2012年11月22日木曜日

高まる衆議院選挙について、、、

    日本の政治状況を見ていて、訳が分からなく成っているのは私だけでしょうか。テレビで誰かが、「自民党コリゴリ、民主党ガッカリ、第3極はサッパリ分からず」と表現していたのを聞きました。
  日本に政権交代可能な2大政党をと、小選挙区制度が導入され、自民党政治に辟易していた国民は、政権交代だけが目的化していた、まさに寄り合い所帯の民主党に政権を与えてしま失敗を犯しました。その後の3年間と言うもの、日本の社会的な混乱と疲弊が、返って私達に政治の重要さを教えてくれたと考えれば、いい経験だったと思うのです。
  其処には、国民の目をくらませる様々な仕掛けが、マニュフェストと言う目新しい言葉に包まれて仕掛けられていました。目玉の、「子ども手当」、「農家の所得補償制度」、「高校の授業料無償化」、「高速道路無料化」、「ガソリンの暫定税率廃止による価格引き下げ」等々、其々の国民がそれらの何に最も期待したかは分かりませんが、その時点で、これまでの自民党政治をひっくり返すに十分な、人参が国民の鼻先にぶら下げられたと言っても過言では有りません。
  それらの財源は、政治主導による国家予算の無駄の削減によって、十分賄えると言うのが彼らの主張でした。しかし、今日その前提は大きな見込み違いだったと、民主党政権自体が認めています。
そのマニュフェスト作成を主導した張本人が、政治資金規正法違反容疑で検察審査会から強制起訴を受けていて、先ほど無罪が確定した小沢一郎衆議院議員なのです。所が政権交代時、民主党の幹事長であった小沢一郎議員は、その政治資金規正法違反容疑の中、民主党の仲間内から批判が強まり、結果的に裁判が確定する前に民主党を離党せざる負えなくなりました。
  
  政権交代から3年、3人目の総理に付いた野田佳彦首相や民主党の政権幹部は、日本経済の不況とデフレ対策も、1年半前に起こった未曾有うの東日本大震災と福島第一原子力事故の対応も、そのほとんどが形ばかりで、国、政府を挙げて日本の危機に立ち向かっている姿とは程遠いものが有るのが現状ではないでしょうか。言葉を変えれば、現在の民主党政権は政府の体を成していないと表現しても良いのでは無いかと思うくらいです。疲弊する日本経済に対する対策も、事故後の原発再稼働やエネルギー対応も、地域が懸念するオスプレーの配備に関わる米国との安全保障なども、その都度、国民感情と反する対応しか出来ていないと感じています。
  外交を取ってみれば、野田首相は国際会議に出席するのを楽しみにしている風ですが、米国との安全保障問題のこじれに充分対処しきれておらず、尖閣諸島の国有化問題では、共産党主導部交代を控えた中国との摩擦を悪戯に広げ、その事が日中の経済問題で産業界が憂慮する悪影響へと繋がっているのです。
野田首相は、民主党の公約に無い消費税増税を「社会保障と税の一体改革」と言う名目を掲げ、自公との3党合意で法案を可決しました。その時点の約束から、すったもんだの挙句ようやく、今回の衆議院解散による年末総選挙が実施される事に成りました。
  
  この様な日本の政治の現状を、自分なりに整理してみるのですが、どうしても引っかかるのが、日本の政治家、国会議員の資質の問題なのです。
  政党としての綱領も無く、基本的な政治信条を異にする政治家達の寄り合い所帯の現民主党政権の惨状は、正に日本の政治の貧困を世界に晒している様で、恥ずかさを感じる程です。
  更に今回の衆議院選挙に際して15もの少数政党が乱立する状況と成りました。しかも、第3極と称して、新たに政党を立ち上げて国政に進出しようとする政党が、にわか仕立てで新人候補者を選挙区に立てようと意気込んでいます。この新人候補者達は、これまで、本来何らかの政治や行政問題に関わってきた人達なのでしょうか。或いは、日本の何かの社会的な問題解決に取り組んで来た経験を持つ候補者なのでしょうか。日本の政党政治自体の質が問われている様に感じて成りません。
  若者が、国政にチャレンジするのは、大いに意味のある事だと考えますが、国会議員には議員給与を含めて一人1億近い国民の税金が投じられます。選挙で選ばれる一人一人の衆議院議員は新人議員と言え、政治に対する十分な見識と政治信条を持った人でなければ成りません。
  かっての、小泉チルドレンとか小沢ガールズと揶揄される様な一羽一からげの議員で有っては成らないと考えるのです。各政党の政策の見極めと、候補者の一人一人が、国政に送り出すに足る政治知識と見識を持った候補者なのかを十分に見極めなければなりません。過去の選挙で、一時のムードや風と呼ばれる現象で選挙をして、今までろくな試が有りませんでした。ましてや、政治家を職業と勘違いする人たちは、ことごとく排除しなければ日本の政治は何時まで立っても良くならないと思うのです。
  其の為には、私達一人一人の政治家を選ぶ選択眼が試されているのかも知れません。
  
  
  

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