2012年11月29日木曜日

今衆議院選挙の原点は

  衆議院選挙の公示が近ずく中、新しい政党がいくつも名乗りを上げ、そこに集約される形で第三局と表現される新政党が勃興して来ています。
私なりに、今回の衆議院解散による総選挙について考えてみました。
   そもそも、今回の衆議院解散による総選挙は、政権交代から現在までの三年間、政権を担ってきた民主党政権の信任を問う選挙ではないのかと言う点なのです。民主党は、本来マニュフェストに謳っていなかった消費税増税法案を国会に上程して、その法案を、自公を巻き込んだ三党合意と言う形で通過させました。その時の合意の条件が、増税法案が国会を通過した暁には、衆議院を解散して国民に信任を問うと言って来た事では無かったのかと思うのです。
  衆議院解散以来、自由民主党始め乱立する各政党の政権公約の発表や、政策のアッピールが目立つように成って来ました。NHKやテレビ報道局、その他新聞、雑誌のマスコミも、もう一度今回の衆議院解散が現民主党政権の信任選挙であると言う位置付けに立ち返って、議論を進めていくべきではないのかと考えるのです。
  その後に、当然、各政党による政権公約がクローズアップされて来るのだと思われます。日本の20年に及ぶデフレ経済からの脱却は、今後の原子力発電の存廃の方向性は、さらに膨らんで行く社会保障費と国の財政赤字を巡る対応等です。
 
  しかし、現民主党政権は今回の衆議院選挙に向けた新たなマニュフェストを国民に提示する前に、まずは政権交代以来三年間の自身の政権運営の正当性を国民に精一杯訴え、自ら打ち出したマニュフェストに無かった消費税増税策の必要性と妥当性を、国民に対して事細かく説明して理解を求める事から始めなければ成らないのでは無いでしょうか。
  また、不幸にも政権機関中に発生した未曾有の東日本大震災と、それに起因するまさかの福島第一原子力発電所事故について、民主党政権がどう取り組んで来たのかを国民に訴えなければなりません。
  いやその前に、国民に大きな期待を持たせて政権交代まで起こさせた当初の政権公約、マニュフェストについて、その結果を国民に充分説明しなければ成らないのかも知れません。
  この三年間、自分達が国政を担っ来て、欧米や近隣アジヤ各国との外交政策にどのような成果を上げる事が出来たのか、政権交代時点につまずいた沖縄普天間基地の問題や、安全保障を踏まえた米国との関係維持は万全なのかについて、国民への説明責任を果たすべきだと考えるのです。
  野田首相は、自由民主党の安倍代表の発言に触発される形で、「古い自民党政治に戻るのか、前を追向いて(現政権と共に)進むのか」と語気を強めて演説していますが、国民の選択肢は決して二者択一では無いと言う事に、気が回っていないのかも知れません。
  マスコミや報道機関もこの点(2大政党による二者択一の選挙)について、選挙公示後は、十分な配慮が必要に成るのでは無いでしょうか。
  しかし、今回の衆議院総選挙の原点を考える時、私達も、まず戦後初めてと言われた日本の前回政権交代を起した衆議院選挙の反省から、始めなければ成らないかも知れません。
  
  

2012年11月26日月曜日

孫達と手製のピザを、、

先日、テレビでピザを食べている映像を見ていて、久しぶりに私も食べたくなった。翌日、孫たちの所へ行く予定にしていたので、奥さんにピザを焼いて孫達と食べようと提案した。
  以前から孫たちが来た時に子供達と一緒にピザを焼いて喜ばれたのを見ていたので、奥さんも、快く乗ってきた。
冷蔵庫のチーズを細かく千切りにして、準備に入った。ピザの生地は、パンを焼く要領で強力粉を捏ねて発酵させ、平たく薄く伸ばして行く。私は、軽く油をひいたステンレスのプレートに薄く伸ばしたピサの生地を乗せ、フォークで生地に空気抜きの細かな穴あけを手伝った。
  このピサ生地へのトッピングは、まずピザソースをあらかじめ塗った上に、千切りの玉ねぎや、ピーマン、トマト、コーンそれにベーコンを乗せ最後に千切りのチーズを乗せて、オーブンで15分ぐらい焼き上げると出来上がります。
子供も最近一人前をペロリと平らげるので、全部で5枚を焼き上げた。
娘達の近くに住んでいる、私の妹の所で一緒に食べようと言う事に成って、皆で、ピザを持って押しかけた。
  妹が、人数分のサラダと野菜スープを準備してくれて、皆で、手製のピザをほうばった。
(古木に絡まった蔦も色ずく)

  

2012年11月25日日曜日

三田の花山院菩提寺

秋の三連休の最後の日、晴れ渡った秋晴れに誘われて、山本からいつもの裏山を抜けて三田方面に出ました。川西の北の西谷地区を通って千狩の貯水池を過ぎると、志手原と言う所に出ます。この志手原の交差点を右折すると、のどかな里山が広がっていて、この先の尼寺地区に花山院菩提寺と言う古いお寺が有ります。
私はゴルフで三田方面に向かう時に、何時もこの志手原の交差点を越えて新三田駅方向に向かうのですが、以前からこの交差点に有る花山院の案内表示板を目にしていました。
  今日は、尼寺(にんじ)と言う地名の里から急な勾配の坂を上って行く先の花山院菩提寺を目指しました。
北摂三田の地に位置するこのお寺の縁起を調べてみると、第65代花山天皇(法皇)がこの寺をいたく気に入って41歳で没する迄、ここで仏道修行に励まれた寺との事です。この寺の開祖は天竺から紫雲に乗って渡来した修験僧の法道仙人によって開かれたとされていて、ご本尊は薬師瑠璃光如来をお祭りしてあるとの事です。
  花山法皇が亡くなると、弟子たちがその御意志に従って、ここに御廟を設けて葬った事から、この寺を花山院菩提寺と称する様になったと記されていました。
何でも、花山法皇は、西国三十三所巡礼の中興の祖、または巡礼信仰の開祖として崇められたとの事です。又、花山天皇は若くして悲運な退位を遂げ、それを慕って来た女官達が麓に集まり法皇の没後尼僧に成って生涯を送った事から、この麓の地域を尼寺(にんじ)と言うようになったとの記述が有りました。
山門前に駐車場が設けられていましたが、急な勾配を徒歩で訪れる人たちを多数見かけましたし、又、年配者だけでなく子供連れの若い夫婦を何組も目にしました。
  頂上からの眺めは素晴らしく、秋の清々しい空気を満喫する景色でした。
  
  
  
  

2012年11月22日木曜日

高まる衆議院選挙について、、、

    日本の政治状況を見ていて、訳が分からなく成っているのは私だけでしょうか。テレビで誰かが、「自民党コリゴリ、民主党ガッカリ、第3極はサッパリ分からず」と表現していたのを聞きました。
  日本に政権交代可能な2大政党をと、小選挙区制度が導入され、自民党政治に辟易していた国民は、政権交代だけが目的化していた、まさに寄り合い所帯の民主党に政権を与えてしま失敗を犯しました。その後の3年間と言うもの、日本の社会的な混乱と疲弊が、返って私達に政治の重要さを教えてくれたと考えれば、いい経験だったと思うのです。
  其処には、国民の目をくらませる様々な仕掛けが、マニュフェストと言う目新しい言葉に包まれて仕掛けられていました。目玉の、「子ども手当」、「農家の所得補償制度」、「高校の授業料無償化」、「高速道路無料化」、「ガソリンの暫定税率廃止による価格引き下げ」等々、其々の国民がそれらの何に最も期待したかは分かりませんが、その時点で、これまでの自民党政治をひっくり返すに十分な、人参が国民の鼻先にぶら下げられたと言っても過言では有りません。
  それらの財源は、政治主導による国家予算の無駄の削減によって、十分賄えると言うのが彼らの主張でした。しかし、今日その前提は大きな見込み違いだったと、民主党政権自体が認めています。
そのマニュフェスト作成を主導した張本人が、政治資金規正法違反容疑で検察審査会から強制起訴を受けていて、先ほど無罪が確定した小沢一郎衆議院議員なのです。所が政権交代時、民主党の幹事長であった小沢一郎議員は、その政治資金規正法違反容疑の中、民主党の仲間内から批判が強まり、結果的に裁判が確定する前に民主党を離党せざる負えなくなりました。
  
  政権交代から3年、3人目の総理に付いた野田佳彦首相や民主党の政権幹部は、日本経済の不況とデフレ対策も、1年半前に起こった未曾有うの東日本大震災と福島第一原子力事故の対応も、そのほとんどが形ばかりで、国、政府を挙げて日本の危機に立ち向かっている姿とは程遠いものが有るのが現状ではないでしょうか。言葉を変えれば、現在の民主党政権は政府の体を成していないと表現しても良いのでは無いかと思うくらいです。疲弊する日本経済に対する対策も、事故後の原発再稼働やエネルギー対応も、地域が懸念するオスプレーの配備に関わる米国との安全保障なども、その都度、国民感情と反する対応しか出来ていないと感じています。
  外交を取ってみれば、野田首相は国際会議に出席するのを楽しみにしている風ですが、米国との安全保障問題のこじれに充分対処しきれておらず、尖閣諸島の国有化問題では、共産党主導部交代を控えた中国との摩擦を悪戯に広げ、その事が日中の経済問題で産業界が憂慮する悪影響へと繋がっているのです。
野田首相は、民主党の公約に無い消費税増税を「社会保障と税の一体改革」と言う名目を掲げ、自公との3党合意で法案を可決しました。その時点の約束から、すったもんだの挙句ようやく、今回の衆議院解散による年末総選挙が実施される事に成りました。
  
  この様な日本の政治の現状を、自分なりに整理してみるのですが、どうしても引っかかるのが、日本の政治家、国会議員の資質の問題なのです。
  政党としての綱領も無く、基本的な政治信条を異にする政治家達の寄り合い所帯の現民主党政権の惨状は、正に日本の政治の貧困を世界に晒している様で、恥ずかさを感じる程です。
  更に今回の衆議院選挙に際して15もの少数政党が乱立する状況と成りました。しかも、第3極と称して、新たに政党を立ち上げて国政に進出しようとする政党が、にわか仕立てで新人候補者を選挙区に立てようと意気込んでいます。この新人候補者達は、これまで、本来何らかの政治や行政問題に関わってきた人達なのでしょうか。或いは、日本の何かの社会的な問題解決に取り組んで来た経験を持つ候補者なのでしょうか。日本の政党政治自体の質が問われている様に感じて成りません。
  若者が、国政にチャレンジするのは、大いに意味のある事だと考えますが、国会議員には議員給与を含めて一人1億近い国民の税金が投じられます。選挙で選ばれる一人一人の衆議院議員は新人議員と言え、政治に対する十分な見識と政治信条を持った人でなければ成りません。
  かっての、小泉チルドレンとか小沢ガールズと揶揄される様な一羽一からげの議員で有っては成らないと考えるのです。各政党の政策の見極めと、候補者の一人一人が、国政に送り出すに足る政治知識と見識を持った候補者なのかを十分に見極めなければなりません。過去の選挙で、一時のムードや風と呼ばれる現象で選挙をして、今までろくな試が有りませんでした。ましてや、政治家を職業と勘違いする人たちは、ことごとく排除しなければ日本の政治は何時まで立っても良くならないと思うのです。
  其の為には、私達一人一人の政治家を選ぶ選択眼が試されているのかも知れません。
  
  
  

2012年11月19日月曜日

お婆さんと秋のドライブ

  宇治のお婆さんは、あれだけ出好きだった人が、この頃あまり何処かに行きたいと言わなくなった。年明けには91歳に成るので、それもしょうがないと言えばそれまでだが、今でも90歳にしては元気な方だと思っている。
今日は、「私達は嵐山の紅葉見物に行こうと思うが、お婆ちゃん行きたいなら迎えに行くよ」とわざと、ついでを装って声を掛けると、「私も行きたい」と言う返事が返ってきた。
  去年の今頃は、お婆さんの里帰りに付き合って京丹波の墓参りに行ったが、今年も紅葉スポットへのドライブに連れ出す事が出来た。
いつもの様に、簡単な折箱に、おにぎりとから揚げや卵焼きを詰めて、お婆さんを乗せて嵐山に出かけた。宇治から阪神高速8号京都線が京都市内の堀川通りに伸びていて、その下の道路をを真っ直ぐ北に向かって、二条城横を通り、堀川丸田町を西に向かった。
月曜日なので車もすいているだろうと考えていたが、目的地に近ずくにつれて車や観光バスが増えてきて、桂川沿いから渡月橋近くはギッシリ車で埋まっていた。
  何時もなら車を止める所に困るのだが、今日は渡月橋を渡った阪急嵐山駅に近い川沿いに、運よく駐車場が見つかった。そして、川沿の公園には、家族ずれや若者のカップル、シニアの夫婦連れなど老若男女の人出で埋まっていた。
しかし、渡月橋の背後の山の紅葉は今一つで、紅葉の見頃には少し早かったようだ。
川沿いのベンチに腰掛けて、風に吹かれながら3人で食事をしたが、よほど美味しく感じたのか、お婆さんはおにぎりを3~4個平げた。
紅葉なら、清滝方面にもう少し足を伸ばせば、見頃の景色に出会えたのかも知れないと思ったが、お婆さんはそれでも満足した様子で、帰りに岡崎の平安神宮近くの漬物の老舗「大安」本店に立ち寄って、漬物をお土産に帰路に着きました。

2012年11月15日木曜日

皇帝ダリアと艶葉蕗(つわぶき)の花

    朝の散歩も、外に出るとめっきり冬が近い事を感じる空気に変わって来ました。真っ先に色づいていた花見月の葉も、どことなく寂しくなって、赤い実だけが目立つように成っています。
(ドウダンツツジ)
この時期、散歩道で見かける花も少なくなって、住宅の庭に植えられた柿や、少し大ぶりの柑橘の実が色付き始めているのに出会います。
今日、何時もの散歩道の公園の手前で、珍しい花に出会いました。それは、身の丈3メートルは有るかと思われる太い茎の先に、薄紫色の花弁を広げている花でした。奥さんと、しげしげと眺めましたが、二人とも今まで見かけた事の無い花で、その名前は全くわかりません。
(皇帝ダリア)
所が、雲雀の公園まで来ると、先ほどの花を植えているお宅のオジサンが公園の落ち葉掃除をしているのに出くわしました。うちの奥さんが、思い切って「先ほどお宅の庭で見かけた背の高い紫色の花は何んと言う花ですか」と尋ねると、「あゝ、あれは皇帝ダリアです」と告げられました。家人のオジサンは、得意そうに、「大きいのは4メートルにも育つものもありますよ」との事で、公園に植えた苗は、土が悪くて育たなかった事まで話してくれました。
  その他、道沿いに咲く花では、黄色の可愛い艶葉蕗(つわぶき)の花を良く見かけます。
(艶葉蕗の花)

ネットで調べてみると、その名前は艶の有る葉のフキから転じた名前だそうで、沖縄地方では方言で「ちいぱっぱ」と言う面白い名前が付いているようです。
  すっかり色づいた桜の葉もどんどん落葉して、木々の装いも急速に冬支度に入りました。
巷は、師走に向かう心あわただしい時期に、此れに追い打ちを掛ける政治の選択が始まろうとしています!

  
  
  

2012年11月12日月曜日

今年も紅葉の箕面へ

朝から天気は快晴で、アンディーを連れてえ箕面公園の紅葉見物に出かけた。
休日には、これも紅葉の人出で賑わう池田の五月山公園を左手に見ながら、山沿いの道路を箕面市街に向かい、箕面の滝に向かう山道を登って行くルートだ。
暫く箕面の滝に向かう細い山道を登っていくと、鮮やかに色付いた紅葉が目に飛び込んできた。細い山道は土日は箕面駅方向から一方通行に成っているようだが、月曜日の今日は車の通行量も少なくてとても走りやすいが、それでも山道では、車を止めて紅葉見物と言う訳には行かない。
 
  
滝の近くの駐車場に着いたが、駐車場は既に満車で、しかも駐車場料金が今年から千円に成っていた。そこは、箕面市が管理する市営の駐車場で、元々無料の駐車場のはずであったが、市の財政難がこんな所にも現れているのかと、苦笑した。
去年は、ここに駐車する事が出来て、歩いて滝のそばまで下りて紅葉を楽しんだ。
今日は、滝をパスして、箕面の山の奥にある西国23番札所の応頂山勝尾寺に向かった。
  勝尾寺の駐車場はすいていて、そこで持参のおにぎり弁当をたいらげて、境内に進んだ。
高野山真言宗のこのお寺は、勝運祈願のお寺とされていて、境内には大小の達磨が置かれている。
桜の時期もいいが、やはり紅葉のスポットとして観光を兼ねて参拝者が多く訪れる所でもある。
  このお寺は、入口のある綺麗な建物は、入口を入ると土産物の販売やその奥に軽食が取れるレストランが設けられていて、そこを通って境内に入ると山門が見えて来る。
  山門をくぐると、そこには大きな池が有り石の橋が設けられていて、そこを過ぎると本堂に向かう石段が続いている。
境内の紅葉は、今が見頃で、背景の山の緑と鮮やかなコントラストを醸し出していた。
日差しもあって、時折吹く風が心地良いが、山寺ではもう暫くするとそれが冷たい風に変わって来ると思われる。
  
  今年の紅葉は去年より、どことなく濃淡が鮮やかで美しく感じられた。
  

2012年11月10日土曜日

満願寺の紅葉

私の住まいのある花屋敷つつじヶ丘を山の方に上がって行くと、その奥は川西市満願寺町の住宅街が広がっており、バスの終点はその奥にある愛宕原ゴルフクラブになります。その少し手前に、私が年に何回か訪れる神秀山満願寺と言う古いお寺があります。
この時期山門の紅葉が綺麗で、夫婦で毎年訪れているのです。このお寺は平安時代の中期の武将で源満仲が帰依したとされるお寺とされ、源氏ゆかりの寺と成っています。そこには満仲の嫡子源頼光に仕えた坂田金時の墓もあるのです。
源満仲は平安時代この摂津多田荘を拠点に勢力を伸ばした武将で、依頼この地が多田源氏発症の地とされているとのことです。近くには由緒ある多田神社が有り、毎年川西市では源氏祭りが催されています。
気候の良い時期になると、リックを担いだシニヤのハイカーが多数坂を上がってきます。阪急雲雀ヶ丘花屋敷駅からバスに乗ると10分足らずの距離ですが、下から万願寺まで歩いても4~5十分の適度なハイキングコースと言ったところでしょうか。
今日も私達夫婦がお参りして帰る頃、シニアのグループが山道を登ってくるのにスレ違いました。本堂下の鐘楼の後ろに、金時茶屋と言う茶店が有り、土日にはうどん等の軽食や手作りの美味しいケーキセットなどが頂けます。

2012年11月5日月曜日

船から淀川再発見

  今日は予てから会社の関西地域のOB会の催しで、淀川水上クルーズに参加してきました。私はリタイヤ以来、現役当時の会社の人達と特別積極的に交流を持ちたいとは思っておらず、どちらかと言うと、そう言う事が煩わしいと思う方なのです。
今回も、何時もゴルフで顔を合わせる同期のH君が、今年から関西OB会の世話役に指名されていて、彼からぜひ参加してほしいと頼まれて、しぶしぶ出かけて行きました。
  天満橋駅に9時集合の指示で、少し前に集合場所の裏の川沿いに出ると、アクアライナーの船着き場が有りました。
現役時代、長い間大阪で勤務しましたが、船に乗るのは初めての事でした。京阪の天満橋裏の船着き場を八軒家浜と言って、そこから枚方の船着き場まで2時間半の船旅との事でした。
  夏の天神祭の船渡御で中之島界隈に繰り出す祭囃子の船は有名ですが、パリのセーヌ川をクルーズする遊覧船さながらのアクアライナーは、とても静かに八軒家の船着き場を離れました。
淀川の本流に出る前の、毛馬閘門(けまのこうもん)で淀川との水面を合わせて大川から淀川に入る所は、運河を行く感覚でとても面白い経験でした。
  淀川の流れは穏やかで、昔、淀川を三十石船が京都と大阪を行き来して、都と商都の物流を担っていたのです。
到着した枚方の船着き場は古来枚方宿として京街道の要所として栄えた所だそうです。
又、三十石船とくらわんか舟で有名な宿場町として栄えたらしく、江戸時代三十石船の船待の宿として栄えた鍵屋と言う宿屋の資料館を見学する事が出来ました。
さすがに、船の窓際から見る淀川の川幅は広く、水量も大きなものでした。明治以来、この淀川でも堤防が何度も決壊する洪水を経験していて、その度に対策が成されてきたと説明が有りました。枚方の料理店で団体の食事を頂き散会しましたが、お土産は竹皮で包まれた高菜と鮭のおにぎりの道中弁当で、紀州の大きな梅干しが添えられていました。