2011年5月31日火曜日

政治はどうなるのか

  明日から6月入り、現役の時だったら衣替えで、昔は女子社員の制服なんかも一斉に替わった。もっとも、今時、制服を着せている会社も少なくなったのだろう。
 TVニュースを見ていると、国会の方も、又、騒がしくなって来た。早いもので、今年の8月で、一昨年の夏、民主党が政権交代をしてから2年に成る。その間、今までの日本の政治と世間の動きを振り返ってみると、とても色んな事が有った。
 当初の鳩山首相は、普天間問題のごたごたと、母親からの生前贈与の申告漏れで敢え無く自滅。同時に、幹事長だった小沢一郎が、自らの政治資金規正法違反容疑で秘書が逮捕されるに及んで、総理と手を繋いで辞任した。思わぬ状況でお鉢が回ってきた、菅が総理大臣に選ばれた。ところが、選ばれた途端に、議論もしないで、唐突に消費税の引き上げを持ち出して、一気に不信を買ってしまう。その後の、民主党の任期切れの代表戦でも小沢と戦って、再度、菅が引き続き首相を務めるが、初めから、小沢排除の方針で、反小沢の布陣をあからさまにした為、党内は小沢に同調する鳩山、それに小沢グループと反小沢グループの対立状況を作ってしまった。そうした中、尖閣諸島での中国漁船不法操業をめぐる政府対応から、国会の紛糾が続き、反小沢の先鋒で官房長官の仙石が参議院から不信任を出され、辞任に追い込まれる。
 仙石の後を受けて、省庁の無駄の洗い出しに当たった枝野が官房長官に就任。消費税増税を一旦引っ込めた菅は、今度はTPPをぶち上げるなど、何とか不人気の挽回を模索するが、内閣の支持率は今年の年明けから、30%を大きく割り込んだ。外国人からの献金問題が発覚した外務大臣の前原の辞任と、統一地方選での民主党の大敗を受け、内閣の命運も風前の灯かと思われたまさにその時、3月11日、M9の東日本大震災が起こったのだ。
 随分はしょって、此れまでの政治状況を振り返ってみたが、大きな国民の期待を受けて、せっかく念願の政権交代を果たしながら、政権与党は如何してこのような状況に陥ってしまったのかを考えなければならない。
 日本の政治は、あの時点での自民党政治からの転換を、多くの国民が望んだ結果だったのでは無いだろうかと思うのです。しかし、国民の支持を受ける為に掲げた数々の公約に、実現性と継続性への疑問が露呈してしまった。その上、大きな問題は党内の分裂状況を、自ら作ってしまった事では無いだろうか。 
 日本にとって、最大の不運は、この様に政権に対する国民の不信が頭をもたげ、コロコロ、国の総理大臣を変えることが、世界的にも対面が悪いというだけで、継続が許される様な状況の中で、国難とも言える、大地震と大津波が起こって、それに原子力発電所の大事故迄が重なってしまった事だろう。
 自分の記憶を確かめるように、書いてみたが、そこには大きな問題があるのではないかと、思い当たる。一昨年の政権交代時には、日本の閉塞状況が煮詰まっていた時に、悪い言い方をすれば、仕掛け人に、えさを撒かれたのではないかと思うのです。
 日本の将来を如何して行くのかの精緻な議論をへせずに、裏付けはともあれ、小沢のシナリオに沿って、国民受けする公約を揚げ、それまでの状況に嫌気をさしていた国民の気を引いた事だろう。それに、今になっては沈黙しているマスコミも、反小沢を掲げながらも、一斉に共同戦線を張って政権交代の援護射撃に向かった。しかし、結局、民主党は、期待して投票した有権者を大きく裏切る事となった。
 政権交代は、敵の弱り目に付け込んで仕掛けた小沢の采配で成功した様なものである。それまでの民主党の有力議員は、野党経験しかない、政治手法に乏しい議員でしかなかった。しかも、当初から、小沢の政治手法に反発を持つ議員グループとの反発が根強く、党内のまとまりに欠いた党運営が、決定的に経験不足を露呈させてしまう事となったのではないかと思われる。
 国民にとっては、弱り目に祟り目で、信頼してこれからの日本を託す事のできる政党が、今、見当たらないという事ではないだろうか。経済社会も、変動の大きい国際社会に適応する為か、国内の雇用や所得を守る事が出来ない環境となっている。今回の大震災と原発事故で、そこに将来の日本のエネルギー問題までも抱え込む事と成ってしまった。
 この様に、被災地の復興と原子力事故の収束、それに日本の今後のエネルギー問題など、多義に渡る問題を、同時並行的に解決しながら国民生活を守っていく事は、誰が、どの政党が担っても、この時期一筋縄ではいかないと思われる。
 まずは、何と言っても、政党を超え全国会議員が協力し合って、この難局に当たる事のできる強力なリーダーを選ばなければならない。この難局は、一つの政党や一握りの政治家で担える範囲を大きく超えていると思うのです。現在、国の議員に選ばれた政治家は全力を尽くして、一日も早く被災地と日本の国全体の為に、最善を尽くさねばならないと思うのです。

2011年5月30日月曜日

レコード整理

 梅雨に入って、ベランダの植物も水を含んだように緑が深くなってきた。幸い、台風の風での大きな影響は無かったが、それでも花が雨風に打たれて乱れているのを見て、家内がベランダの内側に移していた。

 レコードプレーヤーの復活で、昨日は家内の部屋にあったレコードを、私の部屋に引越した。あらためて、クラシック系、ジャズ系、フュージョン、ポップス系、国内ボーカル系、と整理し直すと、280枚ほどのレコードが確認できた。

 懐かしい、ホークシンガーの本田路津子のアルバムを見つけて、「耳をすませてごらん」とか「雨の日はしょうがない」など透き通った歌声を聴きながら、レコードアルバムの整理した。

 ある時期、弟から、相当数のジャズ系のアルバムを貰い受けたが、そのほとんどをまだ聞いていない。わたしの、お気に入りのCDでSOMETHIN'ELSEと言うジャズの大名盤があるが、これも、CD版のジャケットと同じレコードが確認された。キャノンボール アダレー、マイルス デイビス、ハンク ジョーンズ、サム ジョーンズ、それにアート ブレーキー、と言うメンバーでジャズの原点のようなアルバムだ。

 当分の間、これらの事で、時間をもてあます事は無いだろうと思っている。梅雨の晴れ間に体を動かそうとは思っているが。

2011年5月28日土曜日

Phase Tech EA-5

 随分と早い、入梅となって、おまけに台風まで来ている。連日の雨模様で、今日は、とうとう一歩も外に出なかった。と言っても、実は理由があって、家の中での作業に忙しかったのだ。
 3日ほど前、色々調べた末に、アナログレコードを再生する為のフォノイコライザーを購入した。
東京、青山のオーディオギャラリーがネットに出した、フェーズテック EA-5と言う製品で、協同電子エンジニアリングと言う会社が出しているものだ。
 新製品ではないが、発表以来とても評価が高く、数々の賞を取っている。販売価格が7万弱するものを中古の価格、3万6千円ほどで手に入れた。
 数年前、少し無理をして、プリメインアンプを、セパレートアンプに入れ替えた。退職後で贅沢と思ったが、それでも、奥さんに気兼ねしながら日本橋の河口無線に発注した。
ところが、導入したアキフューズのプリアンプC-2400は、アナログレコードを聴くためのイコライザーを後付で増設しなければならなかった。同時に購入したパワーアンプのA-30 と価格がそんなに変わらないと思えるぐらい高い。
 その時点で、私は、まあいいか、とあっさり諦めていた。そのうちアナログボードは追加すれば良いと思ったのだ。その頃は、ほとんどCDを聞くことが多くて、その外には、あまり興味を持っていなかった。その時から、SME 3009RのアームにortofonのMCカートリッジKontrapunkut aを載せたドイツのターンテーブル、アコースティック シグネチュアーのSambaはリビングの飾り物になっていたのだ。そのうち、そのうちと思いながらずるずる時間が立っていた。
 アナログプレーヤーのセットだけで、いくらしたか、など知ら無い妻からは、「お父さん、あれ聞かないんだったら、ネットで売れるんでしょ」なんていわれる始末で、そろそろ何とかしようかと思っていた。そこから、評価が良くて手頃な値段になっているフォノイコライザーを、片っ端から調べて、見つけたのが、青山のオーディオギャラリーがネットに出した、フェーズテックEA-5だった。
 ネットで支払いを済ませると、翌日には品物が届いた。わくわくして、セッティングを開始し、いざ音だしに入ると、どうしても右側の入力が出ない。様は、右のスピーカーから音が出ないのだ。
 久しぶりに、アームの調整を入念に済ませ、期待してレコードに針を降ろしたが、片チャンネルから音が出ないというアクシデントで、どたばたが始まったのだ。
 MMのカートリッジとMCカートリッジを交互に替えて視聴し、ひょっとして、フォノケーブルやラインケーブルに不具合は無いか、などの可能性をチェックしていった結果、どうも、届いたフォノイコライザーに原因があるかもしれないと、行き着いた。
 青山のギャラリーの担当者に連絡を取ると、こちらでチェックしますので、恐縮ですが、すぐ送り返してください、と言う。それで昨日、先方でチェックした結果製品に問題が無い事が分り、今朝製品が送り返されてきたのだ。そこから、再度自宅でのチェックが始まった。日本橋のオーディオショップのアドバイスを受けながら、一つ、一つやっていくと、どうもアームの線に問題がありそうだ、と言う所までたどり着いた。
 ターンテーブルの下側、アームの線に繋げるRCAのプラグを少し強く、指で押してみると、なんと、両方のスピーカーからいきおい良く音が飛び出したのだ。
 いずれ、アームを外して、メーカーでチェックしてもらわなければならないが、とりあえず、原因が判明した。外は雨だが、気持ちは晴れ晴れ、何枚も、懐かしいレコードを聴いてしまった。
レコードの音が持つ、ゆったりしておおらかな響きが贅沢で、こんなにいい物だったのかと、アナログ再生をあらためて見直した一日になった。

2011年5月27日金曜日

二ヶ月を過ぎて

 東日本大震災から2ヵ月半、被災地は懸命に立ち上がろうとしている。反面、福島第一原子力発電所は、当初の、政府、原子力保安院や東京電力の、連日の国民をなだめるような記者会見とは、相当違った結果が明らかになって来ている。一号炉に次いで、二号炉も三号炉も、いわゆる、原子力燃料のメルトダウン(溶融)が起きて、原子炉容器や原子炉の格納容器に穴が開いたり、破損している可能性が示された。そのことは、夫々の水素爆発や、むき出しの核物質から大量の放射性物質が外部に放出されて、相当広い範囲に影響が出てきている事を示している。
 当初、専任のような形で、国民向けにメッセイジを発していた枝野官房長官の言っていた事は、何だったのかと指摘しなければならない。「直ちに健康に影響するものではない」等と言うフレイズは、国民に対する、まやかし以外の何ものでも無かった事になる。
 さらに、これも政府の原子力委員会の斑目(マダラメ)と言う委員長は何者なのだろうか。原子力事故発生以来、当初は、ほとんど表に出ず、事故現場の確認にも出かけなかった人物で、放射性物質の影響について、文科省が子供の浴びる放射線の許容基準を年間20ミリシーベルトとするのにOKの指示を出したという。彼については、最近、色々の事が言われだしているが、私は当初から不思議な人物に映っていた。「原発は、そうとう儲かるんですよ、原子力みたいな不気味なものは無いですよ、結局、金がものを言うんです」等など、彼が発した談話は、ユーチューブでもそうとう話題になっている。
 東京大学で、その道の教授を務めていた人で、政府の原子力委員長まで成っている人なのだから、如何わしい人では無いと思うのですが、柏崎刈羽原発事故の処理に絡んでは、経産省の原子力安全保安院のメンバーから、原子力委員長として不適格との指摘を受けている事実も分っている。
 物理学や機械工学的な識見は高い人なんだろうと思うのだが、この人の話を聞いていると、何処か、お宅くっぽく見えて来るのは如何してだろうか。それに話がとても軽い。深刻な事態が進行しているにも拘らず、何処か、ひと事のような雰囲気をかもし出す人なのです。
 原子炉への海水注入に際して、再臨界について問われ「その可能性はゼロではない」という言葉が、最近問題になっているが、N.Yタイムズなどは、米国の原子力関係者の談話として、あの時点での言葉としては、全く当たらないとしている。そして、日本の政府部内では、事故収束の目処も立たないうちから、早々と原因究明の委員会が立ち上がった。さらに、海外からは、社会主義的と揶揄される被災者救済のスキームも構築されようとしている。様々な、矛盾を抱えた二ヶ月半が過ぎようとしているのだ。
 結局、現在の原発事故の対応は、主に東京電力一社に任されて、政府の原子力委員会や安全委員会、それに経産省の原子力安全保安院などは、ほとんど機能していないのではないかと思われる。原発事故対応の細野補佐官は、誰と話をしているのだろうかと思われてし方が無い。
 人の話の受け売りだが、数学者の岡 潔さんの言葉に、20世紀は物理学の時代だったが、それは破壊と操作の時代だといえる。しかし、20世紀を形作って来た物理学にも限界があって、21世紀は新し世界を模索する世紀に入ったのでは無いか、とのお話であった。その事は、私達の暮らし方の変更を意味するのかも知れない。しかし、今はまず、原発事故の一日も早い収束の目処が付けられる事を祈りたい。
 
 

2011年5月26日木曜日

HICKORY GOLF FOREST

 ヒッコリーゴルフレ練習場は、この所、私のメインのゴルフ練習場になっている。以前は250ヤードの距離がある千里ゴルフガーデンが私の練習場だった。ここには、私の妹と同じ千里のマンションに住んでいる、谷口 徹プロもオフなどには良く来て、新しいクラブの試し打ちなどをしている。
 宝塚に越してから、近くに、気に入った練習場が無く、千里まで通っていたが、今の住所からは30分近く掛かる。
 そこで、見つけたのが、家から10分の距離にあるヒッコリーゴルフ練習場だ。ここは、前のネットまで60ヤードの距離しかなく、一階の打席が16程の小さな練習場なのですが、、この練習場のいい所は、1時間20分、1.000円打ち放題と言う低料金なのです。
 せっかちな私は、ほとんど休まずに、1時間20分を使い切る。大体、300~350球を一気に打つてしまうのだ。これからの夏場は、ぐっしょり汗をかくので、終わってから家でシャワーを浴び、飲むビールがとても美味しい。それに、1時間20分と言う短時間に300球以上打つと、体には相当こたえるし、汗を出してダイエットにちょうどいいと思っている。
 今はウェッジを持っての、アプローチの練習に時間を費やしているので、体にはそれほどこたえないが、ミドルアイアンも交えて打ち込むと、相当な練習になり、満足感を味わえる。
 長尺ドライバーで、距離のハンデキャップを少しちじめたので、後は心に誓ったショートゲームの克服に向けて、練習あるのみなのだ。ちなみに、ヒッコリーと言うのは、クルミ科の高木とのことで、ゴルフの草創期は、羊飼いが木製のクラブでゴルフを始めたとの事から、木製のクラブに使った木から来ているのでは無いかと、勝手に想像している。
(どういう分けかMr.Hickoryの像がある)
 

2011年5月25日水曜日

走り梅雨

 梅雨前に天気が不規則になり、梅雨のような雨が降る事を走り梅雨と言うらしい。2~3日天気がぐずついて、雨が上がったと思ったら、少しひんやりした空気になった。朝のウォーキングで、遠くの大阪方面を望むと、空気が澄んでいるのか比較的見とうしが良い。


 写真を頻繁に撮るようになってから、季節の花々に目が行くようになった。それも、春からとてもめまぐるしく、主役が交代する。5月に入って、つつじも終わりかけて梅雨時のあじさいまでにはもう少し時間が有るな、と思っていたら、ハナミズキに似たコブシの白い花が一斉に咲き出した。


 今迄、コブシの花などあまり気にしたことも無かったが、桜が散ってハナミズキに注目したおかげで同じ科のコブシの花を知る事が出来た。今日のコブシの花は、空の日差しに向かって花びらを立てているように見えた。


 今朝、車の中でNHKのラジオに宗教家の山折哲雄さんが出ておられて、日本の四季の移ろいは明るい無常観だといわれていた。私にはどういう意味かよく理解できなかったが、こうした四季の繰り返しの中に日本人の生活があって、色々の事を逞しく乗り越えて来たという意味か、と思った。


 宝塚の長尾山系の山すそに大きな宅地造成が進んでおり、ここにある大手スーパーの裏手が
自然いっぱいの大きな公園になっている。初夏を思わせる日差しの中、小学生の低学年か、屋外授業で公園を元気に走り回っていた。

2011年5月23日月曜日

Made in japan

 先日、荒牧バラ公園に行くのに、MINOLTA DiMAGE A2を持参した。余談だが、このミノルタに付いている7.2-50.8mm 1:2.8-3.5 APO GT LENSの開発に関わっておられた方が家内が通っている陶芸教室で陶芸に没頭されている。MINOLTAがKONIKAと合併する前までMINOLTAのレンズ開発部門で役員をされていたという。
 お互いに、朝のペットの散歩で顔をあわせる事もあり、彼が主催する個展にも顔を出したりもする。家内の話によると、科学者らしく陶器に掛ける釉薬などは、とても詳しいらしい。何しろ自宅にも小さな窯を置いて陶芸三昧の毎日を送っているとの事だ。
 彼が現役時代その開発に精力を傾けたであろうカメラのレンズが、未だに健在で、花などを撮ると、とてもいい絵が取れる。彼もMINOLTAのレンズには、ちょうっとした会話からもその自負が感じられ、KONIKAと統合した挙句に、カメラ部門をソニーに売却されてしまった事は、口惜しい限りでは無かったかと推察される。
 家内より、陶芸暦は短いのに、気持ちの打ち込み様が違う。陶芸の窯元を尋ねて、新幹線に乗っては、西でも東でも出かけて行くらしい。元来研究者の彼は、家内のキャリアなど、とっくに追い抜かして、作品を地域の展に出品しては賞を貰い、溜まった作品で年に一度は個展を開くといった具合なのだ。
 私が気に入っているKONIKAMINOLTAのカメラレンズも、こうした技術者の拘りから生まれたのだろうと想像している。私を含めて、日本の上り坂を走ってきた人間がどんどん現役をはずれ、新しく余生の時代に入っているが、過去を懐かしむだけでは無く、拘りのMade in Japanが未来に繋がって行く事を願いたい。

2011年5月21日土曜日

「国民感情」

 最近、新聞紙面やTVニュースで何かあると「国民感情」と言う言葉がつかわれる。最近では、政府の枝野官房長官が、東京電力に融資している金融機関に対して、債権放棄を求める談話を発表したことだ。原発事故の被災者救済のため、「国民感情」からしてその債権放棄が求められるというものだ。
 どうも、管総理の浜岡原発の停止要請にしても、今回の枝野官房長官の発言にしても、にわかには理解できないような事が平気で語られて、そこには彼らの理屈に、この「国民感情」と言う言葉があるのではないかと思われる。
 と言うことは、今の政府の考え方が、あまりにも国民から如何思われているかと言う事に支配されていて、場合に寄れば、都合よく「国民感情」と言う言葉を利用しているようにさえ思えるのです。
しかし、冒頭の、金融機関に対する債権放棄の要請の論拠はどこにあるのだろうか。事故を起こした東京電力に事業資金を融資していた事が、債権放棄の理由付けになるのだろうか。政府の官房長官が公の記者会見の場で、このような私見を述べる事が、はたして正しい事なのだろうかと、疑問を呈したい。
 彼の頭の中には、過去のバブル期に高揚する不動産投資に過剰な融資を繰り返し、経営難に陥った金融機関のイメージがあるのではと思われるが、勝手に「国民感情」と言う言葉を使って正状な経済活動の金融循環メカニズムを萎縮させかねない発言は、立場をわきまえない、大変思い上がった考えで、政府の中枢にいる人間として、全く認められない。
 彼は、官房長官就任の記者会見で、最も若い官房長官であるが、永田町で16年、政治に関わってきたと強調していたが、こんな政治家を16年も政界で食わせてきた国民としては、とても恥ずかしい事ではないだろうか。いったい16年も野党で何をしてきたのだろうと考えざる負えない。
 又、経済界や金融界も、思い上がった政治家の間違った考え方には、即、強い抗議をすべきで
債権放棄は頭に無い等と、口の中で、もごもご言っているような場合ではないはずだ。
 国会審議を見ていて、菅首相の浜岡原発停止要請にしても国民受けを狙ったパホーマンスの色彩が強い。今後のネルギー政策を見直すとしながら、検査の結果安全が確認されれば既存の原発を容認するといったり、原発から再生エネルギーに比重を転換するとは一言も言っていない。
 日本の国難とも取れる今の状況で、確りした政治理念と国政の運営能力を持ち合わせない、今の政府を国民は何時まで我慢したらいいのかと思ってしまう。
 今の国政に対する私の見方は、そんなに大きく外れていないのではと思うのですが、
「国民感情」は如何なんでしょうか?
 

2011年5月20日金曜日

荒牧バラ公園

 アンディーの散歩も兼ねて、近くの荒牧バラ園を尋ねた。大抵のこうした施設は、未だに犬連れを断るところが多い中、ここはOKなのだ。伊丹市営のこのバラ公園は、今が見ごろになっていた。


 連れだって来園しているご婦人方や、乳母車を押した若いママさん、それに私ぐらいのカメラを携えたシニアなどでバラ園は賑わっていた。


 来園中にも、公園の職員さんがバラの世話をする姿が見られた。これだけ広い公園で世話をして
季節に見事な花をつけさせるには、相当の苦労がうかがえる。


 白、ピンク、黄色、赤、大輪のものから、蔓状のバラを円形に形づくったものなど来園者の目を楽しませていた。


 今日は、夏を思わせる天気で、皆、満開のバラに囲まれた日陰のベンチを求めて一息入れていた。市営の為入場料も無く、結構遠くからの来園者もいるようだった。

 

2011年5月19日木曜日

大阪駅の改装オープン

 娘から家内に電話があった。大阪駅に三越伊勢丹がオープンして、横にはルクアという若い人向けの商業ビルも出来たという。そう言えば、TVのニュースで、三越伊勢丹のオープンも含めて大阪駅の新装オープンの日に30万人を越える人出があったことを伝えていた。


 娘は、子供達を学校に送り出した後、ママさん仲間で新装オープンの商業ビルを見学に言ってきたらしい。そこで特に用事は無いが、私達も出かけてみるか、と言うことになった。

 私達は、普段、梅田に出かける事もめったに無い。特に大阪駅や梅田は、阪急百貨店のビルの増床工事で仕切りがあったり、通行出来ない場所があったりとても歩きにくい状況になっていた。


 たまに目にしていたのは、在来線の大阪駅のホームの上を、とても高いアーケード風の屋根で覆われている光景だった。現在、大阪駅の北側の随分広いJRのコンテナヤード跡地が開発される途中で、幾つかの大きなビルの建設が進んでいる。


 50年前、今の阪神百貨店の裏側には、戦後すぐバラックで出来た繊維街が有った時代からこの界隈を知っているので、今の大阪駅周辺の変貌には驚かされる。


 建物の西の少し離れた所に駐車場があり、歩いても5分ほどの所なのに、バスが送り迎えしていた。バスを降りるとそこが三越伊勢丹の入り口で、ウェークデーにも関わらず、多くの人で賑わっていた。


 おのぼりさんで、昼食でもして帰ったらと出かけたが、食事をする所は何処も順番を待つ人が何十人も並んでいて、私は、込み合った所では食事をしたくなかったので、奥さんの小さな買い物を済ませて梅田を離れた。


 

2011年5月18日水曜日

バラの季節

   朝の散歩も、出遅れると暑さを感じる季節になってきた。それと散歩コースに、一気にバラが花を付け出した。

 犬の散歩をかねた人たちで、公園も賑わいを見せる季節だ。先日来見られた黄砂も下火になり
散歩コースから、池田の五月山や遠くに大阪市内のビル群を望めるようになった。

 バラといえば、この近くでは、伊丹市の荒牧バラ公園が有名だ。先日立ち寄ってみたが、一足早かった。駐車場のおばさんに、まだ咲いてないんですよ、て言われてしまって、しょうがなく出直すことにした。
 
 季節の歩みは速く、桜が終わり、ハナミズキに続いてつつじの花が満開になったかと思ったら、花の主役はバラに移っていた。

 あじさいの花が咲く梅雨時までには、もう暫くの間バラが主役を務める。


2011年5月17日火曜日

小野グランドカントリー

 今日は、U君がメンバーの小野グランドカントリー倶楽部に月例の研修会に出かけた。今週に入って晴れの日が続き、今日はうっすら汗をかく初夏の気候となった。
 兵庫県小野市にあるこのゴルフクラブはオールドコースとニューコース、あわせて36ホールを擁する名門コースだ。今日は、キャディー付きでニューコースを予約していた。
 私も、ここには、現役時代から度々訪れてプレーを楽しんだ。U君がここのメンバーになって10年ほどになろうか、元々ゴルフの上手かった彼は、ここで精進してシングルプレーヤーの仲間入りを果たした。
今、ゴルフを趣味にしているリタイヤ組みで、毎月お互いのメンバーコースをめぐりながら、研修会と称してゴルフを楽しんでいるが、それも3年を過ぎ、M君やN君はめきめき腕を上げてU君に一矢報いる時も出てきた。一番年長の私が悩みが多く、肩の痛みや、手のひらの接触アレルギーなどと、しのこの、訴えては、ハンデキャップを貰っていたが、それもこの頃遠慮させて貰っている。
 それで、今日は、私がいつも愛用しているミズノから売り出された新しいドライバーを持参して、初打ちを試みた。JPX800 9.5度 Sシャフトのドライバーで長さが46.5インチと長尺だ。遠慮気味にスイングするうち、だんだん調子が出てきて、同伴の彼らとの飛距離に近づいてきた。少しずつスピードを上げて打ってみても、良く飛んでほとんど曲がらない。弾道も申し分無い。とても優秀な倶楽部で断然気に入った。
 しかし、今日のスコアは、あまり褒められない。と言うのは心に誓ったショートゲームがさんざんだったからだ。見るに見かねてU君からアドバイスが入った。曰く「もう少し背筋を伸ばして、あまり、かがみ込まないようにした方が」と助け舟が入る始末で、反省しきりのプレーだった。OUT46、IN52とかろうじて100を切ったが、新しいドライバーの試し打ちの結果以外は、不満の残るゴルフとなってしまった。