2012年3月30日金曜日

遠出の散歩

  今日は久しぶりに1時間を超える散歩になった。我が家から川西市街を抜けて、猪名川の絹延橋近くの河原まで出て、川沿いを歩き、川の中の飛び石が設けてある場所からか猪名川を渡って、下流から再び橋を渡って戻ってきた。
  途中、比較的古い疎水が流れる住宅街を歩いたが、そこには、この地域の守り神として古くから祭られる小戸(オベ)神社と言う神社があり、そこにお参りして阪急宝塚線の川西能勢口駅にたどり着いた所で1時間を超えていた。
川西は、その歴史を見ると、清和源氏の発祥の地と言われており、秋には役所主催で源氏祭りと言う催しが行われる。猪名川の少し上流沿いには、多田神社と言う清和源氏が戦勝祈願をしたと伝えられる由緒ある神社も有り、私が居る花屋敷の奥には古刹で満願寺と言う源氏ゆかりの寺があって、
何れも、歴史を感じさせる場所に成っている。
猪名川の水流も比較的きれな水で、河鵜が何度も水に潜る姿が見られたし、鴨のつがいが気持ちよさそうに流れに身を任せたり、浅瀬で毛繕いをする様子を眺める事が出来た。
奥さんが駅近のマーケットに入っている間、アンディーと人間ウオッチングで時間をつぶして待っていると、コーヒー袋一つのはずが、重たそうな買い物袋を下げて、奥さんが出てきた。
  5分後に駅前からバスが有るから、それに乗ろうと促されて、少々疲れ気味だったのでほっとした。
重い荷物を下げさされて帰り道は、とてもしんどい。以前、経験があるが、さんざん歩いた後で150m近い山登りは、文字通り「行はよいよい帰りは怖い」の状態になる。
しかし、今日はジャケットの下のセーターを脱いでも薄っすら汗をかく暖かさで、蕾が硬かった木蓮の白い花が開いているのを幾つも見ることが出来た。

2012年3月29日木曜日

今の政治への雑感

  2009年9月の民主党による政権交代は、誰もが日本の政治史の中で画期的な意味を持つと大きな期待を込めて受け止められた。2009年の衆議院選挙前の民意は、それまでの自民党政治に、ほとほとうんざりしていて、その頃は、言わば「自民党政権以外であれば何処でもいい」と言う雰囲気が国民の意識に醸成されていたと思われます。
そんな折に、国民は民主党の選挙請負人であった小沢一郎によって、仕掛けられたと言っても過言では無いと思います。国が子育てを支援するとした子供手当の創設や国家予算の抜本的な組み換えと無駄な公共事業の廃止、それに国による情報公開を謳い、高速道路も無料化するし、ガソリンの暫定税率も廃止してエネルギー価格を引き下げるとした公約等、若者や無党派層を取り込む為の様々な仕掛けを凝らして、まんまと政権交代にこぎ着けたのです。

政権交代から東日本大震災を挟んだ今日迄、民主党政権が掲げて政権交代した公約は、ほぼ全てと言って良いほど反故にされました。またこの2年半ほど、政治の能力と政治の責任が浮き彫りになった時期は無いのでは無いでしょうか。今や、国民の間には、再度、「民主党以外であれば何処でもいい」と言うコンセンサスが出来上がりつつあるのでは無いかとさえ思われるのです。

国民の代表として国政を率いる資格のはなはだ乏しい政治家たちが、入れ代わり立ち代わり内閣を構成して、内外に日本の評価を貶めている様に思われて仕方がありません。

  米国とフランスが、昨今の原油価格高騰について国家備蓄の放出を協議していると言う報道がなされています。過去の石油危機に創設されたIEA(国際エネルギー機関)に石油備蓄を暗に働きかけている試みではないかと言われていますが、米仏はことしの大統領選挙を控えてここもとの石油エネルギー価格の高騰に対して無策で有ることが許され無いのです。

日本でも、さすがにTVニュースやメディアがガソリン価格の高騰を報道し始めていますが、未だに、我が口先男の枝野幸雄通産大臣や野田総理大臣からはその感想の一言も聴く事が有りません。日々、今の政権では、来るべき消費税引き上げ法案の閣議決定に向けた動きに全ての意識が向けられて、日々の国民生活や産業動向にまで目を配ることは到底かなわ無いようです。いや、分かっていて、だんまりを決め込んでいるのかも知れません。
東京電力による電力料金の引き上げ通告が、地域の問題として報道されている今、全国的にも日本中の原子力発電所が定期検査で暫時停止して、これから先の電力を含めたエネルギー政策は喫緊の国民経済的な関心事のはずなのです。
事ほど左様に、外交、内政含めて全ての国事について、停滞と無策が蔓延してきています。
極めつけは、消費税法案の国会上程に向けて、野田総理が副総理として入閣を要請した岡田勝也氏による、今年の国家公務員採用の6割削減と言った、稚拙で小手先の公務員経費削減策だと思われます。成るほど、公約として掲げた公務員人件費2割削減の期限が迫って、その実がほとんど上がって無い事えの焦りは分かりますが、継続的で健全な組織の運営の為には、最も取ってはなら無い方法なのです。若い人員の採用を大幅に減らして、目先の辻褄を合わせようと言う発想から伺える、この政治家の底の浅さが露呈している事柄ではないでしょうか。
私の気持ちとしては、この政党や内閣では何も決めてもらいたくないと言う気持ちでいっぱいです。
それと同時に残念なのは、大方のマスコミや報道機関に迷いがある事だと推察されます。現政権の間違いを厳しく正していく為の発信が、上辺だけでほとんど感じられ無いのは如何してでしょうか?

2012年3月27日火曜日

RATOCのUSB外部電源

  私のPCオーディオは、少しずつ進化している。今日は、埼玉から、今、私が使っているRATOCのDAコンバーター、RAL-2496UT1のUSB外部電源供給アダプターとAC電源アダプターが届いた。
幸いなことに、たまたま、ネットにこの外部電源供給アダプターがACアダプターとセットでオークションに出されているのを見つけた。今迄は、パソコンのUSBポートからバスパワーでDACの電源を得ていたのですが、どう考えてもPCからUSBケーブルで直接音楽情報と駆動電源をもらうのは、様々なノイズを拾う事が懸念され、オーディオ的には頂けない。もとより、ノートパソコン自体は初めからオーディオ機器の様に、音声情報をオーディオ的に処理する対策はされていないのです。

  メーカーから出されているUSB外部電源供給アダプターと言うのは、単三電池4本でも安定化電源をDACに供給する事が出来るのですが、できれば、自前のAC電源から駆動電源を取るに越した事は無い。所が、このオーディオ用AC電源アダプターと言うのも、普通の物と比べると実売で2~3倍の価格がする。しかし、USB機器にリップル・スパイクノイズの少ない高品質な電源を供給して、音質向上と安定動作に寄与します、と唱っている。過電流や過電圧の保護回路が施してあるらしく、電気の専門知識の無いものにとっては、何とも痛い所である。
要は、パソコンから駆動電源を取る場合、電圧変動や各種のノイズが音楽情報と共にDACに混入して、音質を損なう可能性が有り、別に、こうしたAC電源から電源を取ることが求められます。
  RATOC以外にも、Phile-Webなどのオーディオ情報サイトを見ると、最近、オーロラ・サウンドと言う小さなガレージメーカーからもBusPower-Proと言う同じような製品が出されていて、両者の効果を比較した書き込みなども見受けられました。こちらの方は、1万円そこそこで、RATOC製品との比較で、効果に違いが認められないとの記事も有りますので、価格からするとこちらの選択が賢いのかも知れません。
元々の、ピュアー・オーディオでは、このAC電源でさえ、音質に与える影響が言われていて、ピュアーな電源を求めて様々な取り組みがなされています。
今、届いた外部電源アダプターをPCに繋いでVenic Classic Radioから流れてくるインターネットラジオを聞きながら、Blogを書いていますが、確かに音声を損なうようなノイズがほとんど聞こえません。
しかも、ピュアーオディオと言って良いレベルのサウンドが頭の上に広がっています。
  とても気持ちの良い視聴環境に満足しています。RATOCのRAL-EXTPWO1と言う外部電源アダプターは元々高い割には造りはプラスティックで、お世辞にも見栄えはよくありません。
そこで、早速、朝からRAL-2496UT1に装着したようなヒノキ造りの外部カバーを作りました。

2012年3月26日月曜日

実家のお墓詣り

昨日は、家に帰り着いたのが8時を回っていた。お彼岸の間に行くことが出来なかった妻の実家の墓参りに、宇治の義母を訪ねていた。
いぜん、お彼岸を過ぎても天気がはっきりしない。天気予報は、しきりに東日本の寒さや雪の事を伝えていて、うっかり聞いていると、全国的に極端な寒波が来ていると錯覚するほどの伝え方に聞こえる。何時も思うのだが、最近の報道の在り方が、全てに受け狙いと言うか、トピックスをことさら強調するきらいがあって、それもネガティブに強調する傾向があるのではないか、と感じている。

それでも、平等院の前を宇治川に沿って走る道すがらは、休日の事もあって観光客の姿も多く、春を待ちかねた団体の旅行客等も見られた。
  奥さんの実家のお墓は、この宇治川沿いを上流に向かってしばらく走った所を右の山側に入った、小高い市営の墓地にある。最近になって、新たに綺麗な墓地が拡張されており、実家から車で15分程の為、行きやすい距離に位置している。ただ、実家の墓所は6~7段の階段を4つ上がった所の為、90歳の母が上がりつくのが大変だが、それでも、自力でゆっくり上がる事が出来た。
生前、義父が墓所は人から見降ろされる場所で無い方が良い、と言っていた事から、墓地の一番高い所に作られたらしい。

ここも、桜が咲きだすと風光明媚な土地柄なので、お墓詣りがてらの花見ができる場所なのです。
(実家の庭に咲くヒマラヤ雪の下)


(お婆さんが植えたチューリップの蕾が)

(鮮やかな庭の紫陽花の新芽)

2012年3月23日金曜日

春の花を仕入れに

流石に、もうそんなに寒くはならないだろうと、近くのグリーンマーケットと言う花屋に春先の花を求めに行った。
近くでは、大きな花屋で、色とりどりの可愛らしい花が置いてあった。
私が好きなモッコウバラの鉢植えされた苗木もあったが、さすがに値が高い。冬の間は、ビオラが残っているだけで、寂しくなったベランダのプランターを埋める為に、ピンクや白のデイジーを買った。奥さんは黄色のムルチコーレと言う可愛らしい花を5~6つ買い込んでいた。
最後に、バージニヤ・ストックと言う薄紫の可愛い花を追加して引き上げた。
部屋の中で冬を越した、君子蘭は次々に花を付け出している。それに、寒さに弱いベンジャミンの木も
私の部屋を温室代わりにして、寒さをしのいできた。
ここの所の一日置きの雨で、散歩が途絶えがちになる事が多く、今、カメラを持ち出しても、梅がほころんでいる以外は、他の花を見ることが少ないので詰まらない。
今年は、どうゆう分けか、寒さがぐずぐず残っていて、梅の花なども一斉に花を付けると言った状態には無いようだ。
しかし、桜の蕾だけは、日に日に粒の形がはっきりしてきたので、春の陽気と一斉に咲く桜の開花が待ちどおしくなる。
(もうすぐ、黄色い花をたくさんつけるミモザの木
を背景、ピンクの花を付けた梅の枝)

2012年3月21日水曜日

音楽の新たな視聴環境

  今、私はパソコンにDAコンバーター(デジタル音声をアナログ音声に変換するもの)機能の付いたヘッドホンアンプにヘッドホンを付けて、世界のインターネットラジオを聞くことに夢中になっています。
世界中で配信されるインターネットラジオ局の数がどれ位あるかも、私は知りません。
とりあえず、イギリスのLinnラジオとBBC3のクラシック配信、それにオランダの放送連盟に加入する、略称、AVRO(アフロ)とイタリアのベネチュア・クラシック・ラジオ等を中心に、クラシック音楽の配信を楽しんでいます。それらの音声は、私が長らくオーディオを趣味にして来て、ヘッドホンからの音声視聴ですが、素晴らしいと感じられるレベルの音声クオリティーに成っているのです。
実は、パソコンからインターネットを通じて音楽配信を聞く楽しみ方は、色々見てみると、まだ始まった所の様で、オーディオ業界でも本格的な取り組みはこれからだと感じています。
私のオーディオシステムのスピーカーは、デンマークのディナウディオ社製ですが、最近のプレスリリースではディナウディオがスピーカーケーブルが無く、スピーカー自体に駆動力を持たせたワイヤレスの製品を売り出すと言う記事を目にしました。よく考えると、私が今聞いているヘッドホンの音声は、ワイヤーレスのノートパソコンに繋いだDACアンプに繋がれており、パソコンとヘッドホンアンプのDACの間をUSBケーブルで接続していますが、パソコン自体はワイヤーレスに成っているのです。そのヘッドホンから聞こえてくる音声のレベルは、十分、音楽鑑賞に耐え得ると言うより、音楽ソース次第では、場合によると、スピーカーでの視聴レベルをも上回るかも知れないと感じる水準に達しています。
どんなに良いスピーカーでも補うことが出来ないものは、基の音楽ソースの録音レベルだと思うのですが、録音ソースから音声を引き出す各種のアンプ類やプレーヤーに、これまで多くの労力が注ぎ込まれて来ました。そこには、各種の機器をつなぐケーブルも大きな要素として注目されてきたのですが、このインターネットでのオーディオ環境では当然のようにワイヤレス化が進む事と成ります。
また、地域のFM放送の様に、限られた電波の範囲内でしか聴く事の出来なかった音声が、インターネットで、日本中のFM局の放送を聴く事が出来ますし、世界のインターネットラジオで音楽配信を楽しむ事が出来る時代へとなったのです。
私にとっては、たまたまインターネットでオーディオ的なレベルの音楽視聴を始めたところですが、若者達は、もうすでにiPad等で音楽ソースを持ち歩いたり、携帯用の小型のヘッドホンや高性能のイヤーホーンでインターネットラジオの音楽配信を楽しんでいるのです。
日本でもIP(インターネット・プロトコル)サイマルラジオの配信サービスが始まっていますので、各放送局は電波放送と並行して、同じ放送をインターネットでも配信しています。私もつい最近知ったのですが、それがRadiko.jpなのです。
私が現在、DACを使っているRATOC AUDIO社では、安い無線のインターネットラジオ受信機を販売していますので、それをオーディオシステムに繋げば、パソコンを経由した音楽ソースをスピーカーから視聴する事が出来るのです。
こうした視聴環境を整えた誰かが、新たにCDを購入する必要が無くなるほどだと、感想を述べていました。
オーディオに興味を持って40年以上に成りますが、高価な機器を取り揃え無ければ、納得が得られなかった視聴環境そのものが、ワールドワイドに大きく変わろうとしているのでは無いでしょうか。

2012年3月19日月曜日

修行の場パインレークGC

  今日は、久しぶりのパインレークGCでの研修会の日で、いつものように、N君が7時に迎えに来てくれた。
前回は、せっかくパインレークGCに行きながら、前夜の雪でプレーを断念して、U君のメンバーコースである小野グランドCCに、当日のプレーを申し込んだ経緯があった。
今日は、少し冷たい風が吹いていたが、太陽が顔を出す好天になった。1時間前にクラブについて、二人で、さっそく肩慣らしに練習場に直行した。私は、結局、前回のゴルフから、一度も練習場に行く事もなく、今月の研修会になった。練習場では、軽く、肩慣らしに、9番と6番アイアンを振ってみた所、感触は悪くない。ドライバーに持ち替えて10発ほど打って見ると、これもそこそこの当たりで、距離も普通に出ている。普段、練習をさぼっていても長年のゴルフで体が覚えている様に思えて、ホッとした。
9時30分にOUTからスタートしたが、前回、ドライバーを7代目のニューゼクシオに持ち変えたU君が、OUTの1番から調子がいい。シャフトがSRだった前回のニューゼクシオドライバーは、彼のヘッドスピードから見て明らかにアンダースペックだと感じていた。いつもの、シャープなスイングをすると、スライス気味の球が出たり、大きく左に巻いたりで、弾道が安定しなかった。ところが、今日は、シャフトの硬さがSのドライバーに買い換えてきていた。今日は、その試運転も兼ねて持ってきたドライバーが、ストレートの球筋を描いて、安定した飛距離を出していた。
シングルハンデの彼は、OUTの8番くらいまで、3オーバーと好調を持続した。反対に、この所U君をさんざん苦しめていた昇り竜のM君が、今日は出だしから13打を2回も叩く、大乱調で、大きくスコアーを乱していた。N君と私はその間を、可もなく不可もないといったプレーが続き、OUTを私が52点、N君が49点で終了した。U君は9番、パー5でダブルボギーとなったが、それでも42点にまとめ、まだ寒い冬場のパインレークGCとしては、上出来のスコアーでOUTを終えた。
ただでも、厄介なパインレークGCは我々仲間では、修行の場と言っている。ちょっとしたショットや判断のミスが、大叩きに繋がり、一ホールですぐ二けたのスコアーが出てしまう。
大きなワングリーンの傾斜とアンジュレーションに毎回苦しめられ、折角、良いティーショットを打っても、セカンドショットでクリークが口をあけて待っている。ナイスショットでグリーンオンしたかと思えば、傾斜でグリーンをこぼれ、グラスバンカーの底やクリークにこぼれてしまう、と言った具合だ。
それでも、機嫌よく昼食を終えて、臨んだ昼からのINコースで、私がM君の二の舞を演じ、大乱調だったM君が、44点と昼からさすがの巻き返しを見せた。午前中のM君と主役を交代した私が、65点と大崩れで、普段の練習不足が、馬脚を現した。
我々アベレージゴルファーにとって、パインレークGCと言う所は、一日中、つきやラッキーは通用しないコースなのです。その時点の実力がもろに出るコースなのかも知れない。
会員になる前のプレーで、一度、85点のスコアーでで回った事があって、なんとなく組し易いと思っていたコースだったが、入会後の冬場の月例で116点の大叩きを記録して、このコースの難しさを思い知らされた経験があった。
入会後、Bクラスで2度の優勝が出来ましたが、この数年、毎年スコアーは悪くなっています。コースには年配の会員も多く、クラブ競技で頑張っているのを見ると、もう一度、体勢を立て直さなければと感じている所です。
自宅では、君子ランの花が開きました。寒い季節ももう間もなく終わりに近づいています。
外に出て、弱った足腰とたるんだお腹のシェープアップを急がなければなりません。

2012年3月15日木曜日

RATOC RAL-2496UT1

  元来、凝り性の私は、あれから、PCオーディオへどんどんのめり込んで、一日中ヘッドホンを掛けている状態です。今はiTunesとWindws Media Playerのどちらからインターネット・ラジオを選択した方が良いかを比べている所です。そのどちらから出力するかで、同じ局でも出力感度が違ったり、当然、ノイズが入る状態も違うような気がするのです。
CDプレーヤーから、いちいち、CDを取り出して、入れ替える面倒くささもなく、インターネットラジオから流れてくる良質のFMサウンドに一日中満たされていると言った感じなのです。
それと、季刊Net Audioと言う雑誌や、PC検索で調べて見ると、オーディオヘッドホンやDAコンバーター付のヘッドホンアンプ、それにUSBケーブルなどの情報がどんどん入って来ます。
それに、オーディオ業界でも、このPCオーディオやUSBオーディオ、ネットワークオーディオと言う分野は比較的新しくて、全てのオーディオメーカーがこれに力を入れていると言う分けでも無いようなのです。勿論、高級なデジタルプレーヤーやDAコンバーターは従来から、それぞれの会社が手掛けていて、バブルがはじけてから、もう十分時間がたっているにも関わらず、一台百万円台もするような機器を平気で作っていて、あたかも、金を掛けないと良い音は得られないと言った、錯覚に陥っている業界の様でもあるのです。
その認識が、アップル社のiPadに世界の若者の音楽環境を席巻された原因であったのかも知れません。
このUBSを介してパソコンから出力される音声を楽しむPCオーディオは、従来のピュアー・オーディオと言われる分野と比較して、機器の価格が大幅に安くて済みますし、それなりの良質なオーディオ・ヘッドホンで聞けば、確実にスピーカーのパホーマンスを上回るのではないかとすら感じます。
裏を返せば、それだけスピーカーで生に近い音声を再現する事の難しさが有るのかも知れまん。
NU FORCE Icon uDAC2と言う超小型のDAC付のヘッドホンアンプも連日のエージングで元気のいい響きを聞かせてくれていましたが、つい最近、大阪のRATOC Audioと言う会社のRAL-2496UT1と言う大変評価の高いDACが、オークションに思わぬ価格で出品されているのを見つけて、つい落札してしまいました。その前に、その会社の社長のブログを読んでいた事も、落札した理由だったのかも知れません。
この機種はアンプの中に自前でデジタル音声をアナログの音声に変換するためのクロック(水晶発振子)を内蔵しており、ジッター(デジタル波形の時間軸の揺らぎ)を極力抑えると言う仕組みを採用している機種との事で、実際、先のuDAC2と比べると、透明な音の空間的な広がりや迫ってくる空気感が格段に違って聞こえて来ました。
ただ、残念なのはUSBのバスパワー(USBケーブルでPCから電源供給を受けている)で電力が供給され、別にAC電源が無い事です。独自の電源供給を得る為には、実売でRAL-2496UT1の価格を大幅に上回る電源供給ユニットを別に購入しなければなりません。出力電圧だけを取れば、その力は十分では無いようで、確実にNU FORCE Icon uDAC2の出力電圧を若干下回ると思われる点です。勿論、これは、私が今使っているAKGのQ701側の能率の問題でもあります。
能率の高くないヘッドホンでも、十分に稼働させる為の電力供給は重要だと思われます。写真のUSBケーブルはAudioquest社のcinnamon
の70㎝で、とてもナチュラルな音質のオーディオUSBケーブルだと感じています。

  その他、アップした写真は、手慰みに作った三つのヘッドホン掛けと、今度のRAL-2496UT1用に外側を囲むラックを、6ミリ圧の檜の板で自作しました。足元のインシュレーターにはオーディオ用に、以前から持っていた黒檀のキューブ状の木との間にシリコン系の制振ゴムを両面テープで取り付けて、別のフェルト地を貼った制振用のゴムシートの上に乗せるように製作しました。
先のDACもそうでしたが、機器自体がコンパクトで比較的重量が無い為、少し硬いUSBケーブルの取り回しの際、DAC自体が動いて振られる事の無い様に、適度な重さに成るように製作してみました。

瀬戸内の過去の思い出

  新聞を眺めていると、三光汽船が私的整理へ、の記事が目に入って来ました。その瞬間、えー、と感じましたが、1985年に一度、 5200億もの負債を抱えて会社更生法の申請に追い込まれた海運会社だったからです。当時、衆議院議員で三木派の番頭格であり、神戸を地盤としていた河本敏夫氏が大株主に成っていて、河本敏夫衆議院議員の資金的なバックボーンの会社でも有りました。
東証一部の三光汽船株は、当初二桁の株価から(当時は、ほとんどの海運株が二桁)、第三者割当と公募増資を繰り返し、大相場で2.560円の最高値の株価を形成した会社として記憶しています。日本興業銀行から河本氏に請われて代表取締役を引き受けた岡庭博氏の手腕で、当時は飛ぶ鳥も落とすほどの勢いでありましたが、1985年、プラザ合意の一月前に、海運不況のあおりを受けて会社更生法の申請に追い込まれた。

当時、私は会社の転勤で、愛媛県の松山に赴任していた時期です。当時、四国に連絡橋など一本もなく、神戸から関西汽船の一等に乗り込んで四国に渡りましたが、私の当時の心境は、まるで島流しの様なものでした。海が荒れると、新聞なども一日遅れと言った具合で、何ともゆったりした6年半の思い出深い四国暮らしを経験しました。
当時、私は愛媛県の今治が担当地域の一つで、瀬戸内の海を横目で見ながら松山から今治によく通いました。その当時、今治に有った波止浜造船と言う造船会社の副社長と取引が有り、造船業界や海運業界の話をよく聴く事が出来ました。後に、この波止浜造船は対岸の広島にある常石造船と言う会社に合併されることに成るのですが、当時愛媛県で盤石の地盤を築いていた坪内寿夫氏率いる来島ドックグループなども、当時の日本債権銀行によって支援を受ける事と成るなど、2度のオイルショックを経て、戦後成長してきた造船業界の衰退が始まっていたのかも知れません。
当時から、松山沖には、売れずに係留された中型のタンカーが何艘も見受けられたのを記憶しています。瀬戸内の産業と言えば、やはり、当時、内航船の70%を占めると言われた海運業と、造船では無かったかと思うのです。その為、私は、当時三光汽船の動向には、ひときわ興味を持って見ていた。
後で調べると、三光汽船はその後、平成10年に更生手続きを完了して、中堅海運として業務を続けていましたが、今回、再び海運市況の悪化を受けて、23年3月期に141億の赤字を計上し、金融機関の援助を仰ぐ私的整理で再建を目指す事を決断したとの事なのです。
一度倒れ、長い年月をかけて一旦は再起しながら、再び私的整理に追い込まれるというのも、中々つらい状況かと思われますが、景気変動と企業の栄枯盛衰の一端が伺われ、過去の記憶がよみがえる出来事だした。


2012年3月13日火曜日

三寒四温の日々

  2月8日、西天満クリニックで受けた血液検査の結果が届いた。一応、血液検査で見るデーターからは、異常はみつから無いと言う事だ。それでも、去年からの体重の5キロオーバーで、警告をもらった。
1日30分以上の散歩を進めるとのコメントであったが、それはほぼ達成されていると思うのだが、30分では足らないと言う事なのかも知れない。
コレストロール値を下げるための薬の服用と、もう一つ頻尿改善薬を飲まされている。
問診の時、つい口が滑って、「この頃、小便の出が悪くて、もようしてから排尿まで少し間が有るんです」と喋ると、即、前立腺の薬が出てきて、初めは、就寝前の一錠が、今回、朝晩一錠ずつに増量された。
昔、親父が小便が出なくて救急車で病院に連れて行かれた話を聞いていたので、しょうが無いかと、変に納得した。
  4月には、腎臓のエコー検査が控えていて、去年の秋の人間ドックの折、腹部のエコー検査で、腎臓に何やら小さな影が認められるとの指摘を受けていて、経過観察と言う事に成っている。私としてはそちらの方を気にしているのだが、至急、精密検査と言われないだけましなのかと、良いように解釈している。
私は、今まで大きな病気をした事が無い。現役の頃、胃カメラで立派な胃潰瘍ですと言われたが、ピロリ菌を退治する薬と併用して、薬の服用で完治した。
その他は、一生の不覚と言うか、喫茶店の大理石の階段を踏み外して、8段下の踊り場までジャンプして右腕の骨折と膝を強打した怪我ぐらいなもので、それも、四日の入院で出てきたものだから、保険も何もつかなかった。その膝の怪我は、後に蜂窩織炎と言う厄介な感染症を引き起こして、結果的に半年近く抗生物質の点滴に通う羽目になった怪我だった。それと、それを境にゴルフプレーが坂道を転がるように思うに任せ無くなった、と思っている。
  67年も生きて来ているのだから、何処かに具合いの悪い所が出て来てもしょうが無いとは思うのだが、足腰だけは気を付けて行かなければと、考えている。人間も含めて動物は自分の足で歩く事が出来て初めて、命を守る事が出来るようだ。

桜の蕾が確り付いて来た中で、あちこちの梅が頑張って花を付けだした。三寒四温と言うが、この二三日、雨と寒気が交互にやって来ている。

2012年3月11日日曜日

東日本大震災から1年

   2011年3月11日 午後15時46分、あの日から1年が立った。その日、私は昼食後、近くのヒッコリーと言うゴルフ練習場に向かった。14時頃、いつもの一階の打席で練習を始めたと思う。千円で90分打ち放題のこの練習場は人気があって、午前10時に開始する朝の部は混み合う為、午後の時間に回ったのだと思う。
1時間半、みっちりスイングして、汗を拭きながら練習打席からロビーに帰ってくると、ロビーのテレビに地震の情報が流れていた。少し強い地震が起きたなぐらいで、何の感慨も無く、しばらくテレビを眺めて練習場を後にした。
ところが、車のラジオから、各地に3メートルの津波予報と言うアナウンサーの声が耳に飛び込んで来た。その後、次々に情報が流れ、各地に6メートルの津波予報と言う。またまた、冗談の様な事を言っていると思いながら、自宅に向かって車を走らせていた。
自宅に帰ると、どのチャンネルも関東地方の強い地震の情報で占められていて、奥さんと二人でテレビにかじりついて、その後の三陸沿岸に押し寄せる津波の映像に目を奪われた。これは、ただ事では無いと感じて、私たちが経験した阪神大震災の時の記憶が思い出された。その時点でも、津波の犠牲者の情報はほとんど入っていなかったと思う。しかし、その時私は、これは100人や200人の犠牲者では済まないと思ったのを覚えている。
  阪神大震災の時もそうだったが、地震被災の当初は現地で何が起こっているか被災の様子はほとんど分からない。メディアによる情報が追いついて来ると共に、少しづつ状況が伝わってくる。
今回、より深刻だったのは、福島第一原子力発電所が津波の被災を受けたとの情報がもたらされた時だったのではなかろうか。
あれから1年が立って、被災地の状況は、やっと、瓦礫が一所に積み上げられた状態、と言っても過言では無い。
政府主催の慰霊祭をテレビで視聴し、津波の犠牲になられた二万人近い東北沿岸の被災者の冥福をお祈りした。
東日本大震災の本当の復旧復興は、丸一年立った今日からなのかも知れない。生き残られた被災地の人達が、心に一区切りを付けて、前に向かって歩まれる事を心から祈り致します。

2012年3月10日土曜日

性善説と人為

  随分昔、どんな場面で彼がそう言ったのか忘れてしまったが、その時聞いた言葉だけが、その後も私の頭の中に、忘れず長く残っている。
「性は善、根は怠惰」と言うフレーズの言葉だ。その時の言葉の意味は、「人と言うものは、皆、善人ばかりだが、本来、怠け心を持っているものなのだ」と解釈していた。大体、その言葉の語源も知らないし、言った当人も、それを知って言ったかどうかも疑わしい。

しかしこのフレーズを考えて好意的に解釈すると、「本来、怠惰な人間も、皆、善人ばかりなんだ」となる。つまり、中国の儒教思想の性善説的な考えとして解釈されるのかも知れない。
孟子が唱えたこの性善説は、国を治める考え方として、本来、善で有るべきと考えたのだろう。
東日本大震災から1年を迎えるにあたって、当時の状況が振り返られる。特に、福島第一原子力事故の状況で、政府部内がどうなっていたのかが、おぼろげに分かってきた。と言っても、当時の政府部内の事故対応について、ほとんどの会議の議事録が取られていなかった事が、後に成って判明した。しかも、事故当初に政府部内で炉心のメルトダウンが認識されていたにも関わらず、官房長官をはじめ、政府は国民に対して嘘をついていた事が分かったのだ。
当時、政府部内で各対策本部の議事録が作成されていなかったと言う事を、簡単に考えるべきでは無いと思っている。このことは、事の真相を、もっと徹底的に調査しなければならない事柄だと考えるからだ。
津波による原発事故の発生以来、米国の政府部内や関係各所で綿密な記録が録られていたことも判明してきている。日本ほどの先進国の政府で、初めての経験とは言え、原子力事故のどさくさで、無作為に議事録の作成が失念されたと考えるのは、人が良すぎると思うのだが如何だろうか。
関係者が、皆、口をつむげば事の真相を突き止めることは、難しいかもしれないが、メルトダウンの可能性を指摘した者が即、更迭されたと聞くと、国民への情報統制が相当行われていた可能性が伺える。
  そこで、もう一度「性は善、根は怠惰」を持ち出すと、良いやつばかりなのだが、つい面倒くさくて記録を取るのをさぼってしまった、で済まされる問題か如何かなのだ。

まだ、一年しかたっていないので、首相は変わっても、当時の政府関係者のほとんどが、国政の運営に携わっている。
人為(ひととなり)から、孟子の唱えた性善説で事を済ます事が出来れば、こんなに良い事は無いと思うのだが、後顧の憂いを警戒して、取るに足らない事と小賢しく簡単に考えた事が、命運を分ける事にも成り兼ねなと言う事を、肝に銘じて置くべきだと思うのです。

2012年3月7日水曜日

Stardust Revue 「木蘭の涙」

  薄曇りの朝、あちこちで梅の花が開きだした。雲雀カ丘山手の公園で、梅の写真を撮っていると、奥さんが、木蓮の木にふくらんだフワファの蕾を見つけて、私を呼んでいる。「私は、木蓮は咲いた花より蕾が好き」と言う。
去年、白い花を咲かせる、こぶしや木蓮、花見月の木を、阪神大震災から10年を区切りとして、25万本の植樹をするキャンペーンがあったと聞いた。大阪の建築家、安藤忠雄氏らが呼び掛けたとの事だった。
公園のモクレンの木の根元に石に「木蘭」と刻んだ植樹の小さな石碑が添えられていた。奥さんは、石碑に刻まれた木蘭と言う字を見て、「モクレンは木に蓮と書くのだと思っていた」と言う。
早速、帰ってPCで調べて見ると、「木蘭」は中国読みの字でムーランと言うらしい。又、日本語読みの字は「木蓮」と書いてあった。要は、どちらでも良いと言う事らしい。

  それより、モクレンの検索の下に、スターダスト・レビュー(木蘭の涙)YouTubと言うのが目についた。そこには、歌の題名に、木蘭の字があてられていた。
私は、恥ずかしながら、スターダストレビューも「木蘭の涙」と言う曲も知らなかった。
何の気なしに、YouTubを開くと、

逢いたくて、逢いたくて
この胸のささやきが
あなたを探している
あなたを呼んでいる

いつまでもいつまでも
側にいると 言ってた
あなたは嘘つきだね 心は置き去りに

いとしさの花篭 抱えては
笑顔んだ
あなたを見つめていた 遠い春の日々

やさしさを紡いで
織りあげた 恋の羽
緑の風が吹く 丘によりそって

やがて 時は行き過ぎ
幾度目かの春の日
あなたは眠る様に 空へと旅立った

いつまでも いつまでも
側にいると 言ってた
あなたは嘘つきだね
わたしを置き去りに

木蘭のつぼみが
開くのを見るたびに
あふれだす涙は 夢のあとさきに
あなたが 来たがってた
この丘にひとりきり
さよならと言いかけて 何度も振り返る

ボーカルの根元 要の朗々とした歌声に聞き入ってしまった。
小田和正と根元 要のセッションでのステージも有って、甲乙付けがたい哀愁を感じた。
ベースでボーカルの柿沼清史が書いた曲らしいが、二人とも1957年の同期と言う事で、もう55歳の中年に差し掛かる年齢のアーティストと言う事に成る。
この曲は、2005年にアコースチックでシングルをリリースしているとの事で、大変実力のあるメンバーである事が伺われた。
大震災からもうすぐ一年と言うので、TVで当時を振り返る番組が流されると、涙腺が緩んでいるだけに、こうした曲に聞き入ってしまうのです。
朝の散歩で「木蘭」の蕾に出会えて、私は知らなかった、素晴らしい曲に巡り合う事が出来ました。ご存知の方も、この時期にスターダスト レビューの「木蘭の涙」を聞いて見られたらと、思います。



http://www.youtube.com/watch?v=L2yQjmbq9iA

                      スターダストレビュー(木蘭の涙)  You Tube