2012年10月30日火曜日

オペル・オメガからマツダ・アクセラ

    マツダのアクセラ・スポーツに乗って6日が過ぎた。この間の走行距離は200キロほどだが、アイドリング・ストップにも慣れて、快適な走行性能にとても満足している。
しかし、マツダのディーラーに置いてきたオペル・オメガV6ワゴンがいかに快適な車だったかを、今更ながら思い出している所でもある。
  車の好きな弟のアドバイスで、2002年9月に取扱店のヤナセで新車を購入してから今年で10年目、マツダの販売店に渡した時点で116.000キロを超えていた。しかし、まだまだエンジンはスムースで、重いはずの車重を軽々と加速させていて、エンジンの状態には全くストレスを感じなかった。しかし、如何せんATミッションの変速に不具合が出て、それも始動して暫く走った時点で突然ミッションが滑って空吹かしの状態に成り、しばしばエンジンの回転計だけが吹き上がる症状を見せていた。ヤナセの担当者も申し訳なさそうに、この症状はオートマティック・ミッションそのものをそっくり替えるしか対処のしようがないと、私に告げていた。
  おまけに、エンジンオイルとミッションオイルの漏れをシールドしたとたんに、ラジエーターのプラスティック部分にひび割れが見つかり、冷却水の滲み出る症状が確認されていた。やはり、10年を過ぎると、色んな部分に次から次に不具合が出てきて、通常の整備の枠を超えた部品のオーバーホールが必要に成ってくるようだ。
  今までに同じ車を10万キロを超えて乗り続けた経験は、今回が初めてだった。まだ愛犬リズが元気だった頃、若かったアンディーもつれて八ヶ岳方面や、倉敷の大原美術館と歴史地区に3回、それに島根県には、去年の出雲・松江方面の小旅行も含めて、これも3回往復した事を思い出す。
  オメガを走らせていた最後の方では、アクセル操作に気を付けていたおかげで、すっかりジェントルな運転に慣れて、今度のマツダ車の穏やかな運転操作に繋がっている様である。
  3リッターのオペル・オメガワゴンV6からバトンタッチした今度のマツダアクセラ・スポーツハッチバックは、2リッター車ながら、これまでの走行でリッター13キロのインディケーター表示を示しており、、今までの車では有りえなかった数字だと驚いている。
  カーナビも最新のものが付いていて、齢を取った最近は、仕様書を確認するだけでも大変に成って来た。
  安全運転で、追々に新車に慣れていこうと思っている所である。
(去年撮影した石山寺の紅葉)

  

2012年10月26日金曜日

ベスグロと準優勝の日

  今日は秋の同期会ゴルフコンペの日で、ゴルフ研修会メンバーのU君が手配してくれて、小野グランドCCオールドコースで開催されました。
天気は、朝から秋の青空が広がる絶好のゴルフ日和に成りました。中国道の改修工事が続いているのも分かっていましたし、私は、何時もの様に176号線の下道で吉川方面に向かいました。   私は7時前に家を出たのですが、中国道を避けて来る車で176号線もいつもより混んでいて、豊中方面から中国道でゴルフ場に向かっていた二人が渋滞に掴まった為、マスター室に頼み込んでスタート時間を30分強遅らせてもらい、1組は9時38分にオールドコースのOUTをスタートしました。
  私は、3組のしんがりでM君、Y君の3人のパーティーで9時52分にスタートしました。
実は、私は今週月曜日にホームコースのパインレークGCで10月の何時ものゴルフ研修会を終えていましたが、スタートのスリーホール目で13点を叩き、久々にトータル113点と言う不名誉な成績で打ちひしがれていました。
  所が今日は如何した事か、出だしの3ホールをパーで通過し、4番5番をダブルボギー、ボギーとするものの、6番でバディーが来て、後の上りスリーホールを何れもボギーのトータル5オーバー、41点で上がりました。
  昼からのINに入っても、出だしのロングをパーとし、11番の長い打ち下ろしのショートはダブルボギーに成りましたが、次のミドル13番で、今日2つ目のバーディーが来ました。
  13,14,15番をパープレーで通過して、上り3ホールはボギー、パー、ボギーで乗り切りましたので、INのトータルは3オーバーの39点、トータルも、41,39で久々に80点の成績に成りました。
  朝、スタートまでの時間に、練習グリーンでの好感触がラウンドでも続きました。それと、前回まで足の痛みに悩まされましたが、それが嘘のように無くなったのです。
  ひょっとしてと、ゴルフシューズを変えて臨んだ今日のラウンドでは、足の痛みが大幅に緩和されたのです。
  近くのゴルフショップで購入したECCOブランドのシューズが原因でした。スエーデンのECCOのゴルフシューズは、とてもしゃれたデザインで気に入って履いていましたが、まさか靴が原因とは思ってもみませんでした。
  何はともあれ、絶好のゴルフ日和に、準優勝と、べストグロスの栄誉に輝いた一日と成りました。
  
   

  
  
  

2012年10月20日土曜日

伊丹郷町の街歩き

今日は、奥さんが家庭用品の大型店のニトリに行きたいと言うので、昼から、家から一番近いニトリの伊丹店まで出掛けました。川西能勢口から県道13号線を南に走ると、15分も走らない内に、伊丹の中心街に行くことが出来ます。伊丹1丁目の信号を過ぎると、間もなくニトリの伊丹店が有ります。
奥さんが、店内でお目当ての買い物をしている間、私とアンディーは伊丹の中心部を散策する事にしました。ニトリの伊丹店のある場所は、JR伊丹駅まで歩いて5~6分の伊丹の中心地に有ります。店を出て東の方向に歩き出すと飲食店が並んでいて、中には長い行列が出来ている店もありました。今日は土曜日で、わざわざ伊丹市街に訪れている人もあるようです。この界隈は伊丹郷町(いたみごうまち)と言うらしく、江戸時代より酒造が盛んで、古い酒蔵なども残されています。
今日、私とアンディーはJR伊丹駅の方向に歩いてみました。すると、JR伊丹駅の手前に小振りの石垣が現われ、そこに有岡城跡と言う表示が有りました。城跡と言っても、城壁のほんの一部を残すのみですが、その界隈はどことなく趣のある風情を感じる場所でした。
  ニトリを出た所から東に歩いていると、細い路地の先には立派なお寺が有ったり、と思うとその前には真新しい高層のマンション入り口が有るのです。郷町と言われる地域は、たぶん、とても狭い地域だと想像するのですが、伊丹1丁目から3丁目界隈は、整然と区画されていて、その区画を比較的新しいマンションがいくつも取り囲んでいるのです。
城跡を残すこの界隈は、酒造の伝統を感じさせる地域でもあるのですが、閑静な地方都市の趣とが混在するどこか魅力的な街と感じました。
  四国の松山市など地方の城下町で暮らした経験を持っていますが、そうした城下町の趣を、ギュと凝縮したような街並みがとても好ましく思えました。
  秋の好天の中、アンディーは有岡城跡で用を済ませ、道中ずっと抱っこ状態ですが、ご機嫌の街歩と成りました。

2012年10月16日火曜日

ヤマボウシの赤い実

  今朝の散歩は、途中から背中が汗ばむほどでした。秋も深まって来ましたが、日中はまだ暑い日があります。
(ヤマボウシの赤い実)
先日、山本の園芸センターに立ち寄った際、面白いものを見つけました。入り口近くにあった背丈くらいの木に、赤い実が付いている木でした。興味を覚えて、枝に付いている名前のしるしを見てみると、ヤマボウシとありました。
(ヤマボウシの花)
ヤマボウシは6~7月頃主に白い花を付ける木ですが、ヤマボウシにこんな赤い実が付くとは知りませんでした。春の初めから白いモクレンが花を咲かせ、桜が散ると続いて花見月のピンクや白い花が見られます。そして、梅雨頃から夏の前に白い花を付けるのが、ヤマボウシです。
(ザクロの実)
ヤマボウシと言う名前を知ってから、そんなに月日も経っていませんが、今回、ヤマボウシにこんな可愛らしい赤い実が付く事を初めて知りました。
  秋には柿や栗などが季節の代表的な実ですが、それ以外にも色々な木が実を付ける事を知りました。
  散歩の帰り道、今年もザクロの木に赤い実が付いているのを見つけました。
(秋咲きの黄色いバラ)

2012年10月12日金曜日

絶好のゴルフシーズン

  秋本番、ゴルフのベストシーズンがやって来ました。今日は、研修会仲間のMu君の誘いで、彼のメンバーコースである山の原ゴルフクラブに向かいました。Mu君と私、それに現役時代の同期2人が今日のメンバーでした。所謂、何時もの懇親会ゴルフのメンバーで、このメンバーで回るコースは山の原GCの恋里コースに成っていました。
  ベランダで外の気温を確かめて長袖のシャツを着ましたが、コースに着くと少し風が有りそれで丁度良い状況でした。
  トータル5.592ヤードの白のティーを9時半にスタートしました。前回のプレーからほとんどクラブを持たずに、久しぶりの今日のプレーに成りましたが、INのスタートからショットはまずまずで、2つのショートのパーを含めてボギーペースで進み、18番パー5のサードショットは、ウェッジショットで50センチに付けINの上りのバーディーと成り、折り返しのOUTに期待を繋げました。
  しかし、OUTの1番はパーでスタートしたものの、3番の打ち下ろしのパー5で、またまた大叩きの9としてしまいました。ティーショットが天ぷらで距離を大きくショートし、セカンドをミスショット、更に、左のOBを嫌がってフェアウェイ右サイドぎりぎりを狙ったサードショットを松林に、4打目は出すだけとなって、その後6オン3パットと言った具合でした。
スコアーの為か、どっと疲れが出てきて、おまけに2度も左手のグリップが緩んでミスショットに繋がりました。前回もそうでしたが、後半左足の足裏の鈍い痛みも気に掛かりました。
  結局、スタートのINが44点、昼からのOUTを50点として、今日は94点の上りと成りました。
此処から1週間置きに、研修会に同期会コンペと予定が入っていて先が思いやられます。
  同伴のメンバーも似たり寄ったりですが、年齢を増すにつれて、一つ一つの動作に何処かぎこちなさが出て、思わぬミスに繋がっているのです。‘‘力まず冷静に’’と心に唱えて頑張らなくては!

(金木犀の花)

2012年10月9日火曜日

アンディーと朝の散歩


(金木犀の黄色の花)
    奥さんが、早起きしてパン造りに取り掛かりました。近所のシーズー犬のシーザーのお母さんから、アンパン15個、クリームパン15個の依頼が入っていました。シーザー君のお母さんは、詳しくは話したがら無いのですが、何かのボランティアをしていて、其処の子供達の集まりに持って行くのだそうです。以前、内の奥さんが頼まれて焼いてあげた所、大変好評だったと言う事で、再度リクエストが入ったと言う分けです。奥さんも、頼まれると満更でもない様子で、朝から張り切ってパン造りに入りました。
  そんな分けで、今朝は私とアンディーだけで、朝の散歩に出ました。マンションの裏側から外に出ると、辺りの空気は金木犀が放つ香で満たされていました。
  晴れ渡った朝の日差しは、歩いていると少し汗ばむくらいでした。道すがらには、野生の柿の枝がたわむ程、実を付けています。しかしこの時期、散歩道には、夏の名残の木槿やコスモスぐらいで目立つ花はあまり多くありません。
  
(散歩道から池田の五月山を望む)
アンディーはこの頃、道端に降ろしてもあまり歩こうとしません。手先の骨がすり減っているのか、手首で体を支えている様なのです。それで私も、あまり無理をさせません。そんな分けで、散歩の道中は、殆ど抱っこの状態なのです。散歩の途中で、アンディーは何人かの顔見知りのおばさんたちから、声を掛けられますが、抱っこされた状態で応対しているのです。
  今日は、秋の気持ちの良い空気の中で、アンディーと朝の二人歩きとなりました。
  
  
  
(途中いくつも見かける蜘蛛の巣)

2012年10月8日月曜日

村の守り神

  秋祭りの季節がやって来ました。この時期、あちらこちらで村の神社のお祭りが模様されています。
  お婆さんが住んでいる地域の守り神である伊勢田神社も、昨日は秋祭りの最中で、地域の世話方が境内に提灯を吊るしたり、お祭りの飾りつけをして、集まっていました。
例によって、朝10時半には、お婆さんの様子を見に宇治の伊勢田町に行きましたが、伊勢田神社のお祭りには、小さな子供にお祭りのはっぴを着せて若いお母さん達も、集まって来ていました。
     そこで、何時もお参りしている伊勢田神社について、インターネットでその歴史を覗いてみました。
  なんでも、山城国風土記によれば、大宝3年(人皇42代文武天皇の御世)9月初め奉主田幸祭礼とあり、約1.280余年前にこの地に鎮座されたと有り、明治6年村社に列せられたと書かれていました。この記述から、伊勢田神社がとても古い神社で有ることを知りました。
道理で、村の神社にしては、参道やお社の構えが厳かな気がしていました。
御祭神として本社殿には、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、手力男大神(たじからおのおおかみ)、それに萬幡豊秋津姫大神(よろずはたとよあきつひめのおおかみ)がお祭りしてあると記されていました。本殿後方の左右に末社として稲荷神社と春日神社が、本殿に上る前の左側に、作田神社と八幡神社の社殿が置かれてあると言った具合です。
亡くなった義父が、この伊勢田神社の直ぐそばに家を建てた頃は、まだ近くに茶畑や竹藪などがあり、のどかな村の風情を残していました。伊勢田の伊勢はこの地に伊勢神宮の社田が有った事から、その名が付いたのでは無いかと、考えられているそうです。
  
  この40年の歳月の間に、すっかり周りは住宅地で埋まり、竹藪が真新しい高層のマンションに変わってしまいました。
  それでも、村のお祭りは、延々と、毎年変わる事無く続いているのです。



  

2012年10月5日金曜日

天王寺ぶらり歩き

  今日は奥さんの病院の受診日で、朝8時半に家を出ました。阪神高速の川西小花の入口から、大阪市内の道頓堀出口まで道路はとてもスムースで、上本町9丁目の交差点から夕陽丘ストリートに入るまで1時間を要しませんでした。
この夕陽丘ストリートと名付けられた細い通りには、交差点を曲がってすぐ天王寺区役所が目に入ってきます。この界隈は天王寺区の真法寺町と言って、すぐ左手に大阪警察病院とその隣の府立夕陽丘高校の建物が並んでいて、古い落ち着いた街並みに成っています。
この夕陽丘ストリートを真っ直ぐ進んで、玉造筋に出る手前の右手に、15年以上、内の奥さんの体を見てくれているNTT西日本大阪病院が有るのです。
私が会社に勤めている間は、最寄りの大阪環状線桃谷駅まで、阪急宝塚線と大阪駅からJRを乗り継いで病院通いをしていました。当時、私はめったにこの病院に来ることは有りませんでしたが、勤めを終わってからは月に一度、アンディーと一緒に奥さんの病院通いに付き合っています。
そもそも、どう言う因縁か、私の本籍は長崎から大阪に出て来た私のお爺さんの代から天王寺に在り、奥さんと二人で婚姻届を出した所がこの天王寺区役所だったのです。以降、こんなに頻繁にこの地を訪れるとは思っていませんでした。偶々、奥さんが阪大病院に居た主治医の転出に伴なって、このNTT西日本病院を受診する様になってからの事なのです。
去年は、待ち時間の時間つぶしに、アンディーを伴って、近くの四天王寺にもお参りしました。それと、勝山3丁目の角の小奇麗なカフェを見つけて、フレーバーなコヒーを楽しんだりしています。今日も、待ち時間の2時間を、アンディーと天王寺ぶらり歩きで過ごしました。
  
  

2012年10月4日木曜日

私の愛車

   今朝、朝食を済ませて和室のパソコンの前に座ると、背中からかすかに金木犀の香りが漂ってきました。何時もは、一番先にキッチンの勝手口を出た所の金木犀から、香りが入ってくるのです。まだ黄色の花が付いているのを見かけていないので、何処から来ているのかと、ベランダ越に南の角にある大きな金木犀を見に行きました。
  目を凝らして丹念にさがすと、下の方の奥の枝に、ちらほら黄色い花が付いているのを見つけました。空気が涼しさを増して来るこの時期、最も秋を実感するのが、朝のつめたい空気の中に漂う金木犀の香りだと思うのです。
  さて、此の所、長年愛着を持って乗ってきた愛車オペル オメガ MV6ワゴンの、あちらこちらに不具合が出てきました。車検後の1年点検で、エンジン下から少量の液体が漏れていていて、何度か原因を調べてもらいましたが、如何もはっきりしません。まずエンジンオイルとミッションオイルの滲みを突き止め、13万の費用を掛けてシールドしました。しかし、その後も少し時間を置くと少量の液体の漏れが確認され、不具合の完全な修理は出来ていませんでした。
  ヤナセの担当者によると、ラジエーターのプラスティック部分にかすかなひび割れが有るとの事です。今回の検査でも、原因を特定する為ラジエーター内部に水圧を掛けると状況を更に悪化させる可能性がある事と、ラジエーターの交換には更に10数万の経費が掛かるとの見積もりが出されました。検討の結果、漏れ自体がごく少量の為、そのままで状況を見る事にしました。
  しかし、走行中のATミッションの変速の滑りはATミッションユニット本体を交換するしか無いとの判断が伝えられました。これは、自動車にとって大手術に成ります。まず、50数万円近いATユニット本体をドイツのメーカーに発注して、届いてから10数万の工賃を掛けてATミッションの積み降ろしの交換作業を行うのです。
  大体、そこまでして車を乗り継ぐ人が少なくなっている今、メカニックの技量にも不安が付き纏います。油漏れのシールド一つに手古摺る様では、「何おか言わんや」なのです。
  昔の車は、それ自体が機械の塊の様なもので、全て分解して油で洗い、再度組み立てると言った作業が中心だったと思うのです。ところが、最近の車は、其々の基幹部分が電子化されていて、それもユニット化されてい為、昔のように分解して不具合の部分の部品を交換すればいいと言う分けにはいかなく成っているようです。加えて、去年の車検から1年しか立たないのに、今装着しているバッテリーのデーターが、交換時期を示していると言うのです。
  クラシックカーを整備しながら長年乗り続けている人の事が紹介されますが、それには大変な労力と経費が掛かるのが分かります。
  
  私の車遍歴は、24歳の時のゴールドのホンダN360の新車を皮切りに、颯爽と新婚旅行に出かけた日産サニークーペ、長男が生まれた時乗っていたツートンカラーのいすゞベレット、徳島ナンバーでラリー塗装の三菱コルト、初めての転勤先で買った中古のトヨタカローラ1600と、中古車を乗り継いで、憧れのスカイライン1800の新車を思い切って購入しました。以降、大阪に帰って2000CCのブルーバードsssから、3リッターの日産マキシマへ、バブルの絶頂期には千里日産の支店長の勧めで、4リッターのJ・フェリーにも乗りました。そして、偶々、オプションの現金化と言う臨時収入で、2002年に現在のOPEL OMEGA MV6ワアゴンへと乗り継いだのです。
  家族全員で乗る車と考えてのワゴン車でしたが、長男が独立し間もなく娘も嫁いで、夫婦二人の車に成って10年が過ぎてしまいました。
  拘って装着したミュシュランのタイヤ プライマシー LCの静粛性と乗り心地にも助けられて、今までに無い満足感を得る走りの車でしたが、現役引退と言う私にとっては嫌な決断の時が来たのかと、とても寂しさを覚えているのです。