2011年12月31日土曜日

一年を振り返って

今年も、いよいよ、暮れようとしている。この一年、私自身はどのような一年であったかを振り返って見ても、特別、何かをやったと言える事が無い。子供の頃からの友人に触発されて、日記代わりにブログの書き込みを続けてきたが、ゴルフは、益々下手になり、ブログでCraft爺さんと銘打った木工や模型の制作なども、ほとんど、手が付かずに一年が過ぎてしまった。
何かを製作すると言う事で言えば、奥さんのほうが上手を行っている。10年に及ぶ陶芸で、しまうのに困るほど作品も増え、この所は、クリスマスのプレゼントに孫二人にニットの服を編んでやっている。その上、私の好きなパンも焼いてくれているので、とても鼻息が荒い。
それでも、今年は、あちこち、車でロングドライブを敢行したし、ほぼ毎日、身の回りで目に留まったものを写真に収めて来た。撮り貯めた写真の保存で重たくなったパソコンを新しいものに買い換えたり、オーディオの方は、プリアンプとパワーアンプの間に待望のCardas Golden Reference RCAのラインケーブルを入れて、現在慣らし中ながら、ずいぶん音像が深まったように感じている。それと、アナログプレーヤーが復活したのも、私にとっては大きな出来事だった。
今年の身の回りでは、アンディーの後ろ足の自然脱臼が悪化して、歩くのが不自由になった事がとても残念な出来事の一つだ。しかし、アンディーはその状況に負けていないようで、一生懸命歩こうとしている。家の中で落ち着いている時は、一日中寝ていることも多く、老齢期に入っている事を伺わせるが、私に全幅の信頼の情を示してくれているアンディーの面倒を、奥さんと共に続けて行こうと思っている。
私自身の健康も、なにやら人間ドックで再検査を指摘されているので、年明けに診てもらいに行こうと予定している。ゴルフの成績が落ちて来ているのも、一に練習不足と、体重増加で腰の回りがとても悪くなっているのを自覚している。それと、私もアンディーほどでは無いが、両膝の内側に違和感を覚えているので、たぶん、ストレッチ不足と言うか体を動かす事が出来ていない証拠だと思っている。
年の最後に何やら反省する事が多くなったが、それらを分析して、新年を区切りに、年明けから、不足を返上して行こうと考えています。来年もよろしく!

2011年12月30日金曜日

正月飾りと鏡餅

  2012年の元旦を迎える準備が着々と進んでいる。午前中にお墓の掃除をし、新しい花を供えて墓参りを済ませた。昼から、アンディー同伴で、奥さんのマーケットへの買出しに付き合ったが、どこも、レジは満員だそうで、町の中心部も車で埋まっていた。色々有った今年に別れを告げ、新しい年に期待する人が多いのかも知れない。
この暮れの押し迫った時期に、コミュニティーの安全部会のメンバーが交通事故で一命を落とた。部会で出会って間がなく、昨日、葬儀に出席したが、その人はANAの元機長で世界の空を駆け巡っていた人だった。私より一つ下の昭和20年の生まれで、スポーツマンで婦人を愛し素晴らしいファミリーに囲まれて、リタイヤ後の生活を充実したものにしようとしていた矢先の出来事だったようだ。多くの人達が別れを惜しんで詰め掛けた。式が始まる少し前に入った私等は、席も無いほどで終了までずっと立って見送った。

  私も今年の夏、40年来の友人を見送った。振り返って見ると、世界でも、日本でも、自分の身の回りでも、今年は決して平穏無事な一年ではなかった事を思うと、わが身に降りかかる災いが無かった事に感謝しなければと思うのです。
12月30日に私が毎年、奥さんから仰せ付かる仕事がある。親父から引き継いだ神棚の正月飾りを取り付ける事と、鏡餅の飾り付けをする事だ。この鏡餅は、お餅そっくりに作られた樹脂性のフュギアで、三方に半紙をたらし裏白の上に二段に重ねて、橙と干し柿それに鏡餅様の昆布をたらして出来上がる。今年も飾り付けを終えて、棚に置くと、すっかり新年を迎える準備が出来た様な気分になる。
何時もと変わらない年末の風景に、平穏な新年を期待する。

2011年12月29日木曜日

年の瀬が迫って!

年の瀬が迫ってきた。奥さんが台所で、十六寸か白花豆を炊いている。昔も実家の母が正月料理のやり始めは、黒豆や大振りの白い豆を炊き始めて、「今年は黒豆に、しわが出来ずに上手に炊けた」などと良く言っていたのを思い出す。
テレビでも、今年の大震災を振り返る番組や、今年亡くなった俳優や有名人を偲ぶ番組が流されたり、被災地の復興具合が放送されている。
昨日の夜の番組で、福島第一原発事故の当時、放射性物質の大気中への飛散について、如何して文部科学省で管理していた、SPEEDI(放射能影響調査)の観測が、実際の事故後に活かされなかったのかと言う民放の番組を見ていた。政府や原子力安全・保安院、文部科学省などが、いかに初動に於いてばらばらで自己保身の体制であったか、いかに地域住民の救援体制が不十分だったか、など、情報から遥かに遠い所にいた私でさえ、当時の状況を予測する事が出来たほど、政府や官僚の不手際が見て取れた。しかも、結果的に、不手際を伏せる様に、国民や被災地域の住民に情報を隠し続けたのです。そうした、政府関係者が、その重大な不手際を指摘されることもなく、今も政権の中枢にいる事自体、考えられない事ですね。
さらに、放射能汚染地域の除染にしても、極めて限定的で、政府を挙げて積極的に取り組む姿勢が見られ無いのは如何してでしょう。このことを、真面目に取り上げると、とんでもない費用が掛かるからでは無いかと、勘ぐりたく成ります。
  野田首相は、消費税の取りまとめに躍起で、その与党内での不協和音は、増幅するばかりです。他方、大阪市長に就任した橋下市長は、胸が張り裂けんばかりのテンションでマスコミの前に立向かっています。たぶん、この若い改革者の頭の中は、自分を支持してくれた有権者の期待に答えようと、血圧が上り詰めているのでは無いでしょうか。傍目には、そのあまりにも高揚した緊張感が、いつまで続くのかと心配に成るくらいです。
今朝、ユーロが再び対円で100円50銭台へと、最安値を更新しています。この分では、年明けに100円を割り込むユーロ安に進むかも知れません。欧米の金融市場の年明けの緊張が伝わって来ます。
世界の人口が70億人を突破したこの一年ほど、色々の面で、様々な問題が噴出した年も少ないのでは無いでしょうか。しかし、この事は次第に問題が突き詰められ、時間と共に一つ一つ、問題解決に向かうのだと考えれば、来年はその様な年になるのかも知れません。
大晦日まで、奥さんの年末の仕事の邪魔に成らないように、アンディーと過ごしたいと思いっています。

2011年12月27日火曜日

今年を振り返って

   今年は、政権が変わると言う事ことが如何言うことことかと言う事を、より身にしみて感じた年では無かったかと思っています。3月11日にM9.0と言う、日本にとっては1000年に一度の大地震が発生し、その上に、地震の大津波によって福島第一原子力発電所の冷温機能が失われ、水素爆発と共に原子炉内の放射性物資が日本の空に放出されてしまうと言う、世界を驚かせる大惨事となってしまいました。大地震による大津波で多くの人命が失われ、東日本の沿岸部の市町村は壊滅的打撃を受けました。被災地の復興は9ヶ月が経ち冬を迎えた現在も、被災地の人達の懸命の努力にも関わらず、進捗は遅々としています。
今の、野田内閣に至る民主党政権は、大震災が発生する前から政権としての安定を大きく欠いていた状態に、覆いかぶさるように大災害が発生したのです。
沖縄普天間への米軍基地移設の問題も、民主党初の鳩山内閣によって、それまでの経緯が大きく覆され、挙句に自身の親元からの巨額の資金贈与が表ざたになり、その内閣は菅内閣へと引き継がれますが、これまた、菅総理は就任早々事前の議論も無く、唐突に消費税増税を持ち出して、大きく国民の不興を買ってしまいました。その後、行政の事業仕分けで無駄な予算を削減し、新たな政策経費を捻出するとした民主党の公約は、当初想定に遥かに及ばず、政権公約を主導して民主党の政権交代に漕ぎ着けた小沢元幹事長も、自らの政治資金疑惑で手足を縛られ、挙句に身内から党員資格を停止されると言う状況に陥ってしまったのです。
当初、政権公約に掲げたガソリンの暫定税率廃止も暫定と言う文言が外されただけで、高速道路無料化も財源不足から、早々に取りやめに成ってしまいました。そして若者世帯がこぞって指示した子供手当ても、初めの公約から大幅に引き下げとなり、今度は、箱物の廃止の象徴として公約に掲げた八ッ場ダムの建設が、国交省と現内閣によって継続される事となってしまったのです。大震災発生後の取り組みが不興を買って、菅総理退陣の大合唱の後、財務大臣から昇格した野田総理は、財務省主導の消費税の増税しか頭に無く、TPPも普天間も自ら進んで主導する気配も見せません。ましてや、消費税増税前に解散総選挙を謳っていた民主党政権は、如何なってしまったのでしょうか。3年前の衆議院選挙で掲げた民主党の公約は、現在、そのほとんどが無に帰したと言っても過言ではありまん。
厳しい、世界情勢の中、挨拶外交に終始している様にしか見えない野田総理は、更なる、円高と定まらない景況感に、如何手を打つのかも見えて来ていません。現在の内政に関して、とうてい着実な施策が繰り出されているとは思われないのです。ましてや、東日本の大震災からの復興にしても、放射能除染も、地方自治体任せで国の関与が十分機能しているとは言えなと思います。福島原発対応の途中経過の冷温状態で、不適切な事故の収束宣言に至っては、何おか言わんやで、海外や各方面から疑問の声が上がっているのが実情です。
震災復興と原発事故への対応以外に、民主党政権では、国民経済への視点が決定的に欠如していると思われます。国内の中小企業や海外に製造工場をもつグローバルな製造業、それらの潤滑油としての銀行や国内の金融マーケットに、きめ細かな目配りが出来ているとは到底思われません。所謂、為替を含めた適切な金融政策や、国内産業に対する広範な成長戦略の対応策です。
私が思いますに、今の民主党を構成する国会議員の多くの方々は、国家が公的機関と公的企業、さらにその下の一般人民によって社会が構成されていると、勘違いしている人達では無いでしょうか。本来、自由な資本主義市場経済で政治が果たす役割は、生活者としての人々の民間活力が、いかにスムースに引き出され、規制を排した自由で活力のある社会を生み出す為の、手助けをする事では無いかと思うのです。永田町に集う、衆参、与野党の先生方の奮起を期待したいと思うと頃です。
政府として、日夜その為に果たさなければならない仕事は数え切れません。そうした安定した国民生活をサポートする為の法律を構築する事が、政治の本来の役割では無いかと考えるのです。政治家に成る為に政治塾に入り、駅前で僧侶の様に托鉢まがいに立つ事で、優秀な政治家が生まれるのでしょうか。どじょうのように泥臭くと言っても、何か一つ、消費税増税と言うお題目だけ唱えて事が済むとは思われません。
昨日の、日経の「2012視点」と言うコラムで、JPモルガンCEOのジェイミー・ダイモン氏の言葉に、「私は学生時代、日本の奇跡を学んだ。技術は高く、強さは健在だ。日本は人口が増えれば運営がずっと楽になる。私なら政財、学界のブレーンを集め、問題解決に当たる。」と言うものです。
政治的な解決能力に疑問のある多くの国会議員だけに、この国を任せていても良い物のだろうかと考えてしまいます。戦後を懸命に復興し、一生懸命働いて世界に打って出た嘗ての時代を、もう二度とこの日本に見る事は出来ないのでしょうか。
以前の様に、官僚が全てを仕切る国の形に戻ることは、もう無いと思います。それ故に、政、財、官、学の総力を結集して、まず政治の形を安定化させる事から始めなければならないと思うのです。安定した政権の下で、今の日本の病巣を大胆に切り開かなければ成りません。国民の各自、各層が責任を持つ事で、誰かに責任転嫁は出来ないと思います。
3年前、真の行政改革に取り組み、硬直化した国の予算の枠組みを根本から作り変えると言う公約を信じた国民を、政治は裏切っては成らないと思うのです。今後の年金問題にしても、消費税の引き上げ無しに、この先を見通す事が出来ない事は、多くの国民が理解しています。しかし、まず其処にいたるプロセスへの努力が無ければ、国民の真の理解は得られません。
来る2012年が、私たち国民にとって、希望の見える年に成ります事を、心から期待したいと思うのです。

2011年12月25日日曜日

欧州経済について

  クリスマスを過ぎると、いよいよ師走、新年を迎える準備で慌ただしくなる。この所、厳しい寒気が入って来て、日本海側は大雪の予報だ。おかげで太平洋側は外気はとても冷たいが、冬晴れの日が続いている。
  今朝は、勝手口からベランダに出た奥さんが、あまりの風の冷たさに、朝の散歩を見送って昼間に出かけよう、と言い出した。私も、新聞に目を通しながら最近ずっと気になっていたユーロ加盟国の財政危機について、私なりに調べてみようと思っていたので、そうしよう、と簡単に頷いた。
この所の欧州各国の財政危機の中、21日の日経のニュースでECB(欧州中央銀行)が欧州の銀行向けに期間3年の大量の資金供給を実施したとの記事が出ていた。総額4.890億ユーロ(49兆4.000億円)の資金をほぼ500の銀行が取り入れたと言うのです。これはユーロ圏域内総生産の5%に相当する金額で、過去最大の資金供給オペとの事でした。ウォールストリートジャーナルなどの見出しには、平穏なクリスマスを過ごす為のECBの計らいでは無いかと出ていました。
1999年1月1日にスタートしたEU統合通貨ユーロは、当初130円台前般でスタートし、発足後10年を前にした2008年、リーマンショックの3ヶ月前には、170円に迫る169円台の最高値を付けました。私の現役当時の記憶でも、対円で、しばしば150円台の強い値を示していた時期の事が思い出されます。退職後の2004年の10月、夫婦で初めてヨーロッパに出かけた時も、為替は140円を挟んだ状況だった事を覚えています。
2008年9月の米国でのリーマンショックで、ユーロは、夏前の169円の最高値から113円台まで急落するのですが、その後小康状態で推移した後、もう十分ユーロは値下がりしたと考えられていた折の今年3月、日本で東日本大震災が起こったにもかかわらず、ギリシャ不安が表面化して対円で100円迄更なる値下がりを記録して、今迄の最安値を更新したのです。
今回のECBの大量資金供給で、フランスなどでは欧州の銀行が低利の資金を手にして、スペインやポルトガルなど高金利の国債を買い入れるキャリートレードで、財政不安が囁かれる国の国債の下支えもにも成ると言う向きも有りましたが、欧州の銀行は年明けの3月には大量の借り入れ資金の期限を迎えており、その大半が期日の来る借入金の借り換えに向かい、新規の余裕資金は1900億ユーロに止まったとの事です。ましてや、冷静に考えれば、財政危機が叫ばれる国々の国債の持ち高を増やすなどとは、とても考えられません。しかも、世界の主要な格付け会社によって、年明けには欧州各国の国債が一斉に格下げされるのでは無いかと、噂さが流れていたのです。
ドイツ、フランスを中心に、財政不安が高まる一部のユーロ加盟国の救済スキームが議論されてましたが、今の所、必ずしも効果的な解決策が合意されたとは言い難いのが事実なのです。ギリシャ、アイルランド、ポルトガル、スペインさらにイタリアと、域内で危機を噂される国々の今後の状況が落ち着く迄には、まだ予断を許しませんし、この先相当の紆余曲折が予想されるのです。
幸い、年後半に掛けて、米国の経済指標に若干の改善の傾向が見られますが、この所の世界景気を牽引してきた中国経済やインド、ブラジルと言った新興国の状況次第で、来年の世界経済の推移を予想する事が出来るかも知れません。
新年の日本経済の状況は、東日本からの復興需要を予想する向きもありますが、それにも増して、中国経済や欧州経済の動向と、その影響が強い米国経済の状況を注意深く見守る必要が有ると考えられています。

2011年12月24日土曜日

シュトーレンに間に合った

慎重に選んだつもりが、とんだハプニングになった。以前、伝えた電子コンベックの取替えの件だ。
大阪の東淀川に会社を構えるRHメンテナンスと言う会社が、ネット上で「家ぞう」と言うリホームや家電のショップを展開していて、そこに、リンナイのガスコンロと電子コンベックをネットで注文した。
色々在る、ネットショップの中から価格を比較して選択、年内の設置工事を確認して発注した。工事の下見に来てくれた工事担当の社員も感じがよく、21日の午前中にガスコンロと、ガスオーブンの取替え工事が無事終了した。
工事担当者以外にも、当初、ネットと電話で応対した若手の社員と機材を運び込むのにもう一人、3人がかりで製品を運び込んだ。半日にせよ、設置工事にこれだけの人員が要るのでは、工事費用が高いのも頷けると思った。
工事も手際良く丁寧で、設置終了後には支払いを済ませ、コーヒーを飲んで和やかに終了した。
早速、奥さんはキッチンに座り込んで、仕様書を片手に電子オーブンの作動を確認していた。すると、
「お父さん、これ電子レンジ機能がついていないみたい」、「しまった、私の確認ミスだわ」と言うのです。正直言って、私は、価格検索はしたが商品についての知識が、もうひとつあやふやだった。てっきりリンナイの電子コンベックと言う商品名を聞いていて、ネット上の商品のオーブンは電子レンジ機能が付いているとばかり勘違いしていて、品番の正確な確認を怠っていたのだ。後で良く見ると、電子レンジ機能付きは元々の正価が29万で、普通のガスオーブンは21万と8万円の価格差があった。
購入した会社に変更がきかないかを問い合わせたが、再工事費込みで10万円ほどの追加が必要になると告げられて、断念した。冷凍しておいたものの解凍や、冷えた食べ物の温めの為に10万円は割が合わない。様は電子レンジ機能付きと言っても、さっき言った程度の事で、シンプルな電子レンジ単体を新たに購入したほうが、はるかに合理的だと言う事に意見が一致した。
奥さんにすれば、もう一週間以上冷凍庫の中のものを解凍する事が出来ずにいる。私から見れば、常温に晒して自然解凍するとか、湯煎のような形で解凍するとかの方法は無いものかと提案したが、そう言った物でも無いらしい。
  早速、近くの家電の量販店を3店ほど回って、最後のヤマダで安くて十分な機能を備えた製品を見つけた。日立製で1.5万円で機能も見栄えも十分な製品で、奥さんも、これで上等と納得の買い物だった。しかし、量販店に並ぶ家電製品も、可愛そうに成るくらい安くなっていて、造っている方は採算が合っているのかと気の毒になるくらいだ。もっとも、それらはほとんどが中国製のラベルが付いている。
私の確認ミスで、バタバタしたが、今日、新しいガスオーブンがクリスマスのシュトーレンを焼くのに間に合った。ミックス・フルーツを入れたパンの焼き上がりに、私が飲まない上等のブランデーと溶かしバターを塗って、最後に白い粉砂糖を振り掛けて出来上がり。
出来上がりは未だやわらかいが、とても美味しく焼きあがった。新調したガスオーブンの今後の更なる活躍を、期待するところです。

2011年12月23日金曜日

天皇誕生日

    冬至を過ぎた今朝、風は冷たいが空はよく晴れ渡っていて、折り返しの坂道を自宅近く迄上がって来ると、小さなつつじヶ丘交番の表に、日の丸の旗が出ていた。アア、天皇誕生日の日の丸の旗だと気付いて、昔、実家では国の祭日には何時も、日の丸の旗を出していたのを思い出した。
今時、こうして歩いてきても、家の前に日の丸の旗を出している家は、皆無と言っていいほどだ。
平成も年が変われば24年目に入る。私の父は明治生まれで、亡くなって30年以上が過ぎたが、この間の世相の大きな移り変わりを感じる。日本は戦後の65年の間に経済の成長と、長期の低落を経験してきて、あちこちで、戦後の昭和を懐かしむ声も聞こえて来る様に成った。
家に帰ってテレビを付けると、天皇、皇后両陛下が東日本大震災の被災地を見舞われる映像が流されていた。78歳になられて、現在もご公務を精勤に勤めておられ、そのお体へのご負担が懸念されている。そんな折、巷では、皇室と皇室に並ぶご一家に男子のご出生が少なく、将来の皇室の安定的な存続について議論が起こって来ている。
今朝の新聞報道で、政府は、女性皇族が結婚後も「女性宮家」の創設を念頭に皇室典範改正案を取りまとめる方針を決定した、との記事が目に入ってきた。
自民党時代の小泉政権で、有識者会議が設けられ、女性、女系天皇を認める報告書が提出された経緯があるが、それ以降議論は立ち消えになっている。
今回は、野田政権と宮内庁が中心になって方向を取りまとめるとあるが、有識者会議の創設は、意見集約が難しくなると言う理由から見送られると書いてあった。
私にはに古代史に詳しい友人がいるが、改めて、天皇と皇室の成り立ちについて、宮内庁のホームページを覗いてみた。
紀元前660年の神武天皇以来125代の今上天皇まで、数えれば2600年を超えるとされる皇統の系譜は、世界でもエチオピア王室に次ぐ2番目の長さと書いてあった。古事記や日本書紀の記述などの研究から、実在が確認されているのは15代応神天皇からとされていて、それ以前は神話の世界になっているらしい。どちらにしても、とんでもない天皇と皇室の系譜を垣間見て、皇室についての問題は、ある意味、日本の国の成り立ちにまで及ぶ極めて重大な問題であり、今の内閣などが、国民的論議も無しに軽々に論ずる事柄ではないと考えられるのです。
  ある一定期間を設けて、様々な知見を広く集めた上で、十分な論議がされるべき問題であり、一部の有識者会議や政府、宮内庁などの狭い範囲で皇室典範はいじってほしく無いと思うのです。
特に、現野田総理や、その内閣でこうした国民的問題が論じられる事自体が、おこがましいと考えられます。何故なら、個人的には、現在の民主党政権自体、皇室や皇統とはとても縁の遠い政治主体であり、その様な政党によって軽々しく皇室典範の改正案などを取りまとめてもらいたく無いと思うのです。
現在の天皇、皇后両陛下と皇室は、そのご努力によって、国民に広く親しまれ国民の象徴としてのお勤めを果たされています。皇室の将来の安定的な発展について、皇室のご意向を十分汲んだ上で、慎重に検討されるべき問題だと考えるのです。

2011年12月21日水曜日

年賀状の作成

     我が家では、年賀状の図柄を考えて用意するのは、昔から奥さんの仕事になっている。それも、現在あるのは、一度買い換えたが2003年の筆王の年賀状ソフトになっている。12月になると、奥さんは来年の干支の図柄が入ったソフトの雑誌を選んで来て、年賀状の作成に入る。たまには、お父さんやってよ!と言われるが、その仕事は奥さんに任せっ切りだ。
今年も、ブツブツ言いながら、駅前の紀伊国屋で新しいソフトの入った雑誌を選んで来て作成に入った。今年は奥さん専用に、私が依然使っていたノートパソコンを譲ったので、掘り炬燵に入って、二人で向かい合わせにパソコンに向かっている。以前私が使っていたノートパソコンは、ずいぶん溜まっていたブックマークやお気に入りをほとんど削除したらので、とても動きが軽くなった。
  しかし、表の宛名書きは何時も上手くいっても、新しい年の干支のソフトを挿入するのに四苦八苦している。私以上に基本的な知識が無い上に、普段、ほとんどパソコンを使っていないので、年に一度の作業に苦労するらしい。そんな具合で無事出来上がると、ヤレヤレで、結構満足している様だ。今年も、プリンターが上手く起動しなかったり、干支の図柄にに年賀の文字が上手く入らなかったりで、電話で雑誌社のサポートを受けながら、何とか仕上げていた。
私としては、わざわざ、干支のソフトを買わなくても、近況を伝える写真でも良いと思うのだが、奥さんは干支の図柄に拘っている。今年も、私は、自分の分にちょっとした言葉を添えて、年賀状の準備が終わった。ここからは、いよいよ、クリスマス、大晦日に向けて、今年もおしせまる。

2011年12月19日月曜日

近くのラーメン屋

時々、無性にラーメンが食べたくなる事がある。普段から、特別ラーメンが好きと言う訳では無いのですが、宝塚大劇場のそばの龍坊(ロンファン)と言う中国料理店で、ランチに坦々麺を食べてから、坦々麺が大好きになった。梅田の三番街にある四川と言うラーメン屋も坦々麺がメインで、うちの奥さんなどは辛くて口に合わないと言うが、私はとても美味しいと思っている。
如何言う分けか、3~4日前からラーメンが食べたくなって、何時もなら、川西能勢口のモザイクボックスビルの地下に在る、東春閣と言う中華料理店の坦々麺が気に入っていて、よく食べに行くのだが、足を痛めてからアンディーが大人しく留守番をしなくなった。私達が出かける素振りをすると、大騒ぎで、足を引きずりながら付いて行くとアッピールするのです。
連れて出ても車の助手席でなら、とてもお利口に待っている。しかし、あまり遠い駐車場で待たせるのはこちらが心配で、今日は中国道に近くで、店の前が駐車場になっている、魁力屋と言うラーメンのチェーン店に食べに入った。ここは、以前息子と一緒に来たことがあって、本店は京都の北白川だと言う。麺は極細麺で濃厚なスープに胡麻とたっぷりのネギが載っている。私は、味噌味の並にギョーザを頼んだ。
現役の頃、昼食時、たまに会社の近くでラーメン屋に入ると、いつもギョーザを一緒に頼んでいた。
リタイヤしてからは、ゴルフか何かで出かける時以外、昼食はいつも奥さんの世話になっていて、時々、外のB級グルメが恋しくなることが在る。
私は、昔から体が塩分に反応するらしく、奥さんには味付けを薄味にして貰っているが、塩味の強い物を食べると、たちまち汗が噴出してくる。今日も、久しぶりの、ラーメンで、美味しいのは美味しかったが、こんなに塩分の強い物を毎食食べていたら、絶対体には良く無いと思った。その点、坦々麺は甜面酱の甘みに唐辛子の辛味はあるが、ミンチの味が溶け出して、やはり日本製ラーメンとは一味違った美味しさが味わえると思った。
    
     
  

2011年12月18日日曜日

政府災害対策本部

    政府は、先日、福島第一原子力発電所の冷温停止を発表した。事故を起こした原子炉がいずれも概ね100度以下に収まった状況を踏まえて、首相自ら記者発表に及んだようだ。その事について、福島の地元はじめ各方面で、首相が自ら記者発表するほどの成果なのだろうかと、疑問を呈する向きが多い。というのも、今の現状は、原子炉内部の損傷の具合や内部で溶け落ちた核燃料の状態さえ、解析上の想像でしか窺がえないと言うのが現実だからです。
今朝、平野復興大臣と細野原子力担当大臣がテレビ出演していましたが、細野大臣などもこの先の見通しについては、言葉を選んで苦しい発言に見えました。
ただ、私が以前より思っているのは、政府がいま一番やらなければならない優先順位は何か、という事なのです。TPPもあり消費税の論議もあるだろうが、今年起こった未曾有の大災害と、まさか、あってはならない原子力発電所の大事故が、この国土の狭い日本で発生してしまったという事では無いでしょうか。現政権は、民主党になって三度目の内閣で、野田総理自身日本の総理大臣として、その優れた政治能力故に、国民がこぞって承認している総理大臣と言う分けでは無いと思うのです。
長い自民党政権に失望して、国民は変革を求めて民主党政権を送り出したのですが、それは、支持者にとっては大きな当て外れで、国民にとって、さらに不幸な結果をもたらしています。ましてや、今度も悪かったからと言って、また短期間に総理大臣を変えるのは対外的にもバツが悪いと言う世間体も付いて来るからです。
国民は、自民党の小泉政権ですでに選択を誤っていたと思うのですが、与野党含めて日本の政治が機能不全に陥っている状況で、何度政権を変えても結果は同じ事の繰り返しです。
  今の野田政権にしても、2次、3次と補正予算さえ国会を通せば、復興が進むと勘違いしている節があります。しかし、3月11日から、もう既に9ヶ月が過ぎているのですが、未曾有の大震災とまさかの原子力発電所事故についての本当の認識や受け止め方が、僭越ながら、はなはだお粗末としか言いようがありません。 
現在の政府の東日本大震災関係の対策本部の陣容を見ると、大きくは、原子力災害対策本部、緊急災害対策本部、それに復興対策本部と別れています。原子力災害対策本部には政府・東電統合対策室が設けられ、他方に現地対策本部とその下に原子力災害合同対策協議会がおかれていると言った具合です。緊急災害対策本部と言う本部が殊更何故在るのかが理解できませんが、その下には、現地対策本部と連絡室が設けられています。そして、復興対策本部には、その下に岩手、宮城、福島の現地対策本部が設けられているのです。
私が問題にしているのは、野田総理や細野原子力担当大臣から放射性物質の除染と言う言葉が頻繁に出てきますが、日本国民にとって緊急の重要問題である放射能の除染実施についての所管が対策本部のどこに位置しているか分からないほどなのです。
首都圏を含む東日本に降り注いだ放射性物質を本気で除染すると言う事は、並大抵の取り組みでは無いと思われます。その為の予算手当てにしても、この先30年とも40年とも言われる福島原発の廃炉の費用に匹敵するか、それ以上の経費が見積もられるかも知れません。しかも、それは出来るだけ早いに越したことは在りませんし、原発周辺地域にがぎった事では無いのです。
復興と、原発事故の対応だけで精一杯で、其処まで資金が回らないと言えばそれまでですが、現状、政府の取り組みは、全くそれに近いと思われます。
  震災で発生した瓦礫の処理と、放射性物質を多量に含む瓦礫の処分は頭の痛い問題でしょう。しかし、これらの、大震災関係の三に大分けされた対策本部の本部長は全て現野田総理になっていて、彼がそのうちの何に全力を掛けているのかも全く見えないのです。野田総理自体、対策本部の以下の副大臣や政務官に任せきりで、自ら陣頭に立つつもりは無い様に思われます。
震災からの復興は政府の援助の手が遅くても、粘り強い東日本の人達自身で、少しずつでも前進するでしょう。しかし、放射性物質が降り注ぎ、いまだに手付かずの高い放射能を示す東日本の国土の浄化は、何時、誰が、如何取り組むのでしょうか。地域自治体や、自衛隊で除染作業を行う映像が流されていますが、それは、限定された、ほんのささやかな取り組みと言うほか在りません。
原発由来の放射性物質の拡散について、政府が全力で除染に取り組む姿を期待したいものです。

2011年12月17日土曜日

地域のまちづくり協議会

今朝もリビング越しに朝日が入ってきた。しかし、外の空気は今年一番の冷たさになっている。今日は、地域の安全部会の活動で、9時にメンバーが近くのコミュニティーひばりの施設に集合して、改善の要望が出されている道路の現場確認に回る日になっている。
コミュニティーの施設に行くと、朝から、ずいぶん沢山の車が入ってきており、各部会の常任委員会の日になっているらしい。大体、コミュニティー活動とは、いったい何だろうかと、初めは思っていたが、これは、小学校の校区を単位にした、地域まちづくり協議会と言うのが正式名称で、私どもの地域で言うと、「コミュニティーひばり」と言うのが通称になっている。
まちづくり協議会の中には、色々の部会があって、夫々に各地域の自治会から役員が推薦されて、活動に当たっている。この地域まちづくり協議会には、地域の行政が関与しており、市から予算が付けられていて、地域活動を援助している形になっているらしい。
  私の自治会から私が送り込まれている地域の安全部会というのは、私が所属する小学校校区の各地域の道路の安全状況を確認して、地域から声が上がっている要望を、警察や市役所の関連部署に繋ぐ役目を担っている。
しかし、今日も参加しているメンバーと道々話したのだが、地域住民から要望が上がらないと、市役所や地域警察は何もしないのだろうか。結論から言うと、何もし無い様だ。ところが、年度年度で、幹線道路のリニューアルだけは、どう言う分けか、住民が何も言わなくても、道路会社が入って必要無さそうな道路の掘り返しが行われている。そんな事を考えていると、地域の警察や公安委員会とか教育委員会などにも色々思うことが出てくる。
そうした疑問は、ほかにも色々あるが、地域業者と地域行政、地方議員と地域業者、等々長年慣習的な結びつき等、突き詰めていけば、何かが出てくるのかもしれない。しかし、地域からボランティアで借り出されている住民は、全ての人達が善意で熱心に活動を支えているのです。
宝塚市は不名誉な事に、今の社会党出身の女性市長以前の二人の市長が、収賄で辞職しており、直前の一人は、市長に当選してすぐさま、業者から、一千万の賄賂を受け取っていた。全国に、歌劇の街として、その名前を知られた宝塚市の市民としては、とても恥ずかしい思いをしたものだ。
市民の熱心なボランティアに答えて、せめて地域の行政は恥ずかしくない働きをして貰いものです。

2011年12月15日木曜日

パソコンの復旧作業

    昨日は、ちょっと焦った。新しく購入したLenovoのパソコンで、デスクトップにYahooウエイジェットのカレンダーを出しているのだが、そこに、日付ごとの予定などを書き込んで使い出したところ、とても使いやすくて具合意が良い。
ところが、昨日の昼からパソコンを開くと、そこに、Yahooウエイジェットのカレンダーに、バージョンアップ情報が届きました、と言う表示がでた。そこで、何気なくその更新のボタンを押してしまった。バージョンアップの画面が終わっても、その後デスクトップにウェイジェットのYahooカレンダーが表示されないので、一度、再起動しようと、パソコンの電源を落とした。そこから悪戦苦闘の始まりだった。
次に、パソコンの起動ボタンを押して立ち上げようとするのだが、起動に失敗しました、さらに、パソコンを起動することが出来ません。と言う表記が出てきた。何度も、立ち上げようと起動ボタンを押すのだが、その度に先ほどの表記が出て、とうとう行き詰まってしまった。
こう言った事に、元々知識の乏しい私としては、買って間のないパソコンが、壊れてしまった様に感じた。急いで、Lenovoのサポートダイヤルに電話をして、状況を訴えた。若そで冷静な男性の声が応対に出た。その声にしたがって、何度も、復旧の為の作業を繰り返すが、どれも上手くいかない。とうとう最後に、若い声が、お客様のパソコンを、購入後のデーターが失われますが、購入以前の初期状態に戻す作業を行っても良いでしょうか、と問いかけてきた。
購入して、間もない事だし、写真は、カメラのメモリーに残っているし、メールアドレスを手作業で移し変えたのがだめになるくらいで、そん事は、後で又入れれば良いと、そうして下さい、と承諾した。
如何して、こんな事に成ったのかを尋ねたが、原因は、色々あって、特定するのは難しいです、と言うのが答えだった。たぶん、何らかの原因でバージョンアップの作業が、Windouwsの立ち上げに影響したのでは、と言っていたが、これも定かではない。
LenovoのG570は初期化して、先日、自宅に届いた状態に戻ってしまった。そのあと、サポートのアドバイスに従って、宅内無線のインターネットが開通した。ところが、後で気が付いたが、メールの設定がまだだった。
もう一度、Lenovoのサポートを呼び出してメール設定のアドバイスを求めると、今度は、パソコン上にメール設定画面を出して、お客様のプロバイダーの基本情報でユーザーIDとパスワードを打ち込んでくださいと言う。またこれが私は嫌いだ。いつもの事だが、ユーザーIDとかパスワードが幾つもごっちゃに成っていて、何がなんだか分からなくなっている。こんな事もあろうと、プロバイダーから送られてきた通知をしまってあったのだが、今度は、どこに仕舞ったのかを忘れてしまった。奥さんも出てきて家の中を探しまくって、ようやく、探し出すと言う始末だ。
通知を見ると、そこには、顧客の基本情報のユーザーIDとパスワード、それに、インターネット接続に必要な接続用IDとパスワード、さらにメール設定に必要なメールアドレスとパスワード、と言った具合で、三つの項目でそれぞれに情報が書かれていて、頭のボケかかった者としては、なかなか区別を理解できない。結論は、基本情報のパスワードを画面に打ち込んで、何とかWindows Libe メールが設定された。
今朝、起き抜けに、消えてしまったマカフィーのアンチウイルスソフトの再インプットを終えて。ようやく、購入後に、自分なりにカスタマイズしたパソコン環境を、取り戻すことが出来た。
      焦ったり緊張したりで、頭の刺激にはなったが、昨日からのドタバタも、一先ずヤレヤレの決着をみた。

2011年12月13日火曜日

突然の蕁麻疹発症

   今日は、年内最後のゴルフ研修会で、川西の山の原GCに行って来た。M君が身内の不幸で来れなくなったとの連絡が入っていて、メンバーのN君、それに神戸からU君と私の3人でのプレーだった。冬晴れで絶好のゴルフ日和に関わらず、私の調子はもう一つだった。と言うのは、前日の夜、食後に奥さんが突然蕁麻疹を発症して、見る見る間に全身に広がった。夜の9時に近く、先日、風邪で薬をもらったクリニックは診療が終了しており、電話も通じない。しょうがないので、救急を受け付けている、川西市内の協立病院と言う私立の総合病院に駆け込んだ。   30数年も前の事なのですが、夕方、会社に居た私に、当時、小学生の長男から電話が掛かって来て、お母さんが大変だ、と電話口で叫んだ。私は状況も分からぬまま、急いで自宅に帰ると、家内が下着一枚になって、体中を掻きむしりながら泣いていた。耳、鼻、目、頭の中から、腕、体、足の先まで全身に蕁麻疹を発症していて、全身の皮膚の表面が赤くモコモコに膨れ上がっていた。病院に行く為、着替えて玄関先まで歩いてくる間に、家内は血圧が急低下して失神してしまった。
小さかった子供達にはそのときの記憶は鮮明で、下の子などは、へなへなと玄関先で崩れ落ちて気を失い、救急車に乗せられていった家内を見て、お母さんが死んでしまっうのでは、と思ったらしい。   
この時は、昼頃から頭痛がしていた家内が、夕飯のしたく前に頭痛薬を飲んだらしくて、それが原因で薬疹を起こしたのだと言うのが、その時掛かった医者の説明だった。
その時以降、奥さんは、ヘルペスを何度も発症して、その都度短期の入院を経験しているが、、あの時の様な広範な蕁麻疹はそれ以降出たことは無かった。しかし、昨晩の食後は、過去の記憶を久しぶりに思い出させる出来事だった。



   内の奥さんは、30台で膠原病のSLEを発病、以来、30年以上病気と付き合って来ているが、それによるステロイド薬や何種類もの薬を、掛かり付けの総合病院から処方されていて、近くのクリニックで風邪薬を処方される場合も、従来呑んでいる薬品名を医師に申告して、貰うようにしている。
服用している薬品相互の影響で、副作用を引き起こさない為の処置なのです。昨日の出た蕁麻疹も、今日判ったのでは、結局、食後服用した風邪薬に反応したよ様なのです。その時の、体調などで、何日か服用していても、その薬品にアレルギーの様な反応を引き起こす薬疹の事が判ってきました。よく食べ合わせと言うことが言われますが、食べ物にしても、様々な薬にしても、まだ良く分かっていない事が多いのではないかと思っています。特に市販の薬にしても、むやみに買って服用するのも考え物だと思います。  奥さんは、昨夜、全身の痒みでほとんど寝ることが出来ず、横で寝ている私も、熟睡することが出来ませんでした。それでも、昨夜市内の協立病院で、応急の手当てで症状の緩和の為の点滴治療を受けたことで、それ以上の、悪化を少しは抑える事が出来たようで、今朝、私をゴルフに送り出してくれました。千里の娘も見舞いに来てくれて、私としては少し気分が楽でしたが、ゴルフプレーには集中出来ず、注意力が散漫で、本年最終の研修会としては、散々な成績に終わりました。明日、状況次第で、天王寺の掛かり付けの主治医のいる総合病院まで連れて行こうと思っているのですが、ゴルフに因らず、遊びに出かける者としては、奥さんが機嫌よくしていてくれているのが、一番ですね! 

 

2011年12月12日月曜日

冬の季節に、晩秋が

 朝、リビングから見る空の色が冬の景色になって来た。9時近くになると、青空が覗いて来たので、まだ風邪が残っている奥さんを置いて、アンディーと朝の散歩に出た。

風も強くなくて、それほど寒さは感じない。奥さん同伴ではないので、3㎏を抱えて、思い切り早足で歩き出した。普段の散歩は、奥さんに合わせて比較的ゆっくりとしたペースで歩く。周りの景色を眺めながら歩くので、綺麗な花やちょっとした景色を写真に撮るのには、ちょうどよいスピードではある。しかし、私自身としては、足腰の鍛錬のためにもう少しペースを上げて歩いたほうが、とも思うが、坂道を下って、登ってくるルートは女性の足では少し無理をしなければならない。


それでも、気温の高い日は下から上りにかかって、中間の自宅近くまで登り切ると、背中にうっすら汗をかくので、それを毎日続ければ、それなりの運動効果は有ると思っている。

今日は、公園の手前を左に出て視界が開けて市内が見渡せる場所でアンディーを降ろし、近くのお宅の庭先で、綺麗に紅葉した楓か何かの葉を写真に撮ってから、自宅に引き返した。

今年の、木々の紅葉はいつもと違って、少しずつ紅葉が進むように感じる。そのためひとつの木の中でまだ緑を残す部分と、少し紅葉が進んだ部分と、さらに赤く染まった葉先がグラデーションを作っていて、一本の木の中でとても綺麗な紅葉を見る事が出来る。今年は、11月半ばに京都の延暦寺の紅葉や、琵琶湖畔の石山寺で、見事な紅葉を鑑賞する機会があったが、12月に入った今も自宅近くでゆっくりした紅葉を目にする事が出来る。
去年は、ここら当たりでも、よく雪が降った記憶があるが、もうすぐ冷え込んで白く雪化粧の季節がやって来る。

2011年12月11日日曜日

ユーロと欧州の情景

    今日の朝日の天声人語に、欧州統一通貨ユーロの記述があった。6年も前のことになるが、退職後、奥さんに促されてイタリア各地とフランスのパリを巡る10日間のツアーに参加した。その時見たヨーロッパの思い出は今も残っている。特にイタリアのローマやフィレンツェ、ミラノ、ベネチアの印象が強く残った。
どこに行っても、日本的な都会の高層ビル等は無く、300年前と変わらない佇まいを残す景観に感動したものだ。レストランで水がほしくなってもボトルの水を買わなければならなかったり、トイレ休憩でバスから降りて用を足すのに其のつど小銭が要ったりと、国情の違いも感じた。もちろん、観光ツアーですから各地の歴史地区を中心に巡るので、ヨーロッパの歴史が強く感じられた面も有るのですが、それにしても、パリの地下鉄以外で、日本の都会の喧騒の様なものはほとんど感じることが無かったし、都市を結ぶ高速道路沿いにも工場のような建物もあまり見かけ無かった。
    当時のユーロの円との換算レートは1ユーロが140円前後だったと記憶しているが、欧州の通貨を統一することで域内の輸出入や商品流通を自由化し、ユーロ参加国17カ国以外にも、将来は域内27カ国の政治的な統一を目指していたのだろう。しかし、ここに来て加盟国の経済財政運営の違いによる財政格差が表面化する事となった。
    特に、アメリカに端を発したリーマンショック以降、ギリシャやアイルランドなどの国家財政危機によって、その不安が欧州全体に波及し、ドイツ、フランスを中心に、今もヨーロッパ各国の懸命な安定化策が協議されている。あの時の、何処かのどかなヨーロッパの印象は、統一通貨ユーロの大きな揺らぎによって、騒然とした印象に変わって来ているのです。
    車窓から、のどかなイタリヤの風景を眺めながら、日本と違って生活にあくせくしていない国柄を羨ましく思ったことを思い出す。豊かな自然と長い歴史や文化を今に伝えるヨーロッパに、憧れのような物を憶えていました。
そして日常、私の中のヨーロッパは、オーディオ機器と繋がっていて、スピーカーはデンマーク製のディナウディオのコンター3で、CDプレーヤーが英国製のメリディアン588、アナログプレーヤーはドイツ製のアコースティック・シグネチュアー サンバと言う機種を使っている。それに、アナログプレーヤーのアームは、これもイギリス製のSME 3010R 、カートリッジにデンマーク製のオルトフォン コンプラプンクトA と言った具合なのです。
   この様に、オーディオ製品では、優れたヨーロッパの製品が製造されていて、世界のオーディオ愛好家に広く親しまれています。
現在の欧州金融危機を受けてユーロの為替レートは、103円そこそこと米ドル同様大幅な円高になっているので、欧州製品の日本のユーザーにとって、以前と比べるとずいぶん購入しやすい価格になりました。しかし、欧州製のオーディオ機器がどれだけ優秀と言っても、18世紀以降に輩出した世界の音楽家達や、クラシック音楽の膨大な遺産には比べる事は出来ません。
昨日、夫婦で風邪を引いている私達は、何気なく押したスカイパーフェクトチャンネルの無料の映画放送を一日中見る事になったのですが、それは、フランシスコ・コッポラ監督のゴッドファーザーでした。結局、パートワンからスリーまで、見てしまいましたが、シシリア島ののどかな風景と、哀愁のあるテーマ音楽で、昔のヨーロッパの、のどかな雰囲気を楽しみました。

2011年12月10日土曜日

今の日本の世相は


  日々、様々なニュースに接して、最近、世の中が歪んで行くように感じてならない。特に若者に関する陰湿な事件、事故があまりにも多いのではないかと感じている。特に小さな子供が、自分の母親に傷つけられたり、内縁関係の若い父親から、ひどい虐待を受けるニュースには目と耳を塞ぎたくなる。
それと、通りがかりの見ず知らずの女性や子供に、いきなり切りつけるなど、全く卑劣で常軌を逸しているとしか思われない事件が、所かまわず発生している状況は異常としか言いようがない。それらの取り締まりにあたる地域警察の日常の治安活動は十分なのだろうか。児童虐待にしても地域の児童相談所で業務に付いている人達の対応は、本当に適切に機能しているのだろうか、と思わざる終えい。
この様な世相の乱れは、突き詰めて考えていくと、国民生活に行き着くと思うのです。少子高齢化とか日本経済の長期停滞とか、色々もっともらしい理屈をつけるが、若者の教育に当たっている教師はその心の発達に、十分に意を用いているのだろうか。高校、大学を卒業した若者たちの社会進出に、政治、経済を担う大人たちは意を払い、充分支えているのだろうかと。
若者の五割前後の者たちに、交際している相手がいないと言うのも、異常な世の中ではないのだろうか。若い男女の間に、近づき難いどんなバリアーが在るのか聞いてみたい気がする。
自分自身に問い掛けても、男と女の関係は大昔から代わることのない人の自然な営みであり、いまさら云々すべき問題では無いと思うのです。若い男女の関係そのものが不自然な世の中というのは、日本の何処かに問題があるとしか思いようが在りません。
私は、数年前まで日本の世相は、なんとなく大丈夫だと言う漠然とした思いを持っていた。その理由は、日本の各世代の女性が比較的健全で、だめな男達をコントロールして、強かに社会を支えていると感じていたからです。ところが、最近、その確信にも、揺らぎが出ているのを感じています。その理由は、まだはっきりしている分けではありません。余計なお世話だと思われるかも知れませんが、孫達の世代の小さな子供がテレビでもてはやされたり、十代の女の子のほとんどがエンターテイメントにあこがれて、子供のころに培わなければならない子供なりの情緒や感性が、スポイルされているのではないだろうかと、心配になったりするのです。
世界に目を転じると、アメリカンドリームが崩壊した米国の若者達が、ワシントンに向けて大きなデモ
を行っています。政権に対する、格差是正と雇用の要求です。アラブの春といわれる中東の民主化運動が今年吹き荒れましたが、ここでも中心は若者でした。欧州各国の財政問題もこの先どう解決されるかの見通しも、全くといっていいほど立っていません。この様な世界の動きを見ていて、全く日本と違っているのは、同じ世代の若者のアクションだと思うのです。
異性と付き合えない若者、幼児虐待や卑劣なストーカーに成り下がる若者など、どこか、其処には、ひ弱で自ら世の中に立ち向かう勇気の無さが感じられてなりません。
国政を司る能力が問われる政治家達、自己保身に余念の無い公務員組織、日本の国を捨てて海外に逃げ出す経済界など、国の形が揺らいでもしょうがない条件はそろい踏みです。
先般、大阪に改革を志す若い行政マンが現れました。その行く末はまだ未知数ですが、若者を中心にその力を集結して、未来を切り開いてもらいたいものだと思うのです。

2011年12月9日金曜日

雲雀ヶ丘クリニック

 今週の初めから、喉が可笑しいなーと思っていたら、久しぶりに本格的な風邪を引いたようだ。奥さんは月初めに、インフルエンザの予防注射を受けているが、私は、いつもの事で、病院には行かず、市販の薬を飲んでほぼ治りかけていた。会社の健康保険で、奥さんは、インフルエンザの予防注射を二千円で受けられる。お父さんは千円で受けられるのだから、と奥さんが背中を押すが、どうにも、病院に行くのが億劫で、病院行きを渋っていた。
ところが、私の風邪が奥さんにうつってしまった。二人っきりで暮らしているのだから、それもしょうがないが、インフルエンザの予防注射を受けていても風邪を引く。それなら、世間でうるさく言うが、私たちのように、街中の混雑した所にほとんど行かない者にとって、インフルエンザの予防注射など、本当に要るのだろうかと、思ってしまう。

今朝早く、奥さんの為に公園の横の、雲雀が丘クリニックに順番をとりに行った。9時前だが、待合室はいっぱいで、順番表に名前を記入して、窓口の女性にどの位かかりますかと尋ねると、一時間後に、と言う。
ここの医師は、私と同じ歳の背は小さいが体格の立派な女医で、とても優秀な医者だと思っている。
以前、私が階段から落ちて右足が腫れ上がった時、診るなりすぐ、市内の総合病院に紹介状を書いて、抗生物質の点滴治療に行くように進めた。これは、蜂窩織炎と言って、ほって置くと足を切らなければならなくなると、言われたのです。そのように、判断が的確で早く、私はこの医者をかっている。

今日も、奥さんを病院に連れて行ったついでに、私も診察室に入って診てもらったが、前にも増して立派な体格で、私の体にも聴診器を当ててくれた。

 二人とも、同じ症状ですね、漢方薬を出しておきますからと言って、予約してから二時間後の受診を終えた。
ご主人は病院の別の入り口があって、そこで主に泌尿器科の診察をしているが、私もそろそろ、そちらのお世話になる歳が近いかな、と思っている。しかし、内科の窓口と比べると暇のようだ。


地域の病院としては、気の毒なくらい、朝早くから夜遅くまで患者がつめかけ、休む暇も無く診療に当たっている女医さんにいつも感心しているが、できるだけ世話にならない用に心がけねばならないと思っている。

2011年12月7日水曜日

ガスオーブンが壊れた

  毎日、色んな出来事が起こる。昨日の夕方、奥さんがキッチンで、アッ、と言う声を上げた。どうした、と尋ねると、電子オーブンが壊れたみたい、と言う。私も覗いてみるが、電気のスイッチが入らない。どのボタンを押しても,全く反応が見られない。今日、パンを焼こうと思っていたのに、と奥さんがこぼした。
  壊れる時には色んな物が一度に壊れるような気がする。先日のパソコンは、別に壊れたわけでは無いが、今まで使っていた物の年数が立ち過ぎて、時間の問題だったかも、と思った。早速、いつも風呂や床暖房のチェックに来る会社に電話をして、今朝、見に来てもらったが、結果は寿命で、たぶん配電盤がイカレタようで、修理用の部品も手当て出来ないので、新しい物と取替えてもらわないとだめですね、と言って帰った。 
 うすうす、奥さんはガスコンロもガスコンベックも寿命が来ているのを気が付いていたようだ。今の所に引っ越して来てから、ずっと使って来たのだから、とっくに元を取っいると言っていた。
 奥さんが、パン教室に行きだしてから20年以上、我が家では、奥さんがパンを焼いて来た。その他、菓子パンやケーキなども焼いていて、12月になると、いつもクリスマスに合わせて、シュトーレンと言うパンを焼いて居る。奥さんには、そのパンのおすそ分けを期待してくれる友達もいるらしい。 
 電子レンジを兼ねているオーブンなので、冷凍した物の解凍にも支障をきたすので、急遽、取替えの注文先を探さねばならなかった。今まで使っていたオーブンは名古屋のリンナイ製で、取替えの品物を確認しようと、リンナイのショールームを探すが、ネットで探しても見つからない。しょうがないので、リンナイの会社に電話を入れて尋ねると、内はメーカーで、小売をしていないのでショールームはありません、と言う回答が帰ってきた。 要するに、関西であれば大阪ガスなどに製品を卸して、大阪ガスのブランドで販売されているとの事だった。では、OEM製品ではなく、リンナイブランドの製品は如何して購入するのかと尋ねると、それは、量販店や住設機器の販売会社に注文するしかないと聞かされた。 
 なるほど、インターネットの楽天などのネットショップに多数の販売店が出店していて、そのほとんどが、40%~50%のディスカウントの表示がされている。しかし、大して手の込んだ製品でも無いのに、如何してこんなに高い定価で売られているのかと、不思議に思うほど、一連の製品の定価は高い。このデフレの世の中で、ガスコンロにしても10万円台から30万円台近くの価格が付いている。片方では、液晶テレビやデジタルカメラの価格が急落している時代に、なんとも、大雑把な価格設定で販売されていて、消費者は、そうした販売店の言い値の価格で買わされているように感じた。
 元々、買い替えのサイクルが長く、市場がそんなに大きく無いからなのだろう。それと、今までに製造するメーカーが少なくて、比較的少数のメーカーがその市場を握っている結果では無いだろうか。  
 大阪ガスの代理店の社員がやって来て、販売価格は二割引にしますと言って、製品の説明はほとんど無しに、パンフレットと見積書を置いて帰った。後でネットで販売されている価格と見比べると、同じ様な機能の製品が6万円も高い見積もりだった。地域独占のガス会社が、ガス器具の販売まで牛耳っているから、販売店もメーカーも育っていないと思われる。
 しかし、この機器の取替えには工事費用が必要で、これが、また高い。ガスコンロとガスオーブンの同時取替えで4万台の工事費が相場のようだ。地域のガス会社の代理店に注文するほうが、工事費は安いのだが、製品価格は割高になる。ネットで見ず知らずの業者に発注すれば、工事費で吹っかけられそうな気がした。
 我が家では必需品のガスオーブン、後で後悔しないですむ製品を慎重に選ぼうと話し合っている。