政治家達に、託してしまったと思いませんか。
  その結果の、重大性や悲惨さを考えると、笑いごとでは済まされない事がはっきりして来ました。それでも、現在の政権政党に特段の違和感を持たれない人達が、いまだに居ると言う事にも驚かされるのです。
  政治の責任で、これほど直接国民生活に不安と停滞感を及ぼした時期は、此れまでの経験では無かったのでは無いでしょうか。
偶々、その様な時に限って、日本を未曾有うの大災害が襲うのです。民主党の最初の内閣は沖縄の普天間基地移転に伴い、沖縄の人達の心に一時的な期待と、その後に大きな失望を与えてしまいました。その後を引き継いだ内閣は、自ら与党内の分裂の切っ掛けを作り、災害対策の不手際を指摘されながら、総理辞任を渋って党内外に物議をかもしました。
  更に、3度目の内閣に至っては、党の公約にも一切掲げていなかった消費税増税案を、社会保障の名目を盾にして、ごり押しする事と成りました。そして、大震災の復興対策もそこそこに、この夏、全国で停止していた原発の内、関西電力の大飯原発再稼働のゴーサインを、首相自らが出したのです。
  そうかと思うと、今度は、国民の声に押されて2030年代には原発の稼働をゼロとするエネルギー対策を打ち出し、その舌の乾かぬ間に、建設が決まっていた青森県大間原発の工事継続を許可すると言った支離滅裂振りです。
  東京都知事による尖閣諸島の東京都による購入計画が持ちあがると、尖閣諸島の国による買い上げが検討され、国際会議で面談した中国首脳から直接自制を求められたにも関わらず、あたふたと、その2日後には国有化を決定すると言う決断が成されました。その後の両国関係と状況はご存じの通りと成りました。両国の現在置かれた政治情勢やタイミングの判断が、慎重に行われたのか甚だ疑問が残る所なのです。
  
  そして、米軍の軍事的スケジュールに乗っ取って配備が決められている問題のオスプレー輸送機は、台風が去れば、沖縄に向けて飛び立つ事が既に伝えられています。
  恐らく最後のこの民主党政権は、増税問題、震災対策、原発を含む新たなエネルギー対策、日米安保に則った装備の配備計画や基地の移転問題、更には近隣の中国や韓国との領土を巡る外交交渉等、何れも、はっきり目に見える形で国益が損なわれていくのを感じずにはおれません。
  この様な有様ですから、国民生活を取り巻く有効な経済対策なども望むべくもないのです。
テレビの街頭インタビューで、政治は誰がやっても変わらないと言う発言をされる方を良く見かけますが、今回の事で、私達国民も日本の経済界も、国民皆が、いやと言うほど痛い目にあったのではないでしょうか。この様な時世に、得てして過激ではっきりした物言いが人気を集め、又してもとんでもない政治の似非集団が現われる事にも充分注意が必要に成ると思うのです。
  昔、「物事は時間が解決するし、それもいい方向で物事は解決するものだ」と言うのが口癖の先輩上司がいましたが、私達を取り巻く環境もそうあれば幸いだと思うのですが。
  



  

2012年9月26日水曜日

秋めいた朝、西天満へ

  朝から快晴の青空が広がっていました。まだ日差しは強いのですが、顔に感じる風は幾分涼しく、秋が其処まで来ている事を感じました。
今日は2ヶ月振りに、バスと電車を使って大阪市内の西天満クリニックに向かいました。11月には人間ドックの予約が入っていますが、今月で、今処方されている高脂血症薬が切れ、薬をもらいに大阪市内に出かけました。
普段、奥さんと出掛ける川西市街では、ウイークデーに見かける人影の殆どはが老壮のシニヤの男女で、若者はとても少ない様に感じていました。少子高齢化が叫ばれる昨今、街中には老人しか残ってい無いかの様です。
  所が、9時過ぎの阪急電車の車内は、普段あまり見かけない若者たちで占められていました。思い思いのカジュアルな服装で、そう言えば背広姿のサラリーマンもあまり見かけません。
私の日常は、大阪市内に出かける用事が全く有りませんので、電車に乗る度に現役時代が懐かしく、どこか新鮮な感じさえ受けるのです。
  2ヶ月前とは阪急梅田の改装工事も進み、行きかう人達や街並みの息遣いが伝わってきます。
私の日常と随分違った街のリズムが、そう感じさせるのかも知れません。
阪急梅田駅から西天満迄、お初天神の境内を通り過ぎて20分、折り返して40分のウォーキングでしたが、涼しさを感じる風の中で、背中には薄ら汗ばむのを感じました。
  
  9時に自宅を出て、12時には帰り着く、朝の散歩が出来ました。

2012年9月20日木曜日

日本の金融政策は

  昨日19日、日本銀行の白川方明総裁は当面の金融政策で、日本国債の買い入れ枠を10兆年増やして80兆円とする、大幅な金融緩和策を発表しました。
  日銀の金融政策は、今までも十分緩和状態を維持していると思われるのですが、世界の景気や金融情勢のなかで、常に日本の政策が追い上げられている印象を拭えません。
  と言いますのは、9月に入ってヨーロッパ中央銀行がスペインの国債利回りの7%越えなどの危機的状況を踏まえ、域内の国債を無制限に買い入れる内容の決定に踏み切ったのです。更に、9月13日にわ、予てから話題に上っていた米国FRBのバーナンキ議長が、第三次の金融緩和策(QE3)を決定したのです。その内容は、国内の住宅担保証券の月400億ドルに及ぶ買い入れ策と言うものでした。米国の景気、雇用の目に見える改善が成されない中で、連邦準備理事会が早めに追加の対策を発動して来たのです。
  この様な、欧州、米国の思い切った景気対策や金融の追加支援策の結果、日本の金融政策に、ジワリと圧力が掛かってきていました。
  2008年4月に50歳代で日本銀行の第30代総裁に就任した白川方明氏は、元々、日銀生え抜きで、学者肌の優秀な事務方と言う印象が有りました。福井俊彦総裁の後、政府が提出した国会同意人事で、野党であった民主党の反対にあい政府提出の人事案が否決されました。
  福井総裁の退任に伴い、その下で副総裁に就任していた白方氏が昇格する事に寄って、50歳代の日銀総裁が誕生すると言う経緯に成りました。
  
  あれから4年、米国発のリーマンショックが発生し、米欧の金融事情は大荒れとなりました。そんな中で、日銀は急激な円高や国内のデフレによる景気対策にに追われてきたのですが、私見ながら、日本の金融当局の対応策は、どの時点をとって見ても、欧米の後追であった感じを免れないと思われるのです。
  福井俊彦前総裁の後を受けて、卒なく極めて慎重に金融政策に当たってきた白川総裁ですが、極めて安全運転に徹した金融政策に誤りは認められませんでした。しかし、結果的には、未だに日本のデフレの克服も、対ドル、対ユーロでの大幅な円高の阻止も出来ませんでした。
又、今回もヨーロッパ中央銀行や米国のFRBの思い切った追加金融政策に促される形で、日銀の金融政策がとられたと受け止める事が出来ます。マーケットは、その直後はサプライズとして反応していますが、過去と同じく日本の政策に独自性が感じられ無い中では、たぶん今回もその効果が長続きして、日本のデフレ対策や景気の振興に大きな影響を及ぼす事は無いのではないかと考えられるのです。
  此れまでの、日銀による日本の金融政策に大きな誤りは認められませんが、世界の金融市場で、日本独自の金融政策が評価される事もありませんでした。対応に誤りが無いと思われる分、残念な思いも残ります。又、同時に景気振興やデフレ退治には、金融政策だけでは叶わない事も自明の理ではないでしょうか。

2012年9月19日水曜日

峠の茶屋「一軒家」

ネットでニュースを検索していて、偶々、兵庫県三田市の峠の茶屋「一軒家」と言う茶そばとわらび餅を出している店の書き込みが目に留まりました。写真が出ていて、藁ぶき屋根の古民家風で雰囲気の良い佇まいでした。場所を確認してみると、何時も私のメンバーコースに行く途中で、三田の有馬富士公園の入り口の交差点を、左へ篠山方面に山を緩やかに登って行く峠の途中に有るらしいのです。
地図上で道を辿って行くと、その「一軒家」から山を下った先に、永沢寺(ヨウタクジ)と言う曹洞宗のお寺が有るのが分かりました。このお寺は、三田では花の寺として有名なお寺で、菖蒲や牡丹、それに芝桜の花園を花絨毯と呼んで、皆に親しまれているお寺なのです。
私自身、話に聞いただけで訪れた事が無かったので、茶そばと永沢寺を目指して、三田に出かけました。途中、神戸電鉄の終点駅ウッディータウンの中央公園に立ち寄って、用意していたおにぎりをほうばりました。
  兵庫県の北摂三田には、古いお寺が沢山あり、先ほどの有馬富士公園前の交差点から間もなく、西国霊場の花山院菩提寺と言う、有名なお寺も有ります。私は、このお寺もまだお参りした事が有りませんでした。
少し秋めいた風の中、峠の一軒家を目指して車を走らせました。その店は思っていた通り、藁ぶき屋根の古民家で、中年の二人の女性が私達を迎えてくれました。
  私は、茶そばとわらび餅のセット、奥さんは、先ほどの食事でお腹が大きいと、わらび餅だけを頼みました。
  茶そばは茶そばにカイワレを乗せてダシを掛けて頂くものでした。わらび餅も、出来立ての様に少し暖かく、おいしく頂きました。只、事前におにぎりを食べたのは失敗でした。
  それと、辺りの風景を写真に収めていると、なんと電池切れに成ってしまいました。私が使っているCanon G12は普段電池の持ちがとても良いので、つい、うっかりしていたのです。
  峠の茶屋「一軒家」の写真だけは辛うじて撮る事が出来ましたが、写真はそこまでに成ってしまいました。
峠の茶屋を後にして、永沢寺まではそれほど時間は掛かりませんでしたが、丁度この時期、季節はずれで、訪れている人影も見られませんでした。
  私達も、またの機会に出直す事にして、永沢寺から川辺群猪名川町を経由して川西方面の帰路に着きました。

2012年9月16日日曜日

琵琶湖の湖西へ

  沖縄に超ど級の台風が近づいていますが、宝塚の空は秋の空を思わせる白い筋雲が、所々に見られます。
  今年の春、神奈川県に居る同期の友人が、滋賀県の雄琴での高校時代の同窓会の集まりで来阪しました。久しぶりに会って、夕方までの時間を過ごしたのですが、彼の希望で、桜が咲く比叡山の延暦寺を訪れました。ホテルのチェックイン迄の時間、延暦寺のお参りを済ませた後、湖西の坂本から石山寺などを巡りましたが、春のその時期、琵琶湖岸の湖西の風景が印象に残っていました。
  もう一度秋に行ってみたいと考えていましたので、昨日の朝、何時ものようにおにぎりを持って滋賀県の浜大津を目指して家を出ました。
  所が、朝、少し涼しかった外の空気は、日差しを受けて、見る見る夏の空気に変わっていました。車を止めて、昼食をとる適当な場所も見当たりません。
  途中、思いついた所は、京都市内の入り口の東寺でした。五重塔を眺めながら、東寺の駐車場の松の木陰で昼食を済ませ、5条通りを東に向かって大津市内に入りました。
  当初の目的は、琵琶湖沿いに湖西を走り坂本から琵琶湖大橋の袂の堅田に出て、其処から京都の大原を経由して京都市内に抜けるつもりでした。
  しかし、日中の気温はまだ夏の空気に支配されていて、秋を求めるドライブはまだ早かったようです。
  さすがに真夏と違い湖西を走る道はすいていましたが、秋の空気とは程遠く、所々に係留されるヨットの影が夏の名残を思わせる風情でした。
  
  琵琶湖に浮かぶ浮御堂を過ぎ、琵琶湖大橋を右に見てUターン、無料の湖西道路を京都東ICに向かい、宇治の実家に立ち寄って夜に帰宅しました。
  涼しい秋風を求めるドライブは、もう暫く時間が掛かるのかの知れません。

  

2012年9月13日木曜日

自立歩行の重要さ

凌霄花(ノウゼンカズラ)
先日のゴルフで、後半に左足の踏みつけ部分が痛くなった事が気に掛かっています。2日立っても、まだ若干違和感が残っているのです。
  自分なりにネットで調べてみると、世間では、足の裏の痛みを感じている人が、意外に多いと書いてありました。それは、外反母趾や偏平足などが原因に成っている事も多い様です。
  私の場合、ゴルフのラウウンドの後半にかけての痛みで、足の疲れから来ていると思われるのですが、元々私は亡くなった父に似て偏平足気味だと自覚していました。其処に、運動不足と体重増加が、ゴルフの様な足を使う運動で、足に負荷が掛かって痛みが出ているのだろうと考えられます。
  取りあえず、足を休める事で痛みが改善するか、様子を見る事にしました。以前、TVのコマーシャルで、ダイエットによって膝の痛みが嘘のように改善されたと言う話を耳にした事もあります。
ダイエットやストレッチで状況が改善する様であれば、それに越した事は無いと意を決しています。
  しかし、今日も日中は30度を超える気温で、うんざりしています。
  話は違いますが、今月の奥さんの病院の定期受信の日に、アンディーを抱えて病院の玄関先で待っていると、次から次にお年寄りが車で受診にやって来ます。受診に訪れたお年寄りは、介護の人に支えられて、車いすに乗り換えるのです。あらためて、車椅子で受診に訪れるお年寄りの多さに気付きました。高齢のお年寄りは、どの人も、とても辛そうな様子でした。
  人が生きて行くうえで、自立歩行の重要性を目の当たりにした思いがしました。現在、家に居るアンディーも後ろ足の自然脱臼で、歩行が不自由に成っています。勿論、走る事は出来ません。
自然界で、動物が足を痛める事は、即、命に関わって来るのです。
  アンディーは、それでも懸命に自分の足で歩いています。時間が来ると、突っ張った後ろ足を動かして、キッチンの奥さんの所にやって来るのです。
  以前、ゴルフで足が痛くなるなどの経験は有りませんでしたので、加齢による筋力の衰えを感じる出来事でした。奥さんを伴ってのウォーキングは、この暑さでさぼりがちです。自分一人でも、ウォーキングによる、足のストレッチを再開しなければ成りません。
  足の健康を維持する事が、即ち健康に年を重ねる事に繋がるとすれば、その事に意識を高めねばと感じています。
  

2012年9月12日水曜日

9月のゴルフ研修会

朝、6時半に起きて、ゴルフの支度を始めました。昨晩から雨が降っていて、朝に成っても空は黒い雲で覆われていました。
  今日は、本当に久しぶりに、ゴルフ研修会での小野グランドCC ニューコースのエントリーに成っていました。メンバーのU君の計らいで、キャディー付の格安のプレー予約が取れた為、何時ものオールドコースではなく小野グランドCCのメインコースに成っているニューコースでのプレーに臨みました。
  レギュラーティーで6600ヤード強のヤーテージでした。現役の頃はコンペ以外では何時もニューコースを廻っていましたので、コースのレーアウトは良く知っていました。しかし、今日は前日からの雨もかかわらず、グリーンの感覚に手こずる一日と成りました。
  前回、廻ったオールドコースでは、ことごとくタッチが弱く、カップをショートする場面が続きましたが、今日は再三タッチが強く入って、カップを大きくオーバーする状況に成ったのです。
  グリーンは、オンしたボール跡がくっきり残るほど水分を含んで柔らかくなっているにも関わらず、とても速かったのです。
  同伴者から言わせると、パターのタッチで、ガツンとパンチが入っていると言われました。
188ヤードのインの17番では、5番ウッドでせっかくワンオンしながら、久しぶりに4パットをしてしまいました。
  全体的には、最初のうちドライバーショットが、相変わらず左に引っ掛けたり、ボールの下を叩いて天ぷらに成るなど調子は今一つで、コース幅の割にヤーテージが長い分、ティーショットでOBも出てしまいました。
  100ヤード以内のアプローチに好感触のショットが見られた事が今日の収穫でしたが、夏場の練習不足が如実に表れたラウウンドとなりました。
  それと、ラウンド終盤になるに連れて、足の裏の指の付け根に痛みを感じ出したのと、左ひざのお皿の部分にかすかな痛みが走ったのが気に成りました。
  それと言うのも、この夏、又体重が増加気味で、腹回りはメタボ状態になっています。
同伴のM君は前回のゴルフの折、途中で足が攣った事から、ストレッチの為のウォーキングを始めたと話していました。
  あれやこれやで、今日の成績は、53、49の102点と、とうとう100を超えてしまいました。
来月は、私のメンバーコースのパインレークGCに成っています。それまでに、足のストレッチと体重減に取り組まねばと、考えています。

  
  

2012年9月7日金曜日

「山のパン屋」から神戸市内へ

  先日、8月の末に偵察に行って休業日で入りそびれた「山のパン屋さん」に行ってきた。このパンの店はDaddys Bakery と言う名称が先に付いていて、ウッドデッキで食事が出来る様になっていた。
出来て相当時間がたっているらしく、駐車場を含めて敷地や建物はそれなりの年季を感じさせるもので、私達が立ち寄った時には子供連れの若いカップルと、女性二人が食事をしていた。
  黒い大きな扇風機が回っていたが、外の事もあり自然の風を感じながら、ソーセージの入ったハンバーガー風のパンと、普通のサンドイッチ、それにチキンとジャガイモを挟み込んだサンドを注頂いた。
奥さんが、中で注文してから、何分たっても食事が運ばれてこない。奥さんに、見に行かせると、注文したハンバーグを温めていたらしい。
  サンドイッチにハンバーガー風のパン、それにアイスコヒーも美味しかった。
私達が食事をしている間にも、結構来客が後を絶たず、店の中で一人で客応対をしている女性は忙しそうに動いていた。
店の中を写真に撮ったが、バケット、等フランスパンや沢山の種類のパンが並べられていた。
176号線で西に向かい、西宮山口ICを越えて山口町に入ったあたりから、左折して金仙寺湖方面に向かい、西宮高原ゴルフクラブの入り口を目指して走った。
  当日は、ここで腹ごしらえをして、久しぶりに六甲山の北側を神戸電鉄に沿って神戸市内を目指した。神戸市の北区の外れから鵯越えのICに入り六甲の下をくぐって三宮に出た。
  居留地界隈を散策して、岐路に付いたが、久しぶりの神戸の賑わいを見る事が出来た。

(何処も百日紅が満開)

2012年9月4日火曜日

作用・反作用の社会現象

  今朝、朝刊に目を通していたら、「戦争直後、日本人はあっという間に過去を捨て去った」とある著作で述べている、と著作家の半藤一利氏の記述が紹介されていました。
  それは、<近ずく総選挙で考えたいこと>と言うコラムの中で、日本人はどんな価値観なり行動原理を持った国民なのかを論ずる記述の中での事でした。曰く、「日本人は、目先の利益に敏感」、又、他の記述で「日本人は、際立って世俗的だ」と言うものでした。
  確かに、現民主党内閣による、この夏を控えた大飯原発の再稼働にしても、極めて現実的で、世俗的な目先の利益優先の決断に他ならないと思えるのです。日本をリードする政府がこの決定ですから、企業を経営する財界の総意などは、言わずもがなではないでしょうか。
  日本の大震災による福島第一原子力発電所の事故を受けて、世界の原発保有国では、様々な議論が巻き起こり、ドイツは2022年に、スイスでは2034年には、国内の全ての原発の廃炉のスケジュールが既に決定されています。
  所が、原発の事故を起こした我が国の政府では、国の将来を考えた正しく冷静な議論がなされているのでしょうか。衆議院選挙を控えて、将来の脱原発の政策の取り扱いを、政権公約に取り入れるかどうかが、しぶしぶ論議されると言った具合では無いなかと思うのです。
  近い将来、起こる事が想定される東海・東南海の高域地震の未曾有うの被害想定が発表される中で、現実の福島第一原子力発電所事故の収束に目途さえ立っていない現状を踏まえても、日本の政治を担う政治家達に、その決断に方向性が出されないのは如何言う訳なのでしょうか。
  事ほど左様に、日本社会の有るべき統治能力が、程度は測りかねますが、相当の部分で機能不全に陥っていると思われて成りません。
  物事に働く慣性の法則、「作用・反作用の力」を思い浮かべます。有る一方方向の動きが行き着く所迄行くと、海の波が打ち返すように、逆向きの働きが作用すると言う事が社会現象の中でも考えられ無いでしょうか。一方向の力が大きければ大きいほど、打ち返しの力は、強く大きなものに成ると思われます。
  そこで、冒頭の日本人の極めて世俗的で、目先の利益に敏感な国民性が懸念されるのです。
既存の政治が、極端に国民の期待を裏切ると、そこには極めて世俗的な国民世論を見方に付けた、又別の懸念が生じてくるのではないかと懸念されるのです。
  前回の総選挙では、自由民主党にほとほと愛想を尽かせた大方の国民が、民主党が掲げた甘いマニュフェストに乗って、日本の戦後の選挙史上初めての政権交代を起こしました。しかし、この3年、国民の期待は、その発足間もなく、無残にも裏切られる結果と成ってしまいました。
  
  国民世論を味方に付けた一握りの集団が、過激に反作用の支持を取り付けた場合の恐ろしさは、近代では第二次世界大戦前のドイツのナチスを想起させます。
  現代社会に、あの様な事が起こる訳がないと思いたいのですが、人間の過去何千年もの営みは、殆どその生き様として変わることが無いと考えるのが妥当ではないかと思うのです。
  日本の近代でのアジア侵略の歴史は、今もその国の教育の中で後世の若者に引き継がれ、止め様も無いナショナリズムの高揚を見る事が出来ます。
  私達の社会の歩みの中で、形を変え、様々な事が社会で繰り返されて来たと考えるのが妥当ではないかと考えるのです。
  機能不全に陥ったかに見える社会の中でも、懸命に多様な可能性について議論を尽くす社会で有ってほしいと思うのと同時に、自らも冷静な視点で物事を捉えたいと考えます。
  

2012年9月2日日曜日

夏の和菓子マンゴー大福

  宝塚の山本駅近くに、菅屋(すがや)と言う和菓子の店が有ります。私達夫婦は甘いものが好きで、近くを通ると、そこに寄っては和菓子を買い求めて帰ります。
先日、娘が遊びに来た時に、母親と出掛けその店に寄ってマンゴー大福を買ってきました。
この時期、貰い物の果物のマンゴーを食べましたが、独特の風味と言うか、普段食べ慣れない味にもう一つ馴染めませんでした。ところが、この菅屋のマンゴー大福は、とてもイケルのです。冷たくひやした煎茶と一緒に頂くと、いかにも夏の和菓子と言った、味わいが有りました。
それ以来、何度か菅屋に立ち寄ってはマンゴー大福を買って帰るのですが、この時期限定の和菓子としてお勧めだと思います。
  それと、同じ山本で、アンディーの行きつけの動物病院の並びに、長生堂と言う小さな和菓子屋が有り、そこは、レモン大福を看板にしています。苺大福や、ここでもマンゴー大福を出していますが、この店のお勧めはやはりレモン大福のようです。
この長生堂にも立ち寄ってマンゴー大福を買って帰った事が有ります。内の奥さんに言わせると、マンゴー大福は、やはり菅家が好みと言うのですが、私は長生堂のマンゴー大福でも、甲乙付け難い美味しさだと感じました。
9月1日は孫娘の10歳の誕生日でしたが、奥さんは孫へのプレゼントに可愛い洋服を買っていました。娘の家では、自家製ケーキを焼くと聞いていましたので、お土産には、孫たちも好物の菅屋の和菓子、マンゴー大福を持参しました。